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宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜  作者: 条文小説
〈権利関係 配点14点/50点〉 債権の消滅

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102/412

[弁済の提供]法理編 栞とお勉強

挿絵(By みてみん)

 夕方の事務所で、私はノートを開きました。


 今日の事件を、一言でまとめるなら。


 ――払おうとした人を、「払わなかった人」にしてはいけない。


 これです。


「……でも、試験になると急に面倒なんだよなあ」


 私は鉛筆の尻で机を叩きました。


「何がだ?」


 振り返ると、真壁さんがいました。


「いつからそこにいたんですか」


「さっきから」


「気配を消して人のノートを覗くの、やめてもらえます?」


「営業は客の気配を読む仕事だからな」


「人の背後を取る仕事ではありません」


 真壁さんは私の抗議を無視して、ノートを覗き込みました。


「弁済の提供、か」


「はい」


「今日の山岸さんがやったやつだな」


「そうです」


 私は一番上に大きく書きました。


  弁済の提供


「まず、ここからです」


「何だ」


「弁済って言うと、“実際に払って債務を消すこと”を想像しますよね」


「そりゃそうだろ」


「でも、“弁済”と“弁済の提供”は別なんです」


 真壁さんが眉を上げました。


「別?」


「はい」


 私はノートに書きました。


  弁済

  =実際に債務を履行すること


  弁済の提供

  =履行するために必要なことを準備し、

   債権者に受領などの協力を求めること


「つまり?」


「たとえば百万円返す約束なら、実際に百万円を渡せば弁済です」


「うん」


「一方、百万円をちゃんと用意して、相手のところへ持っていって、『受け取ってください』と差し出す」


「それが提供」


「そうです」


「受け取らなかったら?」


「そこが今日のテーマです」


 私は鉛筆を立てました。


「債権者が勝手に受け取りを拒んだせいで、債務者がいつまでも“履行していない人”として責任を負わされたら困るでしょう?」


「まあな」


「だから民法は、債務者がちゃんと弁済の提供をしたなら、そこから先は一定の責任を免れる、としています」


 私はノートに線を引きました。


  民法492条


  弁済の提供をした

    ↓

  その時から

    ↓

  債務を履行しないことによって生ずる責任を免れる


「今日の山岸さんだな」


「はい」


「でも実際には、高瀬さんに金は渡してない」


「そうなんです」


 私は頷きました。


「ここがすごく大事です」


 そして、大きく書きました。


  弁済の提供 ≠ 債務そのものが消える


「……ん?」


 真壁さんが止まりました。


「責任を免れるんじゃないのか?」


「“債務を履行しないことで生ずる責任”を免れるんです」


「同じじゃないのか」


「違います」


 私は首を振りました。


「たとえば百万円を払う義務がある人が、ちゃんと百万円を提供した。でも債権者が受け取らなかった」


「うん」


「それだけで百万円の債務そのものが当然に消えるわけではありません」


「じゃあ百万円はまだ払わなきゃいけない?」


「債務自体は残ります」


「ややこしいな!」


「だから試験に出るんですよ」


「法律は、ややこしいものほど試験に出るのか」


「たぶん試験委員の好物です」


 知らないですけど。


 でも、そうとしか思えない問題が多い。


 私は整理しました。


 弁済の提供をすると、


  ○ 債務不履行による責任を免れる


 しかし、


  × それだけで債務そのものが消えるわけではない


「ここ、引っかけられそうだな」


「かなり」


「“提供したから債務消滅”は間違い」


「そうです」


「じゃあ債務を消したいなら?」


「場合によっては供託です」


「供託?」


「今日の範囲から少し先ですけど、受け取ってもらえない金銭などを一定の要件で供託すれば、債務を消滅させることができます」


「なるほど」


「なので――」


 私は並べました。


  弁済の提供

   → 主に債務不履行責任を免れる


  弁済供託

   → 要件を満たして供託すると債権を消滅させられる


「似てるようで違うんだな」


「そこ、大事です」


 私は赤鉛筆で丸をつけました。


     ◇


「で、弁済の提供ってのは、どうやるんだ?」


 真壁さんが聞きました。


「二種類あります」


 私は指を二本立てました。


「現実の提供と、口頭の提供です」


「また法律らしい名前が出てきたな」


「でも中身はそんなに難しくないです」


 私は書きました。


  ① 現実の提供


  ② 口頭の提供


「原則は現実の提供です」


「現実って?」


「文字通り、現実に差し出します」


 たとえば――。


 百万円を払う義務がある。


 なら百万円を用意する。


 そして、支払うべき場所へ持っていく。


「相手の前で?」


「はい。『百万円あります。受け取ってください』という状態まで持っていく」


「それが現実の提供」


「そうです」


 私は書きました。


  現実の提供

  =債務の本旨に従って、

   現実に給付できる状態にして差し出す


「“債務の本旨”って何だ」


「約束どおり、という感じです」


「最初からそう書け」


「法律家に怒られます」


「俺は法律家じゃない」


「知ってます」


「喧嘩売ってる?」


「提供してません」


「その使い方は違う」


 ちょっと気に入ってきましたね、弁済の提供。


 私は続けました。


「重要なのは、“ちゃんと全部やる”ことです」


「全部?」


「たとえば百万円払う義務があるのに、五十万円だけ持っていって――」


 私は両手を広げました。


「『とりあえず半分!』」


「駄目なのか?」


「原則として、それでは債務の本旨に従った提供になりません」


「一部じゃ駄目」


「はい」


 私は大きく書きました。


  100万円の債務

    ↓

  50万円だけ提供

    ↓

  原則、弁済の提供にならない


「厳しいな」


「でも当然と言えば当然です」


「なんで?」


「真壁さんが私に一万円返す約束だったとして」


「借りてないぞ」


「例です」


「おう」


「五千円だけ渡して、『ちゃんと弁済の提供したから、もう遅れても責任ありません』って言われたら?」


「腹立つな」


「でしょう?」


「なるほど」


「それです」


 法律は、ときどき真壁さんを怒らせると分かりやすい。


     ◇


「ところで栞」


「はい」


「金は持っていかなきゃ駄目なんだろ?」


「原則はそうです」


「じゃあ今日の山岸さんは?」


「そこです」


 私は二つ目を書きました。


  ② 口頭の提供


「名前は“口頭”ですけど、別に口だけで適当に『払うよ』と言えばいいわけではありません」


「そうなのか」


「当たり前です」


「電話一本で『払う気はある』じゃ駄目?」


「駄目です」


「便利そうなのに」


「便利すぎます」


 もしそれでよければ、日本中の延滞が、


 ――払う気はあります。


 の一言で消えてしまいます。


 そんな魔法の言葉を民法は配っていません。


「口頭の提供でも、まず弁済の準備をしている必要があります」


「準備?」


「実際に履行できる状態にしておくことです」


「山岸さんなら、一千六百万円を用意した」


「そう」


「そのうえで、高瀬さんに来てくれと言った」


「そうです」


 私は書きました。


  口頭の提供


  ① 弁済の準備をする


  ② 準備したことを通知する


  ③ 受領を催告する


「じゃあ、いつでもこれでいい?」


「駄目です」


「ほら来た」


「例外なんです」


 私は大きく二つ書きました。


 口頭の提供で足りる場合


  ① 債権者があらかじめ受領を拒んでいるとき


  ② 履行について債権者の行為を必要とするとき


「今日の高瀬さんは?」


「両方に絡みますね」


「まず一個目」


「一昨日から『金なんか受け取らん』と言っていました」


「だから、あらかじめ受領拒絶」


「はい」


 私は丸を付けました。


「そんな相手に、一千六百万円を鞄へ詰めて家まで持っていって――」


「受け取ってください」


「受け取らん」


「受け取ってください」


「受け取らん」


「……という儀式をやれ、というのは無駄です」


「確かに」


「だから、すでに受け取らないと言っているなら、準備をして受領を催告すれば足りる」


 私は次へ進みました。


「二つ目は、債権者の行為が必要な場合」


「今日の不動産売買だな」


「そうです」


 不動産の売買なら、買主は代金を払う。


 でも、売主にもやることがあります。


 所有権移転登記に必要な書類を準備する。


 決済に立ち会う。


 必要な手続に協力する。


「買主だけじゃ全部終わらない」


「そういうことだな」


「はい」


 私は図にしました。


  買主

  代金を準備

    ↓

  「払います」


     +


  売主

  登記関係書類等を準備

    ↓

  決済に協力


「こういうふうに、債務者だけでは履行が完結せず、債権者の協力が必要な場合があります」


「だから口頭の提供で足りる」


「はい。ちゃんと準備したうえで、相手に『こちらは履行できます。そちらも協力してください』と催告するわけです」


「今日の電報みたいなもんか」


「まさにそうです」


     ◇


 私はノートを一度閉じかけました。


「よし。だいたい――」


「栞」


 いつの間にか所長が立っていました。


 今日は背後から現れるのが流行ってるんでしょうか。


「はい」


「一つ抜けてるぞ」


「どこです?」


「弁済の提供をした後、債務者は何を免れる」


「債務不履行責任です」


「具体的には?」


 私は少し考えました。


「……損害賠償責任?」


「それだけか」


「え」


 所長が私のノートを指しました。


「試験なら、“債務を履行しないことによって生ずべき責任”と押さえたほうがいい」


「なるほど」


 民法492条は、現在、


 債務者は弁済の提供の時から、債務を履行しないことによって生ずべき責任を免れる。


 という形になっています。


 私はノートに書き直しました。


  弁済の提供の効果


  提供の時から、

  「債務を履行しないことによって生ずべき責任」

  を免れる


「つまり今日なら」


 所長が言いました。


「高瀬さんが自分で受領を拒絶しておきながら、“昨日払われなかったから買主の履行遅滞だ、損害賠償だ”とするのは難しくなる」


「はい」


「だが――」


 所長は一本指を立てました。


「さっき栞が言ったように、“提供したから代金債務そのものが消えた”というわけではない」


「そこは分ける」


「そうだ」


 真壁さんが腕を組みました。


「責任は免れる。でも債務は残る」


「はい」


「相手がずっと受け取らなかったら?」


「供託が問題になります」


「やっぱりそこにつながるんだな」


「そうです」


 私は最後にまとめました。


  弁済の提供

   ↓

  債務不履行責任から解放される


 しかし


  債務そのもの

   ↓

  当然には消滅しない


 必要に応じて


  供託

   ↓

  債務を消滅させる


「おお」


 真壁さんが感心したように言いました。


「なんか今日は、きれいにまとまったな」


「“今日は”って何ですか」


「いつも途中から字が暴れ始める」


「考える速度に手が追いつかないんです」


 所長が私のノートを見ました。


「字の問題は、まだ解決してないな」


「またそこですか!」


     ◇


 私は気を取り直して、今日の試験対策欄を作りました。


 【栞の試験用まとめ】


 弁済の提供には二種類。


 ① 現実の提供


 原則はこちら。


 債務の本旨に従って、現実に給付を差し出す。


 たとえば百万円を払う義務なら、百万円を用意し、支払うべき相手に実際に差し出す。


 全部履行すべきところ、一部だけを提供しても、原則として債務の本旨に従った提供にはならない。


 ② 口頭の提供


 例外として、


 ・債権者があらかじめ受領を拒絶している場合


 ・履行について債権者の行為を必要とする場合


 には、現実に差し出すところまでしなくてもよい。


 ただし、


 弁済の準備をしたことを通知し、


 受領を催告する必要がある。


 単に、


 「いつか払います」


 「払う気はあります」


 では足りない。


 そして効果。


 弁済の提供をすれば、


 その時から、


 債務を履行しないことによって生ずべき責任を免れる。


 ただし、


 弁済の提供だけで債務そのものが消滅するわけではない。


「……よし」


 私は鉛筆を置きました。


「真壁さん、問題です」


「急だな」


「百万円の支払義務があります。期限の日に、五十万円だけ持っていきました。弁済の提供になりますか?」


「ならない」


「正解」


「全部必要なんだろ」


「では、百万円全部用意しました。でも債権者が前の日に『絶対受け取らん』と言っていました。必ず現金を持参しないといけませんか?」


「いや。準備したって知らせて、受け取れって言えばいい」


「正解です」


「簡単じゃねえか」


「では最後」


「来い」


「百万円を適法に提供したら、百万円の債務そのものは消えますか?」


「消え――」


 真壁さんが止まりました。


 私を見る。


「……消えない」


「正解!」


「危ねえ!」


「今、完全に引っかかりましたね」


「性格悪い問題だな」


「宅建へようこそ」


「帰る」


「もう働いてますよ」


 所長が新聞の向こうで笑っていました。


     ◇


 私はノートの一番下に、今日の事件を書きました。


 山岸さんは、


 一千六百万円を準備した。


 決済場所も用意した。


 高瀬さんに通知した。


 来てください、と催告した。


 でも高瀬さんは、


 受け取らないとあらかじめ言い、


 決済にも来なかった。


 だから、


 「実際に金が高瀬さんの手に渡らなかった」


 という結果だけを見て、


 「山岸さんが何もしなかった」


 とは言えない。


 法律は、結果だけではなく、


 そこまでに誰が何をしたのかを見る。


 私は最後に、大きく書きました。


  現実の提供が原則。


  口頭の提供は例外。


  提供すれば責任を免れる。


  でも、債務そのものは消えない。


 その下に、さらに一行。


  「受け取らない」は、

  相手を「払わなかった人」に変える魔法ではない。


「栞」


「はい?」


 真壁さんが紙袋を机に置きました。


「山岸さんの店で買ってきた」


「パンですか?」


「ああ」


 中を見ると、あんパンが二つ。


「……二つ?」


「俺とお前の分」


「所長は?」


「自分で買え」


「聞こえてるぞ」


 低い声が飛んできました。


 真壁さんの顔が固まりました。


「……三等分するか」


「あんパンを?」


「平等にな」


「ものすごく小さくなりますよ」


「契約より揉めるぞ」


「じゃあ私の分を所長に――」


「お前それでいいのか?」


 私は少し考えました。


「……嫌です」


「正直でよろしい」


 結局、所長には真壁さんのあんパンが半分提供されました。


 所長は黙って受け取りました。


 現実の提供、成立。


 たぶん。


 昭和六十三年。


 今日も私は、一つ法律を覚えました。


 弁済というのは、


 ただ「払ったか、払っていないか」だけの話ではない。


 払うべき人が、


 払えるように準備して、


 相手にきちんと差し出した。


 それでも相手が受け取らなかったなら、


 その不利益まで全部、


 払おうとした人に背負わせる必要はない。


 法律は、


 受け取る権利だけでなく、


 ちゃんと払おうとした人の立場も見ている。


 私はノートを閉じました。


 そして残った半分のあんパンを口に入れました。


 ちなみにこれは、


 誰にも提供しません。


 もう、


 弁済済みです。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

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