胡桃の黒とティー・ブレイク
今の時期ならダリアだよ、とダヴィッツが勧めてくれたので、闇夜ダリアという品種も併せて発注した。イメージ的に、一見すると黒っぽく見える程度の暗くて深い赤なのかと思ったら、結構な黒さらしい。薔薇とペチュニアがベルベットの黒なら、ダリアはサテンの黒だそうだ。実物を早く見てみたい。
「黒といえば、テアが夏の間にリヌスに託した胡桃のリキュール。あれも信じられないくらい黒いよね」
ダヴィッツの言葉に、ローディも反応する。
「胡桃は殻でインクを作れるくらいタンニンが多いからね。確かに若くて柔らかい胡桃から作るリキュールは、濃い緑が黒に見える」
胡桃のインク、興味あるわ。そういえば染色職人の友人が、胡桃を煮出して作った染料で髪を染めていたことを思い出した。タンニンは収れん効果があるので、艶のある綺麗なダークブラウンの髪になっていたな。私もやってみたかったけど、地の髪色が暗いのでこれ以上は暗くならない。無念。
「ノチーノを仕込む時に若くて柔らかい胡桃を包丁で切るんだけど、素手で作業するとあっという間に指が渋で染まるんだよ。手袋必須ね」
「へえ。味もクセがあるけど、作る過程を聞いても手強そうなんだね。毎日瓶を振るとか」
「そうそう。でも、手間をかけたりお世話したくなる美味しさがあるのよ」
「甘いけど苦味もあるから複雑な味だよね」
「度数も味も濃いのに飲むとさっぱりするしね」
食後酒としてノチーノを飲むと消化に良いので、ご馳走が多く振る舞われるイベントで提供すると喜んでくれる人が多い。ダヴィッツが言うように複雑、というか、少しクセのある風味なので好みが分かれそうなものだが、この村には酒道楽と食いしん坊しか住んでいないので、すぐになくなってしまう。
「去年のユールでテアが作ってくれたデザートも美味しかったよ。ノチーノで作った甘くてほろ苦いソースをかけたチーズタルト」
「胡桃って乳製品と合うのよ。もっと簡単にリキュールのままミルクのアイスにかけても最高」
「それ、夏至祭でカオリーネと一緒に食べたよ。美味しかったな」
「えー、アイスは知らなかった。食べ損なったのか、残念」
夏至祭の時にマイアとアニカに託したノチーノは、途中で終わってしまったとは聞いていた。そうだよね、夏至と冬至の時期の花屋さんは忙しいもの。夏至祭ではずっと子どもたちが花冠を作る手伝いをしてたし。
あまりにも残念そうな顔をするので、後でダヴィッツには最後のノチーノをプレゼントしよう。小分けして瓶に詰めた物が何本か手元に残ってたはず。
しかし、どれだけ仕込んでも冬至祭に解禁したノチーノは夏至祭にはなくなってしまう。謎だ。
リヌスに撹拌を頼んだノチーノは二ガロン分。こちらは最初から砂糖とクローブなどのスパイスを入れておく作り方だ。
縦に四つ割りして砂糖をまぶした緑色の胡桃は、二日もすれば酸化して黒くなる。そこにエチルアルコールとちぎった胡桃の葉、クローブやシナモンなどのスパイスを入れて、日の当たる場所へ置いて一日一度撹拌するのだ。蓋をしたままガシャガシャ振ると簡単なのだが、一度ガロン瓶に漬けた時は振る時に重すぎて死ぬかと思った。筋トレか。
それ以来、反省してハーフガロンの瓶で仕込んでいる。ちなみに七月の半ば過ぎにリヌスへ預けた時には、すでに地獄のような黒さになっていた。
翌月の水鏡の週一杯まで毎日の撹拌をお願いし、面倒を見てもらったノチーノは、夏の旅から帰宅した翌日に引き取った。その日のうちに中身を濾し、今は別棟の食品庫に置いてある。このまま一年以上熟成させるとアルコールの角が取れて美味しくなるのだ。つまり、今年仕込んだノチーノは来年の冬至祭に開封する。
瓶詰めする時に加水しつつアルコール濃度を調整するので、最終的には結構な本数になる。なのに半年持たずになくなる。なんでだ。
もう一種類、魔女の製法で作るノチーノは別に仕込んでいる。伝統に則って、夏至前夜に裸足で木に登って素手で胡桃を収穫する。私とて夏至の前夜祭はイチャコラカップルに憤っているばかりではないのだ。荒ぶる合間に不審者スタイルで収穫した胡桃だ。存分にそのエキスを抽出しようではないか。
この青い胡桃は、一年で一番短い夜に落ちる夜露をまとわせる。そこまでは同じだが、こちらはエチルアルコールと胡桃の葉とアルテミシアのみを入れてサムハインの夜まで漬けておく。
十月の最終日と十一月の最初の日はサムハインの二日間。儀式では、今年のノチーノと去年仕込んだノチーノの二つを使う。この日、最終仕上げをした今年のノチーノは一年の熟成を経て、来年のサムハインの儀式に開封される。
太陽の力を借りて夜を溶かした胡桃の酒は、南方の国々以外の多くの地域でも作られている。我が国では、若い胡桃を輪切りにしてオー・ド・ヴィやワインに漬けるレシピが多い。
各家庭のレシピがあるので、それはもう色んな味がある。スパイスだけでなく、コーヒー豆を入れるご家庭もあるくらいだ。どこかの団体か商会の主催で、ウチの胡桃酒飲んでくれ選手権を開催してほしい。絶対行くから。
数日して、黒い花束と黒い花の小さな鉢植えを抱えたダヴィッツが訪ねてきた。
自分で発注しておいてなんだけど、パッと見の禍々しさが半端ない。よく見ると綺麗でゴージャスなんだけどね。
「見事な黒さね。それに薔薇とダリアの花束って、一色でも凄い華やか」
「どちらも主張のある花だからね」
いつもと同じように、作業場まで運んでくれたダヴィッツにお茶を入れる。
「ミルクはいつもどおり?」
「うん。任せる」
私はミルクを最初に入れる派なので、二つのカップにミルクピッチャーをちゃちゃっと傾ける。多すぎず、少なすぎず、紅茶の味を邪魔しない量。マイアの牧場から届けられる牛乳は脂肪分が多めなので、リッチなミルクティーを楽しむことができる。ありがたい。
ティーポットに被せておいたティーコージーを取って、程よく抽出した熱い紅茶を注ぐ。紅玉を溶かしたような美しい水色が濃厚な牛乳と混ざり、上品で優しいベージュに変わる。
「いつも思うんだけどさ」
不揃いの角砂糖を一つだけ入れて、少し甘くしたミルクティーを一口飲んだダヴィッツがにこりと笑う。
「テアが出してくれるミルクティーって美味しいよね」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいな。マイアの良質な牛乳と上質な茶葉のおかげだけどね。あとお茶用の水」
何事も、素材がいいと大体のことは上手くいくものだ。
「そう? お供のお菓子もいつも二、三種類用意してくれるけど、どれも美味しいし紅茶に合うから楽しみにしてるんだ」
「選べる楽しみを重視してるのよ」
「確かに楽しいね。美味しいから全部食べちゃうけど」
「もしかして、みんな気に入った?」
「うん」
「じゃあ、お土産に差し上げよう。このショートブレッドはお気に入りなんだ。紅茶も同じ商会の茶葉なの。うちの紅茶はこれ一択」
この紅茶商会の本拠地は、私の生まれ故郷である島国の北部にある。湖が多く水が柔らかい土地だ。紅茶職人はその土地の水質に合わせて茶葉をブレンドするので、地域によって紅茶は味わいを変える。
軟水で淹れた紅茶は繊細な茶葉の味を味わえるし、硬水で淹れた紅茶はコクが深まり渋みも減る。硬水に合わせた紅茶も美味しいのだが、北部ではない軟水地域で育った私は、ここの商会の紅茶が大好きなのだ。
難点は、軟水の地域限定の宅配のみ、という入手のし辛さ。小売店にも卸していないし、島国の王都も配達圏外なので、該当の地域に住んでる友人に頼み込んで送ってもらっている。
大陸側のほとんどは硬水地域なので、紅茶とティザンヌ用には水を柔らかくするポットを自作して硬度を変えている。魔術でイオン交換作用を付与した陶器を入れておくだけだが、効率的に能動の精霊の加護を有効活用している私である。ありがとう、焔帝様。そのお力で毎日美味しく過ごせています。
「自分でも作るけど、市販のショートブレッドはここの商会の物が一番好きなんだ。気に入ってくれて嬉しいな」
「ミルクティーに合うよね。そのままでも美味しいし、ダンキングしても美味しい」
「そう! 大陸の国はカフェ・オ・レにクロワッサンが主流だし私も好きだけど、ミルクティーにビスケットのダンキング文化がもっと広がればいいのに」
私の力説に、ダヴィッツの榛色の瞳が楽しそうに細められた。私も同じようなグリーン系の目を持っているが、柔らかで優しげな色合いが羨ましい。
「僕も賛成するよ。あと、このチェリーが乗っているクッキーとバタークッキーもいいね。どっちも口溶けが優しい。少し噛むだけでほろほろ崩れていい感じ」
「二つとも『とろける瞬間』っていう名前なんだよ。そのとおりでしょ?」
「まんまだね」
「オールドタイプとバタークッキータイプ、両方食べたくなっちゃって。休憩がてら、気分転換に無心で焼いてたら結構な量になってしまったわ」
少し前に領都のカオリーネのお店でフィナンシェをを食べてから、私の中でドレンチェリーブームが巻き起こってしまった。あのチェリーフィナンシェ、だいぶ反響があったみたいで、今月から各店舗数量限定でオリジナルのドレンチェリーを販売してくれたのだ。もちろん私もゲットした。
ドレンチェリーといえばオールドタイプのメルティングモメント。ほろほろと溶けるように崩れてしまう軽やかな生地に、オートミールとココナッツファインのサクサク感と、しっとり甘いドレンチェリーの組み合わせがたまらない。
色素材の試作でハイになった状態で作り始めたものだから、焼菓子店を開くんじゃないか、なんて量になってしまった。ノリと勢いで生きているとよくあることである。
私は、薄い焼色の縁取りをした小さな満月のようなひと口サイズのクッキーをつまみ、ダヴィッツの目の高さに上げた。視線がクッキーにつられて動く様子が猫みたいで可愛い。
「このバタークッキーね、このままでも私は好きなんだけど、ジャムやクリームをサンドしても美味しいんだよ」
「それも良さそうだね。シンプルな味わいだから、何にでも合いそうだ」
コーンフラワーと中力粉を合わせた粉と、溶かしたバターに砂糖と塩をちょっぴり。材料はこれだけなのに、簡単に幸せが作れてしまう。
「多めにもらってもいい? よかったら合いそうな物をサンドしてお返しするよ」
「もちろん大歓迎! 嬉しいな、めっちゃ楽しみ!」
秋の花を使った新作のお菓子を試作している最中らしい。スプレッドやジャムを何種類も作っているので、試したくなったそうだ。好奇心強いからね、この子。
「明日また来るね。ちゃんと休憩入れて、夜は寝なきゃダメだよ」
ポンコツな姉を心配する心優しき弟のように、ダヴィッツは釘を刺してくれる。はい、気をつけます。
とはいえ、今週中にはサンプル提出まで持って行きたい。焼菓子オールスターズと、今年最後のノチーノを抱えながら帰るダヴィッツを見送った私は、カチリとスイッチを切り替えた。
材料は揃ったし、配合パターンの候補も絞った。明日の楽しみもできたし気合も入った。よし、仕事の再開だ。




