いつか来る憂鬱
「――ン殿?……ハエン殿?」
カルハの声が聞こえ、ハエンは眼を開く。背の高い木々が立ち並ぶ光景が眼に入ると、自分の意識が森の中へと戻ってきていることを認識した。
「ぁ……カルハ、か」
「突然魂が抜けたように呆け始めるから驚きましたぞ。どうかなさいましたか?」
「……いや、何でもない。気にしないでくれ」
誤魔化しの言葉を発すると共にハエンはさりげなく視線を下に落とし、カルハの手に握られている氷扇に視線を向ける。
「…………」
――カルハ様のお側にいられるだけで、私は充分幸せですから……。
別れ際に言ったツグハナダの言葉が頭の中で繰り返される。
それが彼女の望みだというのなら、ハエンにできることはもう何もない。
「……本当に大丈夫ですか?」
再び黙したハエンを心配する声がカルハからかけられる。
「あぁ……うん、ちょっと疲れてるのかもしれないな」
「先程の戦いで少々やりすぎたのやもしれませぬな。申し訳ございませぬ」
「そういうわけじゃないよ。ここ一週間、あまり休む間も無かったから疲れが溜まってたんだと思う」
屋敷を追放されてから生活の基盤を整えるまで、ハエンは一週間で全てこなした。我ながらよくやったと自分を褒めてやりたいところだ。それに加えて剣術や加護の鍛練も欠かさず行っている。疲れが溜まっていてもおかしくはない。
「それで……あぁ、そうだ。風神剣を持ち出した理由だったっけな」
ツグハナダとの会話が間に挟まったことで危うく忘れかけていたカルハとの話の内容を思い出し、ハエンは頭を下げる。
「ごめん、それについて話すことはできない。ただこれだけは断言する。俺はあいつを売るためとか、利用するためとか、そんなんで持ち出したんじゃない。……何も話さないでこんなことを言うのは虫が良すぎるってことは分かってる。だけど、それだけは信じてほしい」
「頭をお上げくだされ、ハエン殿。もはや某は貴方を疑ってなどおりませぬ。きっと何か複雑な事情がおありなのでしょう」
カルハは優しくハエンの肩に手を置いて顔を上げさせ、理解の証としてゆっくりと頷く。
「しかし、それでは某はよくても、貴方の兄上は納得しないのでは?どんな事情があるにせよ、一度しっかりとアスタル殿と話をするべきでしょう」
「うっ……」
正論である。
ハエンにとってフウは親友であり仲間だが、アスタルにとっては古代遺物であり当主となって受け継いだ自分の所有物。何の説明もなしに持っていかれれば怒って当然だ。ましてやそれが家の宝と呼ぶべきものであり、王から受け取った物ならばなおさらである。
できることならフウの自由意志を尊重したい。しかしそのために説得しなければならない人物がいるのもまた事実。
(あまり考えないようにしてきたけど……ハァ、流石にこれ以上現実から眼を反らすわけにもいかないか)
カルハに見つかった以上、ハエンの情報は主であるアスタルに伝わるだろう。必ずフウを――風神剣を取り戻しにくるはずだ。それを乗り越えなくして、ハエンとフウに自由は無い。
「……分かった」
「それでよろしい。アスタル殿には某から伝えておきましょう」
カルハは頷くと、氷扇を懐にしまう。
「――ハエンーっ!」
その時、茂みを掻き分ける音と共に声が響き、二人の少女が駆け寄ってくる。
「やっと見つけた!探したんだよ、ハエン!もうあっちこっち歩き回って疲れたよ」
「それはお前が何の考えも無しに動き回って勝手に迷ったからだ。付き合わされた私の身にもなってみろ」
「そんなこと言って、エルデだって途中で方角間違えたくせに」
「あ、あれはいきなり森狼が飛び出してきてびっくりしたせいだ!文句ならあの魔物に言え!」
などとハエンの前で言い合うフウとエルデ。それをきょとんとした眼でカルハは見る。
「ハエン殿、この者らは?」
「俺の仲間だよ。今は三人で冒険者をやってるんだ」
「ほぉ、これはこれは……」
顎に手を当て、興味深そうに二人の少女を見るカルハ。
その二人がつい最近まで古代遺物で、しかも片方が風神剣だということは知るよしもないだろう。
「……ん?この人は……」
「誰だ?ハエンの知り合いか?」
ひとしきり言い合いをした後で、ようやくカルハの存在に気づいた二人。エルデは初めて見る顔に小首を傾げたが、しかしフウだけは僅かに眼を細める。
(あぁ、そうか……)
長い間エーデリックの屋敷にいたフウは、従騎士であるカルハのことを知っている。だからこそ警戒しているのだろう。少しだけ身構えているのが見て取れた。
「某はカルハ・カムイズミと申す者。こんな森の中で突然見知らぬ男が現れれば警戒もされて当然でしょうが、安心なされ。某は決して怪しい者ではございませぬ」
その言い方では逆に怪しさを増すような気がするのだが。
「カルハは俺が小さな頃からの知り合いでな、何度か剣の手解きをしてもらったこともある。さっき偶然会って、少し手合わせをしてもらってたところだ」
本当のことを話せば間違いなく争いになる。そう考えたハエンはぼやかした言い方をしながらフウの方に眼をやり、ゆっくりと首を横に振る。
警戒する必要はない。その意味を汲み取ったのだろう、ひりついていたフウの気配が少し和らいだ。
「それでカルハ、さっきも言ったけど、この二人が一緒に冒険者をやってる――」
「私はエルデラントだ。ハエンには日頃から世話になっている。あぁ、私のことはエルデと呼んでくれて構わないぞ」
「……ボクはフウ。初めまして。会えて嬉しいよ、カルハ」
何も知らないエルデは硬い表情ながらも気さく挨拶をする。フウも笑顔でそれに続くが、カルハとの間に若干の壁があるようにも感じた。
「こちらこそお会いできて光栄というもの。しかし可愛らしいお仲間に恵まれましたな。二人ともとても良い眼をしている。きっと良い巡り合わせがあったのでしょうな、某と氷扇のように。はっはっは!」
だが、そんな事は気にせずカルハは笑う。
「それでは某は去るといたしましょう。冒険者の道は険しいと聞きます。お二人とも、ハエン殿のことをよろしく頼みましたぞ」
「言われなくったって、ハエンはボクが護ってみせるよ」
肩が触れる距離までハエンに寄ったフウに、カルハは更に愉快そうに笑う。
「はっはっは!これは頼もしいですな。それでは、またいずれ」
最後にカルハはハエンの方を見て頷くと、そのまま森の中へと歩いていく。
――どんな事情があるにせよ、一度しっかりとアスタル殿と話をするべきでしょう。
その時、頭の中にカルハの言葉が蘇り、ハエンは心の中で大きな溜め息を吐く。
(分かったとは言ったものの……何をどう話せばいいんだ……)
自分の顔を見た途端に怒り狂う兄の顔が容易に想像できたハエンは、憂鬱な眼差しで遠ざかるカルハの背中を見送った。




