兄vs弟
ハエンは震える手で剣を鞘から抜く。
とにかく外に出ることが最優先だ。
広いとはいえ限られたこの空間から一度外に出てしまえば【風神】で空を跳んでいくらでも逃げられる――
――と、出口の方を振り向こうとして、ギリギリのところで踏みとどまる。
ハエンは兄の実力をよく知っている。二人の距離はおよそ七歩半。おおよそ戦士の間合いではないが、その程度の距離などアスタルにとって無いも同じ。
この状況で目を離すのは危険であると脳が警鐘を鳴らしたのだ。
――そして、それは正解だったと痛感する。
技能〈神加速〉による神速の踏み込みが響かせる地を蹴る音――それが耳に届いた直後、黄金の閃光が右側から走ってくる。
ハエンは咄嗟に剣を立てて盾とすると、ガキンと太い金属音が鳴り、二本の刃がぶつかり合う。
これはハエンが攻撃を見てから反応できたのではない。来る場所を予想して剣を置いたのである。幼い頃から剣の練習相手――もといサンドバッグとしてアスタルの太刀筋を見てきたからこその防御だった。
しかし、ある程度は読めたとしても、それだけで天と地の実力差は埋まらない。アスタルが剣を振り抜くと、ハエンの剣はいとも容易く弾かれ宙を舞った。
無防備になったハエンに、すかさずアスタルは二撃目の構えを取る。
振り抜いた腕を戻すような袈裟斬り。ハエンの身体能力では避けることは叶わない。剣なくして防ぐこともできない。
だが――ハエンの武器は剣だけではない。
「【大地の支配者】!」
ハエンとアスタルの手を伸ばせば届くような距離の間に地面が盛り上がり、壁が生成された。
「何!?」
流石のアスタルもただの斬撃で地面そのものを砕くことはできない。金属同士がぶつかり合うのとは違った鈍い音が鳴り、剣撃が弾かれる。
(よし出せた!咄嗟に出せたぞ、壁!)
想定外の出来事にアスタルが怯んでいる隙に、ハエンは壁を回り込みつつ【風神】を発動する。弾かれた剣が自分に向かってくるように風を瞬時に吹かせ、柄を掴みつつ横へ払う。
「チィッ!」
突然意図しない場所から生えてきた壁に視界を塞がれ、弾いたはずの剣がひとりでに戻ってきた上、壁の裏側から相手が飛び出してきて斬りかかってくるというイレギュラーな事態が立て続けに起こったにも関わらず、即座に対応できるのは流石というべきか。
アスタルは攻撃を剣で防いだだけではなく、そのままハエンの身体ごと押し飛ばした。
「うわ……ぐっ!」
数メートルほど飛ばされ、地面に背を付くハエン。すぐに起き上がるが、アスタルの追撃はない。代わりに奇妙なものを見る眼でハエンを見下ろしていた。
「何だその力は?技能でもなければ魔法でもない……。しかも片方は風神剣の力に似ているが……古代遺物もなしでどうやって……?」
これは精霊から受け取った“加護”という力、などとハエンが正直に答えるはずもない。
精霊という存在を信じてもらえなかった以上、加護について語ったところで無意味だ。
それに未知の力というものは、それだけで相手を警戒させられる。一刻も早く逃げ出したいハエンにとって、相手が前に踏み込んでくるのを多少なりとも躊躇させる要素は残しておきたい。
「……まぁいい。どうあがこうと所詮無能は無能。たかが知れている。さっさと終わらせてしまうとしよう」
「窮鼠猫を噛むという言葉を知っていますか、兄上。油断していると大怪我しますよ」
「はっ、口だけは達者になったな。その程度の力を得たくらいで俺に勝てる気でいるというならば、随分とおめでたいことだ。……ならばもう一度、力の差というものを教えてやろう。徹底的にな!」
アスタルが動く。それに合わせ、ハエンは再び【大地の支配者】で地面から壁を隆起させた。
「同じ手が通用すると思うか!」
怒鳴り声と共にひび割れ、壁が砕け散る。無論、声で砕けたわけではない。アスタルが発動した〈倍化撃〉によって強化された一撃によるものだ。
(くっそ!エルデだったら防げてるのかな、あれ)
貰い物の力では本家には及ばないのか、人の身では精霊の力は馴染まないのか、そもそも訓練不足なのか、ハエンの使う加護の力はフウやエルデの精霊術には遠く及ばない。
ハエンの力では岩をも砕く森巨人の打撃を防げるような壁は出せないし、空を飛べるような繊細かつ強力な風も、攻撃に転換できるような暴風も吹かせられない。
仮に二つの加護を完璧に使えたのならアスタルにも勝てるのだろうが、それは無い物ねだりというものだ。
瓦礫と化した壁をアスタルが踏み越えてくるより早く、ハエンは風の力で跳躍する。人間の跳躍力を明らかに越えた高さまで飛び上がり、アスタルの頭上を飛び越えた。
「小癪な!」
アスタルは一歩踏みしめて方向転換。落ちてきたところを狙おうとするも、着地際にハエンがもう一度飛び上がったことでかわされる。
「おのれちょこまかと!」
苛立ちを隠しきれず怒声をあげるアスタルから遠く離れた場所にハエンは着地する。
実力で勝る相手を翻弄できて、ハエンは内心ほくそ笑んで――
――いる暇などない。
ハエンは深く息を吐き、その分の酸素を口から取り込む。心臓がドクドクと早打ちし、汗と冷や汗が混じって流れ落ちる。
全てがギリギリの状況だ。身体能力で劣るハエンではアスタルの行動を見てから避けることは難しく、全て予測してなお紙一重だ。少しでもズレが生じればその瞬間に敗北するほどである。
そもそも格上の行動を予測できているのは、何もハエンの先読みする能力が高い訳ではない。
格下が相手でアスタルが油断しているということに加え、実の兄が相手だからこそできるいわゆる“人読み”をフル活用しているだけだ。
アスタルが冷静になればすぐに蹴落とされてしまうような綱渡りを何度も越え、それでも逃げるのが精一杯だった。
初撃を防いだ壁がすぐに攻略されてしまったように、同じ手は何度も通用しない。限りある手札をひたすら切っていけばいずれネタが尽きる。
いや、その前にハエンの体力と精神力が尽きるかもしれない。二つの加護を立て続けに行使するのは消耗が激しい。
優位なように見えて、その実、たった数手の攻防でハエンは追い込まれつつあった。
(やっぱり逃げることだけに集中しよう。戦おうなんて考えるな!)
そう決意したハエンは、動き回っているうちに見失った出口の位置を確認する。無論、アスタルからは顔を反らさずに。
幸運にも出口はハエンのすぐ左にあり、長い歳月のせいか錆びて外れている扉の向こうには昇り階段が見えた。距離はアスタルがよりもかなり近い。これならば〈神加速〉を使われたとしても止められないだろう。
【風神】で補助すればかなりの速度で階段を駆け上がれる。アスタルの使う〈神加速〉はあくまで加速力を爆発的に上昇させることで一歩目から神速の踏み込みを可能にするものであって、最高速度が上がるものではない。
階段までたどり着いてしまえばハエンに勝機――というより逃げ筋――がある。それを逃さないよう、ハエンはすぐに動き出した。
「【風神】!」
風の力を借りて加速。出口に一直線に向かおうとした、その瞬間――
『ハエン……様……』
――か細い声が聞こえた。
「な……に!?」
予想外の出来事がハエンの目を剥かせ、つきすぎた勢いを逆風で無理やり押さえつける。信じられない出来事に、アスタルがいることも忘れて目の前の状況に見入ってしまった。
ほんの一瞬。
ハエンがたった数メートルの距離を進むまでのほんの一瞬の間に、出口が凍り付けになってしまったのだ。
「何だよ!一体何が……」
唯一の逃げ道が塞がれた絶望と状況を理解できない混乱に固まるハエンの頬を、氷のような冷気が撫でる。
触れただけで霜焼けしそうな感覚。魔法的な不自然な冷たさより、自然のものに近いような凍てつく波動。それをハエンは感じた覚えがあった。
「……まさか!?」
ハエンはアスタルの方を向く。
不適に口の端をつり上げるアスタルの顔から視線を落とし、その手元を見たハエンの目に飛び込んできたのは、雪のように真っ白な扇。
冷気と氷を操る古代遺物――氷扇であった。




