サマータイム・マジックアワー
写さずの本に翻弄された午後、癒やしを求めて港へ足を伸ばした。名物のお菓子でも買って、海を見ながら食べよう。美味しいもので脳と心を満たしたい。
港に一番近い菓子店へ行き、目移りしながらスタンダードなものを二つ購入した。
カンノールは注文してから中身を詰めてもらう方がいい。揚げたてのパリパリした筒状の皮と、さっぱりとした甘さのリコッタチーズのクリームがとても合う。
地元産レモンの甘酸っぱいソースとドライフルーツがトッピングされた方は、ボリュームの割には食べやすくぺろりと平らげてしまった。
もう一つ、チーズのクリームにローズウォーターがたっぷり使われていて、赤い薔薇のソースに食用のローズペタルを刻んでトッピングされた方も美味しい。薔薇のソースってお肉にも合うのよね。
さっきのお店にはチョコレートやピスタチオもあったので、明日チャレンジしてみよう。
昼下がりの波止場は絶好の散歩コースらしい。ぽつりぽつりとベンチが置かれ、海を見ながらお喋りする人たちも少なくない。地元の人にも観光客にもゆったりとした時間が流れているように見える。
『ねえねえ、お姉さん一人なの?』
一人ベンチに座り、海を眺めながら無言で菓子を食らう私に話しかけてくる猛者がいた。
海の方から聞こえてくる声の主は、波間から顔を出してこちらを見上げている。つるんとした濃灰色の頭に小さめで細長いくちばし。つぶらな黒目が好奇心で輝いている。
「……デルフィナさん?」
『うん、そうだよ。少しお話してもいい?』
あっさりと会えてしまった。イルカの幻獣さんは、図鑑で読んだとおりに人懐こくて話好きのようだ。
「いいよ。私もデルフィナさんに会って話してみたかったんだ」
『そうだったんだー』
「ふわふわ羽毛のドラゴンさん、知っている? アリアちゃんていうんだけど」
『知ってるー。友だちだよ』
アリアちゃんから話を聞いて港へ来たことを伝えると、デルフィナさんは嬉しそうに笑った。イルカ独特の笑い声は、なぜだか人を安心させる。
「デルフィナさん、て呼んでもいいのかな?」
『いいよー。私の名前はあるけどデルフィナの一族以外だと呼べないし、長いから』
そういうものなのか。
「私も名前が長いから、なんとなくその気持ちは少しわかるよ」
『お姉さんの名前も長いんだ。確か、ヒトってお家の名前もあるんだよね?』
「そうね。家名の長い人もいるけど、私はないんだ。でも長いの」
母称が二つあるせいなんだけどね。私の母国において魔女の一族は、誰もが自分の母と祖母の名前を背負っている。
『お姉さんのことはなんて呼べばいいの?』
「テアでいいよ。連合王国の北にあるグイメハムのコロルリア」
『わあ、遠い所から来たんだねー。いつまでここにいられるの?』
「明々後日の朝に帰る予定。大図書館に用事があって来たんだけど、サイキリアに来てよかったよ。毎日楽しく過ごせているもの。昨日は野外オペラを見に行ったよ」
オペラ、と口にした途端、デルフィナさんの表情が見るからに嬉しそうになった。
『本当? 私たちも聴きに行ったよ!』
そう言って、デルフィナさんは演目のタイトルを口にする。どうやって? と疑問に思ったが、なるほど確かに円形劇場は海にほど近い。聴覚に優れた彼らは、海から歌を鑑賞していたのだろう。
「そう、それ! じゃあ、同じオペラを見たり聴いたりしていたんだね」
もしかして、昨夜見たイルカの群れは、観劇後に友だち同士で感想を語り合ったりしていたのだろうか。羨ましい。
『私ね、この曲好き』
デルフィナさんはそう言って、歌いだした。少年が恋について大人の女性に尋ねる歌。二幕目の有名な独唱歌だ。メゾソプラノの声がとても綺麗。
楽しそうに体をゆらしながら歌うデルフィナさんの様子を感心しながら眺めていたら、沖の方から何かがこちらへ向かってくる気配を感じた。
それは結構な数のイルカの群れだった。数えてみると二十頭近くいらっしゃる。
え、なに、この展開。
『ずるいわ! 一人だけ歌を聞いてもらうなんて』
『私たちも歌いたいんだから』
『ねえ、そこのあなた。私たちの歌も聞いてくれる?』
え、なに、この展開。
あれは正夢だったらしい。
私は観客となって、日が暮れるまでデルフィナさんたちの歌を聴いて過ごした。イルカの発する超音波にはヒーリング効果があるらしいが、彼らイルカの幻獣たるデルフィナさんたちも負けてはいない。
幻想的というには少し騒がしいが、存分に癒やしを与えられたようだ。その夜はぐっすりと眠ることができ、疲労はすっかり取れていた。
デルフィナさんたち、すげえ。




