36.さらば、冤罪探偵
「えー……被告人、島村幸次郎に対する傷害致死事件について、次の通り判決を言い渡します」
法服に身を包んだ老齢の裁判長が、厳しい表情で語りかける。その正面に立つ俺はどこを見て良いかわからずに視線を右往左往させ、最終的には手前の証言台へと落ち着かせた。
「主文。被告人を、懲役五年の刑に処する」
「……はい」
「続いて、判決の理由を述べる。本件は――」
五年。その数字に、俺は静かに瞑目した。いつの間にか呼吸も忘れ、そこからはほとんど裁判長の言葉も耳に入らなかった。
五年は長いが、しかし同時に軽いな、とも思う。
ただ意外なことに、あまり感情は揺れ動かなかった。
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裁判が終わり、検察だか警察だかよく分からん青色の制服の男に連れられた俺は、だだっ広い廊下へと足を踏み出した。
「五年とは、また随分と長いですねぇ」
窓ガラス以外は一面病院の如く真っ白な廊下に備え付けられた、これまた白いベンチで新聞を広げる男に突如声を掛けられる。驚いてそちらを振り向くと、声の主はゆっくりと新聞を下げてその顔を見せた。
「……なんだ。来てたのか、探偵」
「ええ。私に推理で勝った男の裁判です、見たく思うのは当然でしょう」
探偵は初対面の時から一切変わらぬ飄々とした態度で新聞を折り畳みつつ、まるで歌でもひとつ歌うように言う。俺は傍らに立つ腰縄を握った制服へ視線を送ったが、どうやら彼に探偵との会話を遮る意思はないらしかった。
「傷害致死で五年とは。いやはや、本当に長い」
「人を殺したんだ、短いくらいだろ」
「しかしですねぇ、天海氏にも非はあった。彼は貴方に金を貸した際、借用書にトイチの項目をこっそり紛れ込ませていたそうですねぇ」
「それは、そうだけどよ」
「貴方に対しても、情状酌量の余地がある。あの時点での貴方は勤務先からの給料も未払いで、借りた金を返すどころか明日の食料にも困っているような状況だった」
「……」
仕事柄、弁護側に立つこともあるのだろう。本職かと見紛うほどに手際よく事実を並べる彼に、俺は舌を巻いた。
「しかし、裁判ではその類の主張は見られませんでしたねぇ。天海氏が煽ったという証言も森本から得られるはずですし、先程申し上げた点を主張すれば、傷害致死における下限の三年……いや、酌量減刑で執行猶予だって狙えたのでは」
「弁護士に俺が言うなって頼んだんだよ。結局のところ借りた金が返せなくて相手を殺したって事実は変わらねぇし……一応、アレでも友人だ。世間の目もあるし、あんまり悪くは言いたくねぇ」
顎に手をやって疑問の意思を示す探偵に、俺は静かに首を振る。その揺れは腕先まで伝わり、手錠の鎖が少しだけ音を立てた。
俺の返事に、探偵は自分で尋ねておきながらさも興味無さげにため息を吐く。一瞬彼は畳まれた新聞の一面に視線を落とし、それから片目を眇めると、今度は全く別の話題を口にした。
「そういえば。あれから、後日面会室で夫人と会ったそうですねえ」
「まぁ、な。でもお前も会ったんだろ、トイチの件を知ってるってことは」
「ええ。しかし貴方と何を話したかは聞いていません」
「――謝られたよ」
その言葉は、彼が予期していたものとは大きく外れていたのだろう。探偵は目をぱちくりとさせ、無言で俺に続きを促した。
「今回の件は天海本人に非があったってよ。旦那が訳の分からん吹っかけ方をしなきゃ、俺はムショにぶち込まれることも無かっただろうって、謝られた」
「……なるほど。なんだか風が吹けば桶屋が儲かる的な理屈というか……確かにそうかもしれませんが、そうではない気もする意見ですねぇ」
まぁその視点が正しいかどうかはさておいて、仮にその主張を加害者である俺がやれば、間違いなく批判は免れないだろう。被害者家族だからこそ許される意見であるのは間違いなかった。
「――だから、天海を殺した件についてはこれ以上深く責めるつもりは無い、ってよ。代わりに刑期を終えたら墓参りくらいはしてくれとは言われたがな」
「それが、彼女の結論ですか。あの日、冷静になる為に帰ると言い出した時にも思いましたが……やはり、凄いお方ですねえ。流石、天海氏の貿易業を引き継いで次期社長になっただけはあると言うべきでしょう」
「あぁ。どこぞの二代目社長とは大違いだな」
探偵の笑顔に釣られ、俺は不意に口角が上がる。今日初めて、俺は笑った気がした。
それから、探偵は急にまた頬を引き締める。俺の出てきた法廷への扉を見詰めつつ、彼は思い出したように口を開いた。
「……そういえば。来月に海外の会社からスマートフォンなるものが発売されるそうですよ。ポケベルがケータイに取って代わられたように、ケータイもいずれスマートフォンに変わるのでしょうか」
「は? なんだよ、急に」
脈絡のない、唐突すぎる探偵の呟きに、俺は思わず困惑する。探偵はベンチから振り返り、窓の外に並ぶ高層ビル群を眺めながら続けた。
「時代の流れとは激しいものです。電気自動車なる単語も耳にするようになりましたし、この数年のうちにそろそろ実用化されるかもしれません。あぁ、そういえば来年には地デジ化ですね。事務所のアナログテレビにも別れを告げねば……」
「……おいおい、当て付けか?」
それが、俺の懲役刑に対する発言であることは明らかであった。とはいえ今更そんな事で煽っているとも思えず、俺は探偵の意図が読めずに首を傾げる。
「逆ですよ。手に職があるという訳でもない貴方が、何もかも大幅に変化しているであろう五年後にどうするおつもりですかと。そう尋ねているのです」
「どうする、つってもなぁ……今は正直これからの新生活の方がよっぽど心配だ。ま、塀の中で五年かけて考えとくさ」
「……そうですか」
肩を竦めて返した俺の言葉に、探偵は何か言いたげな表情で黙り込む。それから数秒の間があって、探偵は意を決したように顔を上げたが、しかしそれよりも先にそれまで俺の隣で気配を消していた制服が先に反応した。
「島村さん。流石にそろそろ」
「あぁ、すみません」
腰縄を上げて促され、俺は頭を軽く下げつつそれに応える。背を向ける前にもう一度探偵の方を振り向くと、彼はベンチに新聞を放り捨てて立ち上がった所であった。
「まぁ、なんと言いますか。貴方と過ごした三日間、中々悪くなかったですよ」
「そいつぁ奇遇だ。俺もなんだかんだ、結構楽しかったよ」
「ええ。過程も結果も無茶苦茶でしたが、事実として貴方は間違いなくこの名探偵に勝利したのです。胸を張りなさい」
何が名探偵だ、と俺は思わず吹き出す。一方の探偵もまた、寂しげに微笑んでいた。
「……さようなら。冤罪探偵」
「――あばよ、冤罪探偵」
手錠で繋がれた腕を胸まで掲げつつ、それを別れの合図に俺は廊下を歩き出す。
振り返りはしない。
けれど、探偵の靴音はいつまでも俺の耳に届かなかった。
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2025/11/2追記
続編始まりました↓
探偵はふたりいる
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