第二十四話 エリオットの葛藤
エリオットは休日にも関わらず王宮に向かっていた。
昨夜屋敷に帰ってすぐに王弟妃殿下から、弟のルギアが王都に到着したと連絡があったのだ。
エリオットはシュリアー妃からの書簡にクレアは連れてくる必要はないという文言を見つけて、少しだけほっとした自分を情けなく思った。
エリオットはクレアと別居してからも自分の生活を変えていない。
彼の同居人、妹のラティスは、彼と食事を共にすることを拒んで自室にそれを運ばせている。だが彼にはそれはどうでもいいことだった。
一人で食事をとることには慣れている。これまでも遅くに帰った日にはそうしていた。早く帰れた日も同じなのだと思えばよかった。
ほんのひと時だけ目の前にあった、穏やかな微笑を浮かべていた存在がいなくなったとしても、食事の味がしなくなった気がするだけだ。腹を満たすためにそれを口にすればいいだけだ。
自分の寝室で寝るのも、一年ほど前までは日常だった。彼を体の奥底から温めてくれた存在がいなくなっても、ただそれを頭から追い払って眠る。
社交シーズンになってからクレアと共に行動をする機会が出来たが、それもその時だけのものと割り切っている。夜会が終われば彼女を別邸に送り、無事に彼女が玄関に消えるのを見届けて帰る。
彼は何も変わっていない。そう。そのはずだった。
エリオットは、王都にあるカレドアル伯爵家の屋敷の全ての管理を父親から任されている身として、当然別邸の執事に命じて、クレアの動向については定期的に報告をさせていた。
彼女は約二年後に控えた離婚に向けて着々と準備をしているらしかった。
エリオットは、彼女がしてもかまわないと言った、本当の女王の生まれ変わり探しとやらには全く手を付けていなかった。そんな気分にならなかったのだ。
別れを決めると、女性の方が男性よりも割り切って行動するものだと、どこかの酒席で聞いたような覚えがあるが、それは真実らしかった。
彼はクレアのことを考えるといつも、本当に彼女がクラウディア女王ではなかったのかと、いまだに考えてしまう。
ルギアが王都に着いたと連絡を受けて、こうして朝早くから出かけてきたのもそのせいだ。
魔術師ならば、もしかしたら、やはりクレアがあの方の生まれ変わりだったと分かるのではないかと思ってしまったのだ。
それだけ、クレアと初めて出会った時の感覚は鮮烈だった。
だが、残念ながら、彼の思い込みだったのだと言われれば確たる反論の言葉は出てきはしない。
そして、クラウディア女王の生まれ変わりではないかもしれないクレアを、そんなことは関係がないと引き留めることも出来なかった彼は、確かに彼女の夫にはふさわしくないのだろう。
そう理解しているはずなのに、エリオットは現在の状況を知りたかった。彼とクレアの関係を知りたかった。だから朝一番に王宮の門が開くとともにそこに入り、王弟の屋敷に馬車を止めた。
エリオットはルギアとは過去に何度か会ったことがある。
エリオットを出迎えた王弟とシュリアー妃の後ろにたたずんでいるルギアは、姉君と同じく、金色の髪に褐色の肌、濃い緑の瞳を持つ、ほっそりとした体格の男性だ。
やや派手な異国情緒のある衣装を身につけているのも、どこか人を小馬鹿にしたような微笑みを浮かべているのも以前と変わらなかった。
シュリアー妃とルギアは双子であるため、年齢も同じく二十九歳である。
エリオットはまず王弟殿下とシュリアー妃に丁寧に挨拶をした。
ルギアには「お久しぶりです」とだけ声をかける。エリオットは彼には頭を下げない。これは二人の間に何か遺恨があるというわけではなく、ルギアの立場が非常に不思議なものだからだ。
彼はかつて魔術大国として知られるアンダートの王族だった。しかし、国を追われ、このバイダル王国へ亡命後は、爵位を与えるという王の言葉を固辞した。
そのため、王弟妃となった姉君とは違い、ルギアは平民である。
初めて会った時にエリオットは彼にも王族に対してするように接したが、それはルギア本人から咎められた。「あんたの方がよほど身分が高いのだから」と意地の悪い様子で言われたので、エリオットはそれ以来ルギアには、立場が同じくらいの年長者に対してするように接することにしていた。
「エリオット卿は、随分と面白いことをしているらしいね。昨日聞くまでは知らなかったけど」
サロンに移動するなり一人掛けのソファに腰を下ろしたルギアからエリオットは唐突に声を掛けられた。
エリオットは、彼の言わんとしている所を正確に把握しようと、勧められた席に腰かけても口を開かなかった。
ここは最上位の王弟が仕切るだろうから、それでも失礼には当たらないはずだ。
むしろ、この館の主人を差し置いて話し始めたルギアの態度に問題があるのだが、彼の言動にいちいち反応する者はこの部屋にはいない。
王弟がエリオットに目をやってからルギアに視線を動かした。
「で、エリオットから契約魔法だとか、まあ何でもいいが、何かを感じるか?」
ルギアは、王弟にあきれたような声を出す。
「そんなわけないでしょう。エリオット卿には何年か前に会っているし、何かあればその時に気づきますよ」
それはそうだとエリオットも思った。ルギアに会ったのは片手で数えられるほどの回数しかないが、いずれもエリオットが前世の記憶を取り戻した後のことだった。
「それにしても君の前世の人間とやらは、本当にそうなのだとしたら、随分と危ない真似をしたものだね。他人が用意した契約魔法の中身を理解しないで署名するなんてさ」
ルギアのその言葉に少々気分を害したエリオットは、「愛し、信じた方でしたので」と言ったが、それは彼に鼻で笑われた。
「軽く考えすぎなんだよ。人間を二人も生まれ変わらせるなんて複雑にもほどがある術を使える者なんて、まずいない。いたとしてもしない。普通はね」
「確かにそこまでは考えが至りませんでしたが、クラウディア女王陛下の側近には魔術師が大勢おりましたので、誰かに作らせたのだろうと」
ルギアはやはり呆れたように、そして今度は話は終わりだと言うように大きく手を振った。
「姉上。やはりエリオット卿からは特に情報は得られませんでした。彼の奥方に早く会わせてください。その女性には、不自然に現れたという傷跡まであるのでしょう? エリオット卿もどうせなら一緒に連れてくれば良かったのに」
エリオットはシュリアー妃からクレアを連れてくる必要はないと言われていたわけだが、確かに彼女もいた方が話が早かったはずだと思う。
同じ屋敷で暮らしていたら、一緒に連れてきただろう。シュリアー妃も二人が別居していなければ、そうさせたのではないだろうか。
「同じ屋敷で暮らしておりませんので」
エリオットが平然とそう言うと、ルギアは驚いた顔をした。そこまでは聞かされていなかったらしい。新婚早々に別居をした情けない男への王弟夫妻の気遣いと言ったところだろうか。
だが、ルギアの意向を聞いていれば、エリオットはすぐにでもクレアにも連絡をしただろう。
だが彼がそう言うと、シュリアー妃は首を傾げながら微笑んだ。意味ありげな笑顔に思わずエリオットは身構える。
「エリオット卿からも、クレアからもそれぞれ別に話を聞くべきだと思ったの。でもそうね。クレアへはエリオット卿からお伝えいただける? 魔術師を捕まえたので、会いに来て欲しいと」
ご自身で連絡したらどうかと思ったエリオットだったが、流石にそれは言わなかった。彼は確かに今でも彼女の夫だから。その立場を尊重されているのだと思っておくことにした。
エリオットは王宮を辞すると、屋敷に戻ってクレアへの手紙を届けさせるか、このまま別邸へ向かうか迷った。
彼が別邸へ向かうことには何ら不都合はない。しかし正直なところ、クレアと面と向かって話をするのには勇気がいった。
彼女が別居を求めたあの日以来、夜会に共に赴くことはあっても、表面的な会話しかせず、きちんと向き合わないままこれまで過ごしてきてしまった。
それもこれも、エリオットに罪悪感が芽生えていたからだった。
彼はまだ自分の考えを捨てきれてはいないが、クレアはきっと、いい加減な男に訳の分からない理由で婚姻を結ばされ、人生を狂わされたと思っているのではないかとエリオットは思う。
彼は少しだけ迷った末に御者に別邸へ向かうように指示を出した。
エリオットは先ぶれを出さなかった。もし彼女が彼を迎え入れることを拒否したらと思うと出来なかった。
彼女に避けられるのは辛い。じきに別れると決まっている自分勝手な夫などというものは、歓迎されるはずがないと分かっていても、また彼女に笑顔で迎えられたいと思ってしまう自分に、エリオットは心の底からうんざりした。
エリオットは別邸に着くと、慌てて玄関まで迎えに来た老執事にクレアと会いたいと告げた。しかし少し時間が悪かった。クレアは来客の対応中だという。
「来客?」
「はい。事業の代理人の秘書の方がお見えです。しかしいつも長居はなさいませんから、すぐにお取次ぎをいたします」
「いい。自分で行く。一言くらい挨拶をしておいてもいいだろう」
エリオットはクレアのしていることも、関わりを持っている相手も把握していた。しかし、顔を知っているわけではない。
頭を下げた執事にサロンにいると聞くとそこへ向かう。別邸は小さな建物なので、エリオットはすぐにその扉に辿り着いた。扉は半分開かれている。
彼は、「さて、どう言ってサロンに入って行こうか」と考えた。しかしその時、クレアのものではありえない、若い男の話す声が聞こえた。
エリオットはその内容に、頭に血が上るのを自覚しつつ、その場で立ち止まった。
つづく……




