第二十七話 クレアとルギアの同居生活
カレドアル伯爵家の別邸には、王弟殿下からの依頼という名目で、王弟妃シュリアー様の双子の弟であるルギアが滞在していた。とはいえ、王宮や王都の馴染みの場所に行くこともあるようだったから、気まぐれでやってくる彼に一室を提供し、自由に使ってもらうことになった。
使用人たちには、ルギアがカレドアル伯爵家の客人であることがエリオットから伝えられている。
使用人たちは始め、身分上は平民だけれども生まれは他国の王族という非常に厄介な背景を持ったルギアの扱いに困っている様子だったが、数日たつ頃には彼の気さくさに、使用人たちもにこやかに対応するようになっていた。
とはいえ、失礼があってはいけないということで、何かあれば現在この屋敷の女主人として暮らすクレアに相談が寄せられるのだった。
「ルギア様、これは何事でしょうか」
クレアはルギアがサロン中に広げている書物やその写しらしき紙の束を見下ろしながら言った。クレアもよく調べ物をするが、部屋をこのような状態にしたことはない。
彼女が立っているのはサロンの入り口だった。床が見えないほどの散らかりようだったため、それ以上足を踏み入れられなかったのだ。
「これ? 魔術に関する書物だよ」
「いえ、それは見れば分かります。なぜ、こちらで? こういった作業は、王宮でされるのがよろしいかと。その方が広い場所も確保出来るでしょうし」
「一応、この国では魔術は禁止されているわけだから、王宮内では流石に気をつかうよ。それにここに居れば君の観察も出来るから一石二鳥」
「はあ……」
クレアは、シュリアー様が王宮内で美しい魔法を大勢の前で見せてくれたことがあったので、きっとこれも大丈夫なのではないかと思った。
でもそう言う前に、後ろから「若奥様!」と発破をかけられ、自分のすべきことを思い出した。
彼女はこの午後の来客に向けて掃除をしようとしたメイドが、この惨状に困り果て泣きついてきたからここに来たのだ。そして、サロンがこのような状況ではこの日の客である、クレアの代理人のロンダンとその秘書を迎える場としてこの部屋を使うことが出来ないクレアも困る。
「ルギア様。こちらを片付けていただけますか。午後に来客の予定がございます。ご自分のお部屋でなさってください。もし場所が必要でしたらもう一部屋お使いいただいてもかまいませんから」
「ここは日差しが程よく入って良い場所だよね。気に入ったなあ」
「ええ。そのように良い場所だからこそ、お客様をお迎えするための場所として整えられているのですわ」
ルギアは腰に巻いた派手な帯を弄びながら動こうとしない。クレアが「では、こちらで片付けさせていただいてもよろしいでしょうか」と言うと、彼はわざとらしくため息をつきながら片手を振った。その瞬間にテーブルやいすの上、さらには床を埋め尽くしていた書物が一つ残らず消えた。
「私の部屋の隣を借りたよ。あ、客が帰ったらまたここを使うから」
彼はそう言うと、呆然と立ちすくむクレアやメイドたちの横をすり抜けてサロンから出て行った。
「……魔法とは便利なものですね……」
「ええ……でも、いつもサロンを占領されては急な来客に対応できないと困るわね。よくよくお話ししなければ」
「でも若奥様、この調子で一瞬で片付けて下さるなら……」
「いつもこちらのお願いにすぐに応じて下さるか分からないわ」
「確かに」
彼女たちは、そこまで会話したところで我に返った。
書物の類は消えたものの、椅子が好き勝手に引き出され、邪魔だったのか各所に配置されていたはずの花瓶が全て部屋の隅にまとめて置かれている。それらを元の位置に戻すべく、メイドたちは慌ただしく動き出したのだった。
その日やってきたロンダンは、挨拶をするなり深々と腰を折った。彼の後ろでは彼の息子で秘書のケントも同じようにしているから、クレアにはその理由はすぐに分かった。先日ケントが不用意にクレアに持ちかけた、婚姻に関する話についてだろう。それはクレアの夫であるエリオットに聞かれていた。
クレアが彼らに頭を下げる理由を確認すると、やはりエリオットから正式な抗議が届いたそうで、ロンダンは再び深々と腰を折る。
正直言って、そのことはクレアの頭の中から完全に消え去っていた。エリオットとの関係で頭がいっぱいだったし、その後はルギアの滞在に備えるために忙しかったからだ。
それに、クレアはケントが持ち出した、取引めいた結婚話を真剣には受け取っていなかった。
なぜならば、エリオットのような特殊な例を除いて、クレアに結婚を申し込むような酔狂な男性がいるはずはないと彼女が心から信じているからだった。
だから、クレアはロンダンに気にしなくていいと言った。
「お仕事上の取り引きのお話のようでしたから」
クレアのその言葉に、なぜかロンダンは微妙な顔をし、ケントは苦笑した。
「本気だったのですが」
「やめないか。謝罪だけで済ませていただけた御恩を忘れたのか」
目の前で親子がそう言い合っているのを見て、クレアは内心首を傾げた。
おそらくエリオットがケントの解雇をちらつかせたのだろう。だからロンダンの言うことは分かった。でも、ケントが言うことの意味をクレアは本当に理解できていなかった。
「そんなことよりも」と仕事の話を始めたクレアに、二人はまた微妙な顔をしたのだった。
いくつかの懸案事項について協議をし、先日購入した旧男爵邸の改装についての話がまとまると、二人はクレアに対してまた深々と腰を折り、「若旦那様のご寛大な処置に感謝しているとお伝えください」と言いながらサロンを出て行った。
クレアは玄関まで彼らを送るべく彼らの後から歩き出したが、すぐに足を止めた。前の二人が立ち止まって階段の上を見上げていたからだ。
そこには器用に手すりに腰かけるルギアがいた。明らかに異国人の風貌の彼に、二人は怪訝な面持ちでクレアを振り返った。
クレアは、さてどう言ってロンダンらに彼のことを説明しようかと考えを巡らせた。しかし、クレアよりも先にルギア本人が口を開いた。
「やあ。私は君たちに名乗るべき名を持たないから、特に呼んでくれなくていいよ。なに、姉がクレアの友人だから、場所を借りているだけだから。お気になさらずに。宿も私が借りられるような場所は壁が薄いし、治安も良くないからね」
「これはこれは。この賑わう王都に似つかわしいお客人ですな。お忙しい若奥様の慰めとなればよろしいが」
「若旦那様も滞在を許しておられるのですか……?」
ロンダンとケントは、どうやら見た目から、彼を吟遊詩人だと思ったようだった。ルギアの正体は明かせないから、クレアはただ頷いた。
「ええ。もちろん。夫の方が彼と古い知り合いなのです。いつもいるわけではありませんけれど、これからもこの屋敷で見かけることがあるかもしれません」
クレアが貴婦人らしい微笑を顔に張り付けてそう言うと、彼らは一応納得したような顔で帰っていった。
「ルギア様。わざわざお姿を晒さなくてもよろしかったのでは?」
「気になったんだよ。君の周りにいる者を観察するのも、例の件を解決するのには大切なことなんでね」
ルギアはそう言うと「お茶をもらえる? 二人分ね」とメイドに言った。どうやらクレアは彼とお茶の時間をとらなければならないようだった。
つづく……




