炎弧のタマモ
『妾は炎弧である。名前はまだない』
驚愕する私たちに、子狐は答えました。
いえ、良く見廻せば驚いているのは私と誓いの剣の面々、そしてグレア大司教だけです。ミルさん達のパーティメンバーが知っているのはまぁ分かるとして、ギルドマスターが驚いていないのは何故なのでしょうか。
「見た時からそうじゃないかと思っていたけど、まさか本当に炎弧だとはね。ミル君にお腹を撫でられても大人しくしていたから、ただの似た色合いの子狐かと思っていたよ。君たち炎弧は、精霊獣の中でも取り分け誇り高い種族と思っていたから」
なるほど流石ギルドマスター、知っていましたか、亀の甲より年の功ですね。特に魔獣使いだけあって魔獣やそれに類する知識が豊富です。精霊獣とか私は殆ど知りません。私が知っているのはせいぜいサラマンダーとブラウニーくらいです。炎弧などという種族の存在すらしりませんでした。
『……妾もせっかく顕現したのにすぐただの精霊に戻るのは惜しいのじゃ。察するがよい』
そっと目を逸らす炎弧さん。あ、察した。獣って強者に従順ですものね。
「つかそもそも、何で顕現? したんだ。アルトが言うには珍しい存在なんだろ」
『何を言うておるのじゃ。其方が呼んだのではないか』
「はぁ? ……やっぱあれか、生活魔法で火を起こそうとした時か。別に精霊獣とか呼んでないんだが」
『其方は精霊術師系譜の能力を持っておるじゃろう。それに加えてあれだけ馬鹿でかい規模で精霊に干渉すれば、集まって形を成すのも当然じゃ』
「あーそうなの? よくある事なん? そりゃなんか悪い事したな。呼び出す気なんて無かったんだが」
『普通は無いわい』
「……あり得ない」
炎弧さんと精霊術師であるミリアさんがプルプルと首を振っています。
生活魔法で精霊獣が出たとか当り前ですが私も聞いたことありません。ギルドマスターとグレア大司教も怪訝な表情をしていることから、長く生きているお二人も聞いたことが無いのでしょう。
「まぁ出ちまったモンは仕方ないか。呼び出しといて悪いんだが事故みたいなもんだし、適当に帰ってくれて構わないぞ」
『そうもいかんのじゃ。それに“呼び出した”というよりも“生み出した”が現象としては近い。妾達精霊獣は精霊の寄り集まった存在じゃ。じゃから妾も、何処から罷り越したに非ず、お主が集めた火の精霊より産まれ出でたのじゃ。それ故にこそ、妾とお主の間には魔力的な繋がりが出来ていてな、あまりお主から離れると妾は己を保つことが出来ぬ。まぁもう少し力を付ければそれも可能じゃろうがな』
精霊獣の炎弧さんはそう語りました。
炎弧さんがクリスさんと喋っている間に、隣のギルドマスターにどんな存在か聞いたところ、信仰対象になるほど気高く強い存在だといいます。
ちょこんと座ってモフモフの尻尾をフリフリしながらしゃべる炎弧さんはとてもラブリーです。
その姿に見合わない古めかしい喋りもポイント高いですね。これが所謂ギャップ萌えというやつでしょうか。
「あーそうなのか? つまり産まれたてって事か。その割に何か物知りっぽいが……語尾がそこの爺さんと被ってるし」
「そうじゃのう。恐らく精霊語を【念話】にて、我々が分かる言葉に変換しているからなのじゃ。あれは古代語にも通じる古い言葉じゃからのう。のじゃ」
「爺さん無理に語尾付けなくてもいいと思うぞ」
真面目な顔でそんな事を宣うグレア大司教。
ここ数日で分かりましたが、グレア大司教って厳格な見た目の割に意外とお茶目です。
炎弧さんと違うベクトルでちょっと可愛いです。これもギャップ萌えでしょうか。
『妾達精霊獣は死んでも精霊に還るだけで消滅はせん。そしてただの精霊となっても知識はある程度継承するのじゃ。自我が無いから意味が無いがの。そして炎弧は精霊獣の中でも特に賢さに秀でた種族であるからして、集まって炎弧となった時の知識の継続も必然的に他の精霊獣より多くなる。死んだ際に拡散して継続できない知識もあれば、死ぬ前の記憶を継続することも出来ぬでな、せっかく産まれたのじゃからリセットは惜しいと思うものは当然じゃろ』
「ほほう。種族的にINT特化ってことか。ミルよりだいぶ頭良さそうだもんな。のじゃだし」
「何でそこで私を引き合いに出すんですか!?」
「お前のINT初期値じゃねぇか。下手したら赤ん坊レベルだぞ」
「い、いや流石にそんな事は、ない、はずです! レベルと装備補正あるしっ!」
「ちょっと自信なさそうなあたり大分怪しいな」
あぁ。あの二人も大分元の調子が戻ってきたようですね。
あとミルさんは危なっかしくはありますけど、お馬鹿ではないですよ。その辺がお姉さんの保護欲を的確にくすぐるから、誓いの剣の面々みたいな自称姉が大量発生するんです。
私もミルさんに『お姉ちゃん』とか言われるとクラっと来るかもしれません。
見た目は私の方が年上ですが、私も成人して一年も経ちませんし、ミルさんも冒険者として登録しているのですから、たぶん年齢的にはそう変わらないと思うのですが。
「つまりはもうちょっと大きくなるまで面倒見なくちゃいけないのか。手違いとはいえ呼び出した……生み出した? モノを無責任に放り出すのは気が引けるからなぁ。まぁ別に今更小狐が一匹増えた程度どうってことはないからいいんだが」
『うむ。そうして貰えると助かる。死んだとしても火の精霊としては消えはせぬが、妾という個はまごう事なく消滅するからのう』
事も無げにそういう炎弧さん。
何と言うか、自分の生死の事なのに達観していますね。自己の消滅と言っているのにそうなったらなったで仕方ないと思っている節があります。
精霊獣と人とでは生死観に大きな違いがあるのかもしれませんが……精霊としては死なないというのは自己の消滅を許容する理由になるのでしょうか? 私にはちょっと分かりません。
「おめでとうクリス。生み出したって事は長女ですね」
「ママって呼んでもらったらどうだ?」
「っ!? べ、別に貴方と私の子供ってわけじゃないですし!?」
「ははは、何言ってんだ俺の子供ならお前の子も同然じゃないか! 俺達夫婦だろう。餌と散歩頼むな」
「今さらりと面倒ごと押し付けようとしましたね」
『お主らがそう願うのならば呼んでやっても良いぞ。二人は番いなのであろ。のう父上、母上?』
「はぅあ!?」
「その心は?」
『子と思われるほど可愛がってもらえれば庇護してもらえるじゃろ? 今の妾は吹けば飛ぶようなか弱い存在だからして』
「正直だなおい。そして狐のイメージ通りずる賢い」
くつくつと目を細めて笑う炎弧さんを呆れ顔で見るクリスさん。
ミルさんは炎弧さんの言葉に何やら想像したのか、赤くなって黙ってしまいました。
クリスさんとの間に子供を作る事でも想像したのかな? 夫婦なんですからそういう未来も当然あると思うんですが。
製造過程については私も未経験なので何とも言えませんが、こんな美味しい料理を作れるならきっといいお母さんになれると思います。ミルさんとクリスさんの子供なら可愛いのは確定。そして頼りになるイケメンの旦那様。ええ、羨ましいです素直に。爆発しろ。
「ちなみにか弱いとか言ってるけど、今の子狐姿の炎弧でも並のCランクパーティを全滅させるくらいの強さはあるから気を付けるんだよ」
ギルドマスターがこっそり私にそう教えてくれました。
あぁ、つまり私は瞬殺されるレベルってことですね。ぐぬぬ、私も撫でまわしたかったけど自重します。
『さて、ではまずは父上と母上に妾の名を付けて貰いたいのじゃが』
「そのネタ引っ張るのか」
『それともご主人様とかの方がいいかの?』
「……もういい好きに呼べ」
目を細める炎弧に、クリスさんは諦めたように首を振りました。
『そうさせてもらう。して父上、如何か?』
「そうさなぁ。ポチ、タマ、コン、ゴン……は誤射しそうだからやめとこう」
『父上のネーミングセンスにはがっかりじゃ。失望したのじゃ』
「お前庇護がどうとか言ってる割にディスってくるのな」
『カカッ。まぁそう気を悪くするでない。可愛い娘の言う事ではないか』
表情に乏しい獣の顔なのに、心底残念そうにクリスさんを見る炎弧さん。
クリスさんはそんな火狐さんを胡乱気に見つめます。
「あぁ妾って言ってるからそうだとは思ってたが、メスなんだな」
『うむ。精霊獣は繁殖せぬから性別などあって無いようなものじゃが、妾は個としてはメスであるな。であるからして、可愛い名前を所望するのじゃ、父上は期待できぬことが分かったから頼むぞ母上』
「ふぇ!? ええっと、狐、キツネ、火のキツネだからファイヤーフォッk――」
『却下じゃ。それは我らが魔獣と言われていた時の忌み名ゆえ』
「えぇ!? じゃ、じゃぁ、玉藻、とか?」
『タマモか。ふむ、なるほど良いではないか。妾はこれよりタマモと名乗ろう』
「尾が増える狐だからって安直じゃね」
「『ポチよりマシ(じゃ)』」
ミルさんとタマモさんがハモったところで、どうやら名付けは終わったようです。
クリスさんの名付けは私もどうかと思っていたので、無難な名前に落ち着いて良かったですねタマモさん。
しかし、話しぶりからクリスさんが強い事は分かっているというのに、このふてぶてしさ。大物というかなんというか……小心者の私としては見習いたいような見習えないような、取り合えず『さん』付けはやめれそうにありません。
『ちなみに妾は、定期的に火の精霊を取り込むか父上から魔力を補給すれば基本食事は必要ないのじゃが、母上のご飯はとても美味しかったのでまた食べたいのじゃ』
「嬉しい事言ってくれますね。勿論タマモだけご飯抜きなんかしませんから安心してください」
「魔力補給ってどうやるんだ? お前に魔力を流せばいいのか? やってみるか」
『あ、ちょっと待つのじゃ! いきなりは―――』
いうや否や無造作にタマモさんの尻尾を掴んだクリスさんを、なぜか慌てたタマモさんが止めようとしますが一足遅く。
『アアア゛ア゛ア゛アヘェ!』
「うおぉ!?」
恐らくクリスさんが魔力を流したのでしょう。その瞬間タマモさんは白目を剥いたと思うとビクンビクンと痙攣し始めました。
それを見て慌てて魔力供給を止めるクリスさん。
舌をでろんと出して仰向けにひっくり返り痙攣するタマモさんを、ミルさんが慌てて抱き上げます。
ミルさんの腕の中で、なおも小さく痙攣するタマモさんを心配そうに見る一同。
しかし一分ほどで、タマモさんは意識を取り戻しました。
『馬鹿者! いきなりあんなに乱暴に注入する奴があるか! 破裂するかと思ったのじゃ! 父上の魔力が高い事を見越して待てと言うたというに!』
意識を取り戻してすぐにクリスさんに食って掛かるタマモさん。良かった、大丈夫そうです。
言葉尻だけ捉えると酷く背徳的な事になっていますが、いきなり注入されてテレパシーさんも混乱しているのでしょうか?
「す、すまん。悪気は無かったんだ」
「クリスのその思い立ったら即実行な所ってバカっぽいですよね。INT高いのに」
『全くじゃ。どうせ妾を呼び出した時も、そうやって軽い気持ちでやらかしたんじゃろう』
「うぐっ、言い返せん……次から気を付ける」
『本当じゃぞ、妾はか弱い存在だからして。魔力の補給はこちらで勝手に父上から抜くから気にしなくていいのじゃ』
「そうそう。可愛い子は可愛がってしかるべきです。ねー」
『ねー。母上は話が分かるの。可愛いは正義なのじゃ』
「『ねー』」
意気投合するミルさんとタマモさん。声をそろえて小首を傾げます。
天使のように可憐なミルさんと、ふわふわモフモフの子狐というのは破壊力抜群です。
可愛いは正義ですね。
「私もか弱くて可愛いんですから普段からもっと労わって可愛がるべきですよ。ねー」
「『か弱いはない(のじゃ)』」
「あれぇ!?」
便乗してミルさんがクリスさんに言いましたが、クリスさんとタマモさん両方に否定されて目を見開きました。
うん、可愛いけど、か弱くはないかなぁと私も思います。多分ここに居る人みんな同意見かと。見た目だけはとってもか弱いんですけどねぇ。
「兎にも角にも、タマモのおかげでクリス殿とミル殿もいつもの調子に戻れたようで良かったのう。子供は鎹とはよく言ったものじゃ」
「こ、子供じゃないしっ!」
またも赤くなるミルさんに一同がほっこりし、今日彼らの旅に新たな仲間が加わったのでした。




