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第12話

 昼休憩の直前、胸ポケットのスマホが震え始める。相手を見てみるとひまりで、僕は慌てて事務所を出て緑のボタンを押した。

 「今すぐ来れる?」

 「今日が平日だって分かってる?」

 「うん。それで来られそう?」

 「何時にどこ」

 「できるだけ早く。場所は後で連絡する。駅の近くだから」

 早口のひまりが急かしてくる。愛莉を探そうと空回ったのはほんの数日前のこと。まだ地に足がついていないのではと心配した。

 「無茶しないで」

 「うん」

 電話を切った僕は重たい足取りで上司が座っている窓際の席に向かう。若干の小言で午後休の取得許可が下りると、急いで更衣室に飛び込んで着替えを済ませた。

 ひまりは移動しているのか、電車に乗っている間にも集合場所が二転三転する。最終的な合流場所は有名な衣料品販売店だった。息を切らして合流すると、ひまりは近くのポロシャツを手に取り、僕に合わせて似合わないねと笑った。

 「なんだよ」

 「これ見て」

 服を雑に畳んで棚に戻したひまりが一枚の紙を僕に手渡す。それは園田凪の情報を求めるビラだった。

 「もうひと月前か」

 「最後の目撃場所」

 言われた通りにビラに書いてある小さな文字を読む。失踪した日、凪はあるコンビニで目撃されていたという。その店舗名には見覚えがあった。

 「ここって」

 「そう。それで合点がいった」

 「というと」

 「あの日、愛莉は酔った私を心配したんじゃない。私の荷物にこのビラを見つけて関心を寄せたんだ。愛莉は子供に執着してる」

 「愛莉は今、この子を探してる?」

 ひまりは大きく頷き、僕の腕を引いて陳列棚を縫うように移動する。服には一瞥もくれない。

 「それで今は何を?」

 「あの男を追ってる」

 ひまりが指差したのは黒のリュックを前に抱え、空のカゴを握る小太りの男だった。やけに早歩きで女性衣服エリアを徘徊している。

 「さっき別の店で万引きしてた。多分、ここでもすると思う」

 「それを見逃したの?」

 「泳がせてるの。あいつは万引き以上の罪を犯しているかもしれない」

 ひまりの鋭い眼光と荒い鼻息。それだけで事の重大さは理解できた。やはり前のめりのひまりは危なっかしい。

 「ちゃんと説明して」

 「あいつはハーメルンのオーナーなの」

 どこかで聞いた名前だった。頭に浮かぶ笛をなんとか追いやり、必死に思い出していると麻雀牌がぼんやりと浮かんだ。

 「斎藤さんが言ってた幽霊ホテル」

 「そう。ほら、また盗るよ」

 ひまりは捕食者の目をしている。その気配に気付けない男は女児用の服を手に取り、タグを千切って鞄に押し込んだ。乱暴な手口だが、慣れているようにも見えた。

 「なんであんな服を」

 「性癖かもしれない。もしくは着させる誰かがいるのか」

 「まさか」

 盗品を与えられて喜ぶ者はいない。ましてや自分の子供に着せたいとは思わないだろう。男は素知らぬ顔で退店し、エスカレーターに乗る。僕は疑問をぶつけてみた。

 「幽霊騒ぎの正体が園田凪だって言いたいわけ?」

 「調べてみると、噂は凪の失踪後から立ち始めてた。それに、警察も凪は遠くに連れ去られていないと考えてる」

 「どうしてそんなこと知ってるの」

 「今日も警官が私服で繁華街を捜索してたから。よく見る顔ぶれだった」

 だからなぜそれを知っているのか。話がややこしくなるので一旦それは棚に置く。ひまりは一般人とは異なる道理で生きているのだ。

 商業施設を出た男はカフェと本屋に立ち寄り、最後にドーナツを買って裏口からハーメルンに入った。ここが自宅でもあるのか。僕らはホテルの外観を観察した後、一度駅前まで戻る。

 「お昼まだでしょ。何か食べよ」

 「今日はもういいの?」

 そんなはずないとわかってはいたが、ひまりの笑顔を見て確信に変わる。僕らは近くの定食屋に入った。

 「ハーメルンに一緒に来て。一人だと怪しまれちゃうから」

 ひまりの口調は淡泊だった。唐揚げを咀嚼していた僕は飲み込むタイミングを失う。平静を装うだけで顔が熱くなり、こんな初めてになるのかとため息をつきたくなる。もちろん、これが役割なので頷くことは忘れない。ひまりはそれを見て、にんにく餃子を頬張った。

 日が落ちると繁華街はいよいよ活気づく。その時刻を待って僕らは再びハーメルンに赴いた。店の前でひまりに手を握られて嫌な汗が出る。余裕のある思穂の顔は見ていたくなかった。

 店内は普通のホテルと作りが違う。システムを知らない僕の代わりに、ひまりがディスプレイを操作して五階の空室を選ぶ。ひまりでなければ、慣れた手つきにやきもちを焼いたことだろう。

 「六階の部屋がない。怪しいね」

 ひまりの言う通り、最上階の部屋を選択することができず、加えてエレベーターの行先ボタンも六階が押せなくなっていた。僕らはひとまず五階まで上がる。

 「非常階段から行けるかもしれない」

 そう考えたものの、扉は内側からのみ開けられる構造になっていた。そうこうしていると、下階から足音がしたため、慌てて扉を閉めて廊下に引き返す。

 僕らは一旦選んだ部屋に入り、次の作戦を考えた。ピンクのライトに鏡張りの壁と、やけにムーディーな部屋に圧倒される。ひまりが風営法のうんちくを話してくれたが、緊張でほとんど耳に入ってこなかった。

 「仕方ない。エレベーターから行こう」

 「無理だったじゃん」

 「裏の手を使う。直樹はエレベーターに乗って四階に下りて」

 「ひまりは」

 「いいから」

 部屋を出た僕は急かされるままエレベーターを呼び、一人で四階に下りる。到着して十秒しないうちにかごの上で音が響いた。

 「五階押して」

 どんな手を使ったのか、ひまりは天井の上に乗っていた。再び五階に上がると天井に設置されている点検用の扉が開く。

 「上ってきて」

 ひまりの腕が蜘蛛の糸のように下りてくる。よじ登った先は油くさい漆黒の空間だった。ひまりは続いて、六階外扉のロックを器用に解除する。どこで方法を学んだのかは知らないが、心地良い金属音が響くと、扉は少しの力でスライドした。

 「心配ない。大丈夫だからね」

 誰かの声が聞こえる。薄暗い廊下に出ると、非常口のライトに照らされた三つの人影が見えた。

 「愛莉さん」

 ひまりの声に人影が反応する。それは子供を死から守る親の姿だった。

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