潮の香りを堪能する昼下がり(後)
マリー・ルーではムールフリットの蒸し方を五種類から指定できる。白ワインで蒸した伝統的なムール・マリニエール。香味野菜とバターだけで蒸したムール・ナチュール。超辛口の林檎酒で蒸したムール・ア・ラ・シードル。そして地元のビールで蒸したムール・ア・ラ・ビエール。今回頼んだ物だ。残りの一つは本日のびっくり箱、つまりヤスミンのおまかせコースだ。日替わりでモダンな味付けの物が出てくる。これはこれで美味しいメニューだけどね。
夏の旅からの帰り道で降りた河川港の街を更に下ると、運河は海へと流れる河口へとたどり着く。この辺りでは一番大きな港湾都市だ。北の領地では領都に次ぐ大きさの街で、大小の船が行き交い、大勢の旅人や商人で賑わっている。島国への玄関口もこの港である。
河口のある港から少し離れた静かな海辺の街。そこは貝類を始めとしたシーフードの一大産地で、貝やら海老やら蟹が好きな人には天国としか言いようのない場所だ。海獣の姿をした精霊、ルフトワレナ様が守護する街でもある。
夏に知り合ったイルカの幻獣デルフィナさんたちも年に一度は訪れるという。貝を食べたり他の幻獣友だちに会いに行くのだとか。どんなお友だち? と尋ねたら、アザラシやラッコの幻獣だそうだ。なにその会合。超見たい。海獣パラダイスか。
この街で養殖された大きなムール貝を、バケツのような大きさのキャセロールに入れて蒸し上げる。
香味野菜は、エシャロットにガーリックにセロリに赤玉ねぎ。バターで優しく炒めて香りが立ち上ったら、主役のムール貝とビールを入れて強火で蒸すだけのシンプルな料理だ。
ヤスミンはそこで一度貝を取り出し、追いバターと激しい泡立てテクニックでスープを乳化させる。脂肪分の高いバターを使うので、牛乳やクリーム類は入れないそうだ。一、二分の泡立てでとろりとしたスープを仕上げてしまうと、冷める間もない熱々のムール貝を戻して完成。
「お待たせ。アイオリもクラシカと卵黄入りを用意したから、マヨネーズと食べ比べたり味変したりしてね」
ヤスミン自らサーブしてくれたムールフリットはそのままでも抜群に美味しいが、この三種類のソースもそれぞれ美味しいので困ってしまう。
クラシカのアイオリは、緑色のオリーブオイルとすりおろしたガーリックのみで作られた古典的なソース。濃くて美味しい。
卵黄入りのアイオリはいわゆるガーリック入りマヨネーズみたいな感じ。ムール貝にもフリットにも合う。
「ビールで蒸したムール貝は初めて食べましたけど、美味しいですね。複雑な風味がいい」
代行さんがヤスミンに感想を伝えると、揚げたてのフリットを手にしたバルタが話に加わる。
「ペール・エールと白ビールと自然発酵のビールをブレンドしてるんですよ。ペアリングがピルスナーだったので、少し違う種類にしてみました」
軽やかな味わいで苦味の少ないピルスナーは、冷やした時に多少香りが飛んだとしても喉越しで味わえてしまう。思い切りゴクゴクと飲めるところがいい。
「ムール貝にも合うけど、フリットにもめちゃくちゃ合うわ。アツアツカリカリトロトロのポテトってなんでこんなに冷たいビールに合うんだろう」
蒸したてのムール貝に揚げたてのポテト。熱い熱いと言いながら、キンキンに冷えたビールで流し込む。最高です。程よい苦さと淡めのコクは、冷えるとより喉越しが良くなっていけない。いくらでも飲めるし食べられる気がしてしまう。そんな私の主張を代行さんは楽しそうに聞いてくれる。
「語りますね、テア」
「美味しいと語りたくなるのです」
「うん。気持ちはわかります。確かに美味しい」
話しながらも、私と代行さんの手は止まらない。貝。ビール。芋。ビール。貝。ビール。芋。ビール。永久機関か。
「色んな場所で揚げたポテトを食べるけど、北の辺境伯領と大公国の物は格別ですね。多少冷めてもしんなりしないのはこの辺りだけのような気がします」
「他の地域より時間をかけて作りますしね。でんぷん質の多いポテトを低温でじっくり時間をかけてからの二度揚げなので、中身はほくほくし過ぎずにマッシュポテトみたいな滑らかさになるんですよ」
「ほくほくのポテトもいいけど、口どけのいいポテトもいいですね。ポム・アリゴなんかも好きなんですよ」
「ポム・アリゴ! 伸びるやつ!」
「その直接的な表現、素敵ですね」
アリゴは西の辺境伯領、旧選帝侯領近くにある地域の郷土料理で、端的に言えばガーリックバターで風味付けしたマッシュポテトにチーズを混ぜた物だ。でんぷんをかけらも逃さずにマッシュしたポテトを練りまくり、粘度高めのチーズを溶かしながら更に練るので伸びる。超伸びる。そして肉料理にも魚料理にも温野菜にも合う。
元々は、彼の地域の修道士さんが旅人や巡礼者をもてなすために作ったメニューらしい。柔らかくてカロリー高めだものね。西の領地と旧選帝侯領の間には結構な高さの山脈が走り、その向こうにも聖地がある。厳しい山越えを控えた巡礼者たちへ提供するにはぴったりの料理かもしれない。
ポテトとチーズといえば、東にある山地にも美味しくて素朴な料理があるのよね。なんて考えていたら、そのものズバリの料理名を代行さんが口にした。どうもその辺りで育ったらしい。
終わりのない芋トークをしていたら、ヤスミンがトーストしたスライスバゲットと細めのパスタを持ってきてくれた。ちょうどムール貝の中身を食べ終わった頃だった。まだ温かい貝のスープが私を誘う。この魅力的な炭水化物に、塩分濃度が高くて油脂たっぷりのスープを浸したり絡めたりして締めることにする。なんと罪深い料理だろうか。
「デザートはバルタが持ってくるから楽しみにしていて。新大陸で流行ってるらしいのよね」
「バルタは新しい物好きだもんね。期待して待ってる」
宣言どおりに悪魔の付け合わせを分かち合う。半量のパスタに、さくりと焼かれた数枚のバゲット。これをメインにしたくなるほどの旨味がたまらない。
「ボリュームあるけど食べ切れちゃいましたね」
「まだです。まだデザートがあります」
「あ、そっか」
「遠い土地で流行っている新作デザートという情報だけで、満腹だったはずのお腹が少し減るような気がします」
私の言葉に、代行さんは微笑む。
「どこの国の女性もお腹の作りは同じようにできているみたいですね」
真理だ。
パイ・ア・ラ・モード、というこれまた悪魔の所業のようなデザートを笑顔で出してくるバルタはなんらかの魔物かもしれない。
焼き立てのアップルパイに乗せられたバターペカンアイス。このアイス、含蜜糖入りのコクのあるミルクアイスに、バターでローストして薄く塩味のついたペカンナッツがたっぷりと入った物だ。更に暴力的なことに、ほろ苦キャラメルソースが絶妙な量でかけられている。
熱くて甘酸っぱい林檎フィリングに冷たいアイス。溶けてできたキャラメル入りミルクソースとサクサクのパイ生地。しっとりしたペカンナッツの塩気が後を引く。バルタ、なんて物を作り出してしまったの。
「これ、秋分祭に出そうと思ってるんだ」
「こうして人を惑わすデザートが増えていくのね……」
「秋分祭?」
代行さんが聞き返したので、バルタと一緒に秋分祭の説明をする。そうか、今年になって初めてこの集落を訪れるようになった代行さんは知らないよね。配慮が足らなかったわ。
「楽しそうですね。食べるだけなら誰でも参加できるんですか?」
本職パティシエによる熱量ある紹介は、代行さんの関心を強めたらしい。欲しい、そのプレゼン力。
「できますよ。観光客も来ますしね。僕も移住する前に、一度だけ客として参加したことがありますよ」
そういえばそんなことがあった。次の年からはあっさりと提供する側に回っていたバルタを思い出す。この人、溶け込むのが早いのよね。
「ご都合が合えばいかがですか?」
「ありがとうございます。是非」
食いしん坊仲間を増やすため、どうにかして定期訪問以外に代行さんと会う機会を作ろうかと考えていた私だが、どうやらその願いは労せずに叶いそうだ。ありがとう、バルタのコミュ力。
マリー・ルーを出ると、ほんの少し影が伸びていた。まだ三時前。集落の外れまで代行さんを見送ってからでも、午後休憩の四時には余裕で帰ることができそうだ。というか、少しでも体を動かさないとお腹まわりがヤバそうだし。
食後の運動、大事。
色々と成長の必要な部分がある私だが、胴囲の成長は望んでいない。
再来月の予定確認をしつつ、食事の感想から始まって、料理や酒や鉱石の話をしながら歩く。外つ国に詳しい人の話は面白い。
道に咲く花が目に入る度に話が飛んだりしていると、代行さんがおかしそうに笑った。
「そうか。花や植物もテアが素材を精製する材料なんですよね。詳しいはずだ」
「一応私も魔女を名乗っているのでハーブ類は胸を張って詳しいと言えますけど、花に関しては良き師がいるんですよ。自慢の友でもありますけどね」
遠くに見える花屋の店構えを手で示す。
「花屋さんなんだ」
「ただの花屋じゃないですよ。なにせマッドフロリストですからね」
代行さんは穏やかに微笑んで私を見た。
「最大級の褒め言葉だとは思うけど、他の人に紹介する時は違う言葉にしたほうがいいですよ」
優しく助言してくれた。それもそうだわ。今度からクレイジーフロリストにしよう。
噂をすればなんとやら、花屋の店頭にふわふわした麦藁色がひょっこり現れた。キョロキョロあたりを見回したかと思うと、私たちの姿を発見したらしい。こちらを見ているようなので、大きく手を振ると小さく振り返してくれた。
「テア、この後は用事があるって言ってませんでしたっけ?」
「はい。友人が訪ねてくる約束になってます。あの花屋の子ですけど」
ダヴィッツ新作のスプレッドを挟んで生まれ変わったメルティングモメントを思い浮かべると、自然と笑みが浮かぶ。そんな私を見た代行さんは、ひとつ息をつくと鉱石の入った鞄を左手から右手に持ち替えた。
「お見送りありがとうございます。この辺りで大丈夫ですよ」
にっこりと笑った代行さんは、数歩先に踏み出すと振り返り、私と向き合うように立つ。
「今日は楽しかったです。美味しいお店にもご案内いただけたし、面白そうなイベントも紹介してもらったし」
「秋分祭、代行さんにもいらしていただけると嬉しいです。私の友人たちも料理やお菓子を出品するんです。美味しいですよ」
「テアもですか?」
「はい。山ほどスコーンを焼いて、何種類もある林檎のジャムやアップルカードを食べ比べしてもらおうかと」
「それは楽しみですね」
「お待ちしてますね」
再会を約束して、代行さんは旅立って行った。おもてなし作戦はまあまあ成功しただろうか。秋分祭では他の友人たちにも全力で協力してもらって、餌付け作戦第二弾を決行しよう。
花屋に目を向けると、ダヴィッツはまだ店先に出ていた。帰宅する前に声をかけることにする。
「お疲れさま。今日は午後休憩の時間でいいのかしら」
「うん、もう少ししたら行くよ。ところで今の人、誰?」
なるほど。見知らぬ人が気になっていたのか。それで見ていたのね。
「石売りさんだよ。ミルテさんが産休育休でお休みだから復帰するまでの間、代わりに回ってくれてるんだ」
「そうなんだ。親しそうだったから古い知り合いなのかと思ってた」
「古い知り合い並に親しくなりたいものだわ。それで遠い国の知らない石を融通してもらうのよ」
「……そんな下心があったのか」
下心なんて失敬な。美食家の野生動物を懐かせる野望だってあるのだ。誤解しないでもらいたい。
そんな意味のことを反論したら、わかったよ、と笑顔で納得してくれた。よかった。
四時のティータイムにダヴィッツが持ってきてくれたのは、秋薔薇のバタークリームと林檎とマリーゴールドのジャムをサンドしたメルティングモメントだった。美味しい上に彩りが綺麗。
「あともう一種類、出品しようと思ってるよ」
「超楽しみ。期待しちゃうわ」
「応えられるように頑張るよ」
期待以上のものを出してくるのがダヴィッツという人なのだ。秋分祭が待ち遠しい。




