古代遺物の限界
爆発的に広がる寒波。
氷扇はほのかに輝き、その力を拡散させ、アスタルを中心とした地面が凍りついていく。その場所から巨大な氷の柱が次々と飛び出し、十メートルを越す高さにある天井に突き刺さっていく。
「うわわっ!?」
これにはたまらずフウも距離を置いた。
『――あああああぁぁぁっ!!』
戦況を見守っていたハエンの耳に悲痛な悲鳴が届き、思わず耳を塞ぎたくなるのをぐっと堪えた。
横にいるエルデは何も反応を示していない。
当たり前だ。この悲鳴はハエンしか聞くことのできない。
悲鳴をあげているのは氷扇なのだから。
『あぁ……くっ……!』
悲痛な悲鳴が絞り出すような喘ぎに変わり、冷気の拡散が止まった。
アスタルは舌打ちをし、氷扇を顔の前まで持ち上げて怒鳴りつけた。
「もっと力を振り絞らんか!こんなものでは全く足りん!貴様も所詮使われるだけの道具なのだ!道具は道具らしく、壊れるまで俺に尽くしてみせろぉ!!」
『うっ……く、あ、あぁぁぁ!!』
再び光が放たれ、悲鳴と共に更に氷の領域が拡がっていく。そして天井を支えるように突き刺さっていた氷の柱が粉々に砕け、その破片があられのように、あるいは矢のようにフウに襲いかかった。
点ではなく面を制圧するその攻撃に逃げ場はなく、すかさずフウは自分を中心に旋風を巻き起こし、氷の矢を弾き飛ばしていった。
しかし、広範囲に同時に襲いかかる氷の矢の脅威はハエンとエルデのいる場所にまで及んでいた。
「危ない!」
叫ぶと共にエルデは精霊術を発動する。せり上がった岩の壁が術者とハエンの前方を覆うような形になり、盾となって氷の矢を弾き返す。
やがて攻撃が止み、役目を終えて沈んでいく壁の向こうで、無傷なフウがバツの悪そうな顔をしているのが見えた。
「おい、フウ!」
怒りと焦りが混じったエルデの怒鳴り声にフウが振り向く。
「ごめん、ちょっといじめるだけのつもりだったのに、色々抑えきれなくてやりすぎちゃった」
「どう始末を付けるつもりだ!このままでは持たないぞ!」
「……?」
果たして、何が持たないのか?
その疑問が顔に出ていたらしい。エルデはハエンに目を移すと、伏し目がちに口を開く。
「このままでは氷扇が魔族になる!」
「な……っ!?」
ハエンは驚愕に目を見開いた。
「精霊が魔族になる原因は自身の力の暴走だ!自身を制御できなくなった精霊が理性も知性も失った姿が魔族なのだ!無理に力を使わせられるということは自身を制御できていないも同然!そんな負担を長時間強いれば、確実に氷扇は限界を迎える!」
「くそっ!」
魔族と化してしまっても精霊に戻せるのはエルデの時で実証済みだ。
だが、魔族になるということがどれほどの苦痛を伴うのか、ハエンには想像しきれない。
そんな目に遭いそうな精霊を前に、黙っていることなどハエンにはできなかった。
ハエンはエルデの制止を振り切り、アスタルに向かって走り出す。
「兄上!そのままでは大変なことが起きる!今すぐやめてください!」
「うるさい!貴様ごときが、この俺に指図するな!」
触れただけで指先が動かなくなりそうな冷気と共に、ヒト一人程度なら閉じ込めてしまそうな大きさの氷塊が数珠のように並んで飛んでくる。
(でかい!)
ハエンが【大地の支配者】を使うより早く、後方に置いてきたエルデの精霊術がハエンの前に壁を作った。
巨大な岩の壁に氷塊が連続してぶつかる衝撃が空気を震わせる。
「ええい!煩わしい壁め!」
パキパキと何かが割れるような音が聞こえた。岩の壁がみるみる凍りついていることに気がついたのはその後だった。
完全に氷に包まれた壁は力を失い、ひび割れ崩壊していく。
「ぐっ!これほどまでの力を……!」
「ハエン、危ない!」
崩れた壁の向こうから飛んできた氷塊に押し潰される直前、ハエンの身体が勢いよく浮かび上がる。いや、飛ばされたと言うべきだろうか。足元から昇った突風に上方向に吹き飛ばされたのだ。
直後、余計なことをするなと言わんばかりに続く氷塊の向かう先がフウへと切り替わる。いつものように風で高く跳躍して攻撃を飛び越えたフウは、そのまま滞空しながら下方向を一瞥した。
「エルデ、お願い!」
投げ飛ばされるように吹き飛ばされたハエンの下でエルデが腕を広げる。見た目が十歳を下回る幼児体型の少女が落ちてくる青年を受け止めるのは無謀に見えるが、そこはやはり精霊、実年齢と力が見た目に比例しておらず、ハエンは悠々と抱き抱えられた。
「無茶をするな!今、お前が出ていったところでどうにもならんだろう!」
「悪い……!だけど、ずっと聞こえるんだ!氷扇は悲鳴が。身動きが取れない状態で力尽きるまで酷使されて、その果てが魔族化なんて……そんなの、残酷すぎる!」
「…………」
ハエンはエルデの腕の中から降り、アスタルの方を向く。
今もなお、氷扇の悲鳴は止まらない。あの美しい姿からは想像できないような生々しい叫びは、聞いているだけで胸が張り裂けそうになる。
『ああああ……う、ぐぁ……!』
「やめろ……!兄上、これ以上は……!」
重力をものともせず上下左右自由に動き回るフウに、当たらない攻撃を続けるアスタル。そしてリソースを全く気にしないアスタルの怒涛の攻めを前に、フウもまた攻めあぐねていた。
それら一手一手が氷扇の体力と精神力を削っていく。取り返そうにもどうにもできず、ただハエンの頭に苦痛の声が響き渡る。
『あぎ……ぐ……っ……!』
「やめろ!くそっ、もうやめてくれ!兄上!」
それがあまりに見ていられなくて、聞いていられなくて、制止を呼び掛ける自分の声を何とか届かせようと、ハエンはまた走り出そうとした。
「やめ――」
――その瞬間だった。
「――――やめろぉおおお!!」
この場にいないはずの男の絶叫が争いを止め、全員の視線を唯一の出入り口の方へ誘導させた。
『あ、あぁ……』
氷扇の声が静かに響く。ハエンにしか聞こえないそれは大きく衰弱していたが、その中に色濃い安堵と歓喜の感情が混ざっていた。
「……馬鹿な!?何故貴様がここにいる、カルハ!」
皆に聞こえる声で最初に言葉を紡いだのはアスタルだった。信じられないと目を丸くし、男――カルハの身体を見る。
右肩から左脇腹にかけて大きく斬られた傷があり、完全には出血が止まっていないのか衣服に滲んだ血痕は渇いていない。血の気の薄い顔は泥まみれで、大量の脂汗がその軌跡を残していた。
「まさか、その身体で追ってきたというのか!」
「……氷扇は我が半身にして家族、と申し上げたはずです。それが奪われたというならば、たとえ地の果て空の果てまでも……!」
「くっ……!」
呼吸を荒げながらもカルハは進む。歩くことすら困難な身体とは正反対にギラリと鋭い光を宿した瞳は、アスタルに息を呑ませた。
「返してもらいますぞ、某の……大切なものを!」
「これは今や俺のものだ!貴様は従騎士の分際で、主の手にあるものを奪うとほざくか!」
「エーデリック家とカムイズミ家が先祖の代から主従関係にあるのだとしても、それだけは譲れませぬ!ましてやそのような無茶な扱いをする貴方に、氷扇は渡せませぬ!」
「こいつが使い潰れようと知ったことか!この俺をコケにした不遜の輩どもを這いつくばらせられればそれでいいのだ!」
へし折らんばかりに強く氷扇を握りしめるアスタルに、カルハはその背後を見るような、遠い目を向ける。
「そこまでして貴方は何を護ろうというのです。他者をを傷つけ、大切なものを奪い、その尊厳を貶めてまで護るプライドに果たしていかような価値がありましょう。そのような行為を亡くなった父上や代々の当主たちが望むとお思いか!」
「……黙れっ!所詮飼い犬の貴様には分かるまい!高貴な血を引くということがどういうことかを!家の名を背負うということがどういうことかを!」
「アスタル殿……ぐっ!」
苦痛に顔を歪ませ、カルハは膝をつく。
「カルハ!?」
『カルハ様!』
「ハァ、ハァ、ハァ……」
立ち上がろうとするが、思うように身体が動かせない。前屈みになり垂れ下がった長い髪に隠れた顔は、明らかに先程よりも血色が悪くなっている。
当たり前だ。普通の人間ならば気を失っていてもおかしくないほどの重傷なのだ。倒れないだけで奇跡である。そんな状態でアスタルを追ってきたのであれば、ルーインス街からアークフォルンまで移動したということだ。
なんという執念――いや、想いだろうか。古代遺物が精霊であるということすら知らないはずなのに。
ハエンはエルデに目配せする。自分に使った上位治癒回復薬は余ってないのか、という意味を込めたものだったが、それを察したエルデは首を横に振った。
「心配……無用。これしきで倒れるほど、某は……」
次の瞬間――カルハの身体がガクンと揺れた。
あまりに突然のことで、ハエンは何が起こったのか分からなかった。
そしてカルハの腰から氷の槍の先端が生えているのを見た瞬間、全てを理解する。
「あ……がっ……」
血が噴き出す。カルハの腹を貫いた氷がみるみる赤く染め上げられていく。
肺の中の空気を絞り出したような声を漏らしながら、何か言葉を口にしようとする。
しかし、それはもはや声になっていなかった。
役目を終えた氷の槍が砕け散っていく。血に染まった破片は薄暗い灯りを反射して紅の瞬きを残していく。
カルハは血に染まった手をアスタルの、氷扇の方へ伸ばし――
――そのまま、その場に崩れ落ちた。




