第十八話 教えてください、シュリアー様
クレアは手紙を届けさせた翌日に、王弟妃のシュリアー様からの返事を受け取った。
自分がとるべき行動を決めて少し元気を取り戻したクレアは、その時ちょうど楽器の演奏中だった。
クレアは手に持っていた竪琴を膝の上に置き、封筒を開いて便箋を取り出した。そして、手紙を運んできたまま、すぐそばに控えていたメイドのナーラと顔を見合わせた。
それはどう見ても白紙だったからだ。美しい縁取りのあるそれには何の文字もない。
と、次の瞬間、封筒の中から無数の光の粒が飛び出して、それは蝶に姿を変えた。驚いて声を上げるナーラと共に、クレアはあのお茶会での光景を思い出しながらその光る蝶たちを目で追った。
ひらひらと舞い踊った蝶たちは、やがてクレアが手に持っていた便箋の中に吸い込まれるように集まって、やがて文字を形作った。「クレアの訪問を歓迎する」と書かれていた。
「……若奥様。これがお話しくださった魔法というものですか」
「ええ。お茶会ではもっと広範囲に花々が降り注いでいたわ。本当に素晴らしかったの」
クレアは思い立って、竪琴でシュリアー様が魔術を使う時に詠唱していた旋律を奏でた。
「若奥様、それは?」
「魔術を使う時にシュリアー様が唱えていらした呪文を覚えたから、その旋律を奏でてみたのだけれど、何も起こらないわね。私が声に出しても同じでしょう。他にも指で空中に何か描いていらしたわ」
二人はしばらく美しい幻想の余韻に浸っていたが、そういえばこれは手紙だったと思い出したクレアは慌ててその細かい内容を確認する。
シュリアー様はお屋敷にクレアを招待してくださると言う。指定されているのは三日後の日付だった。
こんなにも急な招待は通常であればありえない。貴族間でもそうなのだから、王族となればなおさらだろう。ナーラも驚いている様子だった。
しかし、その頃には王都に帰ってきているはずのエリオットに真実を伝えようとしているクレアにとっては、早くシュリアー様に会えるのは、とてもありがたかった。
「ナーラ。執事に私の予定の変更を。私はお返事を書くわ。それから、衣裳選びを手伝って欲しいのだけれど」
ナーラは軽くお辞儀をすると、静かにクレアの部屋を出て行った。
クレアは早く確認したいことがいくつもあった。気がせいて、でも、とても緊張していた。
シュリアー様への返事をしたためた手紙に封をして、もう逃げないと決めたのだからと深呼吸をする。
知った内容によっては辛い決断をしなければならないかもしれない。いや、そうすべきなのだとクレアは自分に言い聞かせた。
そんな時、飼い主の異変を察知したように、猫のメアがどこからともなく現れてクレアに寄り添ってくれる。
「あなたは本当に神出鬼没ね」
クレアはとりあえず全ての悩みを頭の外に追いやって、メアを一撫ですると、メイドたちが運んできたドレスを見るために立ち上がった。
◆
クレアは格式に見合ったドレスで着飾って、王宮内のその屋敷を訪れた。
昨日、エリオットはしばらくぶりに屋敷に帰って来た。
しかし、それはクレアの眠った後になるだろうし、朝も早く出るという連絡を彼女は受け取っていた。そのため、クレアはこの訪問の件は執事から彼に伝えてもらうように頼んでいた
。
朝食前にきちんとそれが彼に伝わっていることを執事から報告されている。
シュリアー様は、わざわざクレアが馬車から降りた場所まで駆け寄って来た。わざわざこんな所まで出迎えに出てきてくださったことに、彼女は恐縮するしかなかった。
「クレア!」
「王弟妃殿下。本日はお忙しいところ、まことに」
「ああ、そんなことはしなくていいわ」
シュリアー様は腰をかがめて淑女の礼をとっていたクレアを立ち上がらせると、「私も会いたかったのだから、お手紙をいただいて嬉しかったのよ。どうか楽にしてちょうだい」と、自らクレアの手を取って軽い足取りで屋敷の中を進み、彼女を日当たりの良いサロンに招き入れた。
「少し顔色が悪いわね。悩み事ならば何でもお聞きするわよ」
シュリアー様の言葉に、クレアの心臓が跳ねた。なぜそれが彼女に分かったのだろうか、と思っていたら、すぐにその答えが彼女の口から語られた。
「殿下から、最近エリオット卿の様子がおかしいとお聞きして。今は特段頭を悩ませるようなお仕事に取り組んでいるわけではないし、これまでこんなことはなかったから、奥方と何かあったのではないかとおっしゃっていたものだから」
それを聞いたクレアの気持ちは沈んだ。
エリオットの様子がおかしいのがクレアのせいならば、やはり自分はこのまま彼の側に居続けるべきではないと彼女は思った。
「……少し痩せたのではなくて? 食事はきちんと摂れているのかしら」
シュリアー様の、クレアの健康を気遣う言葉さえも辛かった。そして、そう思ってしまう自分自身にも嫌気がさす。
でも、そんなことを表に出せるわけがない。だから微笑んで返事をする。
「少し疲れてしまったようです。生活が大きく変わりましたので。御心配には及びません」
シュリアー様は困ったように微笑んだ。恐らくクレアの強がりを分かっているのだろうけれど、それ以上追及はしなかった。
このような気さくで、人の心を無下にしないところが、シュリアー様と一緒に居て心地いいのかもしれないとクレアは思う。
シュリアー様とは数えるほどしか会っていないはずなのに、人に心を開かせる社交術をお持ちなのだろう。クレアはそれさえも羨ましいと思ってしまう。そして、そんな自分にまた落ち込んだ。
お茶が用意されて侍女が下がると、シュリアー様が微笑みながら口を開いた。
「それで? 私に教えを請いたいと言うのはどのようなことかしら? お手紙をいただいてから考えていたのだけれど、私に博識なクレアに教えられることなんて何もないような気がして」
クレアはシュリアー様にそう言ってもらえて嬉しかったけれど、おそらくこれはお世辞というものだろうと思う。クレアが彼女の前で披露したことのある知識なんて、付け焼刃のものでしかなかったから。
「本日は、魔術についてお教えいただきたいと思いまして」
そう言ったクレアに、シュリアー様の表情が変わった。
普段朗らかな面持ちでおられる方が笑顔を消したことにクレアはひるんだ。怒らせてしまったのかと思い、しかし、目の前の人の表情に怒りは宿っていないことを確認して安堵する。
クレアは自分も嘘の笑顔をおさめて彼女の顔を正面から見た。そうすべきだと思ったのだ。
シュリアー様は人払いをすると、うっすらと笑みを浮かべた。
「エリオット卿の想い人についてのお悩みかしら」
その言葉にクレアはこの人は全てを知っているのだと理解した。
エリオットが前世の記憶を持っていると信じていることも、何のためにクレアと結婚したのかも。
「エリオット様のことを、どこまでご存じなのでしょうか」
彼の評判を落とすわけにはいかないので、クレアは慎重に言葉を選んだ。彼女がどこまで知っているのかは分からない。
「エリオット卿は以前したたか酔われて、殿下に心の内を漏らしてしまわれたの。前世の記憶のことや、その頃、想い人の生まれ変わりを探していることを。その後、私も詳しくお聞きしたわ。
そして、エリオット卿はそれから何年もしてからあなたを見つけた」
「ご存じだったのですね……」
クレアは下を向いた。彼女には知られてしまった。いや、知られていた。クレアと彼の出会いがロマンチックなものでもなければ、彼女が夫に愛されているわけではないことも。
「契約魔法なんて祖国でも頻繁には聞かないないものだったから驚いてしまったわ」
「ですが、私とエリオット様、夫の間には魔術での繋がりは何もないと私は確信しております」
「まあ……。それがなぜなのかお聞きしても?」
クレアは勇気を出して、国王陛下の誕生祝いの宴の際に王宮で体験したこと、つまりは、前世の記憶と思われるものを思い出したことを彼女に話した。
そして、クレアが持つ忌まわしい傷跡が、エリオットが彼女を想い人と間違えた原因であることも。
「私は、この傷跡はエリオット様、いえ、夫とは何も関係がないと思っておりますが、それを夫にどう説明したら納得してもらえるのかは分からないのです。ですから、シュリアー様に魔術によってどのようなことが起こり得るのかお聞きしたくて参りました」
シュリアー様はほとんど驚いた様子は見せなかった。
クレアにとってはエリオットから前世と聞いただけでも「何を言っているのだろう」などと思ったものだったけれど、シュリアー様の母国の魔法大国アンダートでは事情が違うのかもしれない。
「そうだったのね。それで思い詰めて? 可哀想に。でもごめんなさい。私には契約魔法ほど高度なものは、その構造もよく理解できないくらいなの。あなたのその傷跡が魔法がらみのものなのかも分からないし。
でも、あなたが前世を思い出したということは、何がしかの魔術は関係しているのだろうとは思うのだけれど」
「これについて、いえ、魔術について、もっと詳しく知る方法はありますでしょうか。例えば、アンダートから魔術に関する書物を取り寄せるだとか」
彼女は首を横に振った。そういった内容の書物を国に入れることも、この国の法律は禁じているのだとシュリアー様は言った。
クレアもそれは知っていた。この国と魔術の関係については、歴史書では必ず強調されるところだった。
クラウディア女王は魔術師たちを重用したが、それを良い方法では使わなかった。魔術師たちは同士討ちや、政治を腐敗に導いた罪でほとんどが処刑され、ほとんどいなくなった。新たな国王となったキーラン陛下が、悲劇を繰り返さないように魔術の使用を制限したのだ。
歴史書によれば、そう説明されている。
しかし王族ならば特例だとか、王宮深くに秘匿されている禁書があるだとか、とにかく何か方法を持っているのではないかとクレアは淡い期待を持っていた。でもその望みも断たれた。
クレアはどうしたらエリオットに納得してもらえるように説明できるのか他の方法を探さなければいけないと思った。
ところが、シュリアー様は考え続けてくださっていて、おもむろに言った。
「まったくないと言うわけではないはずなの。この国もかつては魔術で栄えていたのですもの。その痕跡はあちこちにあるわ。王都では、流石に医療魔法くらいしか見かけないけれど。
だから、魔術師として修行を積んでいた私の弟は、今ではこの国の各地を旅して個人が隠し持っていたり、忘れ去られたりした魔術に関する書物を集めていて……」
そこで言葉を切ったシュリアー様は、顔を輝かせながらクレアを見た。
「あら、ではその弟を呼び出せばいいわね。それから、一つ実験をしてみると言うのはどうかしら?」
クレアはシュリアー様が急にいつものように表情をくるくると変えながら早口でしゃべりだしたのに、ついていくのが精一杯だった。
「え……? あの、実験でございますか」
「ええ。あなたはもう苦しむ必要はないわ。早くはっきりさせたらよろしいのよ。それに、エリオット卿にも全て吐き出しておしまいなさい」
「え……あの……」
シュリアー様は立ち上がって窓辺に向かうと、以前に見聞きしたものとは違う、呪文のようなものを歌いながら指を動かして大きな鳥を出現させた。その大きさと鋭い嘴に恐れを抱いて、クレアは何歩か後ろに下がった。
その鳥は足に何かを括り付けられるのを大人しく待ち、そして空に飛び立って行った。
「すごい……」
「顔は怖いけれど、いい子なのよ。弟の元に手紙を届けてくれるの」
そう言いながらも、またシュリアー様は何かを歌うように唱えると、今度は彼女の掌の上に光る可憐な蝶が現れた。そして彼女はそれを窓の外に放った。それは少し飛ぶと、ふっと消えた。
「これは殿下を呼び出すものよ。実験をするには殿下に動いていただくと早いから。それとエリオット卿も一緒に連れて来てくださるわ」
「え、あ、はい……?」
クレアが困惑している間に、シュリアー様は侍女を呼び込んで、新しくお茶を入れさせた。カップは四人分あった。
シュリアー様はいつもの笑顔を浮かべていた。そして、侍女たちから自分の子どもたちの今の様子を聞き、クレアに庭に咲いた花について語って聞かせる。
クレアは戸惑いつつも、侍女たちの手前、微笑をたたえながら受け答えをするしかなかった。
どうやらこれから、エリオットがここにやって来るようだった。そして、クレアが思い出してしまった前世について話した方が良いとシュリアー様に言われてしまった。
まだ少し猶予があるものと油断していたけれど、確かに早く伝えてしまった方がいいのかもしれないとクレアは思い直す。
そうしているうちに、部屋の外がにわかに騒がしくなって、王弟殿下とエリオットが早歩きで部屋の中に入って来た。
クレアは久しぶりに見る夫の顔を見て、何よりも気まずさを覚えた。
「何事だ!」
「クレア! 無事か!?」
エリオットはクレアを見つけると、彼女に駆け寄って、異常がないか確かめるように全身を見た。
「エリオット様、落ち着いてください。私はなんともありません。シュリアー様。いったい何と言ってお二人を呼び出したのですか」
彼女はクレアのその問いに、いつもの朗らかな、でもいたずらをする子どものように無邪気な微笑を返した。
つづく……




