第二十一話 新たなシーズンとクレアの事業
季節は巡り、また社交シーズンがやってきた。
この時期の王都は、通常時よりも馬車が多い。領地から移動してきた貴族やその使用人が増える。
それに伴って、臨時の雇用を狙う労働者もこの都に集まる。人が増えれば良くも悪くも賑わいが増すことになる。
エリオットと出会ってからもう一年になるのだと、大勢の人々が行き交う通りを窓越しに見下ろしながらクレアは思った。
この日は久しぶりにカレドアル伯爵家の皆と共に夜会に参加する。義妹のラティスが社交界にデビューしたので、その付き添いとしての役割も彼女にはあった。
夜会に出席する準備のために、カレドアル伯爵家の本邸に向かわなければならない時刻が近づいてきていた。
数週間前に伯爵家の当主である義父と、もちろん義母も領地から王都に到着した。
クレアはその日、義父母を出迎えるために昼間エリオットがいない時間に屋敷に行った。
二人は現在別居をしているのだと、前もってエリオットから知らされていた伯爵夫妻は、彼女を問い詰めるようなことはせず、クレアにこの期間だけでも本邸で暮らせばいいと懐柔するように言ったものだった。
その場にいたラティスが彼女の両親を止めてくれたので、クレアは微笑みを浮かべているだけで済んだ。
よく別邸を訪ねてくるラティスは、クレアとエリオットが別居し始めてから、実に根気よく、数か月間に渡ってクレアを本邸に戻そうと説得を試みていた。しかしクレアも負けなかった。
「それはしない方がいいの。お互いのために」と繰り返すと、やがて彼女はあきらめたようにその話はしなくなった。
もちろん、この結婚はエリオットの勘違いだったなどとは言えないから、皆に理解を求めようとしても難しい。
クレアがエリオットを拒否して、食欲も落としていた頃を知っている使用人たちは別として。
エリオットの両親も、ラティスも、社交などの義務を果たす気があるのならば、同じ屋敷で暮らしながら互いに顔を合わせないようにすればいいだけだと思っていることだろう。
でも、それではクレアの心がもたなかったに違いない。温かい場所を失いたくないと、そこにしがみついてしまっただろう。それだけあの屋敷は居心地が良かった。だからこれ以上依存してしまわないように逃げ出したのだ。
この別邸では、ナーラにだけはこれまで通りの態度で接していたけれど、他の使用人とは一線を引いて応対するようにしていた。また失いたくない場所が増えてしまわないように。
クレアは本邸に向かい、身支度を整えてもらうと、王宮から帰ってきていたエリオットに挨拶をし、彼と共に馬車に乗り込む。伯爵夫妻とラティスは別の馬車を使っている。
二人の話題はつい先日第四子を出産されたばかりのシュリアー様に関する話題だった。王弟殿下は仕事場でも心ここにあらずで、妃殿下と新しくお生まれになったお子様の話ばかりしているらしい。
内心はともかく、二人は穏やかに過ごす。夜会では二人で挨拶をこなし、帰りは別邸でクレアを馬車から下ろしたエリオットは本邸に戻る。
二人の距離感はこれでいいのだとクレアは思いながら、ナーラに手伝ってもらって着替え、そして眠った。
クレアは今後のため、昼間の婦人だけの社交にも精を出していた。
もちろん、伯爵家の利益になるお茶会に出席するのは義務として、きちんとこなす。
しかし彼女の活動はそれだけにとどまらなかった。
クレアは別邸に移り住んでから、貴族位を持たない大商会や新興の富裕層の奥方とも親交を結んでいた。
「将来のことを考えますと、先進的な考えをお持ちの方々のお話を聞かせていただける機会を得られるのは、他の何物にも代えがたいものだと思いますわ」と話す、いずれ名門伯爵家の当主の妻となるはずのクレアに、彼女たちは大変良い印象を持つようだった。
そう遠くない将来にその地位を手放すことになっているクレアは、彼女たちを騙すようで申し訳ないとも思ったけれど、特に誰を傷つけるものでもないはずだからと割り切っていた。利用できるものはしておこうと決めたから。
そんな中で彼女は、王都屋敷を手放したがっている貴族が非常に多いという話を耳にした。
体面を気にする貴族たちは同じ階級の人間にその内情を明かしたりはしないものだけれど、下手な貴族よりもよほど裕福な平民相手には、その屋敷を買ってくれるかもしれない相手とみなして近づいてくるらしい。
まさにクレアは、王都屋敷を手放すか毎年のように悩んでいた父親を見てきたので、その心理は手に取るように分かった。
ものは試しと、クレアはこの年の社交シーズンに先立って、代理人を雇い、自分の名前は出さずに、いくつもの屋敷を買い取って、そしてそれを必要な時期だけ貸し出す、という事業を細々と始めていた。
クレアが彼女の代わりに表に立って動く代理人として選んだのは、ロンダンという名の、とある男爵家の出だという初老の男性だった。彼は爵位を継ぐ立場になかったから、早くから商売の道に進み一定の財を成した。しかし、その正直さが仇となって金をだまし取られた。
そんな時にクレアが彼の前に現れて、彼が被った損害の一部補填を申し出た。そして、その代わりに彼女の代理人となって欲しいとクレアはロンダンに雇用契約を持ちかけたのだった。
クレアは彼の、正直であるという評判を買ったのだと思っていた。
カレドアル伯爵家と縁が無くなった時にクレアに必要になるのは信用だ。クレアは表に出る気はなかったものの、ロンダンの背後に誰がいるのかはいつかは知られてしまうかもしれない。そのような事態になったとしても、それまでと変わらず事業をしていきたかった。その時のための措置だった。
そして彼の息子であり秘書のケントも次世代の代理人候補として共に雇っている。
ケントは十分な教養を持った青年で、クレアよりも三歳ほど年上だった。クレアが長くこういった事業をしていく限り、同世代の代理人も必要だろう。彼の人格はまだよく分からないけれど、それを試す意味でも初めからそばに置くことにしたのだった。
顧客にはともかく、家人には特に彼女の代理人の存在を隠してはいないから、彼らとの話合いには別邸のサロンを使っている。不貞を疑われないように人払いもしていない。
おそらく使用人からエリオットに彼女の行動は報告されているはずだけれども、エリオットから何か言われたことはなかった。
数年後に離縁する予定の形ばかりの妻が自立して事業を行っていることを非難する必要を感じていないのかもしれない。
クレアとロンダンの現在最も大きな懸案事項は、オフシーズンに貸し出し中の物件が空いてしまうことだった。
近頃は船の性能が上がり、外国から海を渡って観光目的で王都にやってくる者が増えている。
これまではそういった外国人の訪問者たちは、知人を頼るか、大金を払って自由度の低い宿泊施設を利用するしかなかった。
そうした人々を、空いている時期の貸し屋敷に泊まらせることは出来ないかとロンダンは言う。クレアは他の方法も検討しつつ、そういった外国人の知り合いが多い富裕層との交流をロンダンに指示した。
クレアは充実した日々を送っていた。
夫と会うたびにわずかに心が痛む以外には。
そしてクレアは、そうした感情を無視して、胸の奥にしまい込んでしまうのが得意だった。
クレアはこれで良かったのだと思いながら、その日も売りに出された屋敷の状態を確認するために出掛けて行くのだった。
つづく……




