月の光を集めながら
今日は空鏡の三の日、つまり満月の二日前だ。幸いにして今夜も晴れそうなので、ルナリエも問題なく確保できるだろう。
月の光を氷長石に閉じ込めるとルナリエと呼ばれる魔術素材に変化する。月齢により性質の異なるルナリエができるのだが、色彩魔術師に必要なのは月齢十ニから十三の月光だ。
満月の一歩手前、満ちていくギバスムーンの力を取り込んだルナリエは、色彩をより鮮やかに発色させることができる。
私たち色彩魔術師にとって大切な商売道具なので、ルナリエの在庫管理はとても大事だ。
が、うっかり大量に発注を受けてしまい、途方に暮れる新人さんも割といる世界なので、魔力に余裕のある者は多めにルナリエを作成しておく慣習がある。
困ったときはお互い様なので、新人の色彩魔術師のほかにも駆け出しの魔術師や魔導研究者へ譲ることも少なくない。同量の鉱石と交換という条件だけどね。
種類は問わない。石は等しく愛せるわ。
そんなルナリエだが、鉱石と花弁を練り上げるためには溶液にする必要がある。
ルナリエの融剤はいくつかあるが、魔力を絡めた氷晶石が一番私には扱いやすい。この二つに七色岩塩を少々混ぜて、魔法炎で溶解させたものが私に適したルナリエ溶液になる。
陽が沈むのを待って外へ出た。
時間的には真夜中だが、ようやく夕陽の名残りに月の明かりが勝ち始めた頃合だ。
工房の中庭には昼の間に組み立てておいたテーブルが設置済。十八インチの琺瑯トレイを三つ並べ、氷長石を重ならないようにぱらぱらと並べる。
夏至が近いので月の光を浴びる時間は短いが、その分パワーはある。
登り始めの月は薄い薔薇色でとても綺麗だ。
普段の私は無詠唱で魔術を行使するのだが、こんな月夜には音に乗せて言葉を紡ぎたくなる。
歌うように望みを伝えると、きらきらさらりと月と鉱石が応えてくれた。あとは充填されるまで待つだけだ。
月の光が注がれる数時間、何をしようか考える。
この前詰所の街で買った画集でも眺めようか。精密画で描かれた空想機械の本に、ひと目惚れをしてしまったのだ。
月明かりがあるので、小さなランプでも文字を拾うことはできそうだ。
お供に軽いお酒が欲しいところだけど、酔いすぎても困る。少し悩んで紅茶を入れることにした。頂きもののお菓子があることを思い出したのだ。
淡くて綺麗な色の砂糖菓子、ウィスキーボンボン。ウィスキー以外にも様々なリキュールが使われているものもあって、昔から大好きなお菓子だ。
我が家は代々が一人娘で、私には親類が少ない。そのせいもあって、母の妹弟子の息子さんたちを仮想甥っ子として可愛がっていたことがある。
甥とか姪とか年の離れた従兄弟とか、自分より年下の親戚の子どもが欲しくてたまらない時期があったのだ。単純な私は、なにかの物語でも読んで憧れたのだと思う。彼らはとてもいい子で、私によく懐いてくれた。
上の息子さんはとても律儀な性格をしていて、成人した今でも仕事で遠出をすると、その土地のボンボンを贈ってくれるのだ。叔母さん冥利に尽きるわ。本物の叔母じゃないけど。
沸かしたてのお湯を勢いよくティーポットに注ぐ。沸騰して空気をたくさん含んだお湯でくるくると回転する茶葉を見届けてから、保温のためにティーコージーを被せた。
これは時間差の状態固定魔術をかけた特製のものだ。おかげで、多めに入れた紅茶でも一番美味しい状態のまま飲むことができる。
ボンボンとカップとティーポットをトレイに乗せて、中庭へ出ようとした時に呼び鈴が鳴った。
「こんばんは。いい月夜だな」
ドアを開けると紙袋を抱えたリヌスが立っていた。明るい月の光で、アッシュブロンドの髪が少し淡く見える。
「こんばんは。絶好の十三夜だよ。どうしたの? なにかあった?」
「月が綺麗だから、仕事終わりに散歩をしてたら君の歌声が聞こえた」
「うん。さっきルナリエ注入の儀をやったからね」
だろうと思って、とリヌスは紙袋を私に差し出した。
「月光の番をするなら、君は夜明けまで起きているな?」
「まあね」
「どうせ起き出すのは昼を回るだろう。その頃にはうちのパンは売り切れてるからな」
紙袋の中にはブレーツェルと小振りなキッシュが入ってた。野菜と生ハムがたっぷり入った私の大好きなやつ。
「わあ、美味しそう。って、これ自分用の朝食じゃないの?」
「俺の分は別にある。さっき工房に戻って取ってきた物だから安心しろ。コーディアルのお返しだから気にするな」
ならば、ありがたくいただくことにする。
「仕事終わりならお茶でも飲んでく? さっき紅茶を入れたところなんだ」
リヌスは少し笑って、首を振った。
「誘いは嬉しいが、さすがに夜が深すぎる。また今度声をかけてくれ。おやすみ」
「ちょっと待って」
帰ろうとするリヌスを呼び止めて、その手のひらにボンボンをいくつか乗せる。
「帰り道のお供にどうぞ。いつも気にかけてくれてありがとう。いい夢を」
落ち着いた灰色の瞳が柔らかく細められた。
「ありがとう。君もな、テア」
リヌスを見送りながら思う。
頭のおかしい酵母オタクだが、気配り上手ないいやつなのだ。本当に私は友人に恵まれている。
遅く起きても、軽く温めるだけで美味しい食事にありつけるなんて幸せだわ。
トマトの赤にパプリカの赤。新鮮な卵と濃い目の牛乳で作られた淡い黄色のアパレイユに、ほうれん草の深い緑がよく映えている。
しかも、程よい焦げ目の隙間から薄いピンクの生ハムがちらちらと覗いていた。リヌスのことだ。見えないところにもなにか仕込んでいると思う。
ブレーツェル用にパセリ多めのハーブバターもつけてくれている。爽やかな風味がよく合うのだ。横に割ってたっぷり塗ってかじりたい。
ブレーツェルに振られている塩は、ほんの少しだけ残して落としてしまう。それでも充分に塩気があるので、ついつい酒が欲しくなる。
困ったわ。起き抜けに冷え冷えの白ワインを開けてしまいそう。
いけないわ、いけないわ、とつぶやきながら、白ワインと白のスパークリングワインを一本ずつ、氷室に移動させてしまう私だった。
月光の下、甘いボンボンを含みながら、画集のページをめくる。想像力を刺激される細やかな描写にうっとりしつつ、時折氷長石の様子を見る。
六月の十三夜は充填スピードが早くていい。夜明けまで待たなくても良さそうだ。
ティーポットの紅茶を飲み終えた頃に、充填が終わる。
ひとつ、手に取り月にかざす。
透明だった氷長石に半透明の光が閉じ込められていた。今回もいい出来だ。
片付けを終えて、気がつけば五時前。すでに日は昇り、朝の清冽な空気が達成感を割増してくれる。
ランチより遅そうな朝食を楽しみにしつつ、私は幸せな気分で眠りについた。




