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はるかぜ亭

 アークフォルンには多くの冒険者は訪れる。そのため、彼らが下宿するための宿屋の数も自然と多くなる。

 はるかぜ亭もそんな宿屋のうちの一つである。

 しかし決して繁盛はしていないことは、大通りから外れた横道の奥という立地と傷んだ外見から想像がつくだろう。実際、ハエンたちが訪れるまでは一人の客も他にはいなかった。


 そんなはるかぜ亭のスイング扉をハエンは開く。

 入ってすぐにある広い食堂は、建物の外見とは裏腹に綺麗な空間だ。

 規則的に並べられた机や椅子、そしてカウンター席など、酒場として経営していてもおかしくないような内装になっていた。


「……おー、お前たちか。お疲れさん」


 誰もいない食堂の椅子に座ってパイプをふかしていた男がハエンたちを見ると、ひらひらと手を振る。

 適当に剃られた跡が見える無精髭に、もう日が沈むというのに寝癖がついたままのボサボサの灰色の髪と眠そうな細い目。

 ガタイはいいが覇気がないこの中年の男性が、はるかぜ亭のオーナー――レクトールである。


「ただいま、レクトールさん。こんなところでパイプ吸ってたらまた娘さんに叱られますよ」

「分かってる。だからあいつがいない間に吸ってんだよ」


 それ以前に客が来るということは考えないのだろうか。仮にも客商売だというのに。変に外面を取り繕ってないところが親しみやすくはあるのだが。


「……そういえばいないね、リリア。どこかに出かけたの?」

「ちょいと買い出しにな。万年閑古鳥が鳴いてた宿屋に客が来て一週間も経ったんだ。食材やら雑貨やらが足りなくなってきちまったのさ」

「もう外は暗いぞ。年頃の娘を一人で出歩かせるのは危険ではないか?」

「あいつは黙って襲われるようなタマじゃねえから安心しろ。むしろ暴漢の股間を蹴り上げて撃退くらいはしそうだ」


 その光景を想像し、ハエンは股間の辺りが縮こまるような感覚を覚えた。


「……しっかし遅えな。もうとっくに帰って来ててもおかしくねえ時間なんだが……どっかでサボってんのか?」


 レクトールはもう一度パイプに口をつけようとした瞬間――バンッと蹴破られたかのような勢いでスイング扉が開かれる。


「――誰がサボってるですって……!?」


 怒気を孕んだ声を発しながら入ってきたのは、レクトールと同じ色の髪を腰まで伸ばした気の強そうな女性だった。

 女性はその細腕では抱えきれず、あらゆる身体の部位を使って運んでいた大量の荷物を乱暴に机の上に置き、レクトールに詰め寄る。


「お父さん!今日は荷物が多くなるから後で荷物持ちに来てって言ったでしょ!どうして来てくれないのよ!」

「ん……?あ、やべ、忘れてたぜ……」

「これだけの量、あたしがどれだけ苦労して持って帰ってきたと思ってるの!それにパイプ!食堂でふかすの止めてっていつも言ってるじゃない!吸いたいなら外で吸ってきて!」

「分かった分かった悪かったよ、だから説教は後にしてくれ」


 レクトールの中身が伴っていない謝罪に女性――リリアの目が更につり上がる。


「そうやってまた適当に!だいたいお父さんはいつも――」

「――さーて、そんじゃまぁ仕事するとすっか。お前らも一日中働いて腹減ってんだろ?ぱぱっと飯作ってきてやるから適当に待ってな」


 そう言い捨ててリリアの説教を切ったレクトールは、逃げるようにカウンター奥の厨房へと入っていった。


「ちょっと待ちなさいお父さ……!ハァ、まったくもう!」


 残されたリリアの溜め息をつき、そこにハエンたちがいることにようやく気づいた様子で顔を向けた。


「あら、三人ともおかえりなさい。いつも見苦しいところ見せちゃってごめんなさいね」

「ハハ……いや、気にしないでくれ」


 リリアはレクトールの娘である。親子二人で経営しているこのはるかぜ亭では、しっかりものの娘とものぐさな父の()()()()()姿を頻繁に見ることができる。ある意味名物と言ってもいいかもしれない。

 始めのうちはハエンも驚いていたが、一週間もほぼ毎日同じような光景を見せられれば流石に慣れたものだ。


「賑やかでいいと思うよ。むしろ見ててちょっと面白いくらい」

「その言い方はどうかと思うが……微笑ましくはあるな。別に不快に思うようなことでもないぞ」

「そう言ってもらえると助かるわ。さてと、次は掃除しなきゃ。お父さんのことだからどうせまだやってないだろうし。あ、お風呂掃除は出掛ける前に済ませてあるから、お風呂入りたかったらいつでもどうぞ。あと明日ゴミの日だから、寝る前に部屋のゴミ箱を外に出しておいてね」


 はるかぜ亭の名が入ったエプロンを着けながら早口言葉のように口を回したリリアは、ハエンが頷いたことを確認した後、慌ただしく階段を上っていく。


「リリアはしっかりしてるな。まるで母親みた――」

「――あいつに母親みたいって言うと、そんな歳じゃないって怒られるから気をつけろよー」


 ハエンの声が聞こえていたのか、それとも先回りして言ったのか、厨房からレクトールの声が飛んでくる。


「あぁそれと、先に風呂入るんなら行ってきてもいいぞー。なんなら混浴でもいいぞー。他に客もいないしなー」

「ぶっ!何言ってんですか!入るなら普通に入ってきますよ!」


 まだフウはともかくとして、見た目が幼女であるエルデと混浴は色々とまずい。

 いや、だからといってフウならいいという訳ではないが。


「……ったく、じゃあ俺は先に風呂入ってくるな」


 そう言って歩きだした瞬間、「ボクは全然構わないのに」という声が聞こえた気がするが、反応すると面倒なことになりそうだと判断したハエンは、そのまま何も言わずに階段を上がっていった。


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