第17話 護送車は止まらない
09時18分。
東京地裁の裏手には、朝の硬い空気が残っていた。
通勤の人波。
警備員の立つ門。
裁判所へ入っていく弁護士や関係者。
表側だけを見れば、いつもの平日だった。
だが、地下の搬入口では、別の準備が進んでいた。
護送車。
覆面車両。
警視庁の捜査員。
そして、車両の陰に立つSERT。
今日、移送されるのは、前回の赤坂潜入捜査で確保された男のひとりだった。
灰色のスーツの男。
本名、**瀬川隆臣**。
会員制クラブでM-03ケースの取引を監視していた人物。
実行犯でも、仲介役でもない。
だが、押収された端末の一部から、瀬川がL-07、M-03、NOISE-LINEに関わる複数の通信を中継していた可能性が出てきた。
取り調べでは黙秘。
だが、弁護士接見後に態度が変わった。
「話す。ただし、警察庁の人間の前で」
その一言で、SERTが動いた。
瀬川は、警視庁本部内の安全な聴取室へ移される。
距離は長くない。
東京地裁から警視庁方面へ。
普通に走れば、十数分。
だが、短い移動ほど狙われる。
敵は、こちらが油断する距離を選ぶ。
09時24分。
上原は護送計画を確認していた。
車列は3台。
先導の覆面車。
中央に瀬川を乗せた護送車。
後方にSERTの車両。
ただし、それは表向きの形だった。
本当の瀬川は、中央の護送車には乗らない。
中央車両は囮。
瀬川は、医療搬送車に偽装した別車両で、別ルートを通る。
その搬送車に、上原、吉田、水瀬が同乗する。
戸張と真壁は囮の護送車側。
片桐は車両確認と爆発物警戒。
梶原は通信と交通カメラ。
望月は証拠品と供述記録の保全役として警視庁側で待つ。
岡野は本部から全体を見ていた。
瀬川は搬送車の後部座席に座らされている。
手錠。
防弾ベスト。
顔には疲労があるが、目だけはよく動く。
上原を見る。
「ずいぶん慎重だな」
上原は答えない。
瀬川は笑う。
「俺を殺す気のやつがいるとでも?」
吉田が静かに言った。
「あなた自身が、そう思っている顔をしています」
瀬川の笑みが消える。
水瀬は瀬川の状態を確認していた。
「呼吸、脈拍ともに問題なし。ただし、強い緊張があります」
瀬川が舌打ちする。
「医者か?」
「違います」
「じゃあ何だ」
「今は、あなたを死なせない人間です」
瀬川は黙った。
09時31分。
車列が動き出した。
表の護送車列は裁判所地下搬入口から出る。
同時に、医療搬送車は別の搬出口から静かに出た。
赤色灯はつけない。
サイレンも鳴らさない。
ただの民間搬送車に見える。
梶原の声がイヤホンに入る。
「表の護送車列、予定通り出ました。周辺カメラに不審車両2台。どちらも表車列側へ反応しています」
戸張の声が続く。
「囮に食いついたか」
梶原が答える。
「まだ分かりません。1台は反応が露骨すぎます」
上原は窓の外を見た。
霞が関の道路。
信号。
歩道橋。
バイク便。
タクシー。
何もかも普通に見える。
だが、普通に見えるものほど、紛れる。
「梶原、こっちのルートで止まっている車両は」
「確認中です。……1台、配送トラックが路肩停車。理由不明。もう1台、工事車両が車線規制中。ただし、道路管理の申請は出ています」
上原が聞く。
「申請時刻は」
「昨夜23時17分」
片桐の声が入る。
「急すぎますね」
神崎も通信に入っていた。
今日は別車両で道路動線を見ている。
「その工事規制、自然ですが、搬送車の速度を落とす位置にあります」
上原は短く言った。
「通らない」
運転担当の捜査員が戸惑う。
「ですが、予定ルートは」
「変えろ。次を右」
「了解」
搬送車は直前で進路を変えた。
瀬川が少し身を乗り出す。
「何かあったのか」
吉田が答える。
「あなたを生かすために、少し回り道をします」
「大げさだな」
「大げさだと思いたいなら、そう思っていてください」
梶原の声が鋭くなる。
「班長、工事車両側で通信反応。こちらが進路変更した直後に短い送信」
上原は頷いた。
「見られている」
水瀬が言う。
「瀬川本人がこちらにいると気づいている可能性は」
「まだだ」
上原は前を見る。
「だが、こちらが囮ではない可能性を確認している」
09時36分。
表の護送車列が日比谷通りへ入った。
その直後、先導車両の前方で小さな接触事故が起きた。
白い乗用車が急に車線変更し、タクシーと接触。
大きな事故ではない。
だが、車列は減速する。
戸張の声が入る。
「表側、事故発生。わざとだな」
真壁が言う。
「人は巻き込まれていません。車両だけです」
片桐が続く。
「止まらないでください。事故対応は所轄へ」
戸張が短く答える。
「了解。護送車は止めない」
白い乗用車の運転手が降りてきて、護送車へ向かって何か叫んでいる。
警察車両を止めたい。
戸張は窓越しにそれを見ていた。
「こっちは見せ罠だ」
梶原が言う。
「表車列を止めて、中身が囮か確認するつもりですね」
上原は医療搬送車の中で聞いていた。
「こちらへ来る」
その瞬間、神崎の声。
「搬送車ルート前方、歩道橋上に人影。作業員風。道路下を見ています」
上原が言った。
「狙撃か」
神崎は即答しない。
「銃なら姿勢が高すぎます。投下か、撮影か、合図」
片桐が言う。
「歩道橋から落とすなら、爆発物ではなく発煙や塗料でも十分です。車を止められる」
上原は運転手に告げる。
「速度を落とすな。車線を左へ。歩道橋下を通るタイミングで右側車両を並べろ」
神崎がすぐに交通側へ指示を回す。
「民間車両を使えません。警察車両を一般車に見せて並走させます」
水瀬が瀬川の体を少し内側へ寄せた。
「頭を下げてください」
「何だよ」
「説明している時間はありません」
瀬川が従わない。
吉田が静かに言う。
「生きて話したいんですよね」
瀬川は舌打ちして頭を下げた。
搬送車が歩道橋へ近づく。
上原は窓の外を見た。
作業員風の男。
右手。
小さな黒い袋。
落とす。
その瞬間、並走した警察車両の屋根に袋が落ちた。
破裂。
黒い液体が広がる。
視界を奪うための塗料だった。
もし搬送車のフロントガラスに落ちていれば、車は止まった。
止まれば、狙われる。
上原は低く言った。
「続けろ」
搬送車は止まらない。
瀬川は顔を上げ、初めて少し青ざめた。
「今のは……」
吉田は答えた。
「あなたを止めるためのものです」
「俺を殺す気か」
「まだ分かりません。今のところ、止めたいように見えます」
上原が言う。
「止めてから殺すか、奪うかだ」
瀬川は黙った。
09時39分。
梶原が通信を追っていた。
「歩道橋上の男、逃走。所轄が追跡しています。ただ、通信の発信元は別。搬送車ルート周辺に移動端末が3つ」
上原が聞く。
「3つ」
「はい。工事車両、歩道橋、そして次の交差点付近」
神崎が地図を見ながら言う。
「次の交差点は避けたいですが、今変えると逆に狭い道へ入ります」
上原は地図を見る。
「交差点を抜ける。ただし、信号で止まるな」
梶原が言う。
「信号制御にアクセスできますが、やりすぎると相手に気づかれます」
「気づかせろ」
梶原が少し驚く。
「気づかせるんですか」
「こちらが瀬川を乗せていると確信させる」
吉田が上原を見る。
「引き出すんですね」
「止めたい相手なら、焦る」
水瀬が静かに言った。
「焦らせると危険になります」
「分かっている」
上原の声は変わらない。
「だから、こちらで場所を選ぶ」
交差点の信号が青に変わる。
搬送車はそのまま進む。
その直後、右側から黒いバイクが2台近づいた。
ナンバーは隠れている。
ヘルメット。
片方の後部座席に細長いケース。
戸張の声が鋭くなる。
「そっちへバイク2台。ケースあり」
梶原が言う。
「こちらでも確認。速度を上げています」
神崎が続く。
「前方300メートルに地下駐車場入口があります。そこへ誘導されると視界が切れます」
上原は即座に言った。
「入らない。逆に開けた道へ出る」
運転手がハンドルを切る。
搬送車は大通り側へ出た。
バイクが追う。
後部座席の男がケースを開けようとする。
銃か。
発射装置か。
上原は窓越しに一瞬だけ見た。
ケースの形。
肩に当てる構えではない。
発射角度が低い。
「タイヤ狙いだ」
片桐が言う。
「スタンガン型のワイヤーか、粘着弾かもしれません」
水瀬が瀬川を押さえる。
「伏せて」
瀬川は今度は逆らわない。
バイクが横へ並ぶ。
その瞬間、別車両から戸張が動いた。
囮車列側にいたはずのSERT車両が、裏から合流してくる。
戸張は助手席から身を乗り出さない。
銃も抜かない。
SERT車両がバイクとの間に入り、進路を削る。
バイクは急に距離を取る。
発射できない。
戸張の声が無線に入る。
「撃たせない距離にした。次どうする」
上原が答える。
「次の広い交差点で片方を切れ。もう片方は追わせる」
「了解」
吉田が瀬川を見る。
彼の呼吸は浅くなっている。
「瀬川さん」
「何だ」
「あなたを狙っている人間に心当たりはありますか」
「……多すぎる」
「その中で、あなたを殺すより、連れ戻したい相手は」
瀬川の目が揺れる。
「連れ戻す?」
「今の攻撃は、あなたを即座に殺すものではありません。車を止め、身柄を奪うためのものです」
瀬川は唇を噛む。
「……三科」
上原が聞く。
「誰だ」
「三科耀司。俺に通信を渡した男だ。顔は見てない。声だけ。だが、やり方が似てる。殺すより、持ち帰る」
吉田が言う。
「あなたから何を聞きたい」
「俺が……保険を残した」
「保険?」
「M-03の接続先。全部じゃないが、ひとつだけ分かる」
瀬川の声が震えた。
「だから、俺は消される前に話す」
09時44分。
搬送車は皇居外苑近くの広い道路へ出た。
人通りは多いが、車線は広い。
狭い場所よりは安全に処理できる。
神崎が交通を調整し、一般車両を少しずつ離す。
「ここで切れます」
戸張が答える。
「了解」
SERT車両がバイク1台の進路へ入る。
バイクは避けようとし、速度を落とす。
その横から警察車両が距離を詰める。
接触させない。
倒さない。
ただ、逃げる方向を消す。
バイクは歩道側へ寄せられ、停車。
乗っていた2人が逃げようとする。
真壁が待っていた。
大柄な体で進路を塞ぐ。
「止まってください」
男が小型の棒状武器を抜く。
真壁は一歩下がらず、腕を受ける角度を変えて、そのまま手首を押さえた。
もう1人は逃げようとしたが、戸張が後ろから腕を取る。
「確保」
残り1台は逃げる。
追うのは所轄。
だが、上原は追跡を止めた。
「深追いするな。発信機を追え」
梶原がすでにやっていた。
「残りバイクに追跡タグ、入りました。こちらが逃がしたと思わせます」
瀬川が上原を見る。
「わざと逃がしたのか」
上原は答えない。
瀬川は笑う余裕を失っていた。
「お前ら、本当に何なんだ」
吉田が静かに言う。
「あなたを警視庁まで運ぶ人間です」
09時51分。
警視庁地下搬入口。
搬送車は止まった。
瀬川は無事に到着した。
移送中の襲撃は、表には出ない。
表の護送車列は別ルートで到着し、囮として役目を終えていた。
戸張が搬入口で上原を迎えた。
「こっちは2人確保。1台逃がしたが、タグは生きてる」
梶原が車から降りながら言う。
「逃げたバイクは、今、港区方面へ。通信が増えています。追えばアジトではなく中継地点に行くかもしれません」
上原は頷いた。
「追跡は別班に任せる。瀬川の聴取が先だ」
水瀬が瀬川の状態を確認する。
「軽い過換気と血圧上昇。聴取前に少し落ち着かせてください」
瀬川が苦い顔をする。
「俺は病人じゃない」
「移送中に何度も狙われた人間です。体は反応します」
吉田が言う。
「話すなら、呼吸を戻してからの方がいい」
瀬川は黙った。
地下聴取室に入る直前、瀬川は上原へ言った。
「M-03は鍵だ」
上原は見た。
「何の鍵だ」
瀬川は少しだけ目を伏せる。
「都市インフラじゃない。人だ」
「人?」
「鍵で開くのは、装置じゃない。人間の名簿だ。協力者、脅迫対象、買収された職員……M-03は、その一部へ入るための認証だ」
梶原の顔が変わる。
「ネットワークじゃなく、人のネットワーク」
瀬川は頷いた。
「L-07は物流。M-03は人材。NOISE-LINEは、その間をつなぐ連絡網だ」
上原は静かに聞いていた。
点が、少しだけ線になる。
だが、まだ全体ではない。
瀬川が続ける。
「三科は、次に大きいことをやる。人を動かす。物を運ぶ。情報を流す。その全部を別々の事件に見せる」
「いつだ」
「知らない」
「場所は」
「分からない。ただ……」
瀬川は唇を湿らせた。
「“訓練場”という言葉を聞いた」
戸張が上原を見る。
「訓練場?」
上原は答えない。
合同訓練。
海外部隊。
自衛隊。
まだ予定段階だった話が、頭のどこかで小さく引っかかる。
偶然か。
それとも、向こうがこちらを見ているのか。
09時59分。
瀬川は聴取室へ入った。
望月が証拠記録の準備をし、梶原が通信ログを照合する。
片桐はバイクから押収されたケースを確認していた。
「タイヤを止めるための粘着弾発射装置です。殺傷より停止目的。やはり奪取ですね」
真壁が言う。
「瀬川を生かしたまま連れ戻すつもりだった」
吉田が頷く。
「彼が話す前に」
戸張は腕を組んだ。
「なら、話されると相当まずいんだな」
上原は短く言った。
「聞き出す」
岡野から通話が入った。
上原は端末を耳に当てる。
「上原です」
「瀬川、到着したそうね」
岡野の声は静かだった。
「はい。移送中に妨害複数。実行犯2名確保。1台は追跡中です」
「瀬川は」
「話し始めています。M-03は人材名簿への認証。L-07は物流。NOISE-LINEは連絡網とのことです」
岡野は少し黙った。
「組織の輪郭が出てきたわね」
「はい」
「訓練場という言葉も?」
上原の目がわずかに動く。
「もう報告が」
「梶原から速報が来ています」
「まだ意味は不明です」
「不明でも、無視しないで」
「分かっています」
岡野は声を落とした。
「上原。向こうがSERTを見ている可能性がある」
「はい」
「護送車を止めるのではなく、あなたたちの反応を測っていたかもしれない。次からは、守る任務そのものが罠になる」
「承知しています」
「瀬川を死なせなかったのは大きい。今日はそれで十分です」
「了解しました、岡野室長」
通話が切れた。
10時08分。
警視庁の地下では、何事もなかったように人が行き交っている。
表では通常の業務。
記者クラブにも、移送中の襲撃は漏れていない。
報道に出ることはない。
護送車は止まらなかった。
証人は生きて着いた。
襲撃者は一部確保。
逃がした1台には、追跡の糸がついている。
静かに、だが確実に、SERTは相手の手をひとつ外した。
戸張が缶コーヒーを上原へ投げる。
上原は片手で受け取った。
「珍しいな」
戸張が言う。
「今日は運転してないだろ」
「そういう問題か」
「そういう問題だ」
吉田が横から言う。
「戸張副班長、さっきのバイクの止め方は少し強引でした」
「倒してない」
「倒さなかったのは評価します」
「点数制なのか」
「今日は70点です」
「低いな」
水瀬が淡々と加える。
「けが人を出していないので、80点でもいいと思います」
戸張が少し嬉しそうにする。
吉田が言う。
「では75点で」
「下げるな」
真壁が小さく笑った。
上原はその会話を聞きながら、聴取室の扉を見ていた。
瀬川は話す。
話せば、次の扉が開く。
だが、その扉の先に何があるかは、まだ分からない。
訓練場。
人材名簿。
物流。
連絡網。
ノイズという名前の向こうに、ようやく人の手が見え始めている。
撃つ前に読む。
突入する前に救う。
それでも止められないなら、制圧する。
そして、守るべき相手がいるなら、護送車は止めない。
たとえ道に罠が置かれていても。
たとえ相手が、こちらの反応を測っていても。
SERTは、止まらずに現場を抜ける。




