第四十一話 諦めの悪い男
クレアがローザに花を手向けてから数ヶ月ほど経ったある日、クレアはとある子爵家で行われる小規模な夜会への招待状を受け取った。
仕事上の付き合いはあるものの、まだそれほど親しくない方からの夜会への招待だった。
人脈を広げたいクレアにとっては良い機会だったけれど、その急な招待はクレアに警戒心を抱かせた。彼女を招待したとしても、相手方にとっての旨みがないのだ。
そしてクレアは、ある可能性に気がついた。だから彼女は、一つ仕掛けをしてみることにした。
クレアはその夜会の日はいつもよりも時間をかけてドレスを選んだ。そして、クレアが選んだドレスにナーラが驚く。
「奥様はもうこのような柄で傷跡を隠す必要はございませんのに」
「ええ。でも、ずっと眠らせておくのは勿体ないわ。とても綺麗な色。緑が芽吹き始めた今の季節によく合っていると思わない?」
「はい、確かに。形も流行に左右されないものですから、問題はないかと」
ナーラはとても楽しそうに、そのドレスを着せてくれ、丹念に化粧をしてくれた。
クレアはランネル男爵家の当主として、その子爵家の屋敷に到着した。
驚いたことに、子爵と子爵夫人が、新参者のクレアをわざわざ出迎えた。さも重要な客かのように。
クレアは流石にこれはやりすぎだと、心の中で笑ってしまった。
そして、会場を見回して、その人を見つけた。
彼の姿は一分の隙もない、気品溢れる貴族男性のそれだった。
彼の濃い色の衣装を彩るカフスボタンやチーフの色が、打ち合わせたかのようにクレアのドレスと同じ色だった。
彼は近づいて来て、礼儀正しく彼女に挨拶をすると、手の甲に口づけた。
◆
久しぶりにクレアを目にしたエリオットは、真っすぐに彼女の元に向かっていた。
この舞台を用意するために、彼は少々強引な手を使ったのだが、それは彼女にも分かっていたのだと気づいて喜びに浸る。
クレアが、かつて彼が彼女のために作らせたドレスを身に着けているのを目にしたからだ。
彼女がこの夜会に何を着てくるのかは、決まり次第彼に伝えられている。
彼女の屋敷の使用人であり、エリオットにも雇われ続けているベニルを通して報告を受けていたのだ。
ベニルはクレアがエリオットと離婚してから、彼の命令でクレアの屋敷で雇われた。
さらにはクレアの普段の様子を細かく知るために、クレアに絶大な信頼を寄せられているメイドに近づいたらしかったが、数ヶ月後にベニルからそのメイドと結婚することになったと言われた時には、エリオットもさすがに驚いた。
そこまでの献身は望んでいないと言うエリオットにベニルは「返り打ちにあいまして」と照れたように言ったので、彼は馬鹿らしくなってそれ以上追及するのはやめた。
彼が相応の働きをしてくれればそれでいい。
エリオットはしばらく前から、王弟の部下ではなくなっている。
将来的に、父であるカレドアル伯爵がかつて担っていた副宰相の地位くらいにはついておこうと、彼は以前いた部門へ戻っていた。彼にとっては本来いるべき場所に戻っただけのことだった。
もう特別な思いは持っていなかったけれども、クラウディア女王の功績をきちんと後世に伝えるべきだという思いはエリオットの中に残った。
そして、それを実現するためには、それ相応の地位が必要だったし、前世で愛した人の生まれ変わりを探す必要がなくなったエリオットにとっては、王弟の元にいる必要も無くなっていた。
王弟は彼を引き留めたりはしなかった。「せいぜい出世するんだな」と言って、彼を送り出した。
とはいえ王弟は、王宮内に個人の執務室を与えられたエリオットの元にやってきては、無駄話をしたり、シュリアー様から聞いたというクレアの情報を置いていく。
そしてエリオットは、彼の前世であるシェラードが女王と信じながら葬った、ローザの遺体の埋まっているはずの場所にクレアが赴いて花を供えたことを知った。
時が来たと思った。
エリオットは諦めが悪い。
彼はクレアと距離を取ることにも、離婚をすることにも同意をしたが、彼女を諦めるとは一度も言っていない。
エリオットが以前よりもさらに美しくなったクレアの手の甲に口づけると、彼女は困ったように微笑んだ。
クレアは特別派手な顔立ちをしているわけではない。美女とはあまり呼ばれないかもしれない。
しかし、彼女の優しくて賢くて芯の強い性格を映し出すその眼差しに見つめられると、誰しも彼女の虜になってしまうのではないかとエリオットは思う。
出会った頃にはまだか弱かったその輝きは、彼と別居をし、一人で暮らし出してから花開き、今では彼の目を眩ませる。
そして他の男たちも彼女に興味を持っているという情報が、クレアの側にいるベニルや、クレアの事業の代理人であるロンダンからも寄せられてきていた。
ロンダンは、彼の息子であり秘書でもあった、かつてクレアを口説いていた男にエリオットが良縁を紹介すると、ランネル男爵、つまりクレアの幸せに繋がるのならばとエリオットの協力要請を受け入れた。
もちろん、その見返りとして、ロンダン本人への便宜もはかっている。
クレアは、努めて平静を装っているエリオットに、少し楽しそうに言う。
「エリオット様。これはあなたの企みですのね。少々やり過ぎなのではないかと思いますけれど」
久しぶりに聞くクレアの声は、耳に心地良かった。
彼女は、エリオットが姿勢を正し、腕を差し出すと、いつかのようにそこに軽く手をかけた。
エリオットはクレアと共に会場の中を移動した。
この夜会にはカレドアル伯爵家と付き合いがある家が多く参加しているから、エリオットが元妻であるクレアと一緒にいることに驚いている顔も散見された。
しかし、そんなものは彼は気にならない。今はクレアのことしか見えなかった。
「何のことだろうか」
おそらくエリオットの仕掛けたことは全て彼女に気づかれているのだろうが、彼はとぼけてみた。
すると彼女はまた笑みを漏らした。そして、一瞬彼に視線を送ると、また前を向いて歩きながら言う。
「私と結婚をしたがっていた、代理人の秘書がいたのですけれど、急な婿入りが決まって仕事を辞めてしまいました」
「なるほど。仕事仲間が去るのは残念だろうが、めでたいことだから仕方がないな」
「私、何度も、いろいろな殿方からお芝居やお食事に誘っていただいたのですけれど、皆さん決まって体調を崩されたり、手違いで別の予定が入ってしまったりなさいます」
「それはそれは。紳士としてはいかがなものかと思うが、よほど致し方ない状況だったのだろうな」
そこで給仕からグラスを受け取ったエリオットが彼女の分を渡すと、クレアはそれを受け取りながら呆れたように言う。
「全てあなた様のなさったことと分かっております。今日も短時間で服装を調整するのは大変だったのでしょう?」
彼は何一つ否定せずに、真っ直ぐ彼女を見たまま言った。
「あなたにドレスを作った時に、それに合わせる自分の服や小物類も全て作らせていたから、手間ではなかった」
彼が事実としてそう言うと、クレアは口元に指を当てて笑った。その笑顔が眩しい。
彼は彼女にそういった顔をさせたことのなかった過去の自分を改めて恥じた。
そして、全てをやり直すように彼女に言った。
「改めて二人でお話をしたいのだが、お時間を頂戴しても?」
そう言って差し出した彼の手に、クレアはその手を重ねてくれたのだった。
◆
場所を移動した二人は、人気のないバルコニーにいた。
クレアは彼の行動に少し呆れたけれど、彼がしつこいのは知っている。
本当にいるかも分からない、前世で愛した人の生まれ変わりを探し続けたような人だから。
そして、クレアはナーラから、夫のベニルはエリオットが寄越した間者らしいと、彼女たちが結婚する前から聞いて知っていた。
ナーラはそれに気づいてからも、ベニルには何も知らない振りをしながら付き合っていた。そして、数ヶ月後に「以前から好意を持っていたので、落としてしまいました」と、クレアに結婚すると報告し、とても幸せそうに笑った。
結婚をした二人は、エリオットには内緒で結託し、それぞれに相手側の事情をクレアとエリオットに伝えることにしたらしい。
エリオットが今でも自分を気にかけていることに驚きはしたけれど、クレアは不思議と不快感は覚えなかった。
そして、彼がクレアと結婚する前に刹那的に付き合っていた女性たちも寄せ付けずにいるらしいとナーラから聞くと、自分が安堵していることに気づいた。
クレアの人脈は広がっていたから、離婚歴はあるけれど爵位持ちで事業にも成功しているクレアに交際を持ちかけてくる男性がちらほらと現れた。
クレアは食事や観劇くらいはと、その男性たちの誘いを受けていたのに、決まって彼らの都合が悪くなり、その約束は実現しない。
ナーラを通してベニルに探りを入れてもらうと、裏からエリオットの手が回っていることがすぐに分かった。
彼がまだ、彼女を他の男性に近づかせたくないと思ってくれていることを知ったクレアは、本当に自然と嬉しいと思った。
クレアはまだ、自分が彼のことをどう思っているのかはよく分からない。
誰かに自分自身を愛して欲しかったけれど、愛が本当はどんなものなのか、クレアは知らなかったからだ。
この日は、クレアが思っていたよりも夜の冷え込みが厳しかった。冷たい風に身を震わせたクレアの肩に、エリオットの上着が掛けられた。
そんなことをしてもらったことは、結婚生活を送っていた時にも無かった。クレアの胸はなぜか弾んだ。
「ありがとうございます」
「いや」
それだけ言葉を交わすと、クレアとしては言うことは無くなってしまった。彼女は手すりに片手を置いて、ぼんやりとした光に照らされた庭を見つめるエリオットの言葉を待った。
彼はおもむろに言った。
「あなたに一つ、発言を訂正して欲しいと思っていた」
クレアは当惑した。あの夜、彼女が全ての記憶を取り戻す前、クレアは感情を爆発させてしまい、彼には随分と酷い言葉を投げてしまった。そのうちのどれだろうかと考えを巡らせる。でも心当たりがありすぎて分からなかった。
「どの発言でしょうか」
「私は間違えていなかった。私は確かにあなたを探し出した」
彼が言ったのは、王宮の謁見室でクレアが自分の前世が使用人だと確信し、エリオットとの別離を決めた時の発言だったことに思い当たった。
あの頃は、クレア自身が自分の前世であるローザがクラウディア女王の代わりに死んだことを知らなかったわけだけれども、確かにあの発言は完全な間違いだった。
「訂正いたします。あなたは見つける相手を間違えてはおられなかったわ。でも、私には他にも謝らなければならないことがたくさん……」
クレアがそう言う途中でエリオットの手が伸びて来て、強引に引き寄せられて唇をふさがれた。そして、クレアが動けないまま彼の腕の中にいると、エリオットは真剣な顔で言った。
「私は今度こそ、クレア、あなた自身に結婚を申し込む」
そう言われたクレアはさほど驚いてはいなかった。
クレアは彼がまだ彼女に執着していることを知っていたから、もしかしたらいつかはそんなこともあるのかもしれないとは思っていた。
初めて会った日にも聞いたその言葉をクレアは懐かしく思い出しす。
あの時は本当に驚いてしまった。なぜ彼がそんなことを言い出したのか分からなくて、そして断れる立場でもなかったので黙っていることしか出来なかった。
でも、今はその頃とは全てが違う。クレアは意地悪く言った。
「随分と突然のお申し出ですのね。最近はお手紙すら交わしてはおりませんでしたのに」
「初めて結婚を申し込んだ時よりは、互いのことを良く知っている。判断材料はあるだろう」
彼は腕の中にクレアを閉じ込めたまま、また唇に口づけて、穏やかに笑いかけてくる。
「私はあなたとまた結婚すると決めていた。正式に離婚に向けて手続きをしている時から」
「なんでそこまで私にこだわられるのか……。他にもお相手はおられるでしょう? 私はもうこの年ですし。カレドアル伯爵家の方々が認めはしないのでは?」
「私が言い出したら聞かないのは知っているから、両親は何も言わないだろう。年齢に関しては私も同じだ。他に問題がないのなら、あなたは諦めてこの申し出を受け入れた方がいい」
クレアは相変わらずの彼の言いように少し笑ってしまった。彼は変わっていない。でもクレアは変わった。
「それは少し考えさせてくださる? あの時の私には選択権がありませんでしたけど、今は違うはずです」
「もちろん。では、当面は婚約者で我慢しよう」
「……以前から思っておりましたけれど、そういうところですわよ?」
「……何のことだろうか」
エリオットは不思議そうに首を傾げた。彼は本当に思い込んだらその通りにしようとする。おそらく意識せずにしているのだろう。
困った人だとは思うけれど、もうクレアはそれに振り回されるしかなかった存在ではない。
対等な相手として、彼に言った。
「婚約までにもお時間をいただけます?」
「……では、今は恋人ということか……」
クレアはそれも違うのではないかと思ったけれど、彼らしいのでまた笑ってしまった。
こういう強引な人だから、クレアはあの場所から抜け出せた。自分を卑下するしかなかった場所から。それも事実だった。彼とあの時結婚していなかったら、今のクレアはいない。
でもクレアは本当に自分が彼のことを愛しているのか分からなかった。彼と暮らしていた頃の思い出も、その腕の温かさへの愛着もあると思う。でも彼はクレアがそんな気持ちでもいいのかは分からなかった。
クレアは彼の胸を押して、その腕の中から逃れて言った。
「私は人を愛するということを知りません」
「かまわない。私が知っているから」
平然と放たれたその言葉に、思わずクレアは両手を伸ばして彼の頬に触れた。
エリオットはクレアをまた引き寄せながら、ふわりと優しく笑う。その表情に胸の奥が掴まれでもしたように感じたクレアは、彼に聞いた。
「エリオット様、なぜそんなふうに笑うのですか」
彼は一度瞬きをすると、「あなたがそんなふうに笑っているから」と言って、クレアの唇を啄んだ。
クレアは自分もこんな表情で彼に笑いかけていたのかと、驚きと共に嬉しさが込み上げてきて、彼の首に腕を回して、その口づけを深く受け止めたのだった。
次回で最終話となります。




