兄vs弟②
「それは……!?どうして貴方が、カルハの氷扇を持っているんだ!」
アスタルとカルハは主従関係にある。従騎士のものを主が持っていたとしても、それは決してあり得ない話ではない。主が命じれば応じるのが従騎士なのだから。
だがカルハに至っては話が別だ。
それは彼が並々ならぬ愛着――愛情に近い情を氷扇に向けているからである。誰かに渡すことなど、例え主が相手であっても考えられない。それくらいカルハの想いは強い。
ならば、考えられる答えは一つ。
「――奪ったのか!?」
アスタルは傲慢に鼻を鳴らして答える。
「ああ。主の命令も満足にこなせないような役立たずの手にあるくらいなら、俺が有効活用してやろうと思ってな。これに本当に意思があるというなら、この俺に使われる事をさぞ喜んでいるだろうよ」
『……っ!誰がそんなことを……!ハエン様、カルハ様はこの者に斬られて……あぁ、カルハ様……カルハ様ぁ……!』
氷扇の嘆きの声。しかし、それはアスタルには聞こえない。
ハエンはギリッと歯を食い縛る。
「自分の従騎士を斬ってまで手に入れたかったのか!それがカルハにとってどれだけ大切なものか、貴方もよく知っているはずでしょう!?」
「知ったことではない。俺はエーデリックの威光を確固たるものにするためならば、どんなものだって利用してやるさ」
「貴方は……貴方という人は!そこまでして自分の立場を護りたいのか!!エーデリックなんて名前がそんなに大事か!!」
「貴様には理解できまい!これまで何の責任も、何の重荷も、何の期待も背負わずにのうのうと生きてきた貴様には!!」
アスタルの気迫に呼応するように彼の周囲に氷のつぶてが形成され、弾丸のように放たれる。
ハエンは大地の壁を形成しようとするが僅かに間に合わず、防ぎきれなかった分が身体を掠めた。
「ぐっ!」
肌が切れる痛みと氷の冷たさを同時に感じた直後、自らが立つ地面が凍りつき始めた事に気づいたハエンは、風の力で跳躍。入れ替わるようにして巨大な氷の棘が飛び出した。
咄嗟に反応できた自分を褒めてやりたかったが、すぐに自分の浅はかさを痛感することになる。
跳んだ直後、自らが作り出した壁を飛び越したハエンの目に飛び込んできたのは、既に無数の氷の弾丸を形成していたアスタルの姿だった。
(しまっ――)
「貴様の力を見せろ、氷扇!」
それら全てが弾幕となって放たれる。ハエンは避けることができず全身に受けてしまう。
「ぐぁあああ!」
数度の攻防でハエンが空中で跳ねることはできても自在に動ける訳ではないと見抜き、わざと跳ばせたのだろう。同時に、アスタルが氷扇を手にしたことで、遠距離に攻撃する手段を得てしまったという事を即座に計算に入れられなかったハエンの経験の浅さが出てしまった。
全身を何度も殴られたような痛みと共に吹き飛ばされ、落下。何とか風で体勢を戻そうとするも、痛みと加護を使い続けてきた疲労でうまくコントロールできず、僅かに落下速度を緩める程度しかできなかった。
「がは……っ!」
背中から地面に叩きつけられ、肺の中の空気が強制的に吐き出される。酸素を取り込もうと呼吸すると、その度に激痛が走った。
「勝負あったな。いかに小細工をしようと、無能の貴様と俺では格が違うのだ」
その痛みにもがくハエンの側まで近寄ったアスタルは勝ち誇った表情を浮かべる。
『そんな……私のせいで……!申し訳……ありません……ハエン様』
か細い氷扇の謝罪の言葉に応えようとするも、うまく言葉が出せない。手に力が入らず、握っていた剣が滑り落ちてガランと音を立てる。
何も考えず、ただ目の前の攻撃を避けるしかできなかったのも大きな敗因だろう。高く飛び上がりさえしなければここまでのダメージにはならなかったかもしれないのに。
――いや、そもそも退路を絶たれた時点でハエンの敗北は必定だったのかもしれない。
「…………」
アスタルは冷ややかな眼でハエンを見下す。
顔に突きつけられた黄金の剣がギラリと輝く。
「ハァ……ハァ……」
全身の痛みと目の前の刃の恐怖に耐えながら、ハエンは見下すアスタルを睨み付ける。
まだ負けていない。きっとこの危機的状況を突破する手段はある。そう考えるハエンに、小さく舌打ちをしたアスタルは剣を動かし――
「がああああああ!?」
――ハエンの絶叫がこだまする。
剣に貫かれ、引き抜かれた右肩からじわりと生暖かな感覚が拡がる。
「喚くな見苦しい。顔に穴が空かなかっただけありがたいと思え」
「あ……ぐぅ……」
全身を打ち付けた痛みなど忘れるほどの激痛。ハエンは喘ぐような声と脂汗にまみれて悶える。
そこの無慈悲に再び剣を突きつけられた。
「……最後のチャンスをやろう。風神剣はどこだ」
血に濡れた剣が妖しい輝きを纏う。アスタルが口にした「最後のチャンス」という意志がそこには込められていた。
視界が周囲から霞み始め、満足にアスタルの顔も見えない。
飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止める。気を失えば次に目覚めることはないかもしれない。
「ふぅ……ぐっ……ふぅ……!」
ハエンは歯を食い縛り、激痛にうちひしがれそうになる心を奮い立たせる。
意識があるうちにこれだけは言っておきたい。
大切な親友の、仲間の自由を想う気持ちを。
彼女らにこれからも生きていてほしいという願いを。
「ハァ、ハァ、ハァ……!ぁ……貴方なんかに……!」
――この心の中にある、自分自身の意思を。
「周囲のことなんか顧みずに自分のことばかり考えている貴方なんかに……!俺の大切な仲間を……あいつらを、渡すもんかぁ!!」
意識を失いかけている人間の出せる声量ではなかった。
その圧は勝者であるアスタルを一瞬だけ怯ませるほどだった。
必死の叫びは洞窟内でこだまし、やがて静寂に吸い込まれて消えていく。それからアスタルが動いたのが霞んだ視界でも見えた。
「この期に及んでまだ妄想に浸るか、哀れな無能め。……もういい。死ね」
処刑の言葉と共に剣が振り上げられ、そして――
――風が吹き荒れる音がした。




