第十一話 夫婦の時間の必要性
エリオットには週に一度の休日がある。
しかしそんな日も、彼は基本的に自分の書斎にいることが多い。それはずっと以前からの習慣だった。
エリオットはクレアと結婚してからもそれを改める必要を感じていなかった。しなければならない仕事を少しでも進めておきたかったし、それとは別に個人的な調べ物もある。
この日も彼は朝食を済ませると書斎に向かった。彼がその部屋に足を踏み入れた、まさにその瞬間に後ろから軽やかな足音が聞こえ、扉が閉まった時には闖入者がそこにいた。
「ラティス? なんだ? 話があるのならば朝食の席ですれば良かったのではないか」
「クレアお姉様にお聞かせするのはどうかと思ったのです」
「……どういうことだ?」
エリオットはクレアに隠し事をするつもりはない。妹はいったい何を考えているのだろうかと彼は眉をひそめた。
「お兄様はシュリアー様のお茶会について、どの程度クレアお姉様からお聞きですか?」
「素晴らしい魔法を見せていただいたとは聞いたが。この三日間は朝に少し話をする程度だったからな」
エリオットは嘘をついた。実際は一昨日の夜は彼女が自分の寝室に入ってしまう前に帰りつけたから、二人で夫婦の寝室で寝た。
だから時間的には話す時間はあった。ただ、他のことに没頭してしまい、そのまま二人とも寝てしまっただけだ。もちろん妹に閨事を語って聞かせるような趣味は彼にはないので嘘をついたのだ。
「では、お兄様は近いうちに驚かれますわ。あのお茶会に参加されたお家は把握しておいでですよね? その各領地から多くの品物がこの屋敷に届くでしょうから」
エリオットはどういうことか分からずにラティスに先を促した。
すると、ラティスは、いかにクレアが詳しく参加者について調べてお茶会に臨んでいたかを事細かに彼に説明した。そして、彼女がおそらく全員から好感を持たれたであろう事やシュリアー様にも大変気に入られた様子だった事を、自分事のように誇らしげに語る。
「殿下からも、シュリアー様がまたお会いしたいと言ってくださっていたと聞いている」
「そうでございましょう? 馬車の中では、お姉様は社交の経験がないと不安そうなご様子でしたけれど、お茶会の最中は、それは堂々としておいででした。
お兄様は素晴らしい方を奥方にお迎えになったと、私、とても見直しておりますのよ。もちろんクレアお姉様のことは初めてお会いした時から大好きでしたけれど」
エリオットはクレアが社交を負担に思うのではないかと心配していたが、そうでなかったのならよかったとは思う。だから「それは良かった」と答えて、そろそろ仕事の邪魔になっている妹を書斎から追い出そうと思っていた。
ところが、そんな彼を妹は正面から睨みつけ、予想外のことを口にした。
「その割には、お兄様はクレアお姉様を大事になさっておられないように見えます。社交界では随分とロマンチックな噂が流れているそうですけれど、お兄様が本当にクレアお姉様を想っておいでのようには見えませんわ」
エリオットは片眉を上げた。十近くも年下の妹に夫婦間の関係をとやかく言われるとは思いもしなかった。
だが、確かに、彼はクレアを側に置いたことで満足してしまっているかもしれないと思い当たった。
彼にとってはそれでよくても、クレアからしてみれば、前世が何のと言い出した挙句、自分を放置して仕事にかまける夫としか思えないかもしれない。加えて、ときおり早く帰ると寝室で好きにふるまうだけの男とでも思われているとしたら大変心外だ。
考え込むそぶりをしたエリオットにラティスが「お姉様なら、本日は特に用事がないから本を読むとおっしゃっていましたけれど」と首を傾げながら言う。その顔は完全にエリオットを小馬鹿にしているようだった。
まったく、ついこの間まであんなに可愛らしかった妹が、どこからこうも生意気な言葉や表情を覚えてくるのだろうか。彼は妹を社交界に出すのも考え物だと、どうでもいいことを考えながらも、この日のうちに片づけてしまおうと思って持ち帰った仕事を諦めた。
「お前の言いたいことは分かった。クレアは自室か?」
彼がそう言うと、ラティスは大変満足そうな顔で頷いた。
彼が彼女の部屋を訪れると、クレアはエリオットが各地から集めたクラウディア女王に関する資料に目を通してくれている所だった。
それにしても、クレアも、扉の外で控えているメイドも、驚きすぎではないかと思うほどに目を見開いている。その視線に耐えられず、エリオットは「これから一緒に出掛けられるだろうか」とやや口早に言ったのだった。
◆
クレアはエリオットが書斎から出てきたことにも、外出に誘ってきたことにも、大いに驚いていた。結婚してからはもちろん、その前の婚約中の同居期間においても、かつてこんなことはなかった。
クレアは今朝彼から渡されたばかりの資料に目を落とした。彼が各地から集めたという、クラウディア女王に関する資料の一部だった。
おいそれと人目に晒すわけにはいかない内容に違いないので、人払いをした上で、自分の部屋でそれを開いたところだった。
今朝の時点では彼は外出するつもりはなかったはずだ。いったいどういった心境の変化だろうか。
「こちらを急いで確認した方がよろしいのかと思っていたのですが」
「それは急ぐ必要はないと思う。今後いくらでも時間はある。それよりも私はあなたを知る努力をすべきだと思って」
クレアはその言葉に、エリオットは良くも悪くも正直だと内心苦笑した。義務でしていると言われているようなものだったからだ。でもその方が彼らしかった。
彼はクレアに愛を囁くが、それは彼女の背後に見えている人物に対するものであることが明白だから、クレアは彼から本当の意味で関心を持ってもらったり、ましてや愛してもらえるなんてことは微塵も期待していない。
何にしろ、クレアは彼を非難するつもりはなかった。まるで自分自身に言われているかのような愛の言葉は、それだけでもふわふわした心地がして、満たされた気分になれるからだ。
「では着替えてまいります。どのような場所に行かれるおつもりでしょうか」
彼が行きたい場所に合わせるものだと思っていたクレアは、その場所に合わせた服装を知りたくて聞いた。
「あなたは、ラティスと街中を歩くのを好んだと聞いたのだが、また行きたい場所があればエスコートさせて欲しい」
「行きたい場所……。私がですか?」
「ああ。何か、そう、装飾品でも、ドレスでも。いつもは昔からの付き合いのある商会や職人に作らせてしまうが、あなたの好みのものがあるならば、そういったものを贈らせて欲しい」
クレアはそれを聞いて「とんでもない」と慌てて遠慮した。
彼から贈られたドレスや宝飾品は、クレアがこれまでの人生で手にすることを想像もしていなかったほどの量だった。これ以上もらっても使いきれない。
それに、彼からだけでなく義母からも何かにつけてクレアに似合う色を見つけたからと宝石が贈られてくる。その加工すらどうすべきか迷ってばかりだというのに、これ以上何か貰ってもクレアの手には負えない。
「エリオット様はあの大通りにはいかれることがありますか?」
「たまには。だが、私は本屋くらいにしか行かないから」
「では、行きつけの本屋に連れて行ってくださいませ。私も行ってみたいです」
エリオットは「そんなところでいいのか?」と困った顔をしたが、ちらりとクレアが図書室から借りて来て読んでいる本が何冊も置かれているのに目を止めて、「あなたも好きならば、そうしよう」と納得してくれた。
そこで、はたと思いついた。ずっと考えることさえ諦めていたけれど、この屋敷であれば許されるかもしれない、ある物を。
「あの、私の行きたい場所に寄っていただいてもよろしいのなら、楽器を売っているお店に連れて行っていただけますでしょうか」
エリオットは少し驚いた顔をしてから、「もちろん」と言って破顔した。そのめったに見せない彼の作り物めいていない笑顔に、クレアは一瞬見惚れ、ふわりと笑ったのだった。
つづく……




