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宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜  作者: 条文小説
〈権利関係 配点14点/50点〉 代理

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[代理]現場編 十七歳でも、代理人です

挿絵(By みてみん)

 人に任せる、というのは難しい。


 自分でやった方が早い。


 自分で説明した方が正確。


 自分で判子を押した方が安心。


 世の中の「仕事を抱え込む人」は、だいたいこの三つを胸に生きています。


 そして不動産の場合。


 自分でやった方が安心、と言っているうちに、売買代金が数千万円になります。


 安心の規模がおかしい。


 だから代理人というものがいる。


 本人の代わりに交渉し、


 本人の代わりに意思表示をし、


 本人の代わりに契約する。


 便利です。


 ただし。


「十七歳のガキが代理人なんて、そんな契約が有効なわけないでしょう!」


 こういう人もいます。


 朝九時二十分。


 大槻不動産の応接机で、私は急須を持ったまま固まりました。


 声を上げたのは、三十代後半くらいの男でした。


 鼠色のダブルのスーツ。


 金色の腕時計。


 テーブルの上にはセカンドバッグ。


 昭和六十三年。


 どうして揉め事を持ってくる人は、こんなに時代考証に協力的なのでしょう。


 男の名前は河西隆志。


 駅北側で飲食店を何軒か経営していて、二週間前、大槻不動産の仲介で土地を買う契約をしていました。


 売買代金、4,800万円。


 問題は、その売主側です。


「お茶です」


「ああ、ありがとう、栞ちゃん」


 私に小さく頭を下げたのは、七十歳を越えた老人。


 杉浦義一さん。


 土地の所有者本人です。


 その横には、背筋を伸ばした青年が座っています。


 杉浦健太郎。


 十七歳。


 義一さんの孫です。


 そして今回の売買では――。


 代理人でした。


「だからね、大槻さん」


 河西さんが契約書を人差し指で叩きました。


「私はこんな契約、認められませんよ」


 所長が静かに聞きます。


「理由をもう一度お願いします」


「二つあります」


 河西さんは指を一本立てました。


「まず、契約した杉浦健太郎君は十七歳。未成年でしょう?」


「はい」


「未成年が4,800万の土地の契約なんてできるわけがない」


 二本目。


「しかも契約書を見てください。売主のところに、この子の名前が書いてある」


 私は契約書を覗きました。


 確かに。


 売主 杉浦健太郎。


 ……あ。


 これは。


「本当の所有者はおじいさんでしょう?」


「そうです」


「なのに契約したのは孫。しかも十七歳」


 河西さんは勝ち誇ったように椅子へもたれました。


「つまり契約は杉浦さん本人には効かない。そういうことでしょう?」


 私は急須を置きました。


 嫌な予感がします。


 こういう時の私の嫌な予感は、最近ほぼ宅建の論点です。


 真壁さんが契約書を手に取りました。


「おい、健太郎」


「はい」


「なんで“売主杉浦義一 代理人杉浦健太郎”って書かなかった」


「……すみません」


 青年が肩を縮めます。


「初めてだったので」


「だから契約書は確認しろって言っただろ」


「はい……」


「真壁さん」


 私は横から口を挟みました。


「初めての十七歳に4,800万の契約書を書かせておいて、その叱り方もなかなかですよ」


「俺が書かせたんじゃねえ!」


「じゃあ誰が?」


「こいつが『自分でやってみたい』って」


「止めてくださいよ!」


「所長が経験させろって!」


「所長!」


 全員が大槻所長を見る。


 所長はお茶を一口すすりました。


「人は失敗しないと覚えん」


「失敗の教材が4,800万円なんですけど!」


「よく覚えるだろ」


「教育費が高い!」


 河西さんが苛立ったように机を叩きました。


「漫才はいいですよ!」


 すみません。


 こっちも好きでやってるわけではありません。


「とにかく」


 河西さんは言います。


「私はこの契約を白紙にしたい」


 なるほど。


 私はそこで、少し引っかかりました。


「河西さん」


「何です?」


「どうして今になって白紙に?」


 契約から二週間。


 今さらです。


 河西さんは一瞬だけ黙りました。


「事情が変わったんですよ」


「どういう?」


「……銀行が」


「銀行?」


「融資条件を渋ってきましてね」


 ああ。


 見えてきた。


 未成年だからでも、


 契約書の書き方が気になったからでもない。


 買った後で資金繰りが苦しくなった。


 そこで契約書を見直していたら――。


 使えそうな穴が見つかった。


 十七歳。


 代理人。


 売主欄の表記ミス。


 それで、


「契約そのものが無効だったことにできないか」


 と考えた。


 人間、4,800万円が絡むと、契約書の誤字まで救命ボートに見えてくるらしい。


「健太郎さん」


 私は尋ねました。


「義一さんから、土地を売る代理権はきちんともらっていたんですよね?」


「はい」


「口頭だけ?」


「委任状もあります」


「持ってます?」


「はい」


 鞄から一枚の紙が出ました。


 私は所長に渡します。


 杉浦義一所有の土地について、


 売却条件の交渉、


 売買契約締結、


 手付金受領等を杉浦健太郎へ委任する。


 印鑑もある。


 所長が確認して、河西さんへ見せました。


「代理権そのものはあります」


「でも未成年でしょう!」


 河西さんが食い下がります。


「十七歳ですよ! 自分の土地なら親の同意がいるような年齢でしょう!」


「自分の土地なら、ですね」


 私は言いました。


 河西さんがこちらを見ました。


「何?」


「自分自身の契約をするのと、代理人として契約するのは違います」


「未成年は未成年だろう」


「はい」


「だったら取り消せる」


「取り消せません」


 私ははっきり答えました。


 真壁さんが眉を上げます。


「栞?」


「代理人は、行為能力者である必要がありません」


「……は?」


 河西さん。


 そして真壁さんまで、同時に同じ顔をしました。


 私は少し胸の奥がむずむずしました。


 この瞬間。


 宅建の勉強で散々苦しめられた知識が、現実世界で役に立つ瞬間。


 ちょっと…いえ、とても好きです。


「未成年者でも代理人になれます」


「そんな馬鹿な」


「馬鹿じゃありません」


「十七の人間に何千万の契約させていいのかよ!」


「本人が、そう決めたならです」


「……」


「代理人が自分の財産を処分するわけじゃありません」


 私は義一さんを見ました。


「義一さんが、自分の土地について、健太郎さんに代理権を与えた」


「そうです」


 義一さんが頷きました。


「なら、その選択の結果は原則として本人側が負います」


「でもこの子は未成年だぞ」


「だから何です?」


 河西さんの顔が険しくなりました。


「未成年だから判断を誤るかもしれないだろ!」


「そう思うなら、義一さんが代理人に選ばなければよかったんです」


「……」


「でも義一さんは選んだ」


 私は少しゆっくり言いました。


「法律は、“未成年者を代理人に選ぶ自由”まで奪ってないんです」


 義一さんが、隣の孫をちらりと見ました。


 健太郎さんは、少し驚いた顔をしていました。


「ですから」


 私は続けます。


「健太郎さんが未成年だったことを理由に、河西さん側からこの契約を取り消すことはできません」


 河西さんが舌打ちしました。


「じゃあもう一つは?」


 契約書を持ち上げる。


「こいつは自分を“代理人”と書いてない」


 来た。


「本人のために契約してるなんて表示してないんですよ」


「顕名ですね」


「……けんめい?」


 真壁さんが聞き返しました。


「代理人が、“私は本人のために代理人として契約します”って相手に示すことです」


「ああ」


「原則として必要です」


 河西さんの口元に笑みが戻りました。


「ほら!」


「原則として、です」


「……」


 笑みが消えました。


 忙しい顔ですね。


「確かに」


 私は契約書を指差しました。


「健太郎さんは、“売主杉浦義一、代理人杉浦健太郎”と書くべきでした」


「でしょう!」


「でも」


 私は河西さんを見ました。


「河西さん、健太郎さんが義一さんの代理人だって、知らなかったんですか?」


 沈黙。


「あ?」


 真壁さんが河西さんを見ます。


 私は契約資料をめくりました。


 そこには、契約の一週間前に真壁さんが作った打合せメモ。


 出席者。


 買主予定者 河西隆志。


 売主 杉浦義一。


 代理人 杉浦健太郎。


 さらにその下。


 河西さん自身の字で、こう書いてありました。


 「所有者本人は高齢のため、今後の条件交渉は孫の健太郎氏と行う」


 私は紙を回転させ、河西さんの前に置きました。


「これ、河西さんの字ですよね?」


 無言。


「知ってましたよね?」


「……」


「契約の前から」


「……いや」


「しかも」


 真壁さんがもう一枚出しました。


「河西さん、俺に電話してきたよな」


「何を」


「“爺さん本人は契約の日に来るのか”って」


「……」


「俺が、“孫が代理でやります”って答えた」


「……」


「お前、“それなら話が早い”って言ってたぞ」


 はい。


 終了です。


 私は心の中で、小さな木槌を叩きました。


 カン。


 閉廷。


 まだ裁判じゃありませんけど。


「河西さん」


 私は言いました。


「顕名がなければ、原則として代理人自身の契約になります」


「……」


「でも相手方が、“本人のための代理行為だ”と知っていた場合は別です」


「……」


「知ることができた場合も同じです」


 私は契約書に手を置きました。


「今回、河西さんは知っていた」


「……」


 さらに、もう一枚。


 委任状。


「代理権もあった」


「……」


 そして健太郎さん。


「代理人が未成年でも、それを理由に取り消せない」


「……」


 私は三つ並べました。


「つまり」


 一呼吸。


「契約書の肩書きを一つ書き忘れたからといって、河西さんが知っていた事実まで消えるわけじゃありません」


 河西さんは黙りました。


 すごい。


 さっきまであんなに喋っていた人が。


 法律って、時々ものすごく静音性能が高い。


「それでも俺は納得できん!」


 性能切れました。


「十七歳だぞ!」


「何度目ですか、その話」


「普通は重要だろ!」


「代理では、そこは決定打じゃありません」


「契約書も間違ってる!」


「そこは健太郎さん反省してください」


「はい……」


「でも河西さんは代理だと知ってた」


「……」


「だから本人との契約として効果が生じる」


 所長が、そこでようやく口を開きました。


「河西さん」


 静かです。


 この人は、大声を出さない。


 その代わり、


 相手の逃げ道がなくなった頃に口を開きます。


 狩猟型所長です。


「融資の件は、融資の件として相談しましょう」


「……」


「決済日の調整で済むなら、売主側と話をする余地はある」


「……」


「だが」


 所長は契約書を指で軽く叩きました。


「資金繰りが苦しくなったからといって、未成年者を使って契約そのものをなかったことにするのは筋が違う」


「……」


「困っているなら、困っていると正直に言いなさい」


 河西さんの顔が動きました。


 強い。


 法律論で逃げ道を塞いだあと、


 人間の話に戻す。


 これが所長です。


 私はまだこの人には勝てる気がしません。


 河西さんは、しばらく黙っていました。


 やがて。


「……一週間」


 ぽつりと言いました。


「はい?」


「決済を、一週間待ってもらえれば……銀行ともう一度話せます」


 義一さんが初めて河西さんをまっすぐ見ました。


「一週間なら、待ちましょう」


「いいんですか?」


「買う気がないわけじゃないんでしょう?」


「……ないわけじゃないです」


 義一さんは笑いました。


「なら、最初からそう言えばいい」


 河西さんは目を伏せました。


「……すみません」


 その一言で、


 さっきまで張っていた空気が、ほんの少し緩みました。


 河西さんが帰ったあと。


 事務所には義一さんと健太郎さんが残りました。


「ごめん、じいちゃん」


 健太郎さんが言いました。


「俺が契約書ちゃんと書かなかったから」


「いい」


「でも」


「いい勉強になった」


 義一さんは笑いました。


「4,800万円でですか」


 私が言うと、真壁さんが吹き出しました。


「栞、お前さっき俺にも同じこと言っただろ」


「だって本当に教材が高いんです」


「土地だからな」


「宅建予備校が良心的に見えます」


「予備校?」


「なんでもありません」


 危ない。


 昭和六十三年に令和の受験産業を持ち込むところでした。


 健太郎さんは、それでも浮かない顔をしています。


「じいちゃん」


「なんだ」


「なんで俺に任せたの?」


 義一さんが少し黙りました。


「お前、春から不動産屋に勤めたいって言ってただろ」


「うん」


「だったら、土地の契約がどういうものか、一度見ておいた方がいいと思ってな」


「でも俺、失敗したよ」


「したな」


「……」


 即答。


 おじいちゃん、そこは包んであげて。


「でも」


 義一さんは続けました。


「失敗したら、次は間違えんだろ」


「……」


「儂が生きてるうちなら、横で見てやれる」


 健太郎さんが顔を上げました。


「いつまでも儂が全部やってたら、お前はいつ覚えるんだ」


 その言葉に、


 私は少しだけ胸を突かれました。


 代理人。


 本人の代わりに動く人。


 法律の教科書では、ただそれだけです。


 AがBに代理権を与え、


 BがCと契約する。


 記号三つ。


 でも現実では。


 誰かに任せるという行為には、


 信用が入っています。


 この人なら任せられる。


 失敗しても、


 次はできる。


 そこまで含めて、


 代理なのかもしれません。


「ただし」


 義一さんが言いました。


「次からはちゃんと“代理人”って書け」


「はい」


「絶対だぞ」


「はい」


「4,800万円だからな」


「もう勘弁してよ」


「忘れないだろ」


「一生忘れない」


 真壁さんが私を肘でつつきました。


「所長の言った通りだな」


「何がです?」


「高い教材ほどよく覚える」


「そこですか」


 所長が奥から言います。


「ちなみに栞」


「はい?」


「お前も代理人になれるぞ」


「あ…」


 真壁さんがにやっと笑いました。


「じゃあ次の4,000万の契約、栞にやらせるか」


「絶対嫌です!」


「代理人になれるんだろ?」


「なれると、やりたいは別です!」


「法律上問題ない」


「精神上問題あります!」


「いい勉強になるぞ」


「教育費が高すぎるって何回言わせるんですか!」


 みんなが笑いました。


 夕方。


 健太郎さんたちが帰ったあと、


 私は契約書のコピーを見直しました。


 本人。


 代理人。


 相手方。


 代理権。


 顕名。


 教科書では、


 ほんの数行の話。


 でも今日、その数行が、


 4,800万円の契約を支えました。


 十七歳だから。


 書き方を間違えたから。


 そんな表面だけを拾って、


 なかったことにはできない。


 誰が、


 誰のために、


 何の権限で、


 誰と契約したのか。


 法律はそこを見ています。


 私はノートの端に、小さく書きました。


 代理とは、


 「代わりにやる」だけじゃない。


 本人が、


 その人に任せた結果まで引き受ける仕組み。


 そしてもう一行。


 だから代理人選びは慎重に。


「栞」


 真壁さんが後ろから覗き込みました。


「なんですか」


「最後だけ急に不動産屋の標語みたいだな」


「大事でしょう」


「じゃあ追加しとけ」


「何を?」


「契約書の肩書きも慎重に」


「……それも大事ですね」


 私は書き足しました。


 代理人選びは慎重に。


 契約書の肩書きはもっと慎重に。


 そして。


 十七歳を、


 「十七歳だから何もできない」


 と決めつけるのも慎重に。


 それでも十七歳の健太郎さんは、


 今日、


 一人の代理人として契約を背負っていました。


 大人か子供か。


 法律は、


 その二択だけで人を見ているわけじゃない。


 何をするのか。


 誰のためにするのか。


 どんな立場でするのか。


 そこまで分けて考える。


 だから難しい。


 でも。


 だからこそ、


 雑な理屈で誰かの約束を踏みつぶそうとした時、


 ちゃんと止められる。


 私は契約書をファイルに戻しました。


 代理人。


 たった三文字。


 今日ほど、その三文字が頼もしく見えた日はありませんでした。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。


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