第二十九話 騎士が女王を殺すまで
[補足]途中でエリオットの前世での出来事の回想シーンが入りますが、第十六話での回想シーンの続きとなります。
その後の事は、第七話でエリオットの口から語られております。
エリオットはその日も王宮にいた。王弟の執務室や、各部門の間を行き来し、可能な限り資料室に籠る。
王弟の執務室にある自分の席を空けがちなのは、周囲、特に上司である王弟の視線がうるさいからだ。
何度となく「変わりはないか」と聞かれ、「ありません」と答えるのにはうんざりしていた。本当に自分は変わっていないのだから、放っておいて欲しいと心の底から思う。
現在別邸で暮らすクレアの元にはルギアが滞在しているが、今のところルギアとクレアは適度な距離をとって生活をしていると報告を受けていた。
本当はルギアの滞在に許可を出したくはなかった。王弟の命令だから断れなかっただけだった。
実のところ、何度か別邸に様子を見に行こうかと思い、そして直前で気が変わり、馬車を本邸へ向かわせたことが何度かあった。
御者にしてみればいい迷惑だっただろう。エリオットのそんな情けない状況は、彼を昔から知る使用人たちの間で共有されているに決まっている。
しかし、以前彼女が他の男から口説かれているのを聞いて、どうしようもなく腹が立ってしまった事がある。
クレアがろくに抵抗しないのをいいことに、彼が彼女を思うままに犯したのは、冷静になってみると人として、けしてしてはいけないことだった。それ以来、余計にクレアには近づけなくなった。
本当に自分は何がしたいのだろうかと、エリオットは移動中の外回廊から庭園を見渡した。自在に前世の記憶を呼び出せる彼は、そこがこの百年の間にどれだけ変わったのか瞬時に把握できる。
彼は特に考えがあったわけではなく、庭園へ足を踏み入れた。
エリオットは愛を乞う方法を知らない。
恋を知る前に前世を思い出してしまったから、愛する相手は一人だと思っていた。クラウディア女王の生まれ変わりを探すことしか考えていなかった。
性欲の処理のために後腐れのない相手と寝たことはあっても、クレアと結婚するまでは、相手のことを心から欲しいと思うことはなかった。
エリオットは恋愛などというものとは無縁だったから両親と共に演劇などを見に行っても、愛だ何だと言いながら涙を流す役者たちを冷めた目で見ていた。
エリオットが知っているのは、前世の自分が感じていた、愛する相手に裏切られた時の憎しみの感情と、前世の記憶を思い出した時の、彼女を探さなければならないという焦燥感と、クレアと初めて会った時の、彼女を他人には渡したくないという独占欲と、つい先日クレアが他の男に口説かれていた時に感じた自分自身の奥底から沸き上がった怒りのような感情だけだった。
クレアとこのまま終わるのは耐え難かった。だが、ではどうすればいいのか、彼には本当に見当がつかなかった。
ルギアが契約魔法について解明し、やはりクレアが前世の彼が愛したクラウディア女王の生まれ変わりだったと分かればいいのに、と思うばかりだった。
その様にとりとめのない事を考えていた彼は、いつの間にか庭園を抜けて別の棟の近くまで来ていた。そこは王族の暮らす場所にほど近かった。
その辺りも百年前とは大きく変わっている。改装がされたり、建て増しがされたりしている場所もある。
出仕したばかりの、前世の記憶を思い出したばかりだったエリオットは、ここだけに限らず、王宮内ではよく道に迷ったものだった。
前世の記憶が予期せぬ時に溢れ出してしまい、前世の記憶にある王宮と、現実に目の前にある王宮の構造の違いに混乱したのだ。
それにもいつの間にか慣れて、今ではその二つを分けて考えることが出来る。
彼がこの場所に来るのは久しぶりだった。出仕し始めた頃に懐かしさのあまり足を向けて、その頃の面影のないその場所にがっかりした。そして、その人がいないことにも。
ただ、大昔の国王の像だけはその場所を変えられる事なく、相変わらず高みから王宮を見張るようにやけに高い台座の上に建っている。
彼はその場所ではより鮮明にクラウディア女王と過ごした前世の記憶を思い出す。彼女との思い出はこの辺りで起きたことが多いからだ。
エリオットは彼が遠い昔、前世で一人の騎士だった時のことに思いを馳せた。
◆
近衛騎士であるシェラード・トーラスは、二度目に同じ場所で出会った彼女自身も望んだこととはいえ、守護する対象である女王陛下の処女を奪ってしまった。
でも後悔はなかった。ずっと彼女に恋をしていたことに気づき、さらには、緊張感の中にいる彼女が涙していたのを見て、彼女を守り通すと彼は心の中で彼女に誓った。
その日からだった。毎週同じ時間、同じ場所で会うようになったのは。
もちろん彼女は来られないことも多かった。その時は帰るように言われていたが、彼は彼女を待ち続けた。約束の時間に来ない時には、一晩中待っても無駄だと分かっていても、そうせずにはいられなかった。
女王は結婚していなかった。それを政争の切り札にしていたからだ。
もちろんシェラードが女王の夫となることはあり得ない。そんな意味のない結婚を彼女が選ぶはずがない。
それでも彼女に対する気持ちを伝えたかった彼はある日、笑われるのを承知で「生まれ変わったら、私と一緒になって欲しい」と言った。彼女は笑いはしなかった。
彼女は驚きに目を見開いた後、涙を流しながら頷いてくれた。それだけで十分だった。それだけで彼は彼女のために全てを捨てられると思った。
そんな日々を過ごす間も、クラウディア女王にとっての状況は悪くなる一方だった。
近衛騎士の中でも、女王の政敵であるキーランにつく者が出始める。シェラードも実家からの指示でそちら側につかざるを得なかった。でも、それは始めから分かっていたので、覚悟はしていた。
でも心は女王にあった。
彼女はシェラードがキーランの派閥に属することをおそらく知っていたのではないかと思う。
いよいよ緊迫した状況に陥っていたある日、彼女は言った。「もう会うことはないだろう」と。
彼はそう言った彼女の言葉に従うしかなかったが、最後にもう一度だけ思いを遂げさせて欲しいと言った。彼女は瞳に涙を称えながら彼の腕の中に飛び込んできた。もちろん彼はそんな彼女を抱き返す。
「私はきっと殺される」と言う彼女に、シェラードは彼女を絶対に守ると心の中で誓った。親を裏切っても良いと心から思った。
だから彼女が「本当に生まれ変わってからも私を愛する覚悟があるのなら、これに署名を」と魔法用紙にびっしりと紋様が描かれたものを持ち出した時も、彼は迷わずそれに署名した。
彼は女王を逃がすつもりだったが、それに成功しても、失敗しても、シェラードは裏切り者として殺されるだろうから。
こんな形ではなく出会いたかったと言う彼女に、彼は自分も同じ気持ちだと伝えた。そして彼らは互いの素肌に触れ、熱を分け合った。それが最後の逢瀬の日となった。
それから少しして、女王が結婚を決めた。
しかし、政敵であるキーランと彼を支持する派閥がそれを認めるわけはなかった。その婚姻は明らかに女王側が勢力を固めるための政略結婚だったからだ。キーランにとって女王の結婚は不都合以外の何物でもなかった。
それをきっかけに、彼は長い年月をかけて準備をしていた反乱をついに決行しようとしていた。
シェラードも女王を捕える部隊の一員に選抜された。それはシェラードにとっては願ってもないことだった。キーランらの作戦全てを知り、それを彼女に伝えることが出来るのだから。
彼はその情報を女王に伝えようとしたが、彼女との接触は困難だった。だが、その機会をうかがっている中で、彼女が側近のライダスという名の魔術師と愛し合っている現場に遭遇してしまう。二人はほとんど使われていないはずの部屋にいた。
彼は物陰から動けずに二人の会話を聞いていた。
女王は「夫を迎えたとしてもそなただけを愛している」とその魔術師に言った。
シェラードは彼女と相手の魔術師に対する怒りを感じた。彼女に裏切られたと思った。
彼女が自分と交わした言葉は何だったのか。今愛している男が他にいるから、シェラードと来世での愛を誓ったのか。
それとも、何か別の考えがあったのか。例えば、シェラードがしようとしたように、敵方の中に味方を作っておこうだとか。
嫉妬でおかしくなりそうだった。彼は誰にも気づかれないようにその場を去った。彼女を絶対に自由にはさせないと誓いながら。
彼女が他の男を愛し続けることなど許せるわけがなかった。
反乱の決行の時。兜で顔を隠した近衛がキーランらの軍勢を王宮内で手引きした。その中にはシェラードもいた。
キーランは女王を追い詰めたが、女王はいつものような傲慢な調子で従兄弟であるキーランを嘲った。キーランは彼女を殺すように命令を下し、シェラードは何のためらいもなく彼女の命を奪った。
息を引き取る寸前の彼女に「来世での約束を忘れるな」と囁いたが、彼女がそれを聞くことが出来たかは分からなかった。
そして、あの魔術が発動した。
◆
エリオットは遠い記憶のはずなのに、シェラードと一体化したような感覚でそれを思い出す。
その手には、愛する人に剣を突き刺した時の感触と、その血の温かさがよみがえってくる。そして、あの時に感じた虚しさに襲われた。
だが、それと同時に、生まれ変わり、前世の記憶を取り戻してからの日々や、クレアを見つけた時の感動も思い出す。
しかし、そのクレアは、クラウディア女王ではなかったと言う。
エリオットはそれをまだ信じ切れていなかった。クレアはなぜエリオットがつけたのと同じ場所に傷跡を持っていたのか。偶然だとはどうしても思えない。
やはり、エリオットはまだクレアをあきらめることが出来なかった。
つづく……




