第三十三話 未練と憎しみ
エリオットは、上司である王弟からクレアの魔法契約が解除されたことを聞かされた。
応接室に呼び出されたので何事かと思ったが、昨日ルギアがクレアを王弟の屋敷に連れて来たのだと聞いて、エリオットは言いようのない不快感に襲われた。
「なぜ私に黙って……」
「聞いていなかったのだな、やはり」
エリオットはそれ以上何も言えなかった。
クレアはエリオットのことなど忘れることにしたのだろう。それが正解だと彼も思う。彼女からしたら、別れるはずの夫と、いちいち自分から接点を持つ必要はないだろう。
相手に未練なんてものを感じていないのならば。
「では、クレアの傷跡も消えたのですね」
エリオットはあの傷跡だけが、クレアと自分を繋ぐよすがの様に感じていた。それを見る度に、彼女はクラウディア女王の生まれ変わりで、やはりエリオットが愛すべき相手なのだと信じられた。たとえ彼女がそれを否定しようとも。
しかし、それが無くなったということは、いよいよエリオットは彼女との繋がりを失ったということになる。
ところが、王弟はそれは消えなかったようだと言った。
「ルギアも随分と考え込んでいた。思っていたような契約魔法ではなかったらしい」
「は……? ですが、殿下は先ほど彼女にかけられていた契約魔法は解除されたと」
「解除は確かにされたらしい。だからルギアも困惑していた」
エリオットも混乱していた。
クレアの傷跡は消えていない。それなのに、契約は解除されていると言うのだから意味が分からない。
それとも、クレアの傷跡は、彼女がこの世で本当に誰かに傷つけられた跡だったのだろうか。
しかし、エリオットが調べさせた限りでは、彼女の負った傷は、突然現れたのだと彼女の生家では信じられているようだった。
そして、ルギアもそれは何らかの魔術がらみであると認めていた。
「記憶は……? クレアは前世の記憶を思い出さなかったのですか」
「ああ。何も。少なくとも本人はそう言っていた」
エリオットは訳が分からなかった。しかし、それは彼にとっては悪い状況ではなかった。
もしかしたら、まだ彼とクレアは何らかの形で繋がっているのかもしれないと思った。
彼は王弟に礼を言うと、その部屋を後にした。
◆
クレアはその日、日差し降り注ぐサロンにこの上なく眩しい客人を迎えていた。義妹のラティスが訪ねてくれたのだ。
先日の実の妹とは違う、ラティスの明るい笑顔や雰囲気は、クレアの心に溜まった澱みにまで光を当てて浄化してくれるようだった。
彼女はこのシーズンに社交界デビューをした。
以前何度かエリオットと共に彼女の付き添い役を務めて一緒に夜会に出席したことを、そう前のことではないのに、なぜかとても懐かしいことの様にクレアは思い出す。
ラティスはもともと知り合いも多く、その可愛らしさと優しく明るい性格で、紳士方の関心を集めているように見えた。
そして、すでにいくつかの縁談が舞い込んでいるらしいと、彼女はどこか人ごとのように言う。
「まあ。もう縁談が?」
「はい。でもお父様のお眼鏡にかなう方はいないようですし、私も特に良い印象を持った殿方はいませんでしたので。運命の相手に出会うのって、本当に難しいようですわね」
ラティスの少女らしい夢見がちな願いを笑う気はクレアにはない。
彼女自身は運命の相手といったものを信じたことはなかったけれど、本当に好意を持ち合える殿方と出会い、結ばれることが出来たなら、そんなに素敵なことはないだろうとは思う。
クレアとエリオットの出会いは事故のようなものだったのだと彼女は思っていた。もし彼女があの夜会に参加していなかったら、もっと気を付けて傷跡を隠していたら、クレアはいくつもの感情を知らずにいられた。
彼の腕の中の心地よさも、それを失った虚しさも、クレアは知らないまま人生を歩んで行けたはずだ。
クレアは内心を隠して微笑を浮かべ、目の前でくるくると愛らしく表情を変えるラティスの、クレアは参加しなかった夜会についての面白おかしい話を聞き、時に笑った。
上手く笑えているはずだった。でも、ラティスは何かを感じ取ったらしく、少しずつ表情を曇らせていく。
そして、ラティスはおもむろにエリオットの話題を出した。
「お兄様はそんなにクレアお姉様を傷つけるようなことをしたのですね」
クレアはラティスに真実を伝えられないのが辛かった。
彼女は二人が普通の夫婦だと思っている。理由は知らないにしても、エリオットがそれを強引に進めた事くらいは知っているはずだ。
でも真実は違う。
エリオットはクレアの後ろに別の人を見ていた。でも彼が信じていたことは脆くも崩れ去った。クレアとエリオットには何の繋がりもなかった。
そして何よりも、今ではクレアは夫である男に憎しみに似た感情を覚えている。
そうだ。エリオットはクレアに酷いことをした。
愛情らしきものを与えておきながら、間違えだったと知ると彼女を引き留めもしなかった。本当ならば、彼にこの怒りの全てをぶちまけてしまいたかった。
でも、それがいったい何になるのだろうか。
クレアは、ラティスとエリオットの兄妹の間に遺恨を残して欲しくなかった。ラティスのために。
だからクレアは精一杯の微笑を浮かべた。心の中にあるものを、体の奥深くに押し込めておくのは得意だ。
「これは誰が悪いという問題ではないと思うの。ただ上手くいかなかっただけ。そういう巡り会わせもあるのだと私も最近知ったところだけれど。どうかエリオット様を責めないで」
ラティスは心の底から納得したようには見えなかったけれど、静かに頷いて、「私はいつでもクレアお姉様の味方ですから」と言ってくれた。クレアはその言葉に救われたような気がして、彼女に感謝の気持ちを伝えると、この別邸から彼女を送り出したのだった。
つづく……




