[保証]現場編 『保証人になった覚えはない』
保証人。
この三文字ほど、「ちょっと名前を貸しただけ」が通用しない言葉も、なかなかありません。
――そして逆に。
「俺は保証人になったんだ!」
と本人が力いっぱい主張していても、
法律のほうが、
「いや、なってませんけど」
と冷静に返してくることもあります。
人の決意より書類のほうが強い。
不動産業界、今日も世知辛いです。
◇
「だから俺が払うって言ってるだろ!」
午前十時。
大槻不動産の事務所に、野太い声が響きました。
私は思わず、お茶を注ぐ手を止めました。
怒鳴っているのは五十代くらいの男性。
作業着姿で、日に焼けた顔。
名前は田所源三さん。
町工場を営む人で、うちのお客さんではありません。
その向かいには、青ざめた若い男性が座っていました。
源三さんの甥、田所浩司さん。
数か月前、中古住宅を購入した人です。
問題は、その代金でした。
「叔父さん、だから……もういいって」
「何がいいんだ!」
源三さんが机を叩く。
「お前が払えねえなら俺が払う! 最初からそういう話だったろ!」
私は湯飲みを置きながら、真壁さんを見ました。
真壁さんも私を見る。
目が合った。
そして、ほぼ同時に眉をひそめました。
――嫌な予感しかしない。
不動産屋で「最初からそういう話だった」は、だいたい最初からちゃんと書面にしていない話です。
所長の大槻さんだけは、いつものように静かでした。
「順番に聞きましょう」
低い声で言う。
「浩司さん。家の売買代金はいくら残っていますか」
「……六百万円です」
「支払期限は?」
「先月末です」
「払えなかった理由は」
「勤めていた会社が倒産して……」
浩司さんが俯きました。
どうやら、住宅を買った直後に勤務先が倒産。
再就職はしたものの収入が大幅に落ち、売主に対する残代金六百万円を支払えなくなったらしい。
そして売主側から、
――支払えないなら保証人に請求する。
と言われた。
そこで登場したのが、叔父の源三さんです。
「俺が保証人なんだよ」
源三さんが胸を張りました。
「浩司が家を買う時に言ったんだ。『もし払えなかったら俺が払ってやる』ってな」
私は小さく首を傾げました。
「誰に言ったんですか?」
「浩司にだよ」
「売主さんには?」
「会ったこともねえ」
――はい。
早くも香ばしい。
「書類は?」
大槻所長が聞きました。
「書類?」
「保証契約書です」
「そんなもんない」
即答。
私は思わず目を閉じました。
心の中で、宅建テキストのページが勢いよく開きます。
保証契約。
債権者と保証人との契約。
そして――書面が必要。
これ、かなり重要なやつです。
「……真壁さん」
「言うな」
「まだ何も言ってません」
「顔に書いてある。『これ保証成立してないんじゃない?』って」
「先輩、読心術まで取得したんですか」
「お前が分かりやすすぎるんだよ」
そんな小声のやり取りをしている間にも、源三さんは続けていました。
「俺は男として約束したんだ! 浩司が困った時は俺が責任取るって!」
男として。
強い。
ものすごく強そうな言葉です。
ただし民法は、男気を契約形式として採用していません。
「田所さん」
私は口を開きました。
「一つ確認してもいいですか?」
「なんだ」
「叔父さんは、浩司さんに『払えなければ代わりに払う』と言ったんですよね」
「ああ」
「でも、売主さんとは何も約束していない」
「ああ」
「書面もない」
「だから?」
私は少しだけ言葉を選びました。
「それなら、叔父さんは法律上の保証人ではない可能性が高いです」
「……は?」
源三さんが固まりました。
浩司さんも顔を上げる。
真壁さんは腕を組んだ。
大槻所長だけが、わずかに頷きました。
「保証契約というのは」
私は続けました。
「借りた本人と保証人がする契約じゃないんです」
「何?」
「債権者と保証人がする契約です」
私は机の上のメモ用紙を引き寄せました。
そこに三人を書きます。
浩司さん。
売主。
源三さん。
「浩司さんが主たる債務者。売主さんが債権者。そして叔父さんが保証人になるなら――」
私は線を引きました。
売主 ―― 源三さん。
「この二人の間に保証契約が必要です」
「でも俺は浩司に約束したぞ」
「それは、浩司さんとの約束です」
「同じじゃねえのか?」
「法律上は違います」
源三さんの眉間に深い皺が寄る。
分かります。
気持ちは分かります。
普通の感覚なら、
「俺が保証する」
と言ったら保証人になった気がします。
でも法律は、相手を見ます。
誰と誰が契約したのか。
そこを雑にすると、六百万円単位で人生が転びます。
「しかも保証契約は」
私は続けました。
「書面でしなければ効力が生じません」
「口約束じゃ駄目なのか」
「駄目です」
源三さんが、ぽかんとしました。
私はちょっとだけ申し訳ない気持ちになりました。
男気を二段階で全否定してしまった。
◇
「じゃあ……俺は払わなくていいのか?」
しばらくして、源三さんが聞きました。
「法律上の保証人としては、少なくとも今の話だけなら」
「……そうか」
ところが。
安心すると思った源三さんの顔は、むしろ曇りました。
浩司さんが俯きます。
「だから言ったんだよ、叔父さん」
「何がだ」
「俺のことなんか放っといてくれって」
「馬鹿野郎!」
また机が鳴った。
「家買って半年で困ってる甥っ子放っとけるか!」
「でも六百万だぞ!」
「六百万がなんだ!」
――いや六百万は六百万です。
かなり「なんだ」では済まない金額です。
でも、二人の顔を見ていると、少し事情が分かってきました。
浩司さんの両親は早くに亡くなっている。
源三さんは、浩司さんを半分息子のように育てたらしい。
家を買う時も、
「何かあったら俺が助ける」
と言った。
それを浩司さんは、ずっと「保証人になってもらった」と思っていた。
源三さんも同じです。
でも、その善意は契約になっていなかった。
法律って、ときどき残酷なくらい形式的です。
でも――。
形式があるから、人は守られることもある。
本人すら分かっていない六百万円の義務を、
「あの時そう言ったじゃないか」
だけで背負わせないために。
私はその意味を、少しずつ理解し始めていました。
「所長」
真壁さんが低い声で言いました。
「売主側は、田所さんが保証人だと思ってるんですよね」
「ああ」
大槻所長が書類を見ました。
「どうやら浩司さんから聞いただけらしい」
「じゃあ、向こうも保証契約書を持ってない」
「そういうことだ」
私は少し考えました。
そこで、大槻所長が浩司さんに聞きます。
「ところで、家を失いたいですか」
「え?」
「売買契約を解除されても構わないですか」
「それは……嫌です」
浩司さんは即答しました。
「母が生きていた頃から、いつか自分の家を持ちたいと思ってて……」
その声が弱くなる。
「やっと買えたんです」
源三さんの顔が険しくなりました。
「だから俺が払うって言ってるだろ」
「叔父さん」
「六百万くらい――」
「工場の機械、買い替えるんだろ」
浩司さんが言いました。
源三さんが黙る。
「叔父さんの会社だって余裕ないじゃないか」
なるほど。
そっちも危ない。
保証人が一人沈んで、主債務者も沈む。
昔からよくある悲劇です。
私は思わず口を挟みました。
「全額を叔父さんが払う必要はないと思います」
二人がこちらを見る。
「浩司さんは今、再就職してるんですよね?」
「はい」
「毎月なら、いくら払えますか」
「……十二万円くらいなら」
「売主さんと支払い方法を組み直す交渉はできます」
私は所長を見る。
大槻所長が頷きました。
「残代金を分割にする。そのうえで必要なら、改めて保証をつける」
「改めて?」
源三さんが聞く。
「はい」
私は言いました。
「本当に叔父さんが保証するなら、今度はちゃんと売主さんとの間で書面にします」
「今度こそ保証人になるのか」
「なりたいなら、です」
私は少し強調しました。
「保証人は、頼まれたから絶対になるものじゃありません」
源三さんが黙りました。
浩司さんが慌てます。
「ならなくていい! 本当に!」
「やかましい」
「叔父さん!」
「ただし」
大槻所長が口を開きました。
事務所の空気が、ぴたりと締まる。
「保証する額は考えた方がいい」
「額?」
「何でもかんでも背負う必要はない」
所長は浩司さんの支払計画を見ながら言いました。
「例えば、残額六百万円全部ではなく、一定額までの保証にする。支払期限や条件も書く」
源三さんが目を細めます。
「そんなことできるのか」
「契約なんだから、内容を決めればいい」
さすが所長。
男気を契約書に落とし込む作業が妙に上手い。
真壁さんも頷きました。
「それなら浩司も自分で払う責任は残るし、叔父さんもいきなり全部背負わずに済む」
「……なるほどな」
源三さんが腕を組みました。
私は続けました。
「あと、保証すると、元本だけじゃなく利息や違約金なども範囲に入ることがあります。そこも曖昧にしない方がいいです」
「おい」
源三さんが私を睨みました。
「さっきから怖いことさらっと言うな」
「怖いから言ってるんです」
保証って、入口はだいたい人情なんです。
出口で数字になります。
だから入口で数字にしておいた方がいい。
◇
午後。
売主の佐伯さんにも事務所へ来てもらいました。
六十代の男性で、最初からかなり険しい顔をしていました。
「話が違うじゃないか」
開口一番です。
「保証人がいるって聞いたから、支払いを待ったんだぞ」
浩司さんが頭を下げました。
「すみません」
「叔父さんが払うって話だったんじゃないのか!」
そこで源三さんが立ち上がりました。
「払わねえとは言ってねえ」
「叔父さん!」
「ただし」
源三さんは私をちらっと見た。
「ちゃんと話を決める」
お。
学習してる。
午前中まで「男が一度言ったんだから全部払う」だった人が、契約条件を確認し始めました。
人間、六百万円が絡むと成長が早いです。
大槻所長が前に出ました。
「佐伯さん。まず整理します」
静かな声。
「現時点では、田所源三さんとの有効な保証契約が成立しているとは言い難い」
「何?」
「あなたと田所さんとの間に書面がありません」
佐伯さんの顔が変わります。
「じゃあ私はどうなるんだ!」
「ですから、そこで終わらせずに話をしましょう」
所長は一枚の紙を出しました。
支払計画です。
「浩司さんは毎月十二万円を支払う」
「十二万?」
「加えて、賞与月に一定額を上乗せする」
佐伯さんが紙を見る。
「それで足りるのか」
「時間はかかります。ただ、解除して争うより回収の可能性は高い」
所長は淡々と続けます。
「そして源三さんは、一定範囲で保証する意思がある」
「全額じゃないのか!」
「全額にする必要はありません」
大槻所長の声には、妙な迫力がありました。
「保証は罰ではありません。契約です」
――それ。
すごく大事。
保証人になると、なぜか「主債務者と同じだけ全部背負うのが当然」という空気になりがちです。
でも契約なら、範囲を決める。
誰が。
誰に対して。
いくらまで。
何を保証するのか。
そこを言葉にする。
「俺は」
源三さんが口を開きました。
「二百万までなら保証する」
浩司さんが顔を上げました。
「叔父さん」
「勘違いすんな」
源三さんは甥を睨む。
「お前の借金を俺が払うんじゃない」
「……」
「お前が自分で払う。どうしても駄目な時だけ、二百万までは俺が尻を持つ」
浩司さんの目が赤くなりました。
佐伯さんはしばらく黙っていました。
「……それなら」
ようやく言う。
「分割でいい」
浩司さんが息を呑む。
「本当ですか?」
「ただし、一回でも黙って遅れたら駄目だ」
「はい!」
「払えないなら払えないで、先に言え」
「はい!」
大槻所長が頷きました。
「では、その条件で書面を作りましょう」
私は思わず、机の下で小さく拳を握りました。
――決まった。
◇
書類を作り終えた頃には、外はすっかり夕方でした。
浩司さんは、何度も頭を下げて帰っていきました。
源三さんも帰り際、私の前で立ち止まりました。
「嬢ちゃん」
「はい」
「俺、最初から保証人だった方が格好よかったか?」
何を聞くんですか、この人は。
私は少し考えてから答えました。
「今日ちゃんと内容を読んでから保証人になった方が、格好いいと思います」
源三さんは鼻を鳴らしました。
「口が達者だな」
「事務見習いですから」
「事務に必要か、それ」
「たぶん宅建には必要です」
「意味分からん」
そう言って、源三さんは笑いました。
玄関を出る直前、振り返って一言。
「……ありがとな」
今度は小さな声でした。
それだけ言って、帰っていきました。
私はしばらく玄関を見ていました。
「栞」
後ろから真壁さんが呼ぶ。
「はい?」
「今日のお前、少し危なかったぞ」
「え?」
「最初に『保証契約は無効です』って言った時だ」
「だって書面が――」
「法律的にはそうでも、あの場でそれだけ言ったら、佐伯さんは『じゃあ俺だけ損か』ってなる」
私は黙りました。
なるほど。
正しいことを言えば、それで事件が解決するわけじゃない。
むしろ、正しさだけ置いて帰ると、誰かがその下敷きになる。
「実務はな」
真壁さんが缶コーヒーを一本放ってきました。
私は慌てて受け取る。
「法律で線を引いて、その線の上で、みんなが歩ける道を探すんだよ」
「……真壁さん」
「なんだ」
「今日は珍しく格好いいですね」
「今日は、って何だ」
「いつもは顔だけ怖いので」
「返せ、そのコーヒー」
「もう私のです」
缶を胸に抱える。
そこへ大槻所長が、書類を片づけながら言いました。
「栞」
「はい」
「保証で一番危ない言葉、分かったか」
「『俺が何とかする』ですか?」
「近い」
所長は少し笑いました。
「『名前だけ貸してくれ』だ」
私は思わず吹き出しました。
「確かに」
「保証に、“名前だけ”なんてものはない」
所長の言葉が、静かに事務所に残りました。
私は今日作った保証契約書を見る。
債権者。
保証人。
保証する債務。
金額。
条件。
紙の上では、全部ただの文字です。
でも、その一行一行の向こうに、浩司さんの家がある。
源三さんの工場がある。
佐伯さんが受け取るはずだったお金がある。
昨日までなら、
保証=借金を代わりに払う人。
それくらいにしか思っていなかった。
でも違う。
保証とは、
誰かを助けるために、自分の財産まで差し出す可能性のある約束だ。
だから法律は、口約束では足りないと言う。
書いて。
読んで。
考えて。
それでも引き受けるのか確認する。
形式的で冷たいように見えて、
実は、ずいぶん人間くさい仕組みなのかもしれません。
私は缶コーヒーを開けました。
「真壁さん」
「ん?」
「私、保証人にはなりませんからね」
「誰も頼んでねえよ」
「絶対ですよ」
「お前に保証してもらうくらいなら自分で払う」
「ひどい」
「十八歳の事務見習いに借金背負わせる奴の方がひどいだろ」
それはそうだ。
夕暮れの事務所に、私たちの笑い声が響きました。
昭和六十三年。
土地も家も、金額がどんどん大きくなる時代。
人情も景気も勢いがあって、
「俺に任せろ」
の一言で話が進んでしまうこともある。
でも。
誰かを本当に守りたいなら、
勢いだけでは足りない。
何を引き受けるのか。
どこまで引き受けるのか。
ちゃんと分かった上で、名前を書く。
その方がたぶん、
口約束よりずっと優しい。
私は机の上の契約書を、もう一度きれいに揃えました。
今日の教訓。
保証人になるなら、男気より先に書面を読め。
――うん。
宅建のテキストには書いてないけど、
たぶん試験より人生に効くやつです。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




