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宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜  作者: 条文小説
〈権利関係 配点14点/50点〉 債権

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60/162

[期限]法理編 栞とお勉強

挿絵(By みてみん)

 夕方。


 私は机の上にノートを広げて、今日の事件を思い返していました。


 売買代金一千八百万円。


 残代金、一千六百二十万円。


 支払日、七月三十一日。


 そして今日の日付は六月十日。


「……つまり、一番大事なのはここなんだよなあ」


 私は赤鉛筆で、


 七月三十一日


 をぐるぐる囲みました。


「何がだ?」


 後ろから声がしました。


 振り向かなくても分かります。


 真壁さんです。


「人のノートを後ろから覗かないでください」


「見えるところで書いてる奴が悪い」


「新しい理論ですね」


「で、何をそんなに囲んでる」


「今日の事件です」


 私はノートを指差しました。


「川原さんは、『どうせ払う金なんだから今払え』って言ってましたよね」


「ああ」


「でも、水野さんが払うと約束した日は七月三十一日だった」


「そうだな」


「だから六月十日の時点では、まだ払わなくていい」


「期限の利益、だったか」


「おお」


 私は思わず真壁さんを見ました。


「覚えてるじゃないですか!」


「お前が朝から何回言ったと思ってる」


「偉いです」


「だから何でお前が先生なんだよ」


 私は笑いながら、ノートの一番上に大きく書きました。


  期限


「まず、そもそも期限って何だと思います?」


「支払日」


「狭いです」


「締切」


「まだ狭い」


「……面倒くさいな法律」


「始まって三秒で諦めないでください」


 私はペンを持ち直しました。


 法律でいう期限とは――。


 法律行為の効力の発生や消滅などを、将来発生することが確実な事実にかからせるもの。


 簡単に言えば、


 「必ず来る未来を基準にする」


 ということです。


「必ず来る未来?」


「はい」


 私は例を書きました。


  七月三十一日に代金を支払う。


「七月三十一日は、来ますよね?」


「まあ、来るな」


「途中で地球が滅びなければ」


「余計なこと言うな」


「法律は通常、そこまで考えません」


 七月三十一日が来るか来ないかは、普通は問題になりません。


 いつ来るかも分かっている。


 だから、典型的な期限です。


 私はその横に、もう一つ書きました。


  父が死亡したら土地を返す。


 真壁さんが顔をしかめました。


「また死ぬ話か」


「法律は死亡例が好きなんです」


「暗い学問だな」


「人は必ず死にますから、説明しやすいんですよ」


 嫌な合理性ですけど。


 人が死亡すること自体は確実。


 でも、いつ死亡するかは分かりません。


 それでも、


 「必ず発生する」


 ので期限です。


「なるほどな」


 真壁さんが腕を組みました。


「じゃあ、いつ起こるか分からなくても期限になることはあるわけか」


「そうです」


「じゃあ条件と何が違う?」


「そこです!」


 私は赤鉛筆を持ちました。


 今日、一番最初に整理しておきたいところ。


  条件 = 起こるかどうか分からない。


  期限 = 起こることは確実。


「たとえば」


 私は書きます。


  雨が降ったら、一万円払う。


「雨は降るだろ」


「今日とか明日とか、一定の場面で降るかどうかは分からないでしょう?」


「ああ」


「だから条件」


 次。


  七月三十一日になったら、一万円払う。


「七月三十一日は必ず来る」


「だから期限」


「じゃあ――」


 真壁さんが少し考えました。


「俺が結婚したら一万円払う」


「条件ですね」


「即答すんな」


「だって結婚することが確実じゃないですから」


「お前な」


 そこへ所長が通りかかりました。


「真壁の場合は停止条件だな」


「所長まで!」


「成就可能性については知らんが」


「追い打ちやめてください!」


 私は笑いながらノートに書きました。


  ポイント①


  条件と期限は「将来」という点では同じ。


  違うのは、


  その出来事が起きることが確実かどうか。


「試験ではここ、かなり大事ですよ」


「どう出る?」


「例えば、『死亡したら』という文章を見て、死亡日が分からないから条件だと思ったら駄目です」


「いつかは必ず死ぬから期限か」


「そうです」


 ここは引っかけやすい。


 試験問題を見ると、つい、


 日付が決まっている=期限。


 日付が決まっていない=条件。


 と覚えたくなります。


 でも、それは間違い。


 見るべきなのは、


 「いつか分かっているか」


 ではありません。


 「起こること自体が確実か」


 です。


     ◇


「じゃあ次です」


「まだあるのか」


「ありますよ。期限だけで一問作れます」


「宅建怖えな」


「前世の私もそう思ってました」


「前世?」


「何でもありません」


 私はページを少し下へ移しました。


  期限の分類①


  始期と終期


「これは漢字のままです」


 私は書きました。


  始期 = 効力が始まる時期


  終期 = 効力が終わる時期


「たとえば?」


「七月一日から、この建物を貸します」


「七月一日から賃貸借が始まる」


「はい。だから始期」


 次。


  十二月三十一日まで貸します。


「その日で終わる」


「だから終期です」


 真壁さんがノートを覗き込みます。


「これは簡単だな」


「でしょう?」


「法律にも素直な奴がいるんだな」


「法律を人みたいに言わないでください」


 始期。


 始まりの期限。


 終期。


 終わりの期限。


 これは名前から覚えれば大丈夫です。


 そして民法上、始期付きの法律行為は、その期限が到来するまで履行を請求できません。


 今日の水野さんの話も、実務的には、


 「七月三十一日までは残代金の支払いを請求できない」


 というのが大きな意味でした。


「つまり川原さんが六月に『払え』って言っても」


「契約上の支払期が七月三十一日なら、原則としてまだ履行期前です」


「払う義務自体が消えたわけじゃない」


「そこ大事です」


 私は大きく丸をしました。


  期限前


  = 債務がなくなるわけではない。


  ただし、まだ履行を求められる時期ではない。


「今日の川原さんは、そこをごっちゃにしてたんだな」


「はい」


 ――払う義務がある。


 それ自体は正しい。


 でも、


 ――だから今日払え。


 とはならない。


 いつ履行する約束なのか。


 そこまで含めて契約です。


     ◇


「じゃあ次」


「まだあるのか!」


「真壁さん、期限は逃げません」


「俺が逃げたい」


「座ってください」


「なんで授業になってんだよ」


 私は構わず書きました。


  期限の分類②


  確定期限と不確定期限


「これはさっき少し出ました」


「七月三十一日と、死亡したら、だな」


「正解です」


 私は二つ並べます。


  七月三十一日に支払う

     ↓

  確定期限


  父が死亡したら支払う

     ↓

  不確定期限


「確定期限は、期限がいつ到来するか決まっています」


「日付が分かってる」


「はい」


「不確定期限は?」


「到来することは確実だけど、いつ来るか分からない」


 私は横に大きく書きました。


  確定期限

  =来ることも確実・いつ来るかも分かる。


  不確定期限

  =来ることは確実・いつ来るかは分からない。


「ここでも重要なのは、“来ることは確実”なんです」


「不確定って名前だから、来るかどうか不確定に見えるな」


「そう!」


 私は机を叩きそうになりました。


「そこが罠なんですよ!」


「嬉しそうだな」


「試験で苦しんだところには妙な愛着が出るんです」


 不確定期限の「不確定」は、


 出来事が起こるかどうかが不確定、


 ではありません。


 いつ起こるかが不確定。


 ここを間違えると、条件との区別が崩れます。


  死亡する

  →必ず起きる。


  死亡する時期

  →分からない。


  だから不確定期限。


「じゃあ『子どもが宅建試験に合格したら土地をやる』は?」


 真壁さんが聞きました。


「条件です」


「合格日は分からないから?」


「違います」


 私はすぐ訂正しました。


「合格すること自体が確実じゃないからです」


「おお」


「これです。この考え方です」


 私は赤字で書きました。


  日付が分かるかどうかではなく、


  出来事が必ず起きるかどうかを見る。


     ◇


「さて」


「嫌な予感がする」


「今日の本丸です」


 私は新しい見出しを書きました。


  期限の利益


 真壁さんがため息をつきます。


「今日散々聞いたやつだ」


「でも意味をちゃんと説明できます?」


「期日まで払わなくていい利益」


「百点です」


「お」


「今日はもう帰っていいですよ」


「お前が所長みたいに言うな」


 期限の利益。


 これは簡単に言えば、


 期限が来るまでは履行しなくてよい、という利益です。


 例えば。


 四月一日に十万円を借りた。


 返済日は四月三十日。


 この場合、借主は四月三十日まで、その十万円を返さなくてもよい。


 その三十日間、お金を手元に置いて使うことができる。


 その時間的な利益が、


 期限の利益です。


「今日の水野さんなら?」


「七月三十一日まで一千六百二十万円を払わなくていい」


「そうです」


 だから、期限は単なる締切ではありません。


 債務者側から見れば、


 「そこまでは待ってもらえる」


 という意味もあります。


「川原さんは、自分が金に困ったから、その利益を一か月以上縮めようとした」


「そうなります」


「それはできない」


「契約を一方的に変えない限りは、ですね」


 私はノートに書きました。


  民法136条1項


  期限は、債務者の利益のために定めたものと推定される。


 現行民法136条は、期限について原則として債務者の利益のために設けられたものと推定しています。


「“推定”ってことは、絶対じゃないんだな」


「そうです」


 私は頷きました。


「ここも大事です」


 期限は、


 必ず債務者だけの利益のためにある、


 とは限らない。


 当事者の合意や契約の性質によって、


 債権者の利益のための期限や、


 双方の利益のための期限もあり得ます。


「例えば債権者側にも、その日に受け取る事情があるかもしれない」


「そうです」


「だから“債務者の利益のためと推定する”なのか」


「その通り」


 私は赤鉛筆で囲みました。


  超重要


  「期限は債務者の利益のため」


  ではなく、


  「債務者の利益のために定めたものと推定する」。


「この“推定”を消した選択肢は怪しいですね」


「試験って性格悪いな」


「法律試験は一文字を取りに来ます」


「怖い世界だ」


     ◇


「ところで」


 真壁さんが言いました。


「水野さんが、自分から六月に払うって言ったら?」


「できます」


「お?」


「それが期限の利益の放棄です」


 私は続けて書きました。


  期限の利益は放棄できる。


「例えば四月三十日返済の借金でも、借主が四月十日に返したいと思えば?」


「返せる」


「原則としてはそうです」


「じゃあ期限なんて意味ないじゃないか」


「強制されないことに意味があるんです」


「ああ」


 そう。


 期限の利益があるから、


 債権者から、


 「今すぐ返せ」


 と一方的に迫られない。


 でも、利益を持っている本人が、


 「もういりません。早く返します」


 と自分で放棄することはできる。


 今日の水野さんだって、資金が全部揃っていて、


 「六月中に払ってしまいたい」


 と自発的に考えるなら、それは別の話です。


 大切なのは、


 川原さんが勝手に奪うことはできない。


 でも、


 水野さん自身が放棄することはできる。


 という違い。


「ただし」


 私は大きく書きました。


  相手方の利益を害することはできない。


 民法136条2項は、期限の利益を放棄すること自体は認めつつ、それによって相手方の利益を害してはならないとしています。


「例えば?」


「利息付きのお金の貸し借りを考えると分かりやすいです」


 債権者が、期限まで利息を受け取れる契約になっている。


 そこで債務者が、


 「期限の利益を放棄します。今日元金だけ返します。これで終わり」


 と一方的に言ったらどうか。


「貸した側が困るな」


「そうです」


 期限には債権者側の経済的利益が絡む場合もあります。


 だから、


 期限の利益を放棄できる。


 でも、


 その放棄によって相手方の利益まで勝手に奪うことはできない。


「自分の利益は捨てられるけど、人の利益まで捨てられない」


「完璧です」


 私はそのまま書きました。


  期限の利益の放棄


  自分の利益

   →放棄できる。


  相手方の利益

   →勝手に害することはできない。


「これ、覚えやすいですね」


「珍しく法律が常識的だな」


「法律、大体常識的ですよ」


「言葉が難しいだけか」


「そこが一番の問題なんです」


     ◇


 私は、今日の水野さんたちの事件を図にしました。


  川原さん

   ↓

  土地を売った人

   ↓

  残代金を受け取る権利がある


  水野さん

   ↓

  土地を買った人

   ↓

  残代金を支払う義務がある


  支払期限

   ↓

  七月三十一日


「ここで川原さんが六月十日に『今すぐ払え』」


「でも期限がまだ来てない」


「はい」


「だから水野さんには、七月三十一日まで払わなくていい期限の利益がある」


「その通りです」


 私は横に大きく、


 ×


 を書きました。


  「どうせ払うのだから今払え」


      ×


  義務があることと、

  今履行しなければならないことは別。


「今日の事件は、この一行で終わるな」


 真壁さんが言いました。


「法律的にはかなりそうです」


「だったら朝からあんなに揉める必要なかったじゃないか」


「人間は一行で納得しないから、法律屋さんが仕事になるんです」


「なるほど」


 そこへ所長が、湯飲みを持ってやってきました。


「ずいぶん進んだな」


「はい。ちょうど今日の事件をまとめています」


「見せてみろ」


 私はノートを差し出しました。


 所長はしばらく眺め、


「条件との違いは書いたか」


「はい」


「始期と終期」


「はい」


「確定期限と不確定期限」


「はい」


「期限の利益」


「はい」


「利益の放棄」


「はい!」


 所長が頷きました。


「なら最後に、問題を解く順番を書いておけ」


「順番?」


「ああ」


 所長は私のペンを取りました。


 そしてノートの下に書きました。


  期限の問題が出たら――


  ① その出来事は必ず起きるか。


  ② 効力が始まるのか、終わるのか。


  ③ 到来時期は決まっているか。


  ④ 誰が期限の利益を持っているか。


  ⑤ 期限の利益を放棄していないか。


「……おお」


 私は思わず声を上げました。


「すごく分かりやすいです」


「だろ」


「所長、教師になれますよ」


「不動産屋で十分だ」


 真壁さんが横から覗き込みました。


「一番目が大事そうだな」


「そうですね」


 条件か期限か。


 まず、そこで分ける。


  起きるかどうか不確実

    ↓

   条件


  起きることは確実

    ↓

   期限


 そして期限なら、次に分類する。


  始まる

   ↓

  始期


  終わる

   ↓

  終期


 さらに。


  いつ来るか分かる

   ↓

  確定期限


  いつ来るか分からない

  ただし来ることは確実

   ↓

  不確定期限


 最後に。


  期限まで履行しなくてよい利益

   ↓

  期限の利益


  原則

   ↓

  債務者の利益のためと推定


  放棄

   ↓

  できる


  ただし

   ↓

  相手方の利益を害することはできない


「……こうして見ると、案外単純ですね」


「最初からそう言ってるだろ」


「真壁さん、三十分前に逃げようとしてましたよね」


「記憶にない」


「時効早すぎません?」


「その単元はもう終わっただろ」


「覚えてるじゃないですか!」


 所長が小さく笑いました。


     ◇


 私は最後に、今日の事件を一行でまとめました。


  七月三十一日に払う約束なら、

  六月十日に「今払え」と言われても、

  原則として払う必要はない。


 そして、その下。


  期限とは、


  「払わなければならない日」であると同時に、


  「その日までは待ってもらえる」という意味を持つ。


 これを書いたところで、真壁さんが時計を見ました。


「三時だぞ」


「あ」


 机の横には、川原さんにもらった羊羹が残っています。


「今日も食うか」


「はい」


 私は箱を開けました。


「昨日みたいに三時になるまで待たせるなよ」


「今日はもう到来してます」


「何が」


「羊羹の始期」


「そんな法律行為あるか」


 私は三人分を切り分けました。


 所長に一切れ。


 真壁さんに一切れ。


 自分に一切れ。


「栞」


「はい?」


「それ、俺のより大きくないか」


「気のせいです」


「明らかに大きい」


「期限とは関係ありません」


「都合のいい時だけ法律から逃げるな!」


 私は笑いながら羊羹を口に入れました。


 甘い。


 今日もお茶がおいしい。


 私は、さっき書いたページをもう一度眺めました。


 前世では、


 条件。


 期限。


 始期。


 終期。


 確定期限。


 不確定期限。


 期限の利益。


 全部、似たような単語に見えていました。


 でも、人の顔を当てはめると違って見えます。


 七月三十一日まで資金を用意する水野さん。


 六月末の返済に追われていた川原さん。


 それぞれが、それぞれの期限を背負っていた。


 法律は、時間を止めてはくれない。


 七月三十一日は、必ず来る。


 でも。


 まだ六月十日なのに、


 「もう七月三十一日と同じだろ」


 とは言わせない。


 その一か月にも意味がある。


 その一日にも価値がある。


 だから法律は、それを、


 「期限の利益」


 と呼ぶ。


 私はノートの最後に、赤鉛筆で一言だけ書きました。


  期限――必ず来る未来だからこそ、来るまでは待ってもらえる。


「よし」


 ノートを閉じる。


「栞」


「はい?」


「羊羹もう一個」


「ありません」


「さっきあっただろ」


「終期が到来しました」


「ただ食い終わっただけだろ!」


 夕方の大槻不動産に、真壁さんの声が響きました。


 期限は必ず来ます。


 そして。


 羊羹の終わりも、だいたい思ったより早く来るのでした。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

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