第十話 王弟妃殿下の魔法のお茶会
クレアは王弟の側妃であるシュリアー様が主催するお茶会に出席するため、義妹のラティスと共に王宮に向かっていた。王宮と言っても、広大な王宮の敷地内の一画にある、歴史を感じさせる大きな屋敷に招かれたのだった。
そこは王弟殿下と妃のシュリアー様とそのお子様方が暮らしている屋敷だった。
異国から来たシュリアー様が出来るだけ馴染んだ環境で暮らせるようにと、結婚前に王弟殿下がこの屋敷の利用許可を得られたのだと言う。
それを教えてくれたラティスは、まだ十四歳という若さながら、その人生のほとんどを田舎の領地で暮らしていたクレアとは違い、噂話などに詳しい。
近しい家の令嬢方との付き合いや、お母様である伯爵夫人が参加されるお茶会への同行など、クレアよりもよほど社交の経験を積んでいる。社交界デビューが近い令嬢としてはこれが普通なのかもしれない。
クレアの妹のエマも、思い出してみれば母に同行してよく出かけていた。クレアは一度もそのような経験はなかったけれど。
クレアとラティスが到着した時、花壇を中心におき、その周りを道が取り囲んだアプローチには、すでに何台かの馬車が到着して、順番を待っていた。
「少し待つことになりそうですわね、クレアお姉様」
クレアは、年齢にふさわしく可愛らしい意匠のドレスを着たラティスに頷き返した。
クレアには始め、「妹」という存在に苦手意識があった。しかし婚約期間に彼女と過ごす時間が長く、知れば知るほど、ラティスを実の妹のエマとは同一視する必要などないのだと思えるようになった。
彼女は明るくて、その笑顔は周囲に微笑をもたらす。彼女からは、失敗をしたメイドを責める言葉を聞いたことも無ければ、友人たちの陰口を聞いたこともない。クレアは、そんな気を張る必要のない「妹」ができて本当に嬉しかった。
クレアは窓の外を見るラティスにつられて外に視線を向けながら、止まっている他家の馬車に付けられた家紋を確認した。当然知っている家ではあるが、社交をしてこなかった彼女にとっては、その持ち主の人格までは分からない。
クレアはこの日の出席者を知ると、それぞれの家の領地やその特産品については簡単に調べていた。話の糸口にでもなればと、藁にもすがる思いだったが、出席者同士の関係性は血縁関係程度しか分からなかった。
どうか、クレアを疎んじるような方がいなければいいと思った。彼女は何を言われたとしても微笑み返すくらいしか選択肢を持っていない。
案内され、会場である、大きな窓の向こうに美しい庭が見えるサロンに足を踏み入れたクレアは、とても緊張していた。
他の貴婦人たちと笑顔で話をしていた主催者のシュリアー様がクレアとラティスの姿を見て歩み寄ってくださった時も緊張していた。
「よくいらしてくださったわね。どうぞ気楽に過ごしてくださいね」
「お招きいただき、ありがとうございます」
シュリアー様は朗らかに笑っていらしたけれど、クレアはそう返すのが精一杯だった。ラティスの方がよほどしっかりと受け答えをしていた。
ラティスとシュリアー様がもともと顔見知りだったとはいえ、ラティスよりもずっと年上の自分がこんな有り様では彼女にも恥をかかせてしまうかもしれないとクレアは思った。
クレアは不吉な噂のある自分を、何のためらいもない様子で受け入れてくれたカレドアル伯爵家の家族や家人を想った。
次の代を支えていくはずのクレアがしっかりしなくては、皆が不安になるかもしれない。彼女にがっかりするかもしれない。やはりエリオット様には他のお相手の方が良かった、と思われるかもしれない。
クレアは侍女に席に案内されながら、周囲に気づかれないように何度も鼻から大きく息を吸っては、ゆっくりとそれを吐き出した。不安ごと体から追い出してしまえるように。
その効果か、テーブルについた時には、先ほどまでの不安感が薄れ、背筋が伸びた気がした。
そして、思った。
もうなるようにしかならないし、どんな嫌なことがあっても、それはずっとは続かない。このお茶会はやがて終わる。母から蔑まれる生活が終わったように。
そう思えば、自然と微笑みも浮かび、先に席についていた方々を見回しながら、目が合うと微笑むことも出来た。
やがて、楕円形の大きなテーブルを囲む八名の出席者が全て揃う。
参加者は既婚者、特に子どものいる貴婦人が多かった。シュリアー様がそうなのだから当然だろう。
むしろ、この場にクレアらが招待されているのが特別なのだろう。ラティスは社交界にはまだ出る年齢ではないから、クレアが知り合いのいない状況に心を砕いてくださったのだろうと、招待状を見せた時にエリオットも言っていた。
感謝の気持ちを込めてシュリアー様を見ると、彼女もクレアを見て微笑んだ。
そんなクレアは、お茶会が始まって開口一番にシュリアー様に、結婚の祝いと、ゆっくり話をしてみたかったのだと、ありがたいお言葉をいただいた。
「急な式であったにも関わらず、ご出席いただき、感謝に堪えません」
「まあ、クレア。そのように他人行儀になさらないで。私、あなたに初めてお会いした時に、あなたとお友達になりたいと思いましたのよ」
クレアは恐縮したが、表面上は微笑をうかべて「ありがとうございます」とだけ答えた。この方は、おそらくそのように心やすく話しかけられる相手を欲しているのだろうと思ったからだった。その考えは合っていたようで、シュリアーはその明るい笑顔をさらに輝かせた。
そして、彼女は宙に何か模様を描くように手を上げて指先を動かしながら、歌とも旋律ともつかない声を響かせた。その美しさにクレアが聞き入っていると、頭上から光が降り注ぎ始めた。
それは不思議な光景だった。
クレアの周りに光り輝く花びらが落ちてきて、しかし、体に触れる前にそれらは消えて行った。クレアは降り注ぐそれを見上げて驚きのあまり両手で口を覆った。そうでなければ、大声を上げてしまいそうだった。
色とりどりの花びらは形もさまざまで、落ちてくる時の動きも違う。あるものは回転しながら真っすぐに、あるものは風に吹かれているかのように左右に揺れながら落ちてきていた。
周囲で歓声が上がっているのに気付いたのは、それらが全て消えてからだった。シュリアー様が魔法大国であるアンダートのご出身であったと思い出す。
「魔法……」
クレアが思わずつぶやくと、シュリアー様は「そうよ。このような魔術はこの国にはないのよね。驚かれたかしら」と弾むような声で言う。
クレアが言葉に出来ずに、でも一所懸命に首を縦に振ると、いたずらが成功した子供のように彼女は破顔した。
クレアよりも年上のはずなのに、その笑顔はまるで無邪気な少女のようだった。クレアはそれだけで彼女が大好きになった。
「歓迎のしるしよ。さあ、お茶を! お菓子もたくさん用意したの。皆で楽しくお話ししながらいただきましょう」
女主人のその声に、侍女たちが美しく飾り付けられた菓子類を並べ、香り高いお茶を目の前に置いてくれる。
クレアの隣に座ったラティスが「素晴らしかったですわね、お姉様」と声をかけてくれて、まだ夢見心地で呆然としていたクレアはようやく我に返った。「ええ。本当に」とクレアはラティスに微笑み返した。
当たり障りない話題が続き、一通り菓子を味わうと、出席者の面々がクレアに意味ありげな微笑を向ける。クレアが内心戸惑っていると、それを感じ取ったかのように、シュリアー様が言った。
「ごめんなさい、クレア。今社交界には、エリオット卿から急に求婚されたと言う、あなたのロマンチックなお話に興味を持たない女性はいないのよ。是非ともいきさつお聞きしたいの」
「本当に。今日ご一緒できた私達は皆から羨ましがられてよ」
「エリオット卿はこれまで浮名も聞かれないほどでしたのに、衆人の前でクレア様を離さなかったなどとお聞きしては黙っていられませんわ」
シュリアーの言葉に、周囲の婦人方も同調する。微笑ましいものでも見るかのような視線を向けられて、クレアは微笑を返す。
しかし、クレアはどう言葉を紡ぐべきか迷った。正直、彼女にとっては、あれはロマンチックなことでも何でもなかった。
結婚をせずに生きていく道も楽しそうだと思っていたところに、断ることの出来ない求婚をされてしまったのだから。
だが、そんな本音を言っても彼女には何の得もない。おかしな噂でもたったら面倒だとさえ思う。クレアは彼女たちの想像外の言葉で煙にまくことにした。
「私も驚きました。面識のない方に助けていただいて」
「助けた……?」
「はい。エリオット様は……。夫は、私の服装が乱れて、腕にある傷跡が見えていたのに気を留めてくださったのです。それで、少しお話をしていましたら、過分なお申し出をいただきまして」
お茶会の席は、にわかにさわさわと揺れ始め、皆が思い思いに話し出した。
「エリオット卿はクレア様とお話しされて、そのお人柄に心打たれたのね」
「いえ、それ以前からクレア様をご存じでいらしたのではないかしら。服装の乱れを直接指摘される紳士はそうはいないもの」
それ以上この話題を広げたくなかったクレアはすかさず、シュリアー様に許可を取り発言の許しを得た。
皆様の領地の特産品などのお話を伺いたいと言い、自分とラティスとシュリアー様を除いた五人の領地について知っていることを話すと、皆驚いた顔をした。
「ずっと田舎にいたもので、噂にしか聞いたことが無いのです。是非ともお話を聞かせてくださいませ」
クレアが自分が話題の中心となることを避けるために選んだ話題だったのだが、シュリアー様は無邪気な様子で、「まあ! クレアは勉強熱心でいらっしゃるのね。私も皆様から最近のご様子はうかがっていないわ。子育ての話題ばかりで。ぜひ聞かせてくださいな」と言いながら、クレアに微笑み返した。
そして、ありがたいことに、シュリアー様は一人一人に話を振っては自分からも質問をし、クレアにも何か他に聞きたいことはないかと声をかけてくださる。
そして、互いの領地についての近況を聞いた夫人方同士の話にも花が咲き、後日夫を巻き込んでの正式な商談にまで話題を発展させる方たちさえいた。
一通りその話題で盛り上がると、最終的には、いつも通りだという、子育てや夫に対するちょっとした不満話に花が咲いた。
「クレア様はまだ新婚ですものねえ」「でも、ご不満があるならそれとなくでも伝えられた方がいいわ。家人を介してもいいのですから」などと言われるのには、クレアは曖昧に微笑むことしか出来なかった。
エリオットに不満があるかと言われれば非常に難しいところだった。不満を持つほどの時間を共に過ごしていないのだから。
それだけ話をしていれば、当然お茶会にも終わりは来る。
シュリアー様はまた、会の始まりにクレアにしてくれたように、テーブルに着く全員の上から花々を降らせ、蝶を舞わせた。
クレアが触れられないと分かっていながら、その幻想についつい手を触れようとして手を伸ばすと、隣でラティスも同じように蝶を掴もうとしていた。互いにそれに気づいて微笑み合った。
そして、参加者同士が再会を約束し合って、シュリアー様のお茶会は終わった。
クレアはあれほど緊張していたのが嘘のように、素晴らしい経験にいつまでも興奮が収まらないまま、ラティスと共に帰路についたのだった。
つづく……




