第十九話 やはり私は夫が愛した人ではなかった
仕事中に急に呼び出された王弟殿下とエリオットは、シュリアー様の「私たちに異常はございません」と言ういつも通りの笑顔に、落ち着きを取り戻したようだった。
この館は王宮内にあるとはいえ、王宮の敷地は広大だ。二人の仕事場がある西棟と呼ばれる建物からはかなりの距離がある。二人は自ら馬を駆ってきたようで、髪は乱れ、額には汗をかいていた。
用意された丸テーブルに四人はそれぞれ席に着いた。この中で最上位の王弟殿下が一番奥に座り、その隣にシュリアー様とエリオットが腰かけた。
クレアは心持ちシュリアー様の近くに立って、その彼女に合わせるように侍従によって押された椅子に着席した。
席に着き、程よく冷めているお茶を飲み干した王弟殿下が「そうやすやすと、緊急時にしか使わないはずの連絡手段を使わないでくれ」と言うのを聞いて、クレアが反射的に「申し訳ございません」と謝ると、シュリアー様は「私がしたのだから、あなたが謝る必要はないのよ、クレア。それに緊急事態であることには変わらないのですもの」と言って微笑んだ。
隣に座るエリオットからの視線を感じるけれど、クレアはそれに気づかない振りをした。これから話さなければならない内容を考えれば、彼の顔をまともに見ることは出来なかった。
シュリアー様が微笑みを浮かべて、クレアに「大丈夫よ」と手を差し出して、クレアの手を机の上で軽く握ってから放した。
人払いもされている。クレアは覚悟を決めざるを得なかった。
「皆様にお話ししなければならないことがございます」
クレアはそう言ったものの、言葉が喉から出てこなかった。
時間稼ぎにお茶を口に含んで心を落ち着ける。
しかし、「それは何かな」と王弟殿下に先を促されれば、もう逃げ道はない。クレアは誰を見るともなしにテーブルの真ん中に飾られた紫色の花を見ながら言った。
「私がクラウディア女王の生まれ変わりだというのは、間違いです」
エリオットはクレアの言葉に、クレアの顎を撫でて彼の方を向かせた。久しぶりに彼の顔をまともに見た。その濃茶の瞳は困惑に揺れていた。
「クレア? どういうことだ? いったいなぜ急にそのような……」
クレアはその手から逃れるとまた花に視線を戻した。
「申し訳ありません。先日、王宮で具合が悪くなった際に思い出しました。エリオット様は私が使用人通路を歩いていたのを覚えておいででしょう。
私は、それがもし本当に前世の記憶であったとしたら、そこに精通しておりました。どこを曲がればどこに行けるのか知っておりました。高貴な身分の方ではありえませんでしょう? 私はきっと使用人だったのだと思います」
「なぜ……。私に言ってくれなかった? 最近私を避けていた理由はそれか?」
「……申し訳ございません。言いだすことが出来ず……」
エリオットに両手を掴まれそうになってそれを拒むと、彼が「クレア」と力なく彼女の名を呼んだ。
クレアは、彼から責められるのを覚悟した。なんてことはないはずだ。クレアは責められるのに慣れている。
そう、まさにこの忌々しい傷が傷跡となった時からずっとそれを受け止めてきたのだから。
しかし、そうはならなかった。シュリアー様がおもむろに立ち上がるとクレアの腕をとって引き寄せ、エリオットから庇うように自分の体の後ろにクレアを立たせた。
そしてまたあの弾むような声音で言った。
「では、また記憶が戻らないか試してみましょうか」
◆
クレアは、先頭を行く王弟殿下とシュリアー様の間に挟まれて歩いていた。エリオットはその後からついてくるのが足音で分かる。
四人は王弟殿下の権限で一時使用の許可を得た、約百年前にも確実に存在し、クラウディア女王も使っていたはずの謁見室へ向かっていた。
クレアはその部屋に初めて足を踏み入れた。思っていたよりも広くはなく、目の前の壇上に重厚できらびやかな装飾が施された玉座が鎮座していた。
シュリアー様が「好きに歩いていただいて良いのよ。玉座にさえ手を掛けなければ」と言うのに、クレアは静かに頷いた。
玉座に近づくのは畏れ多くて、彼女は円形に近い形をしている謁見室の壁際に沿って歩く。三人の、特にエリオットの視線が気になったが、あえてそれは無視して進む。
分厚いカーテンは何か所かが開けられている。おそらく調度の劣化を防ぐため、通常それは閉められているはずだとクレアは思った。王弟殿下が入室の許可を得たことで、明り取りのためにそのいくつかが開けられたのだろう。
クレアはカーテンが開けられた窓のうちの一つの近くで立ち止まり、そこから外を見た。
中庭と言うほどの広さはないけれど、客人を迎える場所ということで、そこから見える景色は美しく整えられている。
クレアはなぜか、そうしなければいけないような気がして、ふと振り返り、そして仰天した。
彼女の目の前には大勢の人間がいた。クレアは一緒にこの部屋に入ったはずの三人の方を見ようと思った。でも体が動かなかった。ただ突っ立って目の前の光景を見ていることしか出来ない。
壇上の玉座には、肘置きについた手に扇子を握り、気怠げにそこに座る美しい女性がいた。流行の形ではないけれど、最上級であることが分かるドレスを身にまとい、赤く光を放つ首飾りをつけていた。
その時、官吏らしき人々が玉座の主に耳打ちをして、書状を渡す。その女性は立ち上がって段の下に跪く三人の騎士の名を端から呼び、その功績を称えていた。一人目が終わり、跪いたままのその騎士はその場で侍従らしき男に差し出された、先ほどまで女王の手にあった書状を頭上にいただいた。
『クレア!』
クレアは遠くで彼女を呼ぶ声がしたと思ったけれど、その光景をもっと見なければいけないと思った。
でも、急に体が大きく傾き、力強い腕に抱き留められた。
「クレア! 大丈夫か!?」
クレアは目の前に現れたエリオットの心配げな顔を驚きとともに見た。視線を動かすと、壇上にもその前にも誰もいない。
そこでクレアは自分が床に倒れそうになったところを夫に抱き留められているのだと気づいた。
屈み込むシュリアー様と、その後ろの王弟殿下の驚いた顔を見て、慌てて立ち上がろうとしたけれど、エリオットの腕はびくともしなかった。
「急に倒れかけたんだ。わかるか?」
「いえ。急に目の前の景色が変わって……」
「景色……?」
クレアは自分が前世の記憶とやらを思い出したのだと分かった。
他の三人は何も見てはいないと言うように不思議そうに互いに顔を見合わせているからだ。
クレアは見たままの光景を語った。
「シェラード・トーラスという名の騎士が褒賞を受けていたようで……」
そう言った途端、エリオットの手に力がこもったかと思うと、彼はクレアの肩に顔を伏せた。そして顔を上げた彼の顔は今にも泣きだしそうな笑顔だった。
「エリオット様……?」
「やはりあなただった……。それは前世の私の名だ。あなたから褒賞を賜ったことがあった」
彼のその言葉に後ろにいるシュリアー様と王弟殿下もさらに驚いているようだった。
でもクレアはそれを否定しなければいけなかった。
「それは違います。私はこの場所からその光景を見ていました。私がクラウディア女王ならば、視線は壇上からのものだったはず。でも私はここから動けませんでした。おそらくここに立っていなければいけない立場だったのではないでしょうか」
クレアはそう言いながら、目を見開いて愕然とした顔になっていくエリオットを見て胸が痛んだ。
「自分で立てます」
彼はクレアがそう言うと手の力を緩めた。
クレアは手を伸ばしてくれたシュリアー様の手を恐縮しながらも取って、自分の足で床に立った。
体に異変は感じなかった。
「そう。そういった光景が見えたのね」
「はい。シュリアー様、このように前世の記憶を思い出すのは、契約魔法以外でもあり得ますでしょうか。
私はエリオット様と契約を結んだのではないようです。何か別の魔法で縛られているのでしょうか」
「先ほども言ったけれど、私はあまり詳しくないの。場合によってはあり得るのではないかとしか言えないわ」
「そうですか」
シュリアー様が王弟殿下に、今はどこを放浪しているか分からない、魔術師だというシュリアー様の弟君を、何としても連れて来させて欲しいと頼む声が聞こえた。
でもクレアはもう彼らのことは見ていなかった。床に両膝をついたまま、壇上を見つめる夫に歩み寄る。
エリオットは彼女に気づくと、戸惑った表情で彼女を見上げた。
クレアは思いがけなく手に入れたと思った自分の居場所を失う恐怖と戦いながら、でもそうしなければいけないのだと自分に言い聞かせながら言った。
「私は、エリオット様がお探しの方は別におられると確信いたしました。あなたはやはりお間違えになったのです」
エリオットは困惑顔のまま彼女を見上げるばかりだった。
その後もずっと、クレアが一人馬車に案内され、王宮に残る三人に頭を下げた時も、エリオットは何も言わなかった。
つづく……




