35 乱麻、ほどけたのち
完璧な推理だった。
反論の余地など微塵も残さない、完全無欠の名推理。しかしそのラストシーンは、探偵が館で見せたそれとは真逆のものであった。
探偵役の土下座。
探偵役の逮捕。
前代未聞とも言える幕切れである。
勝利、そして敗北。そんな相反する二つを同時に手にした探偵役へ、警部はゆっくりと手を置いた。
「島村幸次郎。あんたを傷害致死で逮捕する」
「……警部さん」
「何だ」
「少しだけ、桜木と話させて貰えませんか」
「認められるか、そんなもん」
警部はにべもなく首を振る。返答は非情で、どこまでもあっさりしたものであった。
……いや、元々犯人に便宜を図るというのは何かと制約があるものなのだろう。それが叶えられなかったからと言って警部を非難するというのも、また随分と筋違いな話である。
大体からに今まで何かと特例を受け続けてきた身であるのだ、仕方あるまいと俺は脱力して目を伏せる。しかし警部は、俺の肩に置いた手を離しつつ舌打ちと共に呟いた。
「……手錠が足らんな」
「ん?」
「森本とお前、両方逮捕したいところだが手錠が足らん。俺は他の一課の人間に森本を引き渡してくるから……探偵、お前は島村を見張ってろ」
あくまで忌々しげな態度のままそう指示を飛ばす警部。だが、それが彼なりの温情であるというのはその場の誰にも明らかであった。
「電話で人を呼べば良いのでは?」
「見張ってろ」
「ええ、ええ。わかりましたよ」
それでも、探偵は全て理解した上で尚も半笑いを浮かべて警部を揶揄う。だが警部が語気を強めながらもう一度反復すると、今度こそ探偵は苦笑しながら頷いた。
「行くぞ、森本」
「……すみません、私も同行しても?」
「会話は認めんぞ」
「ええ、それで結構です」
田辺もまた、森本に続いて警部と共に扉の奥へ消えてゆく。扉の重厚な音が鳴った後、部屋には俺と桜木、それから探偵の三人だけが取り残された。
しかし、ややあって。
その扉を凝視しながら、探偵は思いついたように口を開いた。
「……警部さんはああ言っていましたが。私も席を外すとしましょう。あなた方も、二人だけで話したいでしょう?」
「いいのか?」
「なに、席を外すと言ってもそこの扉の向こうで待機するだけですよ。島村さんへ、謎解きのお礼として束の間の自由時間くらいは与えてあげようかなと」
警部の時とは違い、随分と直接的な温情である。そう言った探偵が扉に手を掛けたタイミングで、桜木はおもむろに口を開いた。
「……島村は、瞬間移動トリックでここから逃げちゃうかもしれませんよ?」
「その時は今度こそ私が捕まえますよ、お気になさらず」
それは多分、先刻の警部と探偵のやり取りを踏まえての茶々なのだろう。桜木の笑み混じりの質問に、探偵は扉を一気に開け放ちつつ答えた。
**
そうして訪れる、それまでの空気と一変して重苦しい沈黙。
しかし、警部の作ってくれた時間もそう長くはないだろう。俺はただ、まるで独り言のように静かに切り出した。
「……結局、最後まで分からなかったことがいくつかある」
「なんだい?」
「まずはそうだな、お前が春日商事を狙った理由」
頭を掻きつつ、俺は尋ねる。結局、その理由だけはどうしても分からずじまいだったのだ。
「俺は、犯人が春日商事の防犯の甘さを知った上であそこを選んだと思っていたんだ。けど、お前は違うよな。先に春日商事をターゲットにして、清掃員として潜入して……そこでようやく、うちの防犯システムの甘さを知った。俺の推理通りならそういうことになる」
「前後が逆、ってことかな」
「ああ」
何度も記憶を手繰って確認したが、やはり俺が桜木に春日商事の監視カメラについて話した記憶は無い。彼の確認に頷くと、桜木はふうと小さくため息をついた。
「うーん……多分、君が思っているよりも簡単な話だよ。僕の目的は春日商事に入ることだった、この事件はそのついで。ただそれだけなんだ」
「は?」
「不思議に思わなかったかい? 何故、僕が大学時代からずっと偽名を名乗っていたのか」
言われて、俺は息が詰まる。それは丁度、彼に尋ねようとしていた別の『分からなかったこと』である。まさか、在学当時から犯行を計画していたわけでもないだろうに。
「僕はね、生粋の嘘つきなんだ」
「……」
「虚言癖、って意味じゃないよ。ただ人が騙されてるのを見るのが好きってだけだ」
発言の意図が掴めずにいると、彼は優しく補足を加える。と同時に、桜木は左手の指輪を外して置いた。
「たとえば。僕は結婚していない」
「……え?」
「嫁なんて元から居ないんだよ。ハリーウィンストンの高級指輪だって嘘。その辺のアクセサリーショップで買った安物だ。高級志向の天海ですら、見抜けなかったみたいだけどね」
彼の言葉に、俺は呆気に取られて何も言えなくなる。しかし桜木はそんな俺を気にも留めない様子で続けた。
「そんなんだから、偽名は特に目的があって名乗っていたわけじゃない。嘘をつきたかったからついた。それだけだ」
「……春日商事に入ったのは?」
「君を驚かせたかったから、かな。何かのタイミングで出会った時に、ビックリさせたくて……でも」
そこで彼は、おもむろに天井を仰ぐ。それはまるで衝動的に物を壊してしまった少年が、母親に怒られることを予見して後悔するような。そんなどこか無邪気さの抜けない表情であった。
「あの日は、条件が整いすぎてた」
「条件?」
「冤罪というより大きな嘘をつく条件が、ね。僕の車は目立ちにくい代車で、アリバイトリックの条件も完璧、凶器もその場で調達可能と来た。だからまぁ……やってみた」
彼の発言に、嘘をついている様子は見えない。どうやら本気で、それが彼の動機だったらしい。
「……ていうか、代車の話は本当だったんだな」
「そうだよ?」
桜木は変わらぬ微笑みの表情で答える。
俺はてっきり、代車こそ彼の嘘だと思っていたのだ。強盗の際に目立つRX-8ではない、一般の車を持ってくる口実として、代車という嘘をついていたのだと。
真実と思い込んでいたことが嘘で、嘘と思っていたことが真実。何ともややこしい話である、俺は眉間のシワをほぐしつつ小さなため息を吐いた。
「とにかく、結果として警察までもが僕の嘘に騙された。まぁ君が同日に天海を殺してたのは流石に予想外だったけど……でも、元々君宛についた嘘だからね。こうして見破られたところまで含めて、僕は案外満足している」
「……じゃ、これで最後だ。春日商事の社長……えっと、名前なんだっけか」
「天道光一」
「そうそれ。あいつ、4人従業員が殺されてまだ、椅子の上から微動だにしていなかったらしいが。なんでだ?」
それは一見大した疑問ではない。動いていなかったからといって、何か問題がある訳でもない。もっと言うならあの部屋の構造上、逃げ出したところでどこかで撃たれていたはずである。
だが、俺は胸の内に抱いたひとつの疑念を晴らさずには居られなかった。
「ちなみに君は、なんでだと思う?」
「……保険目当ての狂言として、社長と組んでたとか」
「あー、なるほど」
彼はポンと手を打って納得する仕草を見せる。それは明らかに俺の推理が外れた反応であり、最悪の仮説が立証されなかったことで俺はホッと胸を撫で下ろした。
「まぁ確かに、論理的に理由を付けるとそうなるね。実際は大した理由じゃないけど」
「なんだ? やっぱり腰が抜けてたとか?」
「いや、居眠りしてた。銃声でも全然起きなかったよ」
「そ……そっかあ」
想像以上にしょうもない理由に、俺は思わず拍子抜けする。それはどうやら桜木も同じ様子であった。
「……ま、それはもういいや。で、俺の推理は何点だった?」
「想像以上にいい推理だったよ、90点くらいかな」
「10点は動機分か?」
「それもあるけど。森本さんの盗聴器を見付けられたなら、僕の盗聴器も見付けて欲しかったなって」
クルクルと、彼は指先で空中に円を描きながら言う。そうして歌うような調子で、桜木は続けた。
「……お前も盗聴器を仕掛けてたのか?」
「まぁね。目的が一緒なら、手段が似るのはよくあることさ。もっとも、僕はちゃんと回収したんだけどね――盗聴器のついたフィギュアを」
フィギュア、その響きには覚えがあった。すかさず俺は彼に尋ねる。
「それ、アイドルマイスターとかいうやつの限定品か?」
「そうそう。先週くらいに、俺は仕事の都合で買えないから代わりに買ってくれって天海から頼まれてね。もっともらしい理由を付けてたけど、流石に丸わかりの嘘だったよ。で、買ってみたら台座が結構大きい上に蓋付きの空洞だったから、中にこっそり盗聴器を貼り付けたんだ」
「なるほどな。それで、拳銃を盗んだ際には一緒に回収したと……だから田辺が部屋に来た際にはフィギュアが無かったんだな」
納得し、俺は膝を打つ。一方で桜木はその反応が嬉しくて仕方ない様子であった。
「どうやら、心当たりはあったみたいだね」
「一応はな。せめて実物があったらその推理にも辿り着けたんだろうが……」
「まあ実際、僕も事が終わったら中の盗聴器だけ抜いて返そうと思ってたんだけど、その頃にはもうフィギュアを返す所の話じゃなかったから。結局、返せず仕舞いさ。確かに情報が少なすぎたかな」
思わず負け惜しみを言うと、桜木は頷きながらそれをフォローする。それから、彼は宙にまた一度大きく丸を描いた。
「じゃ、特別大サービスで今回は100点にしてあげよう」
「あんまり嬉しくねぇな」
「いやいや。警察や探偵でも辿り着けなかった真実を暴いたんだ。君、結構探偵に向いてると思うよ?」
最後のセリフだけやけに声が大きかったのは、扉越しの探偵を意識してだろうか。俺は一瞬だけそちらを振り返り、それから首を振った。
「馬鹿言え、そんなわけあるかよ」
「僕は本気だけどね。ほら、サークル時代も君はちょこちょこ謎を解決してたりしただろう? 部員消失事件とか、新入生連続即退部事件とか」
「……覚えてねぇな、割とマジで」
そんなことあっただろうか。俺がジジィ化しているのかそれとも事件が本当にしょぼ過ぎてなのかは分からないが、記憶の片隅にもそんな事件の記憶はない。唸りながら首を捻ると、桜木は笑った。
「あったよ。だから僕も、君が探偵役に向いていると思ったんだ。極端な話、君と推理戦をしたかったから事件を起こしたとまで言える」
「ヤな動機だなあ。お前それ法廷で話すのか? 後でネットやマスコミにネタにされるぞ」
「そんな事言われても。ていうか、僕が嘘つきになった理由だって、君のせいなんだからね」
口を尖らせ、急に桜木は異なことを言う。俺は思わず眉を顰めた。
「いやいや、お前初対面で既に偽名名乗ってただろ。なんで俺がお前の嘘のルーツにされてんだよ」
「やっぱり覚えてないか。僕、もっと前に君と会ってるんだよ」
唐突に、彼は安い量産型ラブコメみたいなことを言い始める。まさかここからラブストーリーが始まるわけでもあるまいし、とその意味が把握しきれず困惑する俺に、桜木は小首を傾げつつ尋ねた。
「僕がまだ桜木圭人の頃だ……と言っても、部員消失事件ですら覚えてないなら記憶に残ってるかどうか。覚えてる? 小学校の時に君さ、プリンの盗み食いで怒られたことあるでしょ」
「え? いやお前、まさか」
忌々しい記憶がいきなり掘り起こされる。いや、なんだか割かし最近にも思い出した記憶があるような気もするが……いずれにせよ、彼が言わんとしていることを、俺はすぐに信じることが出来なかった。
「うん。あれ、食べたの僕」
「えええええええええええ!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
それは正真正銘、今日一番の大声だっただろう。扉の向こうの探偵はおろか、森本や警部達にまで響いてもおかしくない大音量であった。
出し抜けの大声には流石に怯んだらしく、耳を塞いで目で文句を訴える桜木。しかし俺はそれにかまける余裕などなく、震える手で彼を差した。
「おま、お前……」
「今度卒アルで確認してみなよ。同じクラスにいたはずだよ、桜木圭人」
「いや待て、仮にそうだったとしてだ。何でお前を嘘つきにした責任が俺ってことになるんだ」
「簡単な話。あれが僕の初犯だったんだよ」
あっけらかんと彼は言い放つ。それから、感慨深げに彼は続けた。
「いや、まさか嘘をつくのがあんなに楽しいとはね。あれのせいで、僕は嘘つきになったと言っても過言じゃない」
「……それは俺のせいというより、当時の先公のせいだろ」
「それは言えてるかもね。お世辞にもいい先生じゃなかったし、こうして犯罪者を二人も産んだことについては反省してもらいたい」
桜木は朗らかに笑い、俺は苦笑した。
サラッと五人殺した人間と同列に扱われている点については異を唱えたい所であるが、人を殺したというその点ではさして変わらないのが悲しいところである。
そうして笑い合っていると、背後で扉が開く音がした。振り返ると警部と探偵が、入口に立っている姿が見える。
「そろそろ終わりかな」
「みてぇだな」
頬杖をつく桜木に、俺は振り向くことなく答える。そんな俺へ、警部はつかつかと早足で手錠片手に歩み寄った。
「改めて、だ。島村、お前を傷害致死で逮捕する」
「……警部さん、途中煙草吸ってたでしょ」
ほのかに香るピースの甘ったるい匂いに俺が指摘するも、警部は無視の姿勢を見せる。可動域が狭まった両腕で肩を竦めると、隣で探偵がくつくつと笑った。
「行くぞ」
「――島村!」
警部に引かれた瞬間、背中に旧友の声がぶち当たった。名を呼ばれて反射的に思わず、俺は背後へ振り返る。
桜木は。
櫻木珪人はニヤリ、挑戦的に笑った。
「おめでとう、今回は君の勝ちだ。でも……でも次は、きっと勝つからね」
次回、完結。