[詐欺]法理編 栞とお勉強
その日の夜。大槻不動産の事務所には、私と真壁さんと所長だけが残っていました。
私は机の上にノートを広げます。
今日の事件は、思った以上に頭を使いました。
詐欺。
言葉だけなら簡単です。
――人を騙すこと。
でも、民法の「詐欺」になると、途端に話が細かくなる。
「栞、またノートか」
真壁さんが、後ろから覗き込みました。
「はい。今日の件、ちゃんと整理しておかないと忘れそうなので」
「忘れるような話か?」
「忘れたい話ではありますけど」
「仕事だろ」
「そうでした」
私はペンを持ち直しました。
まず、一番大事なところから。
詐欺って、そもそも何?
法律上の詐欺は、簡単に言えば、
相手を騙して、その結果として意思表示をさせること。
です。
今日の河合さんの場合なら、
「温泉が出る」
「大型商業施設が来る」
「道路が通る」
「今買えば値上がりする」
そういう説明を信じて、
「この土地を買います」
と意思表示した。
ここで重要なのは、
河合さんは本当に「買いたい」と思っていた、
ということです。
「つまり、嘘を信じたけど、買う気そのものは本物だったんだな」
真壁さんが言いました。
「そうです」
私は頷きます。
「ここが錯誤との大きな違いです」
私はノートに線を引きました。
錯誤:本人の思っていたことと、実際にした表示が食い違っている。
詐欺:本人の思っていたことと、した表示は一致している。
河合さんは、
「この土地を買いたい」
と思って、
「買います」
と言った。
だから、意思と表示は一致しています。
ただし――
その「買いたい」という意思を作る過程で、騙されている。
「なるほどな」
真壁さんが腕を組みました。
「だから、“騙されたから契約は最初から無効”じゃないのか」
「そうです」
私はそこを丸で囲みました。
詐欺の契約は、原則として「有効」
ここは試験でも重要です。
詐欺による意思表示は、
無効ではありません。
いったん有効に成立します。
ただし――
取り消すことができる。
「この“有効だけど取り消せる”って、やっぱり変な感じがします」
私が言うと、所長が新聞から顔を上げました。
「法律は、そういう変なところを覚えるのが大事なんだ」
「身も蓋もない……」
「だが、理屈はある」
所長は静かに続けました。
「本人は、実際にその契約をする意思を持っていた。だから、最初から存在しなかったことにはしない。ただし、その意思形成が詐欺によって歪められていたから、本人に取り消す権利を与える」
「なるほど」
私はノートに書きました。
詐欺=意思と表示は一致している。でも、その意思が騙されて作られた。
これなら覚えやすい。
次のページ。
取り消しには期限がある
ここも重要です。
詐欺だからといって、いつまでも取り消せるわけではありません。
取消権には期間があります。
追認をすることができる時から5年間
そして、
行為の時から20年間
このどちらかが先に来れば、取消権は時効によって消滅します。
「五年と二十年?」
「はい」
「ずいぶん長いな」
「不動産ですからね。あとになって詐欺に気づくこともありますし」
「じゃあ、二十年あれば大丈夫?」
「そこが危ないです」
私は指を立てました。
「“五年または二十年”です。二十年待てるという意味ではありません」
「なるほど」
真壁さんが頷きます。
私はノートに大きく書きました。
5年 + 20年ではない。
「追認できる時から5年」かつ「行為の時から20年」という二つの期限がある。
「これ、試験で出たら嫌ですね」
「嫌な問題ほど出る」
所長が即答しました。
「ですよね……」
私はさらにページをめくりました。
ややこしい「第三者」。
今日、一番頭を使ったところです。
まず、基本形。
A=騙された人
B=契約の相手方
C=騙した第三者
たとえば、
Aさんが自分の土地をBさんに売った。
ところが、その契約の前に、CさんがAさんを騙していた。
つまり、
A ← Cに騙される → Bと契約
という形です。
これが、
第三者詐欺
です。
「今日の河合さんが、これに近かったんだな」
「はい。営業会社と売主が別でしたから」
私は頷きました。
「でも、ここで大事なのは、“第三者に騙された=必ず取消せる”ではないことです」
「なんで?」
真壁さんが聞きます。
「契約相手のBさんまで巻き込まれていたら話が変わります。でも、Bさんが本当に何も知らず、しかも注意しても分からなかったなら、Bさんまで一方的に不利益を受けるのは酷いですよね」
「だから保護する」
「そうです」
私はノートに書きました。第三者詐欺。
相手方Bが、その詐欺の事実を知っていた
または
知ることができた
場合に限って、取消しができる。
つまり、
Bが悪意または有過失 → 取消しできる
Bが善意無過失 → 取消しできない
「“知っていた”だけじゃないんだな」
真壁さんが言いました。
「はい。“知ることができた”も入ります」
「つまり、知らなかったと言えば全部セーフではない」
「その通りです」
私はそこを二重線で囲みました。
ここで、もう一つ。
法律の「善意」と「悪意」は、日常会話とは少し違います。
善意=知らない
悪意=知っている
です。
「性格が良いとか悪いとかじゃない」
「そうです」
「法律用語って、たまに日本語を裏切るな」
「私も最初はそう思いました」
そして、
無過失=知らなかったことについて落ち度がない
有過失=知らなかったことについて落ち度がある
ということ。
だから、
善意無過失
とは、
知らなかったし、知らなかったことにも落ち度がない
という意味です。
ここからが、試験で混乱するところ
私はノートに大きく、
「第三者が出てくるタイミング」
と書きました。
詐欺の場合、
第三者がいつ登場したのかで、考え方が変わります。
① 詐欺取消し「前」に第三者が出てきた場合
まず、
A → B
AがBに土地を売りました。
ところが、AはBに騙されていました。
その後、
B → C
Bが土地をCに売ってしまいました。
そして、その後にAが詐欺を理由として取消しをした。
この場合、Cは、
詐欺取消し前の第三者
です。
「ここでCが善意無過失なら?」
真壁さんが聞きました。
「Cが保護されます」
「Aは取り戻せない?」
「はい。Aは、その取消しをCに対抗できません」
私は図を書きます。
A → B → C
そして、
Cが善意無過失
なら、
Cを保護。
逆に、
Cが悪意または有過失
なら、
Aを保護。
「つまり、取消し前に第三者が出てきたら」
私はまとめました。
取消し前の第三者
善意無過失 → 第三者を保護
悪意・有過失 → 騙された本人を保護
「これ、今日の河合さんの話とは別の問題なんだな」
「そうです。今日の事件で出てきた“第三者詐欺”と、今説明している“取消し前の第三者”は、似ていますけど別の論点です」
私は赤線を引きました。
② 詐欺取消し「後」に第三者が出てきた場合
そして、もう一つ。
今度は順番が違います。
A → B
AがBに売却。
AはBに騙されている。
その後、
Aが取消し
ここでAが詐欺を理由に契約を取り消します。
すると、取消しの効果によって、AとBの間の法律関係は遡って処理されます。
ところが――
その後、
B → C
BがCに売ってしまった。
さて、どうなる?
「Cが悪い奴ならAが勝つ?」
真壁さんが言いました。
「そこが違うんです」
私は首を振りました。
「ここでは、さっきみたいに単純に“善意無過失かどうか”で決めません」
「じゃあ何で決める?」
「登記です」
私はノートに大きく書きました。
取消し後の第三者
登記を備えた方が権利を主張できる。
「つまり?」
所長が聞きます。
「二重譲渡と同じように考える、ということです」
私は図を書きました。
A ← B → C
AとCのどちらが優先するのか。
この場合は、
先に登記を備えた方が優先する。
「急に不動産屋っぽくなったな」
真壁さんが言いました。
「土地ですから」
ここは一気に覚える
私はノートの端に、今日一番大きな文字を書きました。
詐欺と第三者――タイミングが命!
取消し前 → 第三者が善意無過失なら保護
取消し後 → 登記を備えた方が優先
「これなら覚えられそうだな」
「ですよね」
私も少し安心しました。
でも、所長が一言。
「ただし、その前にもう一つある」
「何ですか?」
「第三者詐欺だ」
「あ」
忘れてました。
「第三者詐欺」と「取消し前の第三者」は違う
私は慌てて整理します。
第三者詐欺
AがCに騙されて、Bと契約した
この場合、
Bが悪意または有過失 → 取消しできる
Bが善意無過失 → 取消しできない
取消し前の第三者
AがBに騙されて契約
その後、
BがCに売却
その後、
Aが取消し
この場合、
Cが善意無過失 → Cを保護
Cが悪意または有過失 → Aを保護
「……似てる」
真壁さんが言いました。
「似てますね」
「でも、BとCの立場が違う」
「そこです!」
私は思わずペンを立てました。
「第三者詐欺では、“騙したのは誰か”がポイント。取消し前の第三者では、“取消しの前に第三者が登場したか”がポイントです」
真壁さんが頷きました。
「なるほど。似たような単語を、同じ箱に入れちゃダメなんだな」
「そういうことです」
そして「詐欺」と「強迫」の違い
最後に、もう一つ。
これも宅建試験では非常に大事。
私はノートに、
詐欺 VS 強迫
と書きました。
「詐欺の場合、取消し前の善意無過失の第三者には対抗できない」
「うん」
「でも、強迫の場合は違います」
「どう違う?」
「強迫を受けた人は、善意無過失の第三者に対しても取消しを対抗できます」
「つまり……」
真壁さんが考え込みます。
「詐欺は第三者を守る場面があるけど、強迫は守らない?」
「その理解で大丈夫です」
私は表にしました。
善意無過失の第三者
詐欺:原則、対抗できない
強迫:対抗できる
「これ、試験で出たら絶対間違えそう」
「だから今、覚えるんです」
今日のまとめ
私は最後のページに、今日の内容を全部まとめました。
詐欺の基本
① 詐欺でも契約は最初から無効ではない
いったん有効。
ただし、取り消すことができる。
② 取消しには期間がある
追認できる時から5年
かつ、
行為の時から20年
③ 第三者詐欺
Aが第三者Cに騙されてBと契約。
Bが、
悪意または有過失 → Aは取消しできる
善意無過失 → Aは取消しできない
④ 詐欺取消し前の第三者
AがBに騙される。
BがCに売る。
その後Aが取消し。
Cが、
善意無過失 → Cを保護
悪意または有過失 → Aを保護
⑤ 詐欺取消し後の第三者
AがBに騙される。
Aが取消し。
その後BがCに売る。
この場合は、
登記を備えた方が優先。
⑥ 詐欺と強迫は違う
詐欺は、
善意無過失の第三者に対抗できない。
強迫は、
善意無過失の第三者にも対抗できる。
ここはセットで覚える。
私は、最後に一行を書きました。
詐欺は「騙されたか」だけではなく、「誰に」「いつ」「第三者が善意無過失か」を見る。
「……よし」
私はペンを置きました。
「これなら覚えられそうです」
真壁さんがノートを覗き込みます。
「ずいぶん細かくなったな」
「今日の事件、細かかったですから」
「まあな」
真壁さんは少し考えてから言いました。
「でも、最初にこれだけ覚えとけばいいんじゃないか?」
「何ですか?」
「詐欺は、騙されたからって自動的に全部チャラになるわけじゃない」
「……」
「契約は一度成立する。だから、取り消すなら“誰が騙したか”“いつ取消したか”“その間に第三者が出てないか”を見る」
私は少し驚きました。
「……それ、かなり分かりやすいです」
「だろ?」
「悔しいですけど」
「なんで悔しいんだよ」
所長が新聞を畳みました。
「もう一つだけ覚えておけ」
「はい」
「うまい話を聞いたら、まず契約書を見る」
「……」
「そして、その次に、裏を取る」
「はい」
「最後に――」
所長はパンフレットを指差しました。
「小さい文字も見る」
私は思わず笑ってしまいました。
「それ、今日一番大事かもしれませんね」
真壁さんも笑います。
「不動産屋としてはな」
私はノートの最後に、その言葉を書き足しました。
うまい話ほど、具体的な事実を確認する。
そして、その下にもう一行。
「期待できます」と「実際に計画があります」は違う。
今日の河合さんを思い出す。
夢そのものが悪いわけじゃない。
土地を買って、そこで何かを始めたい。
将来、値上がりするかもしれない。
温泉が出たら嬉しい。
そういう夢を持つことは、何も悪くない。
ただ――
夢と事実は違う。
そして、法律が問題にするのは、まさにその境目なのだと思います。
私はノートを閉じました。
「よし。これで詐欺は終了です」
「本当に?」
真壁さんが笑います。
「はい」
「次は何だ?」
「それは……」
私は机の上のテキストを見る。
心裡留保。
虚偽表示。
錯誤。
詐欺。
どれも「意思表示」に関する話なのに、微妙にルールが違う。
法律って、本当に面倒です。
でも、今日みたいに一つずつ事件にしてみると、少しだけ分かる。
条文の向こう側には、必ず人がいる。
騙す人。
騙される人。
知らない第三者。
そして、その人たちの間で、法律が「ここまでは守る」「ここからは守らない」と線を引いている。
私はノートの表紙に、もう一度タイトルを書きました。
[詐欺]
その下に、小さく。
――騙されても、契約は自動的には消えない。だからこそ、取消しのタイミングが大事。
「栞」
「はい?」
所長が言いました。
「電気、消すぞ」
「あ、はい」
私は慌てて立ち上がりました。
そして事務所を出る直前、机の上に置かれたあのパンフレットが目に入りました。
大きな文字で、
「今だけのチャンス!」
と書いてある。
私は少しだけ眉をひそめました。
「……怪しい」
「何がだ?」
「いえ」
私はパンフレットを裏返しました。
小さい文字を確認する。
――やっぱり、ありました。
私は笑ってしまいました。
「やっぱり小さい字って怖いですね」
「だから見るんだよ」
真壁さんが言いました。
その言葉を聞きながら、私は思いました。
法律の勉強も、きっと同じです。
大きく書いてある結論だけを覚えるんじゃない。
その下にある、小さな条件を見る。
「ただし」
「この場合に限り」
「善意無過失なら」
法律は、だいたいそこに本体が隠れている。
私はもう一度だけノートを開きました。
そして最後の最後に、こう書き足しました。
民法は、本文より「ただし」が怖い。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




