第九話 エリオットが持つ記憶
エリオットは職場にいた。そこは王弟の執務室であり、地方長官室でもある。
同僚の一人は調査のために王都外に出ており、もう一人は別の部署に書類の不備について文句を言いに行っていた。
エリオットはその状況を何とも思わずに、目の前の資料に集中していた。ところが、この部屋には集中力を欠きがちな男がいた。彼の上司である、王弟殿下である。
「エリオット、ぜひとも聞きたいことがあるのだが」
「何ごとでしょうか。ちなみに私的なご用件でしたらお答え致しかねます」
内容も聞かず上司の発言を封じるなど、立場からしても、相手の身分からしてもあり得ない行為だった。しかし、そんなものはこの上司に仕える補佐官たちはもう気にしていない。最低限敬語を使ってさえいればよいと思っている節すらあった。
それは王族中の王族である王弟であるはずなのに、やけに気安い上司にその責任の一端があると全員が考えていた。
彼らの上司は仕事は出来るのに、さぼってばかりいる。しかし、その実、肝心なところではきっちり難題を片付けてみせるのだから、彼の下で日々細かな確認作業に追われている補佐官たちからしたら「いつもそうしてくれ」と言いたくもなるし、実際に丁寧な言葉で面と向かってそれを言うことすらある。
王弟はいつものようにエリオットの態度を問題視することなく、にやりと笑った。
王弟のリュードガーは四十六歳になる、王家に多い銀色の髪に緑の瞳の持ち主で、体格がよく、実年齢よりも若々しく見える。
彼は、兄である現国王とは九歳の年齢差があり、兄を産んだ後に亡くなった女性の次に前国王の正妃となった女性の子として産まれた。
彼が成人した頃には、年の離れた兄、つまりは現国王にはすでに正妃との間に子がいた。そのため彼は自身の存在が争いの種にならないよう、独身を通していたのだといわれる。
現在は妻子を持つが、正妃はいない。たった一人の妻は側妃の立場にある。これは、この国の慣習で、側妃の子は基本的に王位継承権を持たないからだった。どこまでも、争いの種は撒きたくなかったのだろうと周囲は言うが、本人からの言葉はエリオットは聞いた事がなかった。
その王弟は、現在、基本的に政の根幹に関わる部門には席を持っていない。
しかし、地方長官の肩書を持ち、地方から寄せられる嘆願の類をさばき、重要度を判断し、必要な部門に命令を出す権限を持つ。
国の要ではないかもしれないが、彼が判断を間違えば地方反乱が起きる可能性などが出てくる。
実際に彼がこの職に就いてから十五年ほど経つが、その頃から王都と地方の関係は、それ以前より良好であると言われている。エリオットは彼も国を支える人間の一人だと思っている。
家族が好きすぎて仕事をさぼりがちなのが玉に瑕だが、エリオットをはじめとする三名の補佐官たちが分析し、精査した嘆願書を見る目は的確だ。
若い頃、何の役職も与えられていなかった彼は国中を、身分を隠して旅していたという。補佐官たちは彼からその時の、その場に足を踏み入れた者だけが知るその地方の状況を聞く。そして、「自分の目で見てこい」と、実際にその場所に行かされる事もある。
もちろん、彼らの役職は隠され、不正が無いように見張りもつけられる。
彼の元にいても出世はあまり期待できないが、各地の状況を知りえるという点でエリオットにとっては願ってもない職場だった。
エリオットは王宮勤めをはじめた当初は父と同じ部署に所属していた。そのまま勤めていれば出世は間違いないと言われる立場にいた。
しかし、地方長官のこなす仕事内容を知り、それに目を付け、欠員が出たと聞くとすぐにその職に名乗りを上げた。
エリオットは周囲から如才ないと思われているらしいから、そこに出世の糸口を見出したのかと散々聞かれたものだった。だが、出世など本当に彼の眼中にはない。
補佐官三名と秘書官と、各地に散った調査員だけという少数精鋭の職場は、忙しいがやりがいがあった。
そして何より、彼にとってその職場ほど都合のいい場所はなかった。彼はずっと前世で愛した人の名誉の回復を図るための資料と、生まれ変わっているはずの愛する人を探していたから。
「で? 上手く話せたのか?」
エリオットは、積まれた報告書を横に押しやって執務机に両肘をつき、にやにやと笑いながらこちらを見ている上司を横目で見やった。
無視をしたいところだが、今の彼の様子では、エリオットの答えを聞くまでは仕事に取り掛かってくれそうにない。
エリオットは新婚である。帰りが遅くなるのは避けたかった。妻となったクレアとの時間を捻出するために、彼は仕方なくペンを置いた。
王弟はエリオットが前世の記憶を持つ事も、彼がなぜこの職場に志願したのかも知っている。
エリオットが彼の元で働き始めたころ、場末の酒場に「これも社会勉強だ」と言って連れて行かれた。そこで出された慣れない酒に酔って、彼がうっかり自分が抱える秘密を漏らしてしまったからだ。
エリオットは翌朝上司の屋敷で目を覚まし、興味津々の王弟妃のシュリアー様とこの上司にあれやこれやと前世について聞かれ、自分が知っている範囲のことを話させられた。
始めは、ただの酔っぱらいの戯言だとごまかそうとしたのだが、エリオットが話したいくつかの事柄は歴史書では書き換えられているものの、真実の所は王位継承権を持つ者は知っているといった類の内容だったらしく、主にシュリアー妃に問い詰められるまま、全て話さざるを得なかった。
彼が前世でクラウディア女王と生まれ変わったら結ばれようと、契約魔法を結んだことも全て話した。もしかしたら、何か情報が得られるかもしれないと思い直して、途中から彼はむしろ積極的に説明したくらいだった。
この二人とクレア以外にエリオットの秘密を知る者はいない。
エリオットは諦めて、先ほどの上司の質問に答えた。
「上手くいったかは知りませんが一通り話しはしました。理解は示してくれましたが、心から信じてはいないでしょう」
彼の妻となった女性は大変に冷静で、自分の感情を抑え込むことに長けている。調べさせた範囲でも、短い婚約期間からでもそれはよく分かった。
「前世で自分たちは、来世で一緒になろうと約束したんだ」と言い出すような夫は狂人扱いされても仕方がないところではあったが、彼女は一応それを呑み込んで、彼を受け入れてくれた。
彼女は、実家では傷跡のせいで冷遇されていたらしく、手入れの行き届かない様子の令嬢だったが、伯爵家で生活するようになってから日々美しくなっていくのにエリオットは驚いたものだった。
もちろん、顔立ちも性格も、彼がいまだに愛していると感じているクラウディア女王とは違う。だが、エリオットも前世の自分とは考え方も見た目も違うから、そんなものなのだろう。
だが彼は初夜の床で彼女の傷跡を見て、やはり彼女こそが前世の彼が手にかけた、そして誰よりも愛していた女性であると確信を深めた。
初夜を過ごすことで彼女が何かを思い出すのではないかと期待したが、何も起こった様子はない。彼女の寝顔を見ながら、焦りは禁物だと自分自身に言い聞かせたばかりのエリオットである。
なんにしろ、クラウディア女王の生まれ変わりである彼女を手放す気は、彼には毛頭なかった。
彼女が彼以外の誰かの腕の中にいるところを想像しただけで、はらわたが煮えくり返りそうな心地を味わう。
考え込み始めたエリオットの様子に面倒になったのか、王弟が話を変えた。
「そういえば、お前の妻となったことで身分上の問題が無くなったからと、早速シュリアーがお茶会の招待状をしたためていた。
カレドアル伯爵家の人間であれば王族主催の茶会に顔を出しても何の問題もないからな。王宮には慣れていないだろうからとラティス嬢も一緒にと言っていた」
「お心遣いに感謝するとお伝えください」
「ああ。シュリアーは奥方をいたく気に入った様子だった」
「光栄でございます」
エリオットは王弟妃のあまりにも早い行動に驚きながらも、反射的に返事をした。
クレアは家人や妹のラティスとはうまくやっている。だが、社交の経験はほとんどないと言うから、ラティスも共にという心遣いには率直に感謝した。
それと同時に、彼女が王宮に来ることで何か前世の記憶を思い出してくれるのではないかと一瞬期待をした。エリオットが前世の記憶を取り戻したのが王宮だったからだ。
しかし、焦りは禁物だと再び自分自身に言い聞かせる。時間はいくらでもあるはずだから。
「そういえば、何か歓迎の気持ちを示したいと、魔術を試していたな」
王弟のその言葉に、エリオットの目の前に前世の記憶が広がった。
約百年前までは、この国でも魔術が非常に盛んだった。クラウディア女王は数名の魔術師を側に置いていて、彼らは自在に多くの魔術を操っていた。
しかし、クラウディア女王に対する反乱の際、後に国王に即位するキーランがとった行動によってこの国の魔術は衰退することになった。
クラウディア女王は魔術師たちから非常に強い支持を受けていた。全ての魔術師が攻撃魔法を使えるわけではなかったが、キーランはとにかく彼らが自分に牙をむく事を恐れた。
そして彼らのほとんどを殺害するように命じた。キーランの反乱に加担した前世のエリオットもその命令に従い、多くの魔術師を墓場に送った。
そしてその後、国王となったキーランが、魔術書の類を全て燃やした。
さすがにそれをしてしまっては、新たにキーランに味方する魔術師を育てようとしても出来なくなってしまうと反対の声が多かった。しかし、キーランはそれを断行し、それによって生じた不都合の責任をクラウディア女王に全てなすりつけたのだった。
「エリオット?」
怪訝な表情をこちらに向ける上司の声に、現実に引き戻されたエリオットはすかさず失礼を詫びる。
普段はこのように前世の記憶の渦に囚われてしまう事はないのだが、その思い出が強烈であればあるほど、まるでその時に戻ったかのようにその世界に入り込んでしまう事がある。
クレアと初めて出会った時もそうだった。彼女の腕の傷を見た瞬間に、愛する人を手にかけた時を思い出し、クレアを随分と困らせてしまった。
「大丈夫か? まさか、クレア嬢……ではなかった。奥方は魔術がお嫌いかな?」
「特にそういった話題が出た記憶もございませんので、何とも」
「まあ、医療魔術以外の術を使う者は、この国ではシュリアーたちくらいのものだろうからな」
シュリアー妃は魔術大国アンダートの元王族なので、魔術を使う。政変に巻き込まれ国を追われたシュリアー妃と、現在はあちこちを放浪して過ごしているという彼女の弟だけがこの国で医療魔法以外の魔術を使う。
エリオットも数回見たことがあるのだが、シュリアー妃はとても幻想的な風景を作り出すのがお得意だ。女性は特にそういったものを好むようだった。ラティスなども以前それを見た時には瞳を輝かせていたものだった。
「そのお心遣いに喜ばない者はおりますまい」
「だといいがな」
そう言いながら、ようやく仕事をし始めた王弟の様子を確認すると、エリオットも再びペンを取り上げた。
つづく……




