第三十八話 運命で繋がれたはずだった二人
クレアはエリオットに手を取られたけれど、彼の顔を見ることは出来なかった。ただひたすら彼に詫びたかった。
エリオットが言っていた通り、前世の彼女を殺したのは彼だった。けれどそれは彼の責任ではない。
シェラードの女王への気持ちを知りながら、ローザは彼を騙して、利用していたのだ。自分の悲しみや寂しさや憎しみを紛らわすために。
先ほどまでいた三人の前では言わなかったけれど、ローザは死ぬ間際に愛する人の声を聞いた気がした。
クレアがぽつりとそうエリオットに話すと、「それは間違いではない」と彼は言った。シェラードはローザを殺した時に彼女に「来世での約束を忘れるな」と囁きかけたのだという。
何を言ったのかは死にゆくローザには聞き取れなかったけれど、シェラードの声を聞けたことはローザにとって幸福なことだった。
ローザは結局は誰かには殺されていたはずで、より酷い最後を覚悟してもいたのだから。
「あなたを殺した私を憎むか」
エリオットはそう言ったけれど、ローザの記憶を全てを思い出しても、クレアにはエリオットを憎むような気持ちは一つも湧き上がらなかった。小さく「いいえ」と答える。
それよりも何よりも、彼女はエリオットに向ける顔がなかった。
エリオットは確かにクレア自身を愛してくれたのだと思う。少なくても彼女はそう思えた。
だからこそ、百年ほど前、契約魔法を結んだ時のローザの願いが成就して、クレアの傷跡が消え、猫のメアと同化することで前世の記憶も戻ったのだろう。
詳しくは魔術師であるルギアさえも分からないと言っていたけれど、だいたいそんなところなのだろうと思う。
ローザがいくら追い詰められていたとはいえ、よくこんな契約魔法を作ってくれたものだとクレアは内心苦笑するしかない。でも非難することは出来なかった。ローザの悲痛なまでの不安や未来への渇望をクレアは知っている。
でも、エリオットは違う。ただ巻き込まれただけの彼の気持ちはどう変わっただろうか。クレアはそれを聞きたかったけれど、それを聞くのが怖かった。
だから、なにも今聞かなくてもいいことを、本音を隠すために彼に聞いた。
死後、ローザの、クラウディア女王と思われていた体はどうなったのかを。
クレアの持つローザの記憶には彼女の死後についての記憶は当然ながらない。
「エリオット様、ご存じであればお教えいただきたいのですが」
「何についてだろうか」
「私は……ローザはその後どうなったのでしょうか。歴史書ではその後、クラウディア女王の遺体がどうなったのかの記述を見かけた覚えはありません」
エリオットは明らかにたじろいだ。そして、「あなたが知る必要はないと思う」と言った。
そんな反応をされてしまえば、クレアとしては聞かないわけにはいかなくなってしまう。クレアが彼を見つめていると、エリオットは目を伏せながら観念したように話し出した。
「大勢の魔術師の遺体と共に、城内に吊るされた。首に縄をかけられて。
どちらの勢力にもつかなかった者たちを牽制する目的があったのだと思う。キーランは自分が少しでも早く権力を掌握することを目指して行動していたから」
「では、そのまま朽ちたのでしょうか」
「……そうだ。そして、完全に誰か判別できなくなる前に、シェラードがあの方の、ローザの遺体を回収し、城内のとある場所に埋めた」
クレアはまた彼に対する申し訳なさで胸がいっぱいになる。
その行動は、場合によってはシェラードを破滅に導いていたかもしれない。でもそうしてまで、女王として死んだローザを埋葬してくれた。
エリオットによれば、その場所は、シェラードと女王の姿だったローザが逢瀬を交わしていた場所の近くにあった、大昔の国王の像の、城側から見て反対側の台座の足元だという。
そして、その像は今でも同じ場所にあり、動かされた形跡はないから、おそらくローザはまだそこにいるはずだと彼は言った。
クレアはそこで思いついて聞いた。シェラードはその後どうなったのか、と。
「キーランが国王として即位した後も、地方反乱が続いた。これは王家が公表している歴史書には書かれていないことだ。しかし、地方貴族が書き残した日記や、取り潰された貴族の家系に関する記録から推測するに、それは五年は続いたはずだ。
その最中、キーラン国王の即位から二年ほど後に、シェラードは反乱の鎮圧に赴いた先で死んだ。私が持っている記憶はそこで途絶えているから、おそらく」
クレアは「そうでしたか」としか答えられなかった。
シェラードも悲劇的な死を迎えていたからこそ、エリオットは前世の記憶を思い出した時に、迷わずクラウディア女王の生まれ変わりを探すことにしたのかも知れないとクレアは思った。
もしシェラードが後に別に愛する人を見つけて幸せを感じながら亡くなったのだとしたら、彼の気持ちもまた違ったものになっただろうと思うから。
結局、彼らはローザの身勝手な憎しみや寂しさを押し付けられただけだった。被害者だったのは騎士シェラードであり、エリオットである。
ローザがシェラードを巻き込まなければ、シェラードは生まれ変わることはなく、エリオットは彼とは全くの別人として生を受け、彼自身の人生を歩めたはずだ。
エリオットの人生を歪めたのはローザであり、そして自分も同罪だとクレアは思った。
それなのに、彼女はエリオットを責めてしまった。知らなかったとはいえ、彼に言うべきではない、心の内に抑え込んでいた感情をぶつけてしまった。
そんなことをする人間は、きっと彼に愛される資格はないし、その妻であるべきではない。
そして何よりも、彼に憎まれてしまったのではないかと思うと怖くて仕方がなかった。
だから、クレアは、少しでも早い彼との別離を望んだ。
「エリオット様。どうか、私を忘れてください。私はあなたが出会うべきではない人間でした。前世でも、今世でも」
◆
エリオットは彼女の語った内容に驚いていていた。想像もしていなかったことだったからだ。
王弟らが去った後も彼はクレアを見つめ続けながら、いくつもの前世の記憶をたどっていた。
エリオットの前世の姿であるシェラードが殺したのは、クラウディア女王ではなかったが、彼が実際に愛し合った女性ではあった。
そして、それこそがクレアの前世であるローザだった。姿を変えられていたのだとしても、その事実は変わらないとエリオットは思う。
確かにシェラードはクラウディア女王がキーランと対峙していた時に訝しく思っていた。
なぜ、あの魔術師ライダスが、女王に愛を囁かれていた男が、彼女の側にいないのかと。もしあの男がいれば、シェラードを容易には女王に近づけなかっただろう。
その時、彼は思ったのだった。あの男は女王を愛していなかったから、彼女を置いて逃げ出したのだと。彼女は馬鹿な選択をしたのだと。シェラードだけを愛していれば、女王は逃げ延びられたのに、と。
しかし、事実は違った。女王は愛する魔術師と共に逃げ出し、身代わりに自分の姿に変身させたローザを、それが女王本人だと信じていた近衛騎士らと共に置き去りにした。
シェラードが愛したのは、逢瀬を繰り返した女性であり、それはローザだった。
エリオットは間違えていなかったのだ。彼は確かに愛する人を見つけ出していた。
エリオットがその喜びに震えそうになりながら、クレアを抱きしめようとした、まさにその時だった。
彼女は伏せていた目を彼に向けた。その目は悲しみに沈んでいるように見えた。
「エリオット様。どうか、私を忘れてください。私はあなたが出会うべきではない人間でした。前世でも、今世でも」
エリオットはそれを心の中で否定した。彼は何も後悔をしたことはなかった。
それでクレアに出会えたのだから。
しかし、クレアは彼に何度も謝った。
彼女はおそらく罪悪感からエリオットと距離を取ろうとしているのだろうと彼は思った。
エリオットはクレアを見つけ、その傷跡から、彼女こそが前世で愛し、そして自ら手にかけた相手であると知っていても彼女を手に入れた。
あの時の彼は、例えクレアに前世の出来事で憎まれてもかまわないと思っていた。腕の中に囲い込んでしまえばいいと思っていた。
そして、それすら拒否されたとしても彼女から得たい情報を得られればいいと思っていた。他の男のものにさえならなければ。
彼女の気持ちを考えたことなどなかった。
でも、優しいクレアにはそんな考え方は出来ないのだろう。彼女はエリオットとは違う。
自分の損得で他人の人生を変えたローザをきっと許せないのだ。
彼女がエリオットに憎しみをぶつけるようにかけた言葉には、エリオットがクレアの人生を変えてしまったと罵る言葉があった。
エリオットにはローザのしたことを非難するつもりはない。
そしてクレアに対する彼の気持ちはさらに深まった。クレアは彼に本音をぶつけた。それはある意味、心を開いてくれたということだ。
エリオットはそんな彼女を抱きしめて抱きつぶして、彼しか見えなくしたいという、獣のように獰猛な衝動に襲われた。
彼はその衝動に飲み込まれないように、必死に耐えた。これ以上、彼女の意思を否定するような真似はするつもりはなかった。
そして、彼女には時間が必要なのだと思った。
エリオットには前世の記憶を取り戻してから、彼女を見つけ出すまでに何年もの時間があった。自分の決意を固めるだけの時間が。
でもまだ彼女はそれを思い出したばかりだ。
彼は冷静を装って言った。
「一部でではあるが、私たちが別居しているという噂も出回り始めているらしい。あなたが望むならば、きちんと離婚して、それぞれの道を進んでみるべきだと思う。私たちには、自分の人生を見つめ直す時間が必要だろう」
「今離婚するとカレドアル伯爵家にご迷惑がかかるかもしれませんが……」
「構わない。その程度で揺らぐものはその程度のものだろうから。あなたが気にすることではない」
クレアは、微笑んではくれなかったけれども、ほっとした表情で頷いた。
エリオットは、独り立ちをする準備は整っていると言うクレアと細かい取り決めを交わし、離婚を決めた。
彼はクレアが実家に戻る必要が無いように、彼がクレアとの結婚時に親から贈られ、そのまま預かっている、血筋が途絶えた遠戚のランネル男爵家の爵位を彼女に譲ることにした。
それは彼自身が父の後を継ぐまでの間に名乗ればいいと言われていたものだったが、彼はその必要を感じなかったため、そのままになっていた。
それを告げるとクレアは「そこまでしていただくわけには」と言ったが、彼が、「では、住まいは違っても実家に戻ることになってしまうがいいのか」と聞くと、彼女は深々と頭を下げてそれを受け入れた。
カレドアル伯爵家の当主であるエリオットの父親や親戚への説明も彼が全て引き受けた。
クレアの人生を変えてしまったのは、確かにエリオットであることに間違いはなかったからだ。
もしエリオットが彼女を見つけなければ、彼女は傷跡を抱えながらも、今そうしているように、賢く世間を渡り、きっと成功をその手に掴んでいたのだろう。
「あなたは立派に男爵家の当主としてやっていけるだろう。どうか、健やかに」
「ありがとうございます。エリオット様は、あまりお仕事ばかりなさらない方がよろしいと思います」
クレアはそう言うと、一緒に暮らしていた間、帰宅した彼を出迎えてくれた時のように微笑んでくれた。
彼が「気をつけることにしよう」と言うと、彼女は「お元気で」と言って手を差し出してきた。
クレアの方からそうして来るのは、恐らく初めてのことだった。
彼は固くその手を握ったけれど、引き寄せて口づけたりはしなかった。今はクレアは彼のものではない、と自分に言い聞かせて耐えた。
そうして、クレアとエリオットはそれぞれの人生を歩み出した。
つづく……




