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堕ちた氷扇③

「なんじゃこりゃあ!?」


 ハエンは目を白黒させる。

 カビ臭く沈んだ空気漂う地下空間だったのが、いつの間にか幻想的とすら思える氷結の空間へと変わってしまっている。ハエンとエルデの周囲だけに元の地下空間の名残があるのが余計に非現実感を際立たせ、別世界に迷いこんだのではないかという疑問すら浮かんだ。


 ゆっくりとだが、確実に氷が地面を這って迫ってきている。

 もちろんただの氷ではない。氷扇(ツグハナダ)が魔族化した時に放出していたものと同じ、触れたものを一瞬にして凍りつかせる力の塊である。


「お、おい!このままでは私たちも危険ではないか!?」

「くそっ!一体何が起こったんだ!?」

「上がるぞ!振り落とされるなよ!」


 エルデの力で、二人の周囲のまだ凍っていない地面がせり上がり台座となった。だが、根本的な問題を解決しなければこれもただの時間稼ぎに終わってしまう。


氷扇(ツグハナダ)はこの地下空間ごと俺たちを氷漬けにする気か!?」


 高速で飛び回りるフウが放った飛び蹴りが脇腹に直撃し、魔族は雄叫びに似た悲鳴をあげて倒れる。

 腹にまで入ったヒビは即座に再生されたが、フウの追撃は止まない。右手を上げ、手のひらに風の力を球体に凝縮し、それを投げるように放つ。彼女がよく行う攻撃手段だがその威力は絶大で、魔族の右足に触れた瞬間に爆発――瞬間的に発生する風圧力によって右足が吹き飛んだ。


 一方的な戦いは、まだ続いていた。その様子を見て、エルデは顎に手を当てる。


「とてもそんなことをしている余裕があるようには見えないのだが……。いくら小細工を弄しようと、その前にやられてしまえば本末転倒だろう」

「それなら攻撃の余波が徐々に溜まっていったとか?もしそうなら早く元の精霊に戻さないと大変なことに……」


 そうハエンが喋っている途中、ふと視界の端にフウに吹き飛ばされた魔族の右足が映った。本体から切り離されて溶けるように消えていくそれに、ハエンは妙な違和感を感じて目を凝らす。

 続いてハエンは魔族に目を向ける。再生途中の右足や身体中に這うヒビを観察する。


 そして、それらの行為がハエンの頭の中に答えを導きだした。


「いや、違う!このままじゃまずいぞ!」

「え……?」


 理解できていないエルデをよそに、ハエンは叫んだ。


「フウ!攻撃をやめろ!」


 次の攻撃体勢に入っていたフウは動きを止め、ハエンの方を見下ろす。


「ハァ!?何言ってるの!?」

「いいから!降りてこい!」


 遠くからでも見えるよう大きく手招きをするハエン。フウはちらりと魔族を一瞥し、まだ再生して立ち上がってくるまでに時間を要しそうだということを確認してからハエンの元に降りた。


「もう、一体何が……ぅええ!?なんだこれ!?全部氷漬けじゃん!」


 フウは辺りを見て驚愕する。どうやらこの状況に今まで気づいてなかったらしい。


「広いとはいえここは窓一つない閉鎖空間だ。放出された奴の力の逃げ場が無い。このままではいずれ私たちも氷像の仲間入りだろう」

「あぁ、もう逃げ場もない。正直言ってかなりまずい状況だ」

「なら尚更急がないとダメじゃんか!どうしてわざわざ止めたりしたのさ!」


 ハエンに詰め寄るフウ。二人の白んだ吐息が交差し、ハエンは氷扇(ツグハナダ)の方へと目を逸らす。


「この状況を作り出したのは氷扇(ツグハナダ)じゃない。俺たちなんだ」

「……どういうこと?」

「あいつが負った傷や身体の破片から冷気が漏れだしてるんだよ」


 フウは「ええ!?」と、エルデは「何っ!?」とそれぞれ異なる言葉を漏らした後、同じような動きで氷扇(ツグハナダ)に目を向ける。目を細めたり広げたりして少しの間観察し、ハエンの言った通りだと分かると納得したような表情を浮かべた。


「確かに出ているな。ここからでも見て分かるほど強烈なやつが。フウ、お前戦っていて気づかなかったのか?」

「蹴り飛ばした瞬間になんか冷たいなー、とは思ってたけど……そっかそういう事だったのか」


 エルデは一瞬半目を向けたが、すぐに首を振って元の表情に戻した。


「……私もこれまで気づかなかったのだから、ヒトのことは言えないな。確かに魔族というのは暴走した精霊の力によって作られた姿だ。あの身体は力そのものを具現化したものと言ってもいい。傷が付き綻びが生じれば、そこから力が流出するのは充分あり得る話だ」

「ダメージを与えれば与えるほど周りが凍っていくってこと?何だそれメンドくさいなぁ。じゃあダラダラやってないでさっさとケリをつければいいのかな」

「いや……フウが戦い始めてからこれまでのたった数分で……地面も壁も天井のほとんどが凍りついてるんだ。多分、もう一押しあるだけでここは完全な氷の世界に成り果てる」


 ハエンは足元を見る。今立っているエルデが地面をもり上がらせて作った台座も、半分近くが氷に包み込まれていた。


「そ、そうなれば俺たちも無事じゃすまないだろうな」


 このやりとりをしているたった数分の間にも、明らかに気温が下がっている。こうして少し喋っただけで唾液が凍りつきそうになった。精霊である二人は寒さに耐性があるのか寒がっているようには見えないが、ハエンは声の震えを抑えるのがやっとだった。

 だが、このままではいずれ全員が氷に飲み込まれる。その事実は精霊だろうと人間だろうと関係なく迫っていた。


「これ以上攻撃できないんじゃ、一体どうすればいいの!?」

「何とかして……外に誘き出せれば……。密閉空間じゃなきゃ漏れ出た力も霧散していくだろうし……」

「いいや、それは不味いだろう。……そうか、ハエンは知らないのだな」


 何の事だ、とハエンは頭の上にハテナを浮かべる。


「ここはアークフォルンの真下にあるのだ。ここから誘き出すということは、すなわち街中に魔族を放つのと同じ。無関係な犠牲者を出してしまうばかりか、アークフォルンにいる大勢の騎士や冒険者どもに間違いなく氷扇(ツグハナダ)は討伐されてしまうだろう。街を脅かす化け物としてな」

「……っ!」


 ハエンは奥歯を噛み締める。

 自らの意思が介入する余地など無かったというのに、大切なヒトを傷つけさせられ、果てには皆から化け物として見られ殺される最期など認めたくない。

 そんな結末、あまりに不憫すぎる。


 外に誘き出すのは論外。これ以上戦うこともできない。ならば、もうできることといったら――


「――なら、一か八かやってみるしかないか」


 ハエンは固く拳を握りしめ、氷扇(ツグハナダ)を見据える。

 その意を決した顔に嫌な予感を覚えたエルデとフウは声を張り上げた。


「まさか、今の状況で〈精霊回帰〉を使うつもりか!?」

「ダ、ダメだよそんなの!危険すぎるよ!」

「フウの言う通りだ!まだ奴は動ける余力があるんだぞ!それに、漏れ出している力に触れればあっという間に氷漬けだ!いくらなんでもリスクが高すぎる!」


 そんなことは分かっている。だが、それ以外にどんな方法があろうか。


「それでも……やらないと助けられないんだ!フウ、俺をあいつの近くまで飛ばしてくれ!」

「……イヤだ!」

「頼む!俺の力じゃあんなところまで飛べないんだよ!」

「イヤだったらイヤだ!そんなことするくらいなら、その前にボクが全部終わらせてやる!」

「フウッ!!」


 断固として拒否するフウと、そんな彼女に苛立ちを募らせ始めるハエン、二人が睨み合う。


 その時――ふと服の腰の辺りを引っ張られてハエンは振り向く。そこにいたエルデは服をつまんだまま静かにハエンを見上げ、こう言った。


「お前は、私たちを魔族に堕とすつもりか……!」

「…………あ……」


 こちらを睨むフウといつもと変わらぬ硬い表情のエルデ、どちらの瞳もわずかに揺れていることに気づき、ハエンは目を伏せる。


「……ごめん」

「……分かればいい。きっと……きっと何か方法があるはずだ」

「そうだよ。もう二度とあんな無茶なこと言わないでよね」

「あぁ、分かったよ」


 ハエンは頷く。

 とはいえ、他の方法も何も思いつかないのが現実だ。

 ハエンは魔族に目を向け、そろそろ再生が終わりそうなことを確認するとフウに視線を滑らせる。


「フウ、頼まれてくれるか?」

「何?」

「少しでも時間を稼ぐために、氷扇(ツグハナダ)の気を引き付けておいてくれないか?その……難しいと思うが、攻撃はしないでな」

「……ん、了解。ボクに任せて」


 了承の意を示したフウは早速飛び立とうと身を屈める。


「……ん?」


 ――しかし、精霊術を発動する前に目を細めたかと思えば、首をかしげた。


「ねえ二人とも、何か様子が変じゃない?」


 そう言ってレンは氷扇(ツグハナダ)を指差す。

 ほぼ再生が終わっている氷扇(ツグハナダ)だが、まだ立ち上がってはいなかった。

 横たわった状態から立ち上がる途中の体勢で地面の方をじっと見つめている。傷を負わせたこちらに怒り狂っているわけでも恐れているわけでもなく、最早そんなことには興味を失ったかのように。

 ハエンは氷扇(ツグハナダ)が一心不乱に見つめるその先を目で追う。そして目にしたものに驚愕し、目を見開いた。


 氷扇(ツグハナダ)の冷気、極寒の力に覆い尽くされたその場所に、血を滴らせながら立っていたのは――倒れたはずのカルハ・カムイズミだった。

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