第二十六話 魔術師の見立て
クレアはシュリアー様の招待を受けて、エリオットが指定した日にメイドのナーラを連れて王宮へ向かった。
王弟殿下の屋敷に到着すると、ナーラは控室に案内されて行き、クレアは久しぶりにシュリアー様に会った。その手の中には可愛らしい赤子が抱かれていた。
クレアは王弟殿下とシュリアー様のお子様の無事な誕生を喜びつつも、赤子に近づくのをためらった。昔、末の弟が亡くなった時のことを思い出してしまったのだ。母はあれをクレアのせいだと何度も言った。
クレアは自分は弟の死には無関係なはずだと思いつつも、その恐怖心に足がすくんだ。
だがその気まずさは瞬時に打ち消された。初めて会う男性がクレアの元に駆け寄ってきたからだ。
その男性は異国風の風貌をしており、肌や髪や眼の色がシュリアー様と同じだったし、顔立ちも似ている気がした。この男性がシュリアー様の弟のルギアという名の魔術師であることは間違いなかった。
彼は挨拶もなく、クレアの左腕と胸の辺りをじろじろと見る。
そこは彼女の傷跡がある場所だ。今はきちんと服で隠れているけれど、エリオットが先に彼に会ったと言っていたから、彼女の傷跡についてはエリオットから聞いたのかもしれない。
それにしても、ルギアのあまりにも遠慮のない視線にはクレアは軽い嫌悪を感じる。
しかし、ルギアはにやりと、いかにも楽しそうなものを見る目でクレアに笑いかけた。
「随分と面白いものを持っているね、君」
そういった彼は、その派手な衣装と砕けた口調から、クレアに幼い頃に会った吟遊詩人を思い起こさせた。
でもクレアは彼に親しみは感じなかったし、はっきり言ってその笑顔も不快だった。
クレアは彼から距離をとるように数歩下がると、淑女の礼をしてから丁寧に名乗った。
「そんなことはしなくていいよ。私は爵位も何も持たない身だから。とりあえず直接それを見せて欲しいんだけど」
彼がまたクレアに近づいてまくしたて始めたところでシュリアー様が止めに入ってくれる。
「ルギア、あなた、ご挨拶くらい返しなさいな。それに私はクレアともっとお話ししたかったのよ。この子のことも抱いて欲しいし」
その言葉にクレアの背中が泡立った。そんなことはしてはいけないのだ。クレアのような不吉な存在は。クレアは慌ててシュリアー様と赤子からも距離をとった。
「いえ、何かあってはいけませんから」
「あら、頼りなく見えて赤子は案外頑丈なものよ」
「違うのです。私のこの傷が現れてすぐに末の弟が亡くなって……」
クレアがそこまで言ったところで、ルギアがクレアの腕を掴んだ。
「その話、始めから聞かせてもらえる?」
クレアは不快感に襲われながらも、この空間から一刻も早く逃げ出したい一心でその時の話をした。家族からの仕打ち以外はすべて包み隠さずに。
「呪いだと言っただって? その魔術師もどき、医療に関する魔術の腕はあったようだけど、それ以外は何も理解していないね。仮にも魔術を学んだ身で呪いなんて、馬鹿げたことを」
「ですが、呪いと考えれば辻褄の合うことが起こってしまって……」
「まったく無関係だと思うよ。君を見る限り、周囲に害を与える類のものは感じない。そういう魔術は、見る術を持つ者には隠しきれないんだよ。燃え立つように炎のようなものが見えるんだ。そこで良くない魔法が発動しているとね。
まあ、それを見るための術を発動していなければ見えないんだけど。私は人と会う時には常にそれを使っているから。君の傷跡は光ってはいるけど、変なものは見えないね。
あ、さっき言いかけてたんだけど、直接見せてくれる? 何か紋でも刻まれていないか一応見てあげるよ」
クレアは特に胸にある傷跡を他人に、しかも男性に見せたくはなかった。しかし、何かそれで分かることがあるならと、仕方なく頷いた。
ルギアを置いてクレアとシュリアー様は隣室に移動した。
クレアがほっとしたのは、赤子がぐずりだして乳母が別の部屋に連れて行ったからだった。関係がないと言われても、かつて味わった恐怖心は消えてはくれない。
クレアはシュリアー様に手伝ってもらってドレスを上半身だけはだけ、胸当てをずらし、ガウンを羽織ると隣室に戻った。
「触れるよ」
それだけ言ったルギアが、始めにガウンの左袖を捲り上げてそこにある傷跡を見て触れた。それが済むと、ガウンを少しだけ開いて胸の中央にある傷跡にも同じように視線を這わせ、そして触れる。彼は表情一つ変えなかったけれど、クレアはまたしても不快感に耐えていた。
子供の頃に、後にこの傷跡となる傷が現れた時に、医師や魔術師に治療のために触れられたことはある。しかし、その時クレアはまだ幼かったし、熱にうなされ、意識はほとんどなかった。
それ以外は夫であるエリオットにしか触れられたことはない。
「そんなに怯えなくてもいいよ。これほどの大きさの傷が現れた時はさぞ痛かっただろうね。皮膚病ではなく外傷だ。どういう魔法が発動したんだろうね」
「あの、先ほども申し上げましたが、この傷が出来た時に何かの呪いかもしれないと言われたのですけれど。それは本当に間違いなのですか」
「呪いね。そう見える魔術はなくは無いだろうけど。君のはそういうものではないよ、さっきも言ったけど。
それにしても、占いだとか呪いだとか、そんな魔術的ではない考え方が、この国には蔓延っているよね。本当に厄介だと思うよ。きちんと体系化された魔術の衰退は深刻だ。まあ、それでここまで豊かなら、魔術の復興は必要とはされないんだろうけど」
彼は「もう服を戻していいよ。特におかしな紋はないし、呪いとも無関係」と言うと、クレアに隣室を指し示した。服を着て来いということだろう。
クレアは再びシュリアー様の手を借りてドレスを元に戻した。
そこでクレアは気づいた。いつも朗らかに言葉を紡ぎ続けるシュリアー様が、この間何も話していないことに。
不思議に思いながらも、クレアは元の部屋に戻り、お茶の用意がされていたテーブルに着いた。
しかし、シュリアー様は何かを考えこんでいただけだったようで、お茶を一口飲むとクレアが驚くほどの勢いで話し出した。
「前世を思い出す人間が二人もいるのに、それが無関係であるとは考え辛いわ。それに、エリオット卿が件の女王に付けた傷とクレアに現れた傷跡の場所が一致しているなんて」
そして、クレアに聞いた。
「クレアがその高熱を出したというのはいつ頃かしら」
クレア自身は熱を出していたので、日付までは正確に覚えていなかったけれど、大体の季節や月の名を答えた。彼女が十歳の頃の、さわやかな夏の日だったはずだ。
「エリオット卿が前世を思い出したというのが、官吏として登用されることが決まった後、彼が十五歳の時だと聞いたわ。クレア、あなたはその時十歳ね。あなたに傷が現れた年だわ。
新しい官吏、特に上級の有力貴族の家族への謁見は例年夏に行われるから、時期は同じね。ねえ、ルギア、これが偶然であると思って?」
クレアはシュリアー様を驚きをもって見た。確かにそのように言われれば、不思議な繋がりではある。まだ偶然で済む範囲ではあるけれど。
クレアの驚きをよそに、だらしなく腰掛けたルギアが不満そうに口を開いた。
「内容の分からない契約魔法の中身を推測するなんて、とてつもなく難しい事なんですよ。それに、二人の間で契約が結ばれたのだとしたら、普通は同時に成就するようにするものですけどね。そして、同時に、綺麗に契約も消える。それが一般的です。
今の状況から無理やり推測するので話半分で聞いてくださいよ。
本当に二人の間で契約魔法が結ばれていたとしたら、エリオット卿の方は契約内容が成就してその痕跡が消えうせたのに、クレア殿の方は成就していないということになる。
なぜそんな面倒な契約にする必要があったんですか?
まるで意味が分からない。筋が通りませんよ。なるべく簡潔にするのが、ただでさえややこしい術を使う時の鉄則です。そうでないと失敗して何かの代償が……」
クレアにはルギアの言っていることがほとんど理解できていなかったけれど、不自然に話すのをやめたルギアがクレアを見て何か考え込み始めたのに、彼女は居心地の悪さを覚えた。
ルギアはまた視線をクレアから外すと首を振った。
「とにかくこのままでは手の出しようはありませんよ。契約魔法だったとしても、他の術であったとしても強制的に解除することは出来るでしょう。でもそれには危険も伴います」
ルギアは、大げさに両手を振り上げた後、その腕を組んだ。
クレアはようやく口を出す機会がやってきたことに安堵した。
「あの、ルギア様。私の前世はクラウディア女王陛下ではないことが、あの前世の記憶と思しきものが私の妄想などでなければですが、確定しております。もうエリオット様とは関係がないことは分かっているのです。
私の一存で決めてもどなたにも迷惑が掛からないのであれば、それが何であれ、かかっている術を解いていただきたいと思っております」
クレアはもうエリオットと何の繋がりもないのだと実感できる何かが欲しかった。互いに何かの繋がりがあるような錯覚をしているとしたら、婚姻を解消するまでにはそれから自由になっている方がいいに決まっている。
クレアはまたエリオットに体を預けるような、おかしな真似はしたくなかった。
「ああ、その話ね。一応聞いてるけどね。でも、それもはっきりとは分からないよ。契約魔法はその内容次第だから。でもまあ、エリオット卿に現在進行形で魔法が発動しているということはないね」
ルギアは、何にせよ、もう少し検討が必要だと言った。
「クレア殿……もうクレアと呼ぶよ? クレアにかけられている術には興味があるし、観察がてら会いに行くよ。姉上、自由にさせてください。王都からは離れませんから」
そして、ルギアはクレアが暮らすカレドアル伯爵家の別邸に滞在したいと言い出した。
クレアはそれを聞いて、彼が先ほど「会いに行くよ」と言ったのを、たまに約束を取り付けて会いにくるくらいのことだと思っていたから大いに戸惑った。
しかし、少し首をひねったシュリアー様は「では殿下にお願いしてエリオット卿の許可をとらなくてはいけないわね」と言って微笑んだ。
そうしてクレアとカレドアル伯爵家の別邸の面々は、王弟妃の弟などという大変扱いに困る客人を迎えることになったのだった。
つづく……




