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キズあり令嬢の結婚 〜旦那様は前世で私を殺したそうです〜  作者: 針沢ハリー


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第十五話 クレアの中に眠る記憶



 煌びやかな会場のざわめきの中、王弟殿下や妃殿下にするべき挨拶を終えていたエリオットとクレアは、その場を立ち去ろうと、それぞれ礼の姿勢をとる。クレアは腰を折って軽く頭を下げた。


 いつまでも王弟殿下夫妻を独占することは出来ないからだ。

 とはいえ、王弟殿下はまだエリオットに何やら話しかけようとした。

 しかし、他にも挨拶をしようと待っている方々がいると近侍に耳打ちされたようで、殿下は「では、また」と二人に声をかけた。

 エリオットがクレアを連れてその場を離れる時に、彼らの後ろに王弟夫妻にお近づきになろうと考えているらしい人たちが大勢いたことに気づいたクレアは内心慌てながら、エリオットと共に歩いた。


 人の少ない場所まで来ると、二人の周りにはようやく一息付けそうな空気が漂った。

 エリオットが「何か飲もう。喉が渇いたな」と言うのに頷いて、クレアは彼が給仕から受け取ったグラスに口をつけた。

 話をしていたのはほとんどエリオットだったのに、さすがにこれだけ長時間人々の熱気に当てられていると、想像以上に喉が渇いていた。

 エリオットと共に一杯目を飲み干すと、給仕から差し出されるままに新しいグラスに口をつけた。

 そして、クレアは自分がさほど酒に強くないことをもっと意識すべきだったと、すぐに後悔することになった。


 会場を、時折かけられる声に応じながら、エリオット共に移動していた時だった。急な眩暈に襲われ、思わずエリオットの腕を掴むと、異変を察知した彼が支えてくれるように腰に腕を回した。

 幸い、そこは広間の各所にある出入り口の一つの近くだった。エリオットは、「大丈夫か? 少し休もう」と耳元でささやくと、彼女をそこから連れ出したのだった。



 エリオットは、クレアがゆっくりと休めるように部屋を確保してくれた。彼はソファに彼女をゆっくりと腰かけさせると、優しく肩を撫でる。

「慣れない場所で疲れたのだろう。少し休もう。必要な挨拶は済んでいるから、父上に事情を話して先に帰ってもいい」


 クレアは、なんとしてもそれは避けたかった。不出来な嫁だと思われるのを恐れる気持ちもあったし、この程度をこなせないで、これからどうしていくのかという、自身を戒める気持ちもあった。


「少し休ませていただければ大丈夫だと思います。お水をいただけるかしら」

 近くに控えていた侍従に頼むと彼は万事心得ているという様子で、待機していた侍女にクレアの要望に応えるように命じると、扉を半分空けたまま彼らは姿を消した。


 だがその時、エリオットを探しに来たらしい別の侍従が部屋に入ってくるとクレアにも聞こえないような小声で彼に何事か耳打ちをした。エリオットは眉をしかめたが、「すぐに行く」答えると、クレアに向き直った。


「王弟殿下がお呼びだそうだ。仕事に関する話題になったとかで。すまないが、少々席を外す。なるべく早く戻る」

「はい。私はだいぶ落ち着きましたので、お気になさらないでください」

 

 クレアがそう言って微笑むと、彼は彼女の頬に口づけを残してその部屋から出て行った。

 クレアは、照れくさく思いながら、彼の唇の感触が残るそこに触れた。まるで本当に想い合っている夫婦のようだ。


 と、そこに衝立の陰の使用人用の出入り口から先ほどの侍女が入ってきて、クレアの横に小さな机を運んでくると、そこに水差しとグラスを置き、お辞儀をすると部屋から出て行った。忙しいのに申し訳ないと思いながらグラスに手を伸ばしたクレアは自分の異変に気付いた。

 先ほどまで水を求めていたはずの身体からその欲求が消えていたのだ。そして、今まさに侍女が閉めて行った使用人用の扉の方向に体が引き寄せられるように自然と立ち上がった。


 その先に進みたかった。体全体がそれを欲しているようだった。


 いくつかの階段や扉を抜ければ、外へ出られるはずだから。

 

 もう眩暈も酔いも、何も感じなかった。まるで夢でも見ているような浮揚感の中、人通りも飾り気もない廊下を進む。通りがかった使用人に驚かれていることは理解していたが、それは幻のように存在感がない。

 ただ外に出たい一心で、クレアがそれを目指してやってきた、まさに外に通じるはずの扉を開こうとした時だった。


『クレア!』


 後ろから足音が聞こえ、エリオットが彼女を呼ぶ声が聞こえた気がした。でもそれはぼやけていて彼女の頭の深くまでは届かない。クレアは何のためらいもなく扉に手を掛けた。


『クレア!?』

 急に後ろから抱き留められ、クレアの体は扉から離れた。

『クレア? 迷ったのか? なぜこんな所に』


 なぜ? とクレアは思った。それはもう少しで外に出られたはずだからだ。なぜ邪魔をするのだろうか。


 そう答えようとして、クレアは体を激しく揺り動かされ、頭がふらついた。

 いったい誰がそんな乱暴なことをするのだろうと思って、彼女は目の前で困惑に顔をゆがめている青年を見つめた。顔立ちの整った青年貴族だ。とっさに彼女は頭を下げようとしたが、彼に顎を持ち上げられ、彼の瞳をまともに直視することになった。


 その瞳に吸い込まれるような感覚がして、クレアの目の前に広がる光景が突然鮮明に彼女に襲い掛かってきた。そして、そこがクレアの知らない場所だということに気づいた。


「エリオット様……?」


 彼女の夫は心配そうに彼女の頬を撫でながら「なぜこんな場所に?」と言った。クレアは彼に抱きすくめられていた。周囲には数名の侍女や侍従がやはり心配そうな顔をして立っている。

 クレアは自分がとった行動を覚えていた。そして、これが何を意味するのかを瞬時に理解し、エリオットの腕をやんわりと押して姿勢を正し、自分自身の足でしっかりと立った。頭を覆う靄のようなものはすっかり消えていた。


「驚いた。戻ったらいなくなっていたから。侍従が使用人用の通路に通じる扉が開いているのに気付かなければ、私は王宮中を、あなたを探して走り回っていただろう」

「申し訳ありませんでした。人を呼ぼうとして……少し混乱していたようです。思っていたよりもお酒を飲んでしまっていたようで」


 クレアは何か答えなくてはいけないと思って、そう言い訳をした。

 エリオットは「この件は内密に」と言うと、近くにいた者たちに何かを手渡した。おそらくお金だろう。妻の王宮での失態の噂が広まらないようにそうしているのだろうと、クレアはそれを見つめていた。


 次の瞬間クレアはエリオットに抱き上げられた。下ろして欲しいと言っても、彼は「だめだ」と言って下ろしてはくれなかった。そして、侍従に案内されながら、先ほどまで居た部屋に戻った。

 エリオットはさっそく馬車の手配をさせている。そんな夫の後姿を、クレアは酷くいたたまれない思いで見つめる。


 彼女は、おそらくあれが前世の記憶というものだと半ば確信していた。

 そんなものは基本的には信じていなかったはずなのに、あの感覚はそうとでも考えないと説明がつかなかった。


 確かに彼女は知っていた。あの通路を。どこで曲がれば外にたどり着けるのかを。


 クレアは思わず胸に手をやった。布に隠されたそこには、無残な傷跡がある。心からは信じてはいなかったエリオットの言葉の数々が頭の中を飛び交った。


 女王というものは、果たして使用人の通路などというものを熟知しているものだろうか。緊急の避難のために知っていた可能性はある。しかし、あそこからは王宮の外には出られない。避難用の通路は、誰にも知られない場所にあるものだ。

 そこまで思って、クレアはまた確信を深める。その知識が、彼女自身がこの生を得る前に得たものであると。



「クレア。馬車を用意させた。父上たちはまだしばらく居るはずだから、私たちが馬車を使っても困りはしない。屋敷に帰ろう。休んだ方がいい。ひどい顔色だ」


 クレアはエリオットにそう言われて、はっきりと頷いた。これ以上無様な様子は見せられない。


 帰りの馬車の中で、彼女は夫の硬い肩にもたれかかっていた。エリオットがそしろと、クレアの肩を放さなかったからだ。

 時折心配そうに声を掛けられても、クレアは「大丈夫です」と繰り返した。

 屋敷に帰りつき、心配顔のナーラや家人に迎えられ、「よく休むように」とエリオットに言われて、楽な格好に着替え、自分の寝室の、夫婦の寝室に置かれているものよりも狭いベッドに寝転がる。

 「何かありましたら、すぐにお呼びください」と言ったナーラが姿を消した。


 そこでようやく、クレアの頬を涙が伝った。

 彼女はずっと考えていたのだ。

 彼女はどうやら、エリオットと同じく前世の記憶とやらを持っている。今日思い出したものがそれだろう。


 でも、それはクラウディア女王のものではない。


 以前ナーラと話していた、彼女が祖母に言われたと言う、生前にできた傷が消えない傷跡となるのだという話を思い出す。


 反乱が起きたのなら、城内での戦闘もあっただろう。エリオットもそのようなことを言っていた。

 ということは、それに巻き込まれた侍女や下女もいたはずだ。その誰かが、クレアが持つ傷と同じ場所を傷つけられ、その生まれ変わりである彼女に何かの拍子に、それが現れたのではないかと彼女は思った。


 クレアは自分がエリオットの勘違いで、別の誰かと間違えられてここにいるのだと確信を深めずにはいられない。

 馬車の中で、クレアがあそこで何を経験したのかを、何を思い出したのかを、エリオットに伝えるべきか迷った。でも出来なかった。そしてこのことは、この屋敷の誰にも言えない。


 この屋敷は、初めて彼女を優しく受け入れてくれた場所だった。思っていたよりもずっと、それを心地よく感じていたのだと思い知る。


 飢えていた何かが満たされるような日々を送っていたことに、クレアはその時初めて気づいた。


 彼女は愛されたかったのだ。誰にでもいい。どんな風にでもいい。


 もう、針のように彼女を傷つける目で見られる日々には戻りたくなかった。

 

 クレアは勝手に流れ続ける涙を拭いもせずに、月明かりの中、じっと天井を見つめ続けた。



つづく……

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