ツグハナダ
どこまでも、見渡す限りの暗闇。
木も土も風も人も何もないというのに、不思議とハエンの心に不安や恐れは無かった。それは、以前にも同じようなことが起こったためだとハエンは思い至る。
(ここは……エルデの時と同じ……)
魔族化していたエルデの声を聞いた時も真っ暗な空間に飛ばされた。今回もそれと同じ現象が起こったのだろう。だとすればここにいるのは、飛ばされる直前に聞こえた女性の声の主。
ハエンは周囲を見回す。黒一色の中にぼんやりとした光が見えた。
光もこちらに気づいたのか、ふよふよとこちらに近寄ってくる。そして声が届く距離に達すると、もやがかかった球のような形状から人の形へ姿を変え始めた。
「――よかった。私の声に応えて頂けたのですね」
おしとやかで柔らかな声。それを発した女性の姿を光が象り、ハエンは息を呑む。
絹のように艶やかな白い肌、雪のような白銀の美しい髪をかんざしで結わえ、服装もまた白を基調とした東洋風の着物姿。見るものを釘付けにするその容姿は、まさに絶世の美女と呼ぶに相応しかった。
「あんたは……そうか、あんたが氷扇か」
あの状況で声が聞こえるほど近くにあった古代遺物は一つしかない。目の前にいる女性が氷扇の精霊なのだろう。
女性の頷きがそれを裏付ける。
「はい。氷扇の姿では何度かお目にかかったことはありますが、こうしてお話するのは初めてですね、ハエン様」
女性――ツグハナダは微笑む。ハエンは再び息を呑んだ。
(フウやエルデもそうだけど、精霊って容姿のレベル高すぎないか?あくまで人間基準の話だから、もしかしたらこれが普通なのかもしれないけど……)
「あの……どうかなさいましたか?」
「あ、いやいやごめん、何でもない!」
じっとツグハナダの顔を見つめていたことに気づいたハエンは慌てて視線を反らし、咳払いをして気を取り直す。
「確かにこうして話をするのは初めてだが、あまり驚いてる感じでもないな。俺が精霊の……古代遺物の声が聞こえるってことを知ってたのか?」
「ええ」
「どうして分かったんだ?」
「……どうしてでしょう?」
小首を傾げるツグハナダに、ハエンはガクッと力が抜けるのを感じる。
「ただ、この人になら私の声が届くって、何となくそんな気がしたのです。どうしてと言われましても直感的にそう思ったと言いますか……うーん、口で説明するのは難しいですね」
ハエンが古代遺物の声を聞くことができるのは〈精霊回帰〉のおかげだ。ツグハナダはその力を無意識的に感じ取ったということだろうか。
「まぁ、何でもいいか。この方が話も早いしな」
確証はないが、これ以上掘り下げるようなことでもないと判断したハエンはその話題を切り上げた。
「……突然こんな所にお呼びしてしまって申し訳ありません。ですが、どうしても言っておかなければならないことがあるのです」
「……?なんだ?」
「ハエン様、どうかカルハ様には精霊について話さないでいただけませんか?」
「え……?」
更に頭を下げたツグハナダの頭頂部を見ながらハエンは困惑する。
「……理由を聞かせてくれないか?」
「……カルハ様には、私の正体を知られたくないのです」
「もしかしてあんた、このままずっと古代遺物として生きていくつもりなのか!?」
ゆっくりと顔を上げたツグハナダの顔は、それを肯定していた。
「言いそびれてたけど、俺には古代遺物を精霊に戻す力がある!どうせ精霊に戻れないならと自暴自棄になってるんなら……」
精霊に戻す力――それを聞いたツグハナダは驚いた顔を浮かべたがすぐに引っ込み、小さく首を横に振る。
「そうではありません。例え元の姿に戻れるのだとしても……私はこのままでいたいのです」
「馬鹿な!あんた、何を言ってるんだ!古代遺物のままでいるってことは、自分で動くことも自分の口で声を出すこともできず、この暗闇の空間で一生過ごすってことだぞ!?」
声を荒げても、彼女の雪のように美しく儚い表情は変わらない。ハエンは更に声を大きくする。
「それにカルハだって氷扇と同じ目線で物事を見たり、聞いたり、感じたりできるようになれば喜ぶんじゃないのか!?だってあいつはあんなにあんたのことを大事に想って――」
「――だからこそ、なのです!」
静かに、だが力強く割り込んできた声に、ハエンの口が止まる。
「カルハ様は物言わぬただの道具と成り果てた私を、まるで家族のように想い、愛して下さるお方。私にとって誰よりも、何よりもかけがえのない大切な人……。しかし、だからこそ……私は怖いのです」
「怖いだって?一体何が怖いっていうんだ?」
ツグハナダは少しの間を置き、再びゆっくりと口を開く
「ハエン様は、精霊についてどの程度ご存じですか?」
「……大まかなことは大体」
「なら、精霊がかつて人類と争い合った種族であることもご存じでしょう」
ハエンは頷く。
共存していたはずの精霊と人類はある日を境に対立を始めた。そして人間が施した呪いによって精霊は姿を変えられたが、長い年月を経て精霊という言葉すら忘れ去られ、古代遺物という道具として扱われるようになった。そう、フウから聞いている。
「では、精霊と人類は何故対立するようになったのか、それはご存じですか?」
その辺りについてはフウも詳しくは知らないと言っていた。
なので今度はハエンが首を横に振ると、ツグハナダは僅かに眼を伏せて口を開いた。
「それは、人類が精霊を怖れるようになったからです」
「!?」
ハエンは驚き息を呑む。
それは一体どういうことなのか。詳しく聞き出そうとするよりも早く、ツグハナダの言葉が更に続いた。
「私たち精霊は、生まれながらにして一人一人異なる特殊な力……“精霊術”をこの身に宿しています。それは炎を操る力だったり、対話できるはずもない生き物と対話できる力だったり、自在に姿形を変えられる力だったり、私の冷気を生み出し氷を操る力もその一つです」
生まれつき備わっているという点はハエンが持つ特異技能〈精霊回帰〉も同じだが、やはりそれともまた別物だろう。精霊術というくらいなのだから、精霊にしか使えない特別な力だということは想像に難くない。
「精霊は群れることを好まず、自由に生きることを欲する種族でしたが……中には自身の精霊術を用いて人々に恵みをもたらす者もいました。乾燥した地域に水の恵みを与え、極寒の地域に火を与え、外敵から人間を守る。そういった精霊たちは“守護精霊”と呼ばれ、人々から讃えられると共に、種族の違いという隔たりを失くす存在でもありました」
しかし、と付け加えたツグハナダは小さく首を振る。
「技術や社会が発展していくにつれ、人々は精霊の力を必要としなくなっていきました。それどころか、自分たちよりも強大で解明ができない力を持つ精霊を怖れて危険視するようになり、やがて……」
「……危険なものを排除するために、争いに発展した……と」
ツグハナダは頷き、ハエンは唇を噛む。どれだけ人類は馬鹿だったのだと、ぶつける相手のいない怒りが沸き上がってくる。
「かつての人類は精霊を怖れ、拒絶しました。だから私は怖いのです。また同じことが起こるのではないのかと……。私が精霊に戻れば、カルハ様から拒絶されてしまうのではないかと……そう考えるだけで胸が痛くて張り裂けてしまいそう……!」
「…………」
「だから、このままでいい。大切な人から拒絶されるくらいなら、私はこのままで……物言わぬただの古代遺物のままでいい。カルハ様のお側にいられるだけで、私は充分幸せですから……」
そう締めくくったツグハナダは微笑みを浮かべる。
――しかしそれは、今にも儚く消えてしまいそうな笑顔に見えた。




