林檎の竜と魅惑の石
叱られるのはイヤなので、多少の休憩と睡眠は取った。いい大人のはずなのに、叱られがち怒られがちな私だ。できればそういった事態は避けたい。心配してくれるのは嬉しいのだが、それとこれとは話が別だ。
集中して精製作業を行ったので、十一時休憩前にはサンプルを三つ完成させることができた。休憩したら梱包しよう。昼食は郵便局へ行ってチャラじいへの送付手続を終えてからでもいいかな。ダヴィッツが来るのは多分午後休憩の頃だろうし。
お茶を淹れて焼菓子を用意する。今日は今朝焼いたアップルドラゴンだ。私の生まれ故郷ではスコーンより親しまれていた、鉄板で焼くお菓子ピカーラマイン。ドライフルーツが入った、スコーンとパンケーキの中間といった趣きの焼菓子だ。
ベーキングパウダーを混ぜた小麦粉に冷たい角切りバターをパラパラ揉み込んで、砂糖と卵とナツメグと干した黒スグリを混ぜて伸ばして型を抜く。鉄板がなくてもフライパンで焼けるので、生地を準備しておけばパパッとできてしまう。朝食にも軽食にも紅茶のお供にもなる万能お菓子である。
その生地にすりおろした林檎を加えて焼くとアップルドラゴンと呼ばれるお菓子になる。変える材料は、ナツメグの代わりにシナモンを入れるだけ。ピカーラマインは仕上げに粉砂糖を振るのだが、私はアップルドラゴンにはシナモンシュガーを振ってしまう。追いシナモンにも程がある。
一般的なピカーラマインはほろほろと崩れる口当たりがスコーン的だが、アップルドラゴンはしっとりしていて柔らかく、どちらも捨てがたい。そのまま食べてもバターやジャムを付けても美味しいが、市場に出ている屋台で焼きたてを買って食べ歩きするのが一番好きかもしれない。
家の都合もあって、五歳の時に生まれ故郷から島国の王都へ引っ越してしまったのだが、今でもピカーラマインは大好きでよく作る。パンも好きだが、クランペットとピカーラマインは私の中のベスト主食兼おやつなのだ。
そしてアップルドラゴンは隣家でよく振る舞ってくれた思い出の味。家の隣りに住む幼なじみのお母上が焼いてくれたアップルドラゴンは熱々で美味しかったし、子ども向けにミルク多めに淹れてくれたミルクティーによく合っていた。
あまりにも美味しい美味しいと言いながら食べていたせいか、おば様は多めに焼いては、よくお土産に持たせてくれた。冷めても柔らかくて美味しいアップルドラゴンは、帰りの遅い両親を待つ時のいい間食だった。当時同居していた、ナニー代わりの託児精霊と分け合って食べたりして、優しい甘さが記憶に残っている。
ちなみにこの託児精霊、プーカという精霊なのだが、黒いポニーだったり黒い仔山羊だったり黒い猫だったり、と容姿が安定していない。黒くて目が黄色なのは共通なんだけどね。人の姿をとることもできるようだが、私は見たことがない。
魔術の他にもヒトの世界の一般常識を教えてくれたり、と獣の姿をしている割にはきちんと幼児教育をしていたように思う。なんでも高祖母にえげつない借りを作ってしまったらしく、私の子の代まで面倒を見てくれるようだ。生まれながらに我が子のナニーを確保しているようなものだが、一体いつになることやら。
というか結婚できるのか、私。それにはまず相手を見つけなければ。路上に夫は落ちていないので、なかなかの難題である。家族にも友人知人にもその辺りのことは言われないのに、たまに顔を合わせると将来のナニーが急かすのだ。ヤツにはヤツの都合があるので仕方がないのだろうけど、ちょっとうっとおしい。
それにしても、プーカのプーたんは一体何をやらかしたのか。母様に聞いても祖母様に聞いても教えてくれなかった。祖母様の祖母様こと、高祖母ニーヴ様も相当にアレなお調子者だったようだが、人にも人外にも大量の貸しを作っているらしい。私もその恩恵を受けているのでいいんだけどね。一族のコネは大いに利用して生きていく所存でございます。
アップルドラゴンの話に戻ろう。
大人になってから件の幼なじみの家に遊びに行く機会があって、私はおば様からアップルドラゴンのレシピを伝授していただいた。昔話をしつつ、雑談の中でなかなか同じ味にならない、と話すと、コロコロと笑いながら軽やかに教えてくれたのだ。おば様、好き。
なんと、ベーキングパウダーではなくバターミルクと重曹を小麦粉に混ぜるレシピだったので、さっそく家に帰ってから作ってみた。あの時は、記憶のアップルドラゴンを再現できた嬉しさで、かなり浮かれてしまった。そして山ほど焼きまくって、店開けるわ、と遠い目になったことまで思い出した。成長、それは私に足りない物。
一枚目のアップルドラゴンを食べ終わった時に、呼鈴が鳴った。あれ、この時間に誰か訪ねてくる予定ってあったかしら。それとも予想より早くダヴィッツが来たのか。首をひねりつつ、窓から訪ねて来た人物を確認する。私は慌ててドアを開けた。
「こんにちは、テア。ご機嫌いかがですか?」
美少女顔の長身イケメンこと、石売りの代行さんが立っていた。予想外の代行さんの登場に、私は少々驚く。そして同時に思い出した。前回の七月に早めに来ていただいた影響で、今月も数日早めの訪問になると聞いていたことを。
単純に私がスケジュールを忘れていただけとはいえ、嬉しい方のサプライズをプレゼントしてもらった感覚になる。予定していたより早く鉱石を手に入れられそうで嬉しい。今回も珍しい石を見せてくれるといいな。
「こんにちは、代行さん。丁度、休憩していたところなんですよ」
「ああ、十一時か。そんな時間なんですね。お邪魔ではなかったですか?」
「いいえ、全然。どうぞお入りになって。今、お茶を入れますね」
代行さんをいつもの来客用のテーブルへ招き入れ、椅子にかけてもらう。
「紅茶はお好き?」
「はい」
「今、焼菓子もお持ちしますね」
今回を含めて四度しか会ったことのない代行さんだが、甘い物が好きなことを私は把握している。というか、食べること自体が好きみたい。
「テアは島国の人なんですか?」
ミルクの入った紅茶を口にした代行さんが、不意に尋ねてきた。
「そうです。よくわかりましたね」
「昔、島国へ行った時に飲んだミルクティーと似てるなと思って。つい確かめてしまいました」
代行さんはそう言っていたずらっ子のように笑った。小さな子みたいで可愛い。
「それに、このクッキーなんかもそれっぽい」
そう言いながら、代行さんは赤いチェリーが乗ったメルティングモメントをつまんだ。そのまま口に入れ、さくりと食べる。すぐにその口元が綻んだので、私も嬉しくなった。
やはり石売りさんという職種の人は、諸国を旅することが多いのだろう。その土地特有の食にすぐ気がつくということは、代行さんも飲食にかなり関心がある人種に違いない。私は代行さんを勝手に仲間に認定した。
季節は秋、食いしん坊友だちを増やしたい今日この頃でございます。
「お好みの味でしたらいいんですけど」
「美味しいですよ。好きです、これ」
アップルドラゴンもお気に召したようだ。よかった。その上、大皿に盛りつけたメルティングモメントもにこにこしながら全部食べてくれた。食べ盛りか。
十一時休憩で代行さんはお腹を満たし、私も大量に焼き過ぎたクッキーを減らすことができた。ウィン・ウィンである。
それにしても代行さんは不思議な人だ。次代様より一つか二つ上くらいの年頃だと思うのだが、普段は年相応か、下手したら私より大人に見えるような落ち着きのある人なのだ。なのに、さっきみたいに少年どころか子どもみたいな表情になる。ギャップ萌えとはこのことか。
それに、時折妙な人外感を覚えることもある。本当にたまになんだけどね。一見すると人懐こそうなのに、一定の距離以上には近寄らせてくれない野生動物みたいな印象だ。
だからなのか、無性に餌付けをしてその様子を見守りたい衝動に駆られてしまう。怖くないよ、食べてー、とか言って。美少女顔のイケボイケメンに変わりはないので、単なる私の妄想ではあるけれど。
休憩も終わったので、和やかに雑談をしつつ鉱石を見せてもらう。
「変わった鉱石はありますか?」
まずは珍しい石を見たい。
「藍銅鉱孔雀石の変種はどうでしょう」
「変種?」
藍銅鉱は未来を見通し、判断力と直感力を高めると言われている青い石。群青色の原石を砕いて粉にすると顔料としても使われる。
孔雀石は強烈な保護力を持ち、悪意や災いから身を守る力を与えてくれる。その名のとおり、孔雀の羽根のような美しい緑色をしている。こちらも顔料として絵の具や化粧品の原料になっている。どちらも脆く柔らかい石だ。
この二つの石は成分の近い兄弟石で、同じ場所で採取できることが多い。それもそのはず、藍銅鉱は空気中の水分を吸収するとその青を変化させ、緑色に染まってしまうからだ。
藍銅鉱孔雀石はその途中の姿になる。不可逆変化なので孔雀石が藍銅鉱になることはないが、青と緑の混ざる色合いの石は美しい。
「西南の旧選帝侯領の先の先に、広い砂漠があるでしょう」
「アフルワースでしたっけ?」
藍銅鉱孔雀石と関係があるのだろうか、と疑問に思いつつも、未知の国への思いを馳せる。いつか行ってみたい場所の一つなのだ。城壁の街はとても美しいらしい。そんな街の外に広がる砂の海の名がアフルワース。遊牧民の言葉で、踊る大地の欠片という意味だそうだ。
「では、アフルワースグラスはご存知ですか?」
「名前だけは。はるか古代に落ちた隕石由来の硝子鉱石ですよね。アフルワースの砂漠で採れると本で読みました」
「そうです。衝突時の強烈な熱放射で溶けた地表の物質が、急速に固まってできた天然の硝子ですね」
いわゆるテクタイト、隕石硝子である。
テクタイトとは、私たちが住む惑星の外から落ちてきた隕石が地表に衝突してできた天然の硝子だ。採取できる場所によって色や形状は異なるが、多くは暗い色をしている。不純物が少なくなるほど透明度が増し、澄んだ色を持つ物は珍しい。
アフルワースグラスは淡く澄んだイエローだ。薄く黄緑がかった物もあるが、透明度が高く大きな物は希少と聞く。
「エリシュカ……ああ、この地の図書館長なんですけど、彼女の母国にも同じような天然硝子の話を聞いたことがあります。星から来た硝子鉱石と伝わっているとか。少し東にある国です」
それは不思議な緑色の硝子らしい。魔術の国でもあるエリシュカの故郷では、魔術素材用の鉱石市場も多く開かれる。私も何度か行ったことがあるが、実はいまだに緑色のテクタイトは見たことがない。いつか手に入れられるといいな。
「水晶のきりりとした透明度も、天然硝子の優しい透け感も捨てがたいですね。不透明であっても美しいと思いますけど」
「では、溶解した水晶から生まれた硝子はいかがですか? 再結晶化しないからこそできた物ですが」
「硝子は非結晶ですもんね。コランダム類なら溶けても元の構造に戻りますけど」
代行さんは楽しそうに私を見ると、鉱石ケースの端の仕切りを取り、綺麗に収納されている上段のトレイを外した。二重底になっていた場所には黒いベルベットの包みがいくつか見える。期待の籠もった私の視線に気がついた代行さんは、にこりと微笑んでそのうちの一つを手に取る。
「アフルワース砂漠で見つかった珍しいテクタイトです。成分は極光水晶に近いですね」
言いながら代行さんは布を解き、くるりと傾ける。水晶とは少し異なる光の反射が私を捉える。ある角度では無色透明なのに、光の加減で不透明になったり何色もの色を含んだ輝きを見せる。なんぞこれ。
極光水晶は変化する虹の色を内包する鉱石で、妖精族が暮らす異界の水晶窟で発掘される。こちらの世界で採れる虹水晶は内部にあるひびが光を反射して虹のような色が見えるのだが、極光水晶にはそれがない。外部の光を取り込む性質があり、ゆらゆらと揺れるキャンドルの明かりと組み合わせると三時間は余裕で眺めていられる。酒の肴にうってつけの石だ。
魔術素材としても色素材としても優秀な鉱石なので、私は直接妖精から譲り受けている。とびっきり美味しいミルクとビスケットを用意すれば交換してくれるのでチョロいものである。特に食い意地の張った妖精王の某氏な。
代行さんは、別のベルベットの包みを取り出した。変化する不思議な硝子鉱石にチラ見えする美しい青と緑。
「この極光水晶のようなテクタイトに取り込まれた藍銅鉱孔雀石がこちらです」
「買います」
即答する私も相当にチョロい。いい。知ってる。




