第三十九話 シュリアー様の告白とルギアからの誘い
その日、カレドアル伯爵家の別邸からの引っ越しの準備をしていたクレアの元に、前触れもなくシュリアー様が幻術で姿を変えて訪ねて来た。
横にルギアがいなければ、その正体にクレアは気づけなかっただろう。
そのルギアも、もうここには住んでいない。
クレアにかかっていたと思われる魔法が全て無くなったのなら、カレドアル伯爵家としても、王弟妃の弟という立場にあるルギア様をいつまでもお預かりしておくことは出来ないとエリオットが申し入れたらしい。
だから、クレアがルギアに会ったのは、クレアが前世のことを全て思い出した翌日以来だった。ルギアはこの屋敷に置いていた荷物をまとめるためにその日別邸にきていたのだ。
クレアが彼に礼を言って見送った時も、ルギアは「また来るよ」と気軽な様子で去って行ったものだった。
クレアはそんなルギアと、姿を変えているシュリアー様をサロンに通した。まさか王弟殿下のお妃様がここに居ると知られるわけにはいかないから、クレアはすぐに人払いをする。
一緒にここに残るものと思っていたルギアもメイドと一緒に部屋を出ていくのを見ながら、クレアの内心は穏やかではなかった。
シュリアー様は本来王宮の外に、王弟殿下や護衛も連れずに出かけて良い身分の方ではない。
変身は解いていなかったけれど、シュリアー様の表情は焦っているように見えた。その状況が余計にクレアを不安にさせた。
「何事でございましょう。シュ……。何とお呼びしたらいいか……」
「何と呼んでもいいわ。ルギアがこの部屋に防音の術をかけたから」
「いつの間に……。ですが、それはとても危険な行為でございます。私がもしあなた様に何かしても、ルギア様は助けに来られません」
クレアがそう言ったところで、シュリアー様はとても楽しげな声を上げた。
「クレア、あなたには人を害することなんて出来ないのではなくて? あなたはとても優しくて誠実だから」
「いいえ。私はそのような立派な人間ではございません」
クレアはエリオットに酷い事を言ってしまった。そのことはいつまでも彼女の心を重くさせる。
クレアは、ただの弱い人間だ。自分勝手に人を傷つけてしまう人間だ。
そう物思いに沈みかけたクレアは、シュリアー様の用件を聞いていないことに気づいた。
クレアが顔を上げると、シュリアー様は何かを長い上着の中から取り出しているところだった。出てきたそれは宝石を保管するための箱のように見えた。小箱とは言えない大きさのものだった。
そして、シュリアー様はためらう様子もなくそれを開いた。
「これを見かけた記憶がおありかしら。もちろん、前世で」
開かれた箱の中にあったのは、赤い大ぶりな宝石が目を引くネックレスだった。
クレアは、いや、彼女の前世の姿であるローザはそれを何度も身近で見ていた。
「それは……クラウディア女王陛下の……」
それはローザの主人がいつも身に着けていた物だった。クラウディア女王が持って逃げたはずのものだった。それは彼女の母上の形見だったから。
「そう。その方のものよ。その方が王宮を脱出する時に持ち出したのですって。お母様の形見だったそうだから」
クレアの胸は早鐘を打っているようだった。
ローザは主人のその後を知る間もなく死んだ。彼女を置き去りにしたクラウディア女王がその後どうなったのかは、クレアが前世の記憶を取り戻した後も頭の片隅にも浮かばなかった。
その人がどこでどんな生涯を終えたとしても、ローザにもクレアにも、もはや関係のないことだったからだ。
しかし、クラウディア女王が手放すとは思えないネックレスがこの国にあるとなれば話は変わってくる。
クラウディア女王は逃げきれなかったのだろうか。でも、だとしたら、それは歴史に残っていそうなものだと思う。
「……それをなぜシュリアー様がお持ちなのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
シュリアー様はそのネックレスを感情の読み取れない顔で見下ろしながら言った。
「その方はこのバイダル王国を脱出して、私の母国のアンダートに辿り着いたの。そして、彼女が一緒に連れて来た魔術師たちによって、アンダートには多くの魔術がもたらされたわ。アンダートが魔術大国となったのはそのためね。そして、とても豊かになって、でもそれによって歪みも生まれたのだけど、その話は今は関係ないわね」
「……一緒に居たという魔術師の中に、ライダス様はおられましたか」
クレアの口をついて出た名は、クラウディア女王の秘密の恋人の名だった。そして、ローザに、彼女が死んでも解けないほど強力な変身術をかけた人でもある。
「もちろん。それで、その二人の間に生まれたのが、私の祖母にあたる方なの」
「……シュリアー様は、クラウディア女王の血を引いておいでなのですか……?」
「ええ。黙っていてごめんなさい」
クレアは、そんな可能性を一度も考えたことがなかった。しかし、それは確かにあり得ないことではないと思った。
どんなに遠くの国にでも、魔術師たちの力をもってすれば辿り着くことはそう難しいことではないはずだし、その中でも最も強い力を持っていたライダスは、女王のためならば、本当に何でもしたはずだ。
シュリアー様は、納得して頷いたクレアに、困ったように眉を寄せた微笑を向ける。
「その時には彼女はもう地位は捨てていたわけだけれど。アンダートでは国王の賓客として爵位まで与えられたわ。
そして彼女の娘が、つまり私の祖母が、政治的な理由からアンダートの王族に嫁いで、後に私の父や、現在のアンダートの国王を産んだの。
このネックレスは祖母が母親から受け継いだものだと言っていたわ。
私はその縁で亡命先にこの国を選んだの。このネックレスを持っていれば血筋を証明出来て、私たちを受け入れてもらえるのではないかと思って。
でも来てみたら、私の曽祖母であるクラウディアは忌み嫌われる存在になっていたの。国を追われたのだから当然なのに、子供だった私にはそんなことは考えもつかなかったわ。
私とルギアが彼女の血を引いている事は王弟殿下と私とルギアしか知らないの。少なくてもこの国の中では。
初めてこの事実を打ち明けたのが殿下でよかった。その事実は絶対に黙っているべきだと教えてくれたから」
クレアは以前から少しだけ心の端に引っかかっていたことを彼女に聞いた。
クレアはエリオットが前世だなんだと話し始めた時には彼の正気を疑った。しかし、王弟殿下はそれを知っていながら、エリオットの話をよく受け入れたものだと以前から思っていたのだ。
「王弟殿下はそのことをご存知で、エリオット様が前世の話をした時に興味をお持ちになったのですか」
「そうらしいわね。いくら仕事が出来ても、妄執に取り憑かれている人間は厄介でしょうし。通常ならばそんな厄介な人間を部下にしようとは思わないわよね。
でも、エリオット卿は私たちがした質問に難なく答えたわ。特別歴史書に名が残っているわけではない人物の名まで。それの裏が取れてしまうとね。彼が知っていると言ったことは、本当に前世の記憶でも持ってないと知るわけがないという事柄ばかりだったらしいから」
シュリアー様は、クレアの両手を、それぞれ取ると軽く持ち上げた。変身したままのいつもとは違う姿ながら、そのしぐさは彼女のものだった。そして彼女はクレアに静かな声音で言った。
「クラウディア女王は多くの人を犠牲にして自分たちだけが逃げたことを生涯忘れなかったそうよ。クレア、あなたもその犠牲者のうちの一人だったのでしょう。
あなたが何かの責任を感じる必要はないの。あなたもエリオット卿も、一緒に過去のことも未来のことも考えていくことが出来るのではないかしら。あなたたちは犠牲者なのですもの。他人を犠牲にして自分たちの身の安全を図った人たちの……。もうあなたたちが何かを犠牲にすることはないわ」
クレアは、シュリアー様がクレアとエリオットが下した決断を知って、それを止めるためにやって来たのだと理解した。エリオットが離婚に必要な手続きを始めてくれたのだろう。
クレアは彼女の手を握り返しながら、静かに横に首を振った。
「私はずっと、自分は被害者だと思い込んでいました。でも、全ての元凶は自分でした。
もちろんそれは前世の自分がした事ですけれど、私には彼女の気持ちが分かります。憎しみに囚われて、関係のない人を巻き込んで、自分の欲望を満たして、そして死んでいった人間の気持ちが。それは確かに自分の中にも存在するものだからです。
エリオット様のお心は分かりませんけれど、なんにせよ、このまま暮らし続ける自分自身が、私は許せないのです」
「……あなたは真面目過ぎるわ。そんなもの、誰にでもあるものよ。そしてそれを隠しながら生きているだけ」
とても何かを身の内に隠しながら生きているようには見えないシュリアー様の言葉に、クレアは少し戸惑った。
ひどく辛い逆境を乗り越えて、この国に辿り着き、経緯は知らないけれど王弟殿下と結ばれて、お子様にも恵まれて、とても幸せに暮らしているように見えるのに。
クレアがそう言うと、彼女は苦笑しながらクレアの手を優しく放した。
窓の外を見ながら、彼女は自嘲するように言った。
「私はエリオット卿から、彼が前世でクラウディア女王を殺したと聞いて、アンダートの現在の国王を追い落とせるかもしれないと思っていたの」
驚きに息をのむクレアに彼女はちらりとだけ視線を寄こすと、悲しそうに微笑んでまた窓の方に顔を向けた。
「私たちの父は、現在の国王の腹違いの弟にあたる人だったの。そして、その二人には、クラウディア女王として迎え入れられた人物の血が受け継がれているわ。
でもそれが、クラウディア女王が偽物だったとしたら、その王権は揺らいでしまうの。アンダートでは、他国の王族か自国の貴族以外の者の血を、けして王家の中に入れないという不文律があるから。
だから、本当にエリオット卿の前世の記憶が確かで、本物のクラウディア女王がバイダル王国の王宮で死んだのなら、アンダートを内側から揺るがせるかもしれないと思ったわ。
クラウディア女王の血筋が混ざっていない、王家の血を引く者達は大勢いるのだけれど、その人たちがそれを知れば黙っているわけはないから。
結局、ここで死んだのは別人である、あなたの前世の、ローザという方だったようだから、アンダートの国王を失脚させるのには、別の方法を考えなくてはいけないわけだけれど。まあ、それは仕方ないわね」
クレアが何も言葉を返せずにいると、彼女はあの朗らかな笑顔で言った。
「ねえ、クレア。私はずっと、父と母を殺した国王に復讐してやりたいと思ってきたのよ。
ルギアは復讐心に取り憑かれたりはしない人だから、そんなことは思っていないのでしょうけれど。
私はあの時の怒りを全て覚えているわ。忘れるなんて出来るわけがない。絶対に赦しはしないわ」
シュリアー様は淡々とそう語ると、「人間の中身なんてこんなもの」と言って肩をすくめてまた微笑んだ。
「私もあなたを利用していたのよ、クレア。エリオット卿があなたがクラウディア女王の生まれ変わりだと言ったと聞いた時、鍵を握っているのはあなただと思ったから。
でも謝りはしないわ。それが人間というものだもの。あなたは汚い自分を許せないのかしら? それはとてもあなたらしいのでしょうね。優しいもの。
でも私はそんな人間ではないから、汚い所も含めて、それが自分自身だと開き直ることにしたの。そうでなければ生きている意味が見いだせなかったから」
クレアは、シュリアー様が語ることに圧倒されてしまって、何も言えなかった。
あの無邪気さのある笑顔も、そうして生きてきた彼女が浮かべているのなら、それはとても辛い笑顔だとクレアは思った。
クレアは自分にはそんな生き方は出来ないだろうと思う。でも彼女の人生も否定する気はなかった。
それは優しさからではなくて、そんな彼女がとても魅力的に見えたから。
彼女はとても強くて、憎しみを身の内に飼いながらも、穏やかに暮らしている。どうやったらそんなことが出来るのか、クレアには想像もつかなかった。
「驚かせてしまったわね」と微笑むシュリアー様に、クレアは少しの覚悟をもって答えた。
「私にはとても真似の出来ないことでございます。あなた様は、だから私にも、どのような感情も飲み込んで、エリオット様と生きていけばいいとおっしゃってくださったのでしょう。
ですが、私はまだ自分を許すことが出来ませんし、そのような気持ちのままあの方と共にいることは出来ません」
シュリアー様は、「あなたは儚げに見えるのに、本当に頑固で仕方のない人だわ。でも私はそんなあなたが好きなの」と言って微笑んだ。
◆
「無事に送り届けて来たよ」
「ありがとうございます。……ルギア様もご存じなのですよね」
「ああ。クラウディア女王のこと? それは幼い頃から聞かされて育ったからね」
クレアは人払いをしてしまっていたため、自分で入れたお茶を彼の前に静かに置いた。彼はそれで喉を潤すと、クレアを見た。
「姉上はなんて? どうせ、その件を打ち明けて、離婚を思いとどまれと言ったんだろうけどね」
クレアは、いくら姉弟とはいえ、心の内までを知る必要はないだろうと、「ええ、まあ」と答えるにとどめた。
クレアは急に立ち上がったルギアを不思議な思いで見つめた。彼はクレアの横に立つと、手を差し出しながら言った。
「私と一緒に来たら? しばらくはまた王国内を回るつもりだから。気分転換にもなるだろうし、綺麗な景色を見て回るというのはどう? それか、君は竪琴をもって、吟遊詩人の真似事をしてみてもいいかもしれない」
それは、少し前までの、自分自身の弱さや身勝手さに気づいていなかった頃のクレアにとっては、とてつもなく魅力的な誘いだっただろうと彼女は思った。
クレアは、温かいであろうルギアの手は取らずに、静かに立ち上がった。
「お誘いいただきありがとうございます。でも今は、私は誰にも頼らないで、自分の足で歩いてみたいのです」
クレアはエリオットが確かに彼女自身を愛してくれたのだという、その一つの事実だけを胸に、この先も生きていける気がしていた。
今クレアに必要なのはそのことだけだった。
慰めてくれる相手も、逃げ道もいらない。
ルギアはそのクレアの答えに、差し出していた手を引くと、初めて会った時のような笑顔を見せた。「じゃあ、またいつかね。あ、見送りはいらないから」と言うと、彼は静かにサロンを出て行った。
きっとクレアのためを考えて、旅に誘ってくれた、そして、彼女にかかっていた魔術を解くために尽力してくれた彼の後姿を、クレアはただ大きな感謝の気持ちを持って見送った。
つづく……




