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堕ちた氷扇②

 魔族はうまく起き上がれずにもがく。水晶のように透き通った見た目は美しくとも、地をのたうつその姿は獣と大差無い。そして起き上がれないその原因が自分で長くした足にあると気がついたらしく、元の長さに縮ませていく。

 隙だらけにも関わらず手を出さずに、フウは変わり果てた同族を空中に浮かびながら見下ろしていた。


「こうなっちゃうと、やっぱり哀れなもんだね」


 立ち上がった魔族は宙に浮かぶ小さな少女に気づき、青白い光を宿した目を向ける。


『オオオオオオォォォ!』


 フウはハエンのように魔族の言葉は分からない。しかし、口が無いせいかややこもったように聞こえる咆哮は、どこか悲しみに濡れているように聞こえた。

 フウの脳裏にカルハが倒れた時の光景が浮かび上がる。


「そっか、自分の力がカルハを傷つけちゃったからか……。うん、その……なんだろ……その気持ち、分かる気がする」


 フウは静かに後ろの方に目を向ける。こちらをまだ不安そうに見上げているハエンと目が合い、ひらひらと軽く手を振ると、フウは再び前を向いて魔族を見据えた。


「大見得切ったけど、やっぱりちょっとやりにくいな」


 以前、エルデは孤独に絶望して魔族となった。

 氷扇(ツグハナダ)は大切なヒトを傷つけて絶望した。

 どちらも今のフウにとってなり得た、そしてなり得る未来。だからこそそれがどれだけ苦しいことなのか理解できてしまう。


 かつての自分なら、こんな同情を抱くことなどなかったというのに。


 フウは首を振り、余計な考えを頭の中から追い出す。


「…………まぁいいや。これ以上暴れられると面倒だし、さっさとやっちゃおう」


 哀れみを向けていた瞳に鋭い光が宿る。危険を察知したのか魔族も動きはじめ、氷の槍がいくつも生成された。

 それらの矛先は今にも獲物を貫かんと輝いている。しかしフウは怯む様子はなく、臨戦態勢に入った。


「痛いかもしれないけど、ちょっとくらい我慢してよね!」




 一方的な戦いだった。


 魔族が放つ氷の槍はフウを捉えることができず、反対にフウ放つ精霊術は直撃、凝縮された風が爆発し弾け飛ぶように魔族の右腕がもげる。

 遠距離攻撃では分が悪いと判断した魔族は、その巨体に似合わぬ速度で距離を詰める。もがれたはずの右腕が瞬時に再生し、より長く鋭くなったそれで貫こうとする。

 しかし空を自在に飛び回る隼を槍で捉えることができようか。むしろ近づいたことで懐にもぐり込む隙を与えてしまい、至近距離でフウの攻撃が直撃する。魔族の腹に文字通り風穴が空き、逆巻く旋風がそこを吹き抜けていった。


「……すげえ」


 ハエンの口から感嘆の言葉が漏れた。

 まだ魔族が倒れず再生を続けていられるのは、フウが弱点である魔紋をあえて狙っていないからである。逆を言えば最初から魔紋を狙っていればとっくに勝敗は決していただろう。両者にはそれくらい力の差があった。

 魔族は四肢が欠損するごとに、身体がひび割れるごとに、動きが鈍く、再生も遅くなっていた。流石に力が無尽蔵というわけではないらしい。このまま削っていけばやがては大人しくなるはずだ。氷扇(ツグハナダ)の境遇を思えば心苦しくもあるが。


「エルデの時もそうだったけど、魔族を一人で圧倒するなんて俺には考えられないな。天地がひっくり返っても真似できそうにない。もしかして精霊にとってはあれくらいが普通なのか?」


 隣のエルデに問いかけたつもりだったが、返事がこない。気になって見ると、エルデは唖然とした様子でフウを眼で追っていた。


「……エルデ?大丈夫か?」

「ん?あ、あぁ、すまない、何か言ったか?」

「精霊っていうのは皆あんなに強いのか?少なくとも人間だと、魔族一体を討つのに騎士団一個小隊以上は必要なんだが」

「…………」


 一度こっちを見たエルデの顔が再び戦いの場へ向く。


「精霊なら一人で魔族を倒せるのか普通なのか、という問いなら、答えはノーだ。魔族は精霊の力が暴走した影響によって変異した姿だ。その他一切を犠牲に、力を使うことに最大限に特化した存在といえる。単身でまともに戦える相手ではない」

「……そうなのか?でも、あいつはお前とも戦って勝ってたぞ」


 それはもう完膚なきまでに――とは口に出せなかったが、フウが魔族化したエルデを圧倒したのをハエンはこの眼で見ている。その強さに確かに一抹の恐ろしさを感じたものだったが、そのせいで精霊にとっては魔族など取るに足らない相手なのだと認識していた。


「私は魔族化していた時間が長かったせいか、その時の記憶がほとんど無くてな。実を言うとフウ一人に負かされたと聞いても半信半疑だったんだ。……だが今、確信した。あいつの強さは普通じゃない」

「そんなに……なのか」

「あぁ。……あれだけの力……まさか“七精皇”にも匹敵して……?」

(……?)


 徐々に尻すぼみしていく声量のせいで最後の方がよく聞こえず、首をかしげるハエンに気づいたエルデは首を横に振る。


「いや何でもない。私が言えるのは、あいつは敵に回したくない、ということだな」

「なるほど確かに。同感だよ」


 同じ精霊であるエルデから見てもフウは圧倒的な力を持つ、ということらしい。仮にハエンが彼女と戦うことがあったとしたら間違いなく瞬殺だろう。


「それよりも、この分だとお前の出番がすぐに来そうだ。気を引き締めておけよ」

「あぁ。……しかし、このまま何事もなければいいけどな。あいつが強いっていうのは分かったけど、何か見落としてるんじゃないかって不安になるよ」

「考えすぎだろう。この状況で見落とすことなどあるまい。それとも、何かそう思う根拠があるのか?」

「いや、ただ何となくだよ。見てるだけだと余計なことまで考えちゃうな。……それにしても、エルデ、なんか寒くないか?」


 ハエンは身体を震わせながら腕をさする。


「今更何を言っている。あれだけ冷気がばら蒔かれてるんだ、寒くて当然だろう」

「それはそうなんだが……フウが戦い始めてから急に気温が下がったような……」


 吐息が白んで消えていく。まるで冷凍庫の中にいるような寒さだ。

 不審に思ったハエンは周囲を見回し――そして、色んな意味で凍りつくような光景を目にした。


 後ろも。右も左も。よく見れば前も、一面に輝く氷の世界。

 気がつけばこの地下空間は、二人の周囲以外の全てが凍りついた極寒の地へと成り果てていた。

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