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宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜  作者: 条文小説
〈権利関係 配点14点/50点〉 制限行為能力者

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[制限行為能力者と取消し]現場編 売った先まで追いかけます

挿絵(By みてみん)


※混乱するので成年年齢は引き下げてます。

 世の中には、


「もう他の人に売っちゃったから無理です」


 という言葉があります。


 日常生活なら、だいたい強いです。


 古本屋に漫画を売った。


 その漫画がもう別の客に売れた。


 返してくださいと言っても、まあ難しい。


 フリーマーケットで服を売った。


 もう転売された。


 やっぱり返してと言っても、知らんがな、です。


 ところが法律というものは時々、


「その“知らんがな”を、知らんがなでは済ませません」


 という顔をします。


 特に、


 未成年者から土地を買った時。


 その日の大槻不動産は、朝から妙な緊張感に包まれていました。


「だから息子が勝手に売ったんです!」


 応接机を叩いたのは、五十歳くらいの女性でした。


 名前は高瀬美津子さん。


 その隣には、俯いた少年が座っています。


 高瀬直人。


 十七歳。


 未成年。


 そして。


 父親から相続した土地の持分を、親に黙って売っていました。


 うん。


 開始三行で胃が痛い。


「どうしてそんなことを……」


 私は思わず聞きました。


 直人くんは俯いたまま答えます。


「車が欲しくて」


「車」


「はい」


「土地を売って?」


「はい」


「車を?」


「はい」


 若さ。


 圧倒的若さ。


 土地から自動車への変換率がおかしい。


 私は心の中で頭を抱えました。


 しかも話はそこで終わりませんでした。


「相手は誰なんです?」


 真壁さんが聞きました。


 美津子さんが机の上へ名刺を置きました。


 黒田商事。


 不動産も扱っている地元の会社らしい。


「300万円で買ったそうです」


「300万?」


 真壁さんの眉が動きました。


「安すぎるだろ」


「ですよね!」


 美津子さんが身を乗り出します。


「あの土地、少なくとも七、800万にはなるって主人も言ってました。それをこの子、勝手に300万で!」


「でも……」


 直人くんが小さく言いました。


「向こうの人が、すぐ現金にしてくれるって」


「それで判子押したの!?」


「うん」


「親の同意は?」


「いらないって言われた」


「誰に!」


「黒田さん」


 事務所の空気が、すっと冷えました。


 真壁さんが低い声で言います。


「……十七だって知ってたのか」


「免許証見せました」


「知ってたな、それ」


 私は頭の中で、宅建のテキストが勢いよく開くのを感じました。


 未成年者。


 法定代理人の同意。


 取消し。


 はい。


 来ました。


 ただし。


 問題はここからでした。


「それで……昨日、黒田商事に行ったんです」


 美津子さんの声が震えます。


「契約を取り消したいって」


「はい」


「そしたら……」


 唇を噛みました。


「『もう別の人に売ったから、うちには土地はありません』って」


 私は顔を上げました。


「転売?」


「はい」


「もう?」


「契約した三日後です」


 早い。


 仕事が早い。


 褒めてません。


「誰に売ったんです?」


「松原建設という会社らしいです」


「もう登記も?」


「移したって……」


 美津子さんが両手を握りしめました。


「それで黒田さんに言われたんです」


『買った人は何も知らない。善意の第三者だ。だからもう土地は戻らない』


 と。


 私は、一瞬黙りました。


 真壁さんも黙った。


 所長の大槻さんだけが、腕を組んだまま美津子さんを見ています。


「それで、うちへ?」


「はい……」


 美津子さんが私たちを見ました。


「本当に、もう無理なんでしょうか」


 その横で、直人くんが唇を噛んでいました。


「俺が悪いんです」


 小さく言う。


「母ちゃんに言わずに売ったから」


「……」


「もう仕方ないって言われました」


 私は、その言葉が妙に引っかかりました。


 仕方ない。


 法律の世界で、すごく便利な言葉です。


 知識がない人に、


「そういう決まりです」


 と言えば、だいたい止まる。


「第三者に売ったから」


「登記も移ったから」


「善意だから」


「もう仕方ない」


 でも。


 それ、本当に?


「仕方なくないです」


 私は言いました。


 全員がこちらを見ました。


 真壁さんが眉を上げます。


「栞」


「はい」


「何かあるのか」


「あります」


 私は直人くんを見ました。


「直人さん、契約した時、十七歳だったんですよね?」


「はい」


「お母さんの同意は?」


「ないです」


「あとから認めてもらったことも?」


「ありません」


「自分を十八歳以上だって嘘つきました?」


「いえ」


「親の同意書を偽造したり?」


「してません」


「向こうから聞かれて、十七歳だって答えた?」


「はい」


 私は頷きました。


「だったら、まだ終わってません」


 美津子さんが目を見開きます。


「でも、もう他の会社に……」


「だからです」


「え?」


「そこが今回の一番大事なところです」


 私は机の上の契約書を指しました。


「未成年者が法定代理人の同意を得ずにした契約は、取り消すことができます」


「それは……黒田さんも言ってました」


「でも黒田さんは、そのあと何と言いました?」


「第三者に売ったから、もう無理だと」


「そこが違います」


 私は、はっきり言いました。


「制限行為能力を理由とする取消しは、善意の第三者にも対抗できます」


 沈黙。


 美津子さんが私を見つめています。


「……善意でも?」


「はい」


「事情を知らなくても?」


「はい」


 私は頷きました。


「取り戻せる可能性があります」


 直人くんが顔を上げました。


「ほんとに?」


 その声が、


 さっきまでより少しだけ若く聞こえました。


「ただし」


 所長が初めて口を開きました。


「取消しができる状態かどうかは、きちんと確認する必要がある」


 私は頷きます。


「はい」


「相手方が詐術を主張してくる可能性もある」


「……詐術?」


 美津子さんが聞き返しました。


「直人さんが、自分は未成年じゃないとか、親の同意を得ているとか、相手を騙して契約した場合です」


「そんなことしてません!」


 直人くんが強く言いました。


「免許証も見せたし、年も言った。そしたら黒田さんが、『十七ならほとんど大人だろ』って」


 真壁さんの顔が険しくなりました。


「ほう」


「『親に言うと面倒になるから、自分で決めた方がいい』って言われて……」


「……なるほどな」


 真壁さんが立ち上がりました。


「黒田んとこ、行くか」


「行きましょう」


 私も立ちました。


「待って」


 美津子さんが不安そうに言います。


「でも、相手は会社ですよ。うちなんて……」


 所長が静かに答えました。


「会社だから法律が変わるわけじゃありません」


 短い。


 でも、こういう一言は効きます。


 私も好きです。


 大槻所長、たまに一万円札みたいな言葉を出します。


 価値が高い。


 頻度は低い。


 黒田商事は、駅前の雑居ビル二階にありました。


 応接室に通されると、すぐに黒田社長が出てきました。


 四十代後半。


 派手なネクタイ。


 指に大きな金の指輪。


 バブル期の悪役、どうしてこう服装の説明が簡単なのでしょう。


「なんだ、大槻さんとこの?」


 黒田社長は笑いました。


「高瀬さんの件か。もう説明したよ」


「もう一回お願いします」


 真壁さんが言います。


「何を?」


「十七歳だって知ってて買ったのか」


「ああ」


 あっさり。


「知ってたよ」


「親の同意は?」


「ないね」


「それでも買った?」


「本人が売るって言ったんだ」


「……」


「十七だろ? ガキじゃない」


 私は心の中で思いました。


 法律上の話をしている時に、


「気持ちとしては大人」


 を持ち込む人、だいたい危険です。


「それで300万円?」


 私が聞きました。


 黒田社長がこちらを見る。


「誰だ、この子」


「うちの事務員です」


 真壁さんが答えました。


「事務見習いです」


「そこ訂正いるか?」


「肩書は大事です」


 黒田社長が鼻で笑いました。


「相場なんて売り急げば下がるだろ」


「それはそうです」


 私は頷きました。


「でも、今日確認したいのは値段じゃありません」


「じゃあ何だ」


「取消しです」


 黒田社長の笑顔が少し薄くなりました。


「未成年者が法定代理人の同意なくした契約。高瀬さん側は取り消す意向です」


「だから何だよ」


 黒田社長は椅子にもたれました。


「もう松原建設に売った」


「聞いてます」


「だったら終わりだ」


「終わってません」


「第三者だぞ?」


「はい」


「松原さんは何も知らねえ」


「それも聞きました」


「善意だ」


「それでもです」


 黒田社長の目が細くなりました。


「善意の第三者でも、制限行為能力者の取消しには対抗できません」


 部屋が静かになりました。


 黒田社長が、


 さっきまでの笑顔を完全に消しました。


「……何言ってんだ?」


「そのままです」


「普通は善意の第三者は守られるだろうが」


「普通は、という括りが雑です」


 私は言いました。


「民法は、取消しの原因によって扱いが違います」


「小娘が知ったふうな口を――」


「年齢の話をします?」


 私は直人くんの契約書を机の上に置きました。


「十七歳を『ほとんど大人』って扱った会社が?」


 真壁さんが咳払いをしました。


 たぶん笑いを隠しました。


 黒田社長のこめかみが少し動きました。


「とにかく、松原建設は関係ない」


「関係あります」


「うちはもう所有者じゃない」


「だから、取消しの効果が問題になるんです」


「登記まで移ってるんだぞ」


「それでも、です」


 私は机越しに黒田社長を見ました。


「未成年者を保護するための取消しは、途中に事情を知らない第三者が入ったから消える、という制度じゃありません」


 黒田社長が黙る。


「もしそうなら」


 私は続けました。


「未成年者から同意なしで買った人は、とにかくすぐ第三者へ転売すれば勝てることになります」


「……」


「それじゃ保護になりませんよね」


 真壁さんが、横から低い声で言いました。


「買って三日で転売したそうだな」


「商売だ」


「ずいぶん速い商売だ」


「悪いか」


「悪いとは言ってねえ」


 真壁さんは目を細めました。


「ただ、未成年だって分かってて、親には言うなと勧めて、その三日後に転売か」


「……」


「ずいぶん手慣れてるな」


 黒田社長の顔色が変わりました。


「証拠あんのかよ」


「直人さんの話だけなら、これから確認します」


 私は言いました。


「でも少なくとも、年齢を知っていたのは認めましたよね」


「だから?」


「直人さんが詐術を使っていないことも、今のところ矛盾しません」


「……」


「取消しを封じる材料、今の話では見当たりません」


 その時。


 応接室のドアが開きました。


「社長」


 社員らしい男性が顔を出します。


「松原建設さんから電話です」


「あとにしろ!」


「いや、その……高瀬の土地の件で」


 黒田社長の顔が止まりました。


「なんだ」


「何か、取消しの話を聞いたみたいで……」


 私と真壁さんは顔を見合わせました。


 所長が動いた。


 たぶん先に松原建設へ連絡を入れています。


 仕事が早い。


 そして怖い。


 大槻所長、本当にこういう時だけ忍者みたいです。


 黒田社長が乱暴に受話器を取りました。


「黒田だ。……ああ。いや、待て、それは――」


 声がだんだん小さくなる。


 どうやら松原建設側も、


「本当に所有権を取得できる話なのか」


 と不安になったらしい。


 当然です。


 事情を知らなかったからといって、


 土地を失う可能性まで知らなかったことにはできません。


 数分後。


 黒田社長は受話器を置きました。


「……話し合いだ」


「はい?」


「高瀬と、話し合う」


「何を?」


「契約を……戻す方向で」


 私は一瞬黙りました。


 真壁さんも黙る。


 そして。


「最初からそうすればよかったんですよ」


 私は言いました。


 黒田社長が睨みます。


「お前、ほんと腹立つな」


「ありがとうございます」


「褒めてねえ」


「知ってます」


 今回はちゃんと知ってます。


 数日後。


 黒田商事と松原建設との契約関係も整理され、


 直人くん側は正式に契約を取り消すことになりました。


 もちろん、


 簡単に全部が元通り、


 とはいきません。


 代金の返還。


 登記の処理。


 関係者間の調整。


 土地というものは、


 一度人の手を渡ると、


 紙の上でも人間関係の上でも面倒です。


 でも。


「戻ってくるんですよね」


 直人くんが聞きました。


「はい」


 私は答えました。


「きちんと手続きすれば」


 彼は、しばらく黙ってから頭を下げました。


「すみませんでした」


「私に謝ることじゃないですよ」


「母ちゃんにも謝りました」


「それは大事です」


「車も諦めます」


「それも大事です」


「でも……」


 少し迷ってから言いました。


「いつか自分で働いた金で買います」


「その方がいいです」


「中古でも?」


「むしろ最初は中古で」


「栞」


 真壁さんが横から言いました。


「急に人生相談始めるな」


「十七歳の車選び、大事ですよ」


「不動産屋の仕事じゃねえ」


「土地を車に変換しようとした人ですよ? 再発防止です」


「再発する前提で話すな」


 直人くんが、初めて笑いました。


 美津子さんも、その横で笑っています。


「この子ね」


 美津子さんが言いました。


「お父さんが亡くなってから、ずっとあの土地嫌ってたんです」


「え?」


 直人くんが気まずそうに目を逸らしました。


「草刈りとかさせられてたから」


「なるほど」


「夏とか最悪で」


「分かります」


 土地への憎しみが、


 相続財産なのに草刈り由来。


 妙にリアルです。


「でも今回」


 直人くんが続けます。


「なくなるかもってなったら、なんか……嫌だった」


「勝手ですねえ」


 私は言いました。


「ですね」


 彼も笑いました。


「父ちゃんが残したものだから」


 その言葉だけ、


 少し小さかった。


 美津子さんは何も言いませんでした。


 ただ、


 直人くんの肩を軽く叩きました。


 その日の夕方。


 私は事務所で契約書の控えを整理していました。


 真壁さんが缶コーヒーを机に置きます。


「ほら」


「ありがとうございます」


「今日はよく喋ったな」


「いつもみたいな言い方やめてください」


「いつも喋ってるだろ」


「必要なことだけです」


「余計なことが八割だ」


「ひどい」


 私は缶を開けました。


「でも」


 真壁さんが言いました。


「俺も、第三者に売ったら終わりだと思ってた」


「普通そう思いますよね」


「登記まで移ってたしな」


「はい」


 私は机の上のノートに目を落としました。


 未成年者が同意なしで契約した。


 その契約は、


 最初から存在しないわけじゃない。


 取り消されるまでは有効。


 だから相手方は、


 いつ取り消されるか分からない。


 それが不安だから、


 法律は相手方にも催告する手段を与えている。


 でも一方で。


 いったん取消しが認められるなら、


 第三者が善意だからというだけで、


 未成年者の保護を途中で切ることもしない。


 守る側だけが強いわけでもない。


 相手方だけが強いわけでもない。


 両方に道具を渡して、


 どこで決着させるかを決めている。


「法律って」


 私は言いました。


「意外と、どっちか一方の味方じゃないんですね」


「そうか?」


「未成年者は守る。でも相手方には催告権を与える」


「ふむ」


「詐術を使ったら、未成年者側でも取消しできなくなる」


「なるほどな」


「ただ甘やかしてるわけじゃない」


 所長が奥から口を挟みました。


「保護と取引の安全は、いつも綱引きだ」


「綱引き?」


「ああ」


 所長は帳簿から目を上げました。


「弱い方を守る。だが、相手を無制限に不安定な立場へ置くわけにもいかん」


「だから催告がある」


「そういうことだ」


 私は頷きました。


「じゃあ今日の黒田さんは?」


「綱を引きすぎた」


 真壁さんが言いました。


「しかも相手十七歳」


「力加減が大人げないですね」


「お前うまいこと言った顔するな」


「しました」


 所長が小さく笑いました。


 窓の外は、


 もう夕焼けでした。


 今日守ったのは、


 土地だった。


 でもたぶん、


 それだけじゃない。


 十七歳の失敗を、


 一生取り返せない失敗にしなかった。


 その意味の方が、


 私は大きい気がしました。


 人は失敗します。


 若ければなおさら。


 大人でもかなりします。


 不動産屋を見ていればよく分かります。


「誰のことだ」


 真壁さんが言いました。


「心を読まないでください」


「顔に出てる」


「失礼ですね」


 私は笑って、ノートを閉じました。


 未成年者だから、


 何をしても許されるわけじゃない。


 でも。


 一度の判断ミスで、


 知らない大人たちに全部持っていかれるほど、


 法律は冷たくもない。


 取り消せる。


 第三者に渡っていても、


 取り戻せる場合がある。


 そして相手方にも、


 いつまでも待たされないための方法がある。


 法律は、


 失敗を消す魔法じゃない。


 ただ、


 失敗した人に、


 戻る道を残しておくことがある。


「栞」


「はい?」


「お前も十七になったら気をつけろよ」


「私は十八です」


「じゃあ、土地売るな」


「売りませんよ!」


「車欲しくなっても」


「ならないです!」


「分からんぞ。今どきの若者なんて」


「真壁さん、若者を何だと思ってるんですか!」


「今回の件で印象が悪くなった」


「一人を若者代表にしないでください!」


 事務所に笑い声が響きました。


 昭和六十三年。


 土地の値段が上がって、


 大人たちが浮かれて、


 十七歳が土地を車に変えようとした時代。


 それでも法律は、


 年齢を一歳ずつ数えていました。


 十七は十七。


 大人っぽく見えても、


 「ほとんど十八歳」にはしない。


 たった一年。


 でもその一年を、


 法律は雑に飛ばさない。


 私はそれが、


 少しだけ優しいと思いました。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。


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