第三話 なくしもの
カンカン照りの太陽の下、汗でびっしょりになりながら、私は診療所の玄関のドアを叩いていた。
「せんせー! 開けてくださーい!」
声を張り上げるが、ドアの向こうはしんと静まりかえって返事はない。
この酷暑の中、これ以上我慢できなくなって、ダメ元でドアを押す。すっと開いた。看板には休業中の札がかかっていたけれど、鍵はかかっていなかったらしい。
一歩足を踏み入れて、思わず
「なんじゃこりゃ」
と呟いた。
空き巣が入ったように、診療所の中はぐちゃぐちゃだった。戸棚は全て開けっぱなしにされて中身がこぼれ出しているし、何やら書類や本が床に積み上げられ、洗濯されていないと思われる脱ぎっぱなしの衣服が散乱している。
そして、先生本人はソファの上で白衣を着たままいびきをかいていた。
「先生、生きてます?」
体を揺さぶると、のろのろとした動作で手足を伸ばし、重そうなまぶたを上げる。
「あれ、ティアちゃん。久しぶり」
「久しぶり、じゃないですよ。なんですか、この状況は」
「いや、ちょっと、なくしものがあって。探していたんだけど……」
「見つからない?」
先生は困ったように笑って、うなずいた。
「とりあえず、コーヒーでも飲んでシャキッとしてください」
私はテーブルの上のものを押し寄せ、空いたスペースに持ってきた籠を置いた。中に入っているのはキンキンに冷やしたアイスコーヒーと、私が作ったトマトゼリーだ。
ガラスコップにコーヒーをついだものと、アルミホイルで包んだゼリーを先生にわたす。
「冷たっ。しみるなぁ」
コーヒーを一気飲みし、もそもそとアルミホイルを開く。
「赤い……何の味? アセロラ?」
「トマトです。塩入りです。暑いですからね」
「へえ」
ぱくり、と頬張る。子どもみたいに嬉しそうな顔をする。その表情だけで、私は満足した。
「私、料理上手いでしょ?」
「そうだな。将来はパティシエかな?」
「……そこまでじゃありません」
そう言いながらも、内心、かなり得意な気持ちだった。
「お菓子作りはあくまで趣味ですから。私、学校の成績が良いから親には期待されてて。中央都市の大学に行けって言われてるので」
「ほぉ……君はそれに納得してるの?」
虚を突かれて、口ごもる。
「……パティシエとしてお店を出すのは楽じゃないので。そんな夢は見ません」
「ふうん」
先生はそれ以上は突っ込まず、立ち上がって大きく伸びをした。
「僕は今からこれを片付けるから、君は帰りなさい」
「手伝います」
「いや、いい。触ると危険なものもあるから」
「そうですか?」
空になったボトルを籠に戻しながら、何気なく聞く。
「先生の探してたものって何なんですか?」
黙り込む先生。顔を上げると、暗く翳った目と目が合った。
「妻と、息子の写真だよ」
何も言えなくなった私に、先生は優しく微笑む。
「さあ、早く帰りな。おやつ、ありがとう」
玄関のドアを閉めた後も、私はしばらくそこから動けなかった。
先生には、誰よりも大切な人がいる。
私がそこに割って入ることは、永遠にできない。




