従騎士カルハ
ルーインス街から南に伸びる街道を、更に外れた場所にそびえ立つ竹林。その中にひっそりと佇む東洋風の家の縁側にその男はいた。
――カルハ・カムイズミ。
年齢は三十歳。深い青色の髪を背中まで伸ばした、凛とした雰囲気を漂わせる男。切れ長の目はやや厳かな印象を与えるも、鼻筋や顔の輪郭が整った眉目秀麗な美青年である。
湯呑みから茶をすすり、吐息を漏らしたカルハは目の前に広がる竹林に目を向ける。
「ふーむ……今日はどうも冷えるな……」
カルハは軽く腕を擦り、そのまま懐に入れる。次に腕が引き抜かれた時、その手に折り畳まれた扇子が握られていた。
「氷扇、寒くはないか?」
柔らかな笑みを浮かべながらカルハは扇子を開く。
扇面には何も描かれておらず、全てが白い。骨の部分も要からぶら下がる装飾品まで真っ白である。
だが、決して素朴や安物といった印象を与えるものではない。むしろその逆――例えるならば、一面の雪景色をそのまま切り出したような美しさがあった。
見るものを魅了する艶やかなる白い扇子――神秘的な雰囲気を漂わせるそれは古代遺跡の一つ。
名を“氷扇ツグハナダ”といった。
「某の懐の中にいたから暖かかったか。それ以前に、氷を操るお主に寒さは感じないか。はっは!」
氷扇に語り掛け、笑うカルハ。
相手は古代遺跡である。当然返事が聞こえるわけもないが、そんなことなど気にする様子無くカルハは愛おしそうに氷扇の扇面に触れる。
「お主を竹林から掘り出したのは、某がまだ五つの頃だったか。思えば長い付き合いだが……」
指で扇子の縁をなぞりながらカルハは再び笑う。
「はっはっは!何度見てもそなたの美しさは色褪せんな!」
「――相も変わらずだな、お前は」
そこに割り込んできた冷ややかな声。
カルハが顔を上げると、見覚えのある黒髪の男が目の前に立っていた。
「おや、アスタル殿ではございませぬか」
「……主が目の前に来ているというのに、まさか声をかけるまで気づかんとはな」
「いやはや失敬。どうも氷扇を眺めていると見惚れてしまい、周りが見えなくなってしまいます故……」
カルハは苦笑いしながら後頭部を掻く。
「……まぁいい。貴様は昔からそういう奴だからな。古代遺跡に語り掛ける変わり者として街でも有名になるくらいだ」
「変わり者とは心外ですな。愛する家族と対話するのは当然のことでございましょう」
――何を言っているんだ。
そう言わんばかりの表情を浮かべるアスタルをよそに、カルハは手に持つ氷扇へ視線を落としながら更に続ける。
「某は氷扇と共に生きてきた。戦いの時だけでなく、寝る時も飯を食べる時も風呂に入る時も、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も共に過ごしてきた。古代遺跡だろうと関係ない。氷扇は某にとって大切な――」
「――分かった分かったもういい。貴様の惚気は聞き飽きたわ。……ったく、古代遺跡を家族などと表するのは貴様くらいなものだ」
呆れ混じりの溜め息をつくアスタル。しかしカルハは心底不思議そうな顔をする。
「エーデリック家にも代々受け継がれる風神剣があるではありませぬか。貴方が生まれた時から今まで同じ屋根の下でずっと共に暮らしてきたのでございましょう?なら、それは家族以外の何者でもないではありませぬか」
「何故そうなるんだ?理解できん……」
小さく首を振りながらアスタルは呟いたが、それはカルハの耳には届かなかった。
「そんなことより、今日ここまでわざわざ足を運んだのは他でもない。カルハ・カムイズミ……エーデリック家に仕える従騎士たる貴様に当主として命ずることがある」
このエルイア王国において騎士とは二種類存在する。
王を主君とし、王の名の元に王国各地で活動する国家治安維持組織“エルイア正騎士団”に所属する騎士――正騎士。
貴族を主君とし、主君の命により主にその領土内において活動する騎士――従騎士。
カルハ――というよりカムイズミ家はエーデリック家に仕える従騎士の一族である。
遥か東の地より武者修行にやってきたカルハの先祖が当時のエーデリック家当主に敗れ、その強さに惚れ込んで仕えるようになり、カムイズミの姓を戴いたことがカムイズミ一族の始まりとされている。
生まれた時から従騎士として育ってきたカルハにとってはエーデリック家に仕えるのは当たり前の事で、その経緯などもはやどうでもいいのだが。
「また街中に賊でも入り込みましたかな?それとも冒険者同士の争いの仲裁ですかな?」
「事はもっと由々しき事態だ。貴様がさっき口にした我が古代遺跡、風神剣が屋敷から盗まれた」
「――何と!?」
思わずカルハは目を剥き、立ち上がる。
「一体誰がそのようなことを……!犯人の目星はついているのですか!?」
「あぁ。おそらくハエンの奴だ」
「ハエン……?あの、貴方の弟君の……?」
ほとんど話をした事はないが、カルハも何度か目にしたことはある。気の弱そうでお世辞にも腕が立つとは言えず、アスタルとはいろんな意味で対極にいた少年だ。
「……あぁ、実は先日、奴が屋敷から姿を消してな。風神剣が消えたのも丁度その時期だ。俺と奴しか入れない部屋の中に安置していたにも関わらず、だ」
「つまり、彼以外に犯行は不可能と?」
「直接盗んだのかどうかは分からん。だが、間違いなく奴は関与しているはずだ」
頭の中でハエンの姿を思い浮かべているのだろう。アスタルは憎き仇を見るような表情をしていた。
「昔から奴は俺や父上の目を盗んでは何度も部屋に足を運んでいた。今にして思えば、ずっと我が物とする機会をうかがっていたのかもしれん。俺としたことが……少し目を離した隙を狙われるとは……」
「しかし、何故そのようなことを……?」
「下賤の考えることなど決まっている。金だ。売り払って金にするつもりだろう。あれは我らが王から下賜されたお墨付きの古代遺物だ。その辺から掘り起こされる物とは比べ物にならないほどの価値がある。売れば一生遊んでもつりが出るだろうな」
更にアスタルは深くため息をつき、ゆっくり首を振りながら続ける。
「あるいはその力を利用して俺を当主の座から引きずり下ろすのが目的か……。奴は俺が当主になることをよく思っていなかったようだからな。可能性としては有り得る話だ。どちらにせよ愚かな事だ。全く嘆かわしい事この上無い」
「…………」
カルハは長い時を“氷扇”と過ごしてきた。
古代遺物と会話することに周囲の理解を得られずとも、愛情を注ぐことを実の両親に窘められようとも、肌身離さず共に人生を歩んできた。
それは氷扇を“道具”ではなく、一人の“家族”として想ってきたからだ。そして家族として想うようになれたのは、不思議な力を発揮するその存在の内に、強く惹き付けられる何らかの意思を感じられたからだ。
そんなカルハにとって一番許せないことは、私利私欲のために古代遺跡の神秘の力を利用され、その内に秘められた意思を蔑ろにされることだ。
古代遺跡をただの道具だと言うならばそれでもいい。そこに想いや愛着があるならば。
しかし、ハエンのやろうとしていることはそれらを一切持たない者がする愚行。そんな者に扱われる古代遺跡はあまりに不憫ではないか。
カルハは目を鋭くし、固く拳を握りしめる。
「それでは、某に与える命とは……」
アスタルは頷く。
「ハエンから風神剣を取り戻してこい。奴の生死はどうでもいい。風神剣さえ戻ってくればな」
「……承知。このカルハ・カムイズミ、己が利益のために古代遺跡を利用する不遜の輩を成敗してやりましょうぞ」
その返事を待っていた、とアスタルは口の端をつり上げた。
「今、使用人どもがハエンの行方を追っている。まだそう遠くまでは行っていないだろう。尻尾を掴み次第すぐに伝え――」
「――いや、その必要はありませぬ。某が直接探してまいりましょうぞ」
「……そうか。ならば貴様に任せよう」
カルハは縁側に置いていた刀を腰に差すと、氷扇を懐にしまいこむ。
「……時にカルハ。貴様、古代遺跡から声が聞こえたことはあるか?」
「……はい?」
いざ歩き出そうとした瞬間、あまりに唐突な質問を投げ掛けられて間抜けな声が出てしまったが、直後に言葉の意味を理解したカルハは返事をする。
「いえ、そのような声は聞いた事はございませぬが……。某が感じているのは、古代遺物に眠る意思のようなもの。直接的な言葉を交わせた事はございませぬ。しかし本当に言葉が交わせたならば、それは素晴らしき事でございましょうな」
「……そうか。いや、気にするな。特に深い意味など無い。忘れろ」
「はぁ……左様でございますか」
言葉の意図が読み取れなかったカルハだったが、主が忘れろというならば忘れるしかない。
ひとまず聞かなかったことにし、カルハは胸に手を当てる。
「では行くとしようか、氷扇」
服の上から氷扇に語り掛けると、カルハはアスタルの横をすり抜けて竹林の中へと消えていった。
――。
――――。
――――――。
『――はい。どこまでもお供いたします……カルハ様』




