出会いたくなかった人
「う……ん……?」
ふと目を覚ましたハエンはゆっくりと身体を起こす。寝惚け眼でぼやけた視界に焦点を合わせるために目を擦り、周囲を見回す。
「ここは……ぁ痛っ!?」
その瞬間、急に頭に痛みが走り、思わず後頭部に手を回す。血は出ていないが大きなたんこぶができていた。身体の節々も痛いのは硬い床で寝ていたせいだろう。
(確か買い物に出掛けて、宿を出てすぐに突然後ろから誰かに殴られて……)
痛みの波が引くのを数秒待ってから、改めてハエンは周囲を見回す。
どこかの地下にいるようだ。天然のものではなく、人工的に作られた四角い空間になっている。天井までは十メートル以上あり、壁から壁までは三十メートルほどだろうか。そんな広い空間は光石によって照らされ、隅には誇りを被った木箱やコンテナが置かれていた。
(どこだよここ……)
場所は分からないが、何となく自分の置かれている立場が分かってきた。どうやらさらわれてしまったらしい。
はるかぜ亭が大通りから外れた人の往来が少ない場所に建っていることが災いし、一人になった瞬間を狙われたようだ。
「――ここはかつてエルイア王国が力もない弱国だったころ、隣国からの侵略に備え、民を避難させておくシェルターとして利用されていた場所だ。もっとも……今やもう何百年と使われていないようだがな」
聞き覚えのある高飛車な声が投げ掛けられる。
ハエンは顔から血の気が引いていくのを感じた。声だけで誰がそこにいるのか分かってしまった。
その予想が外れて欲しいと願いつつ声のした方に目を向け――そして、願いは叶わなかったことを知る。
アスタル・エーデリック。
ハエンの兄でありエーデリック家の現当主であり――最も会いたくなかった男がそこにはいた。
「ようやく起きたか無能。もう少し起きるのが遅ければ、その間抜け面を蹴りあげていたところだ」
「兄上……!」
「あぁ、挨拶はいらん。俺が来た理由は貴様も理解しているだろう?傭兵どもに無理矢理奪わせるのも考えたが、領地外で無闇に事を荒立てたくはないからな。……さて、平和的に話し合いといこうではないか」
何が平和的にだ、とハエンは心の中で毒づく。
気絶させて人がいない場所に連れてきている時点で、穏やかに話し合いをする気がさらさら無いのは分かりきっていた。
「風神剣を返してもらおう。あれは貴様が触れていいものではない。あれは、俺のものだ」
「しかし、兄上――」
「――貴様に許された返事は『はい』か『イエス』だ。拒否するならばどうなるか、いかに愚かな貴様でも想像はできよう」
平和的な話し合いと言っておきながら、一方的な提案――いや、命令。
そう。アスタルとはこういう男だ。
周りのもの全てを見下し、自分が選ばれた特別な存在だと思っている。
ハエンは生まれてから今までずっと見下され続けてきた。屋敷にいる時はそれが当たり前となり甘んじて受け入れてきた。
ある意味思考停止していたのかもしれない。何を言われようと、自分が我慢すればいいのだと、どうせ自分には何もできないと諦めていたのかもしれない。
しかし屋敷を出て、対等な立場の友と過ごしてきた日々を――誰かに必要とされてきた日々を過ごしてきたハエンには諦めではなく、代わりにある感情が沸き立っていた。
「本当にあんたは、俺の話なんてこれっぽっちも聞く耳持たないで……!」
それは、一方的に見下され、馬鹿にされることに対する――怒りである。
「そんなんだから、あいつに愛想つかされるんじゃないのか!!」
まさか強気に出られると思っていなかったのだろう。アスタルは見たこともない表情で唖然としていた。
「俺のものだと!?ふざけるな!兄上、貴方は知ってるか!?古代遺物は道具なんかじゃないってことを!ヒトに使われるために生まれてきた物じゃないってことを!風神剣も氷扇も、世界に存在するありとあらゆる古代遺物は俺たちと同じ生き物……精霊という名の存在が姿を変えられたものだってことを!」
信じられようが信じられなかろうが関係ない。これまで溜まってきたものをぶつけるように、ただハエンは己の知る事実を声を張り上げて叩きつける。
「あいつは貴方の所有物なんかじゃない!誰の所持者でもない!あいつにはあいつの意思がある!風神剣なんていうのは人間が勝手に押し付けた、ただの道具としての名前だ!そんな剣、本当は最初から存在しないんだ!」
ここまで自分の言葉で、自分の意見を兄に言えたのは初めてかもしれない。
恐れが無いといえば嘘になる。だがそれよりも、大切な親友奪われたくないという思いがハエンの気持ちを前のめりにさせていた。
「……俺にはそんな古代遺物を元に戻す力がある。それを使って俺が風神剣を元の精霊に戻した。だからもう、あいつを道具扱いなんてさせない。……どうか諦めてください、兄上」
ハエンはそう締めくくる。
返ってくるのは激しい憤怒か静かな殺意か。
どちらにせよ、アスタルが怒りに任せて斬りかかってくることは容易に想像ができる。自分の思い通りにならないことは力ずくで解決しようとするきらいがあることをハエンは知っている。伊達にずっと弟をやってはいない。
もし斬りかかろうとするなら、まずは剣に手を掛けるはず。そしたら二つの加護を使って全力で逃げることを考えよう。
ハエンは身構える。
「……珍しく強気に出たと思えば、訳の分からないことをぺらぺらと。貴様は俺を馬鹿にするのが余程好きと見える」
アスタルは怒りより呆れた表情を浮かべる。
やはりというべきか、信じてはもらえないようだ。当然の反応だろう。
「精霊?生き物?妄想も甚だしい。貴様もカルハの同類か?古代遺物は道具だ。そこに自由意思などありはしない。言い訳をするなら、もっとましな設定を作ってくるんだな」
アスタルはゆっくりと剣に手を掛ける。予想通りではあるが、できれば現実になってほしくなかった。
「勢いに任せれば俺が戸惑うとでも思ったか?古代遺物が自身の意思で動いたと戯れ言を述べれば引き下がるとでも思ったか?残念だが逆だ。俺は今、貴様という弟がいることを猛烈に恥じている。風神剣を返せば見逃してやろう、という温情が消えるほどにな」
剣が抜かれ、黄金の剣身が輝く。アスタルの眼が、敵を見据える戦士の輝きを纏った。
その殺気に圧されるようにハエンもまた剣に手を掛ける。うまく鞘から抜けないのは、身体が震えているせいだろう。
負ければ命の保証はない。勝てる自身は微塵もない。
だが、勝てなくても負けなければいい。
どうにかこの場を逃れる方法を、ハエンは剣の柄を握りしめながら必死に考え始めた。




