第二十話 別居と離婚準備
エリオットは、事の一部始終を見ていた上司の王弟に、奥方と共に帰ってもいいと言われながらも仕事に戻った。
一度頭を冷やしたいのだと自分に言い訳し、そしてすぐに、それはきっと違うと彼は自分に苦笑した。彼はクレアと向き合う準備が出来ていなかっただけだったのだ。
彼は仕事を終えてから重い足取りで馬車に乗り込んだ。馬車に揺られながら、こんなにも疲れているのは初めてのことだと思った。
クレアが言う通り、彼女をクラウディア女王の生まれ変わりだと直感したのは、ただの彼の思い込みだったのだろうかと心が沈む。
クレアは自分を女王ではなく使用人だったのだと確信を持っているようだった。
しかし、前世の彼とクレアが、同じ時期に同じ王宮内にいたのが確かならば、そこに何か糸口があるような気がした。
そこまで考えたところで馬車が屋敷に到着する。彼は思考を中断した。
なんにせよ、王弟妃殿下が魔術師である弟君を探させてくれている。
前世でも魔術を使う職業にはなく、今世では魔術がほとんど知られていない環境で育ったエリオットには、それまでは何を確かめることも出来なかった。
エリオットが帰ったのは夜遅い時間だったが、クレアは彼を出迎えた。しかし、笑顔がないばかりか、彼女は目を伏せていた。視線が交わることはなかった。
クレアは執事やメイド長には婚姻を解消するが、それが成立するまでは別居すると伝えたと言った。
皆不安げな顔で、よそよそしい二人の様子を見ていたが、周囲からの視線はエリオットを責めているようだと彼は思った。
クレアとその相談にのった執事とメイド長によってほとんどのことが決められていた。
サロンで二人きりで向かい合った時も、彼は口を開けないまま、ただクレアの言うことに耳を傾けていた。
体面というものがあるから、三年は婚姻期間を置くべきであろう事。
その期間が過ぎても子ができなければクレアに瑕疵があったとして離婚がしやすく、カレドアル伯爵家にも傷はつかないと彼女は言った。
別邸の一つを借りたい事。
夫婦で参加しなければならない行事にはクレアも参加する事。
エリオットが本当に妻にしたかった相手を探すことを、婚姻中であっても妨げる気はない事。
そして最後にクレアは、相手を間違えて彼女と強引に婚姻を結んだエリオットから、相応の金銭での罪滅ぼしを求めていた。
それらが羅列された紙の束をめくりながら、エリオットは内心苦笑した。この内容を彼女がこの短時間で考えたとは思えなかったからだ。
彼女はきっと、もっと長い時間をかけて婚姻が破綻した時のことを考えていたのだろうと思った。
彼がそんなことを想像すらせずに、彼女の態度がおかしい時にも特に対処をするわけでもなく放置していた間に。
いや、もしかしたら、彼が彼女を見つけられたことにただ浮かれて、でも彼女自身を知ろうともしていなかった時から、彼女はこういう事態を想定していたのかもしれない。
そうだった。エリオット自身でさえ、彼女からは協力を得られればいいと、その程度にしか考えていなかった。
他の男のものにするのは耐え難かったけれども、クレア自身と愛し合う必要は必ずしもないとさえ思っていた。
それは、彼が前世で彼女を殺したのだと思っていたからだった。
彼女に記憶を取り戻して欲しいと願いながら、そうなったら彼女から拒絶される未来もありえるだろうと覚悟していた。
その時は、誠心誠意詫びて、本当に愛していたのだと伝えればいいと彼は思っていた。そんな状況になっても、クレアを手放すつもりはなかったから。
しかし、彼女が思い出したのは彼にとって予想外のものだった。
クレアが、前世を思い出したけれど、それはクラウディア女王のものではなかったと言った時、彼は初めは信じられなかった。彼女がエリオットといることが嫌になって、そんな嘘をついているのではないかと思った。
でも、謁見室での彼女の様子は、とても演技をしているようには見えなかった。彼女自身も本当に戸惑っているようだった。
クレアがクラウディア女王のものではない記憶を取り戻したと知った時、エリオットは確かに落胆した。
クレア自身を愛していると断言できない、背後にあの方を見ていた自分に、どうして彼女を引き留められるだろうか。
いつからだったろう。彼女の笑顔が見たいと思うようになったのは。彼女を欲望のままに抱いてしまいたいと思うようになったのは。
でもその感情が、その背後に別の女を見ていたせいではないとは彼には言い切れなかった。
彼はクレアを引き留める言葉を持っていなかったし、自分の気持ちも分からなかった。
だから、彼は彼女の提示した条件をのみ、今後の生活や再婚に関しても出来るだけのことはすると彼女に言った。
これ以上無様な夫になることは出来なかった。
翌日、クレアは、彼が仕事場である王宮にいるうちに荷物をまとめて出ていった。
夜会に出席するようなかさばるドレスは持って行っても邪魔になるだけだろうから、この屋敷に置いていったという。夜会へ出席するとなったら、着付けや化粧はこの屋敷で行い、一緒に行くべきだろうからだとメイド長から説明されて、それでいいと返事をする。
専属メイドを連れて行くことも許可してあった。別邸にも使用人はいるが、久しく主人家族を迎えてはいなかったから、勝手が分からない場合もあるだろう。エリオットはそちらの人員を増やすように、すでに指示していた。
使用人たちは彼の指示に従った。なぜこのような事態になったのかも聞かなかった。領地にいる両親にも、当面知らせる必要を感じなかった。
ただ一人、声を大にして彼を責めたのは、妹のラティスだった。
「お兄様が何かなさったのでしょう!? なぜクレアお姉様がこの屋敷を出なければならないのですか!」
「お前に話す必要はない。夫婦のことだ。そんなに彼女に会いたければ、別邸に会いに行けばいい。きちんと事前に知らせてからならば、あちらとしても問題はないだろう」
「なんでそんなに他人事なのですか。あんなに急いで結婚したくせに! 最近クレアお姉様の様子がおかしかったのは、お兄様のせいだったのでしょう?!」
彼は事実を言うことしか知らない妹に無性に腹が立って、ラティスを自分の部屋から締め出した。
◆
クレアはあまり多くの荷物を持ってこなくて良かったと思った。
別邸もとても立派な造りの建物だった。でも、当然ながら、本邸に比べればかなり小さい。
それでも彼女の生家であるベルガー子爵家の王都屋敷よりもずっと大きかったけれど。
メイドのナーラがついて来てくれたから、別邸の使用人の力も借りて、荷解きはその日のうちに終わった。
そして、驚いたことに、荷物に紛れて来たらしいメアが姿を現した。
引っ越し中にメアを探したけれど見当たらず、メイドたちに見かけたら教えて欲しいと頼んであったのだ。すぐにナーラが、メアの無事を知らせる手紙を書いて本邸に送ってくれた。
翌日、クレアはつい最近の憂鬱な気分が晴れ、久しぶりに食事を美味しいと感じた。よく食べるクレアを見たナーラは何かに耐えるように顔を歪めていた。
事情を説明できないのが心苦しくて「心配をかけてごめんなさいね」と謝ると、彼女は涙を浮かべさえした。どれだけ心配させてしまっていたのだろうか。
これでよかったのだとクレアは納得していた。
早く分かって良かったのだ。傷は浅い方がいい。その方が早く先に向かって動き出せるだろう。
クレアは別邸の使用人と、新たにエリオットが寄こしてくれたという使用人と、ナーラと共に、今後の別邸の運営方法を話し合った。
基本的にはこれまで通りに元からいた使用人、中でも以前領地の屋敷で執事をしていたが老齢になったためこちらに移ってきていたという執事が万事うまく取り仕切ってくれそうだった。
クレアが暮らし始めたために増えた仕事を補えるだけの人員の補充はされていると彼が言ったので、彼女はひとまず安心した。
そうして別邸での生活が回りだすと、クレアは離婚が成立した後の生活を考えて、商売をしようと動き出した。
急ぐ必要はないかもしれないけれど、カレドアル伯爵家の名前が使えるうちに、出来るだけ良い縁を繋いでおきたかった。
でもその行動が、彼女がまた前世を思い出すことに繋がってしまうとは、この時のクレアにはまだ知る由もなかった。
つづく……




