兄vsフウ②
アスタルが斬りかかり、フウがそれを受け止める。
フウが反撃し、アスタルがそれを避ける。
氷扇で作り出した氷塊をかわしたフウの、剣を振り回すだけの攻撃がアスタルを捉える。
一見互角に見える両者の攻防は、少しずつ、だが確実にアスタルが押されつつある。それは鬼気迫る彼の表情からも伺えた。
「あんな剣の素人に押されるなんて、兄上にとってはこの上ない屈辱だろうな……」
技量差を覆しているのは魔法でもなく、その他の特異的な力をでもなく、ただの身体能力の差だ。長い時間を費やして研鑽してきた技術がこれほど容易く強引に押し潰されてはたまったものではない。
精霊と人間の力の差がはっきりとそこに表れていた。
「フウの奴、わざわざ剣を使っている理由はそれか。精霊術も使わず、わざわざ慣れない武器で自身に枷までつけて……そこまでしてあの男に屈辱を味わわせたいということか」
「……あいつは今までずっとただの道具として使われてきたからな。ただ利用されるだけ利用されて、用がない時はずっと部屋の中に閉じ込められっぱなし。家宝だの象徴だのとは言われてきたけど、結局はそれも道具としてだからな。相当屈辱的だったんだろう」
「だから今、チャンスとばかりにやり返しているのか。なるほどな」
続けてボソッと「その程度の報復で気が済むくらいには落ち着いたか」とエルデが呟いたが、それがどういう意味なのか分からなかったハエンは何も反応を返さなかった。
幾度もの攻防を繰り返しながら、アスタルは苛立つ気持ちを抑えるので精一杯だった。
技量で勝っていても、圧倒的な身体能力によって全て受け止められてしまう。どれだけブレのない剣筋で振るおうと、〈神加速〉で接近しようと、〈倍化撃〉で威力を増そうと、フェイントをかけて揺さぶろうと攻撃が当てられない。こちらがどんな攻撃しようとそれ以上の速さと力で相殺されてしまう。
向こうの攻撃も当たりはしないが、こちらも攻めあぐねている。決して相手の攻撃が見切れないわけではないが、それは相手が剣の素人だからである。
それに、フウと名乗った相手の少年――ではなく少女が風神剣の真の姿だというなら、風神剣が持っていた“風を操る力”を扱えると考えるのが自然だ。ハエンにとどめを刺そうとしたあの瞬間に飛んできた竜巻は、間違いなく彼女の力だろう。
その力を使わず、わざわざ慣れない武器を使ってくるということは――
(クソッ!クソクソクソ!舐めやがって!)
――完全に手加減されている。遊ばれている。
それに気づいてから、アスタルの心中には悔しさと怒りでどろどろとした黒いものが渦巻いていた。
その感情に支配されそうになったが、すんでのところで戦士としての経験と勘がアスタルに冷静さを取り戻させ、次なる一手を計算させる。
身体能力では向こうの方が遥かの上。下手に戦いを長引かせてはこちらの体力が持たない。
ならば次で仕留める。加減されているならもはやそれでもいい。その油断を突き、本気を出される前に決着を着けてしまえばいい。
アスタルは氷扇の力で氷のつぶてを作り出し、放つ。
無数の弾丸は到底剣一本で受け止めきれるものではなく、フウは横に動いて軌道上から離れる。
その一瞬の隙を突き、アスタルは踏み込んだ。同時に使用するには身体の負担が大きい〈神加速〉と〈倍化撃〉を両解放し、速度と力を高めて渾身の一撃を放つ。
狙いは左の脇腹。低い体勢から斬り上げるようにして剣を振り――防がれる。
技能を二つ使ってまで繰り出した攻撃が防がれたのは驚くべきことだが、これまでの攻防を考えれば予想外ではない。とても不本意ではあるが、受け止められるだろうとは思っていた。
これでいい。技能を二つ使ったのは、剣を避ける暇も弾く暇も与えないため。顔や首といった急所ではなく、わざわざ下の方から攻撃したのは相手の視線をそちらに向けるため。本当の狙いは別にある。
氷扇の力で相手の頭上に冷気を集め、鋭利な氷柱を形成する。
狙いは敵の脳天。
「くたばれ!!」
アスタルの殺意に導かれるように氷柱が急降下する。
完全な死角からの、当たれば確実に致命傷を与えられるはずの冷たい刃は空気を穿ち、フウの脳天に突き刺さる――はずだった。
しかし、氷柱が頭に到達する直前――フウは二人の間の空間を軸として回転するように動いた。
アスタルの剣が受け流されるとほぼ同時に氷柱が地面に衝突し、その勢いのまま儚い音を立てて崩れる。
「な――にっ!?」
素早い動きで視界から外れた少女の姿を次に捉えたのは、彼女が振り向き様に走らせた銀色の剣閃が迫ってくる瞬間だった。
(避けきれ――)
ブオンと風を切るというより薙ぐ音が鳴り、剣が振り抜かれる。暑い感覚がアスタルの胸に一文字に走った。
血が吹き出し、辺りを赤黒く染める。身体の力が抜けていき、視界が急激に暗くなっていく――
――などといったことはなかった。
強い痛みは感じられない。
深い傷が痛覚を麻痺させたのかと思ったが、自分の胸を見下ろし、そうではないと分かった。
実際に傷が浅かったのだ。服は斬られたというより引っ掻かれたような不格好な切れ方をしており、胸についた傷はかすり傷程度で、致命傷どころかほぼダメージにならないようなものだった。
息を荒げながら胸に手を触れ、自らの無事を確かめるアスタルの前で、フウは眉を寄せ首をかしげながら自分が持つ剣を見る。
「届かなかったかぁ……。思ったより難しいね、これ。見るのとやるのじゃ大違い。こう……隠された才能がパーっと開花してハエンにいいとこ見せられたりしないかなぁ、ってちょっと期待してたんだけどな」
もう少しフウが間合いを把握していれば、もう少し踏み込みが深ければ――もう少し剣の扱いに慣れていれば、アスタルの命は無かったかもしれない。
攻撃をかわされたことよりもその事実がアスタルの胸に深く突き刺さる。
もはや自分は遊ばれているに過ぎない。本気の片鱗すら見せずとも圧倒してくる相手に勝ち目があるというのか。
焦燥や悔しさを通り越し絶望しつつあるアスタルにフウの目が向く。
「あれ、もう来ないの?そろそろ疲れてきちゃった?」
友人に話しかけるような軽さで語りかけてくる少女にアスタルは睨み返す。
まだ負けてはいない。その意味を込めた眼光を飛ばし、絶望を心の奥に押し込める。
「……そう、まだやる気なんだ。それもエーデリックの誇りってやつ?」
フウの表情が変わる。これまでの無邪気かつ煽るような笑みが剥がれ落ちた、冷酷な表情へと。
「くだらない。どれだけ叫んだってボクの声を聞いてくれなかったくせに、ずっとボクのことを蔑ろにしてたくせに、何が誇りだよ」
独り言だろうか。小声で呟かれたフウの言葉はアスタルの耳には届かなかった。
その後、はっきりとした敵意を孕んだ眼差しがアスタルへ向けられる。
「ボクはキミたちエーデリックの人間は嫌いだ。でも、その中でもハエンを苛めて無能呼ばわりするキミが……特に大っ嫌いだ!!」
――そして、風が吹き荒れる。
ここは地下深くのシェルターの中、風など吹くはずがない。
そう、やはり彼女は風神剣なのだ。
人智を越えた強大な力を持つ古代遺物なのだ。
肌を貫く冷たい風が、アスタルにその事実を突きつける。
不意にフウは左腕でなぎ払うような動作をした。
その瞬間、アスタルの剣に刃がぶつかったような衝撃が加わる。
「ぐぅ!?」
あまりに重く、あまりに突然なそれはアスタルの手から剣を弾き飛ばさせる。
フウが動かしたのは剣を持たない左腕。アスタルの剣にぶつかったのは彼女が持つ刃ではない。一体何が起こったというのか。
不可解な出来事に混乱しかけた頭が一つの答えを導きだす。
実体がないだけで、それは確かにフウの持つ刃だったのだ。
風の力を凝縮した刃――それが先程の衝撃の正体だ。風神剣はそのような使い方もできると、かつて父から教えられた記憶が甦る。
弾かれた剣が地面を滑る。カラカラと乾いた音がいやに耳に大きく届いた。
「……けど、あの追放がきっかけでボクが自由になったのも事実。今の生活は結構気に入ってるし、下手なことをして壊したくない。だから、そうだなぁ……最後のチャンスをあげるよ」
「……っ!」
「ボクたちのことを全部忘れて二度と姿を見せないって誓うなら、見逃してあげてもいいよ」
「くっ……!」
――最後のチャンスをやろう。風神剣はどこだ。
アスタルはほんの十数分前、自分がハエン放った言葉を思い出す。
あの時、自分はどんな気持ちだっただろうか。
自分の方が上だという自負。勝利を確信した優越感。相手を見下し、自分の絶対的な優位を疑わなかった。
それが、今度は立場が逆転した。
完全に見下されている。生殺与奪の権利を握られている。
自分が散々に利用してきた道具に。
自分が散々に無能と蔑んできた弟の前で。
それは、アスタルにとってこの上無い屈辱だった。
「……黙れ!認めるものか!この俺が、貴様なんぞに敗北するなど……認められるものかぁああ!!」
絶望しかけた自分に言い聞かせるように吠え、アスタルは氷扇を握りしめる。
剣が無いならもう一つの武器を使えばいい。
力が足りないというなら、力を出させればいい。
どんな手を使おうと最後に立っていた者が勝者だ。
「もっとだ!もっと力を寄越せ、氷扇ぁ!!」




