水魚の交わり
時間は午後の二時頃。
グレア大司教は教会にある己の執務室に、この街の冒険者ギルド支部のギルドマスターであるアリストを迎えていた。
グレアはすでにここ二日の顛末と、恐るべき未曾有の危機への対応を包み隠す事無くアリストに話している。教会の機密事項を憚ることなく別組織の長に伝えるグレアに躊躇も忌避もない。そこには確かに二人の間にある信頼関係が感じられた。
グレアの、天人様二名を全面的にバックアップし、【聖令】発令による四カ国連合軍の結成しか今回の転換期を乗り切るすべは無し、という考えにアリストも賛同し、各々が今後の動きを話し合う段階まで来ていた。
「では、首都のギルド本部へは私が直接出向き掛け合いましょう」
「助かりますアリスト殿。私も明後日にはここを発ち首都に向かう予定です。それまでに各国への協力要請を纏めねばなりません」
「なるほど、では各国へ向けての玉章をこちらに一つ預けて頂ければ、私の雷鳥で飛ばしましょう。別ルートを走る早馬で一国に数通送るのに合わせれば、より早く確実に届けられると思いますよ」
雷鳥とは雷を纏う美しき魔鳥だ。Lvは330を超え、雷属性魔法の攻撃力、さらに空を電光石火に飛び交う速度は、対空火力のある魔導士の三次職である大魔導士や、狙撃手の三次職である名射手を多く含むAランクパーティが数個集まらなければ討伐は難しいモンスターだ。
そんな魔鳥を使役しているというアリストに、グレアは心底驚いた。
「あの雷鳥を使役されているのですか!? 飛ぶ速さもさる事ながらその戦闘力を考えても並の早馬など足元にも及ばぬでしょう。これで情報の伝達速度はかなり改善されました。是非お願いします」
「分かりました。私も明日中に主要なギルド支部に話を通しておきましょう。そうすれば一緒に首都に行けますからね」
「おぉ! いつ大暴走が起こるか分からぬ現状では一刻一秒が惜しい。移動は危険地帯を通る最短ルートとなるでしょう。貴殿の存在はとても心強い!」
「……そうですか」
喜ぶグレアを見つめるアリストは、なぜか顎に手を当てて難しい顔で考えこみ、下を向いてしまう。
そんなアリストの様子をグレアは不安に思い、声を掛けた。
「どうかしましたかな?」
「……ふむ。事が事なので、我々冒険者ギルドも出し惜しみなく支援致しましょう。本当はまだ機密なのですが、実は各冒険者ギルド間を繋ぐ転移魔法陣が近々稼働予定なのです。現在研究を重ね、理論的には問題ない段階に来ています」
グレアの顔を見つめ、考えをまとめたアリストは、教会の機密事項と天秤が釣り合う機密情報を開示することにした。相手の信頼にはこちらも信頼で答えねばなるまい、と。
「!? なんと……それはタイミングの良すぎる話ですな」
「ふふ、元々はアリア姉さんの構想によるものです。『次のアプデで実装予定だったんだから技術的にできない筈はない!』と言って研究させていましたが、結局姉さんが身罷ってから百五十年以上も経ってようやく実用段階に漕ぎつけた物です。それも二百年続いた姉さんの遺志を継ぐ冒険者ギルドと宮廷魔導士の共同研究ではなく、たった一人の天才教授による閃きで実現しましたが……」
教授は錬金術師の二次職だ。魔術の分野に思える転移魔法陣に、錬金術の知識と閃きが必要だったとは、冒険者ギルドの魔導士と宮廷魔導士も思いもよらなかったであろう。
「ほほう、あの共同研究の根幹にはそういった意味合いがあったのですか……私が知らないと言う事は本当に忘れ去られているのでしょうね……これもある意味、アリア様の予言がまたも的中した。と言う事ですかな?」
「皮肉なことですが、そうなりますね。いや共同研究はその他の分野では目覚ましい成果を上げており、民の生活を豊かにする事に関しては素晴らしかったのです。ただ肝心の転移魔法は全く進展がなく、近年取組む者もほとんどいませんでしたが」
一応、共同研究のフォローをするアリストだが、メインの研究で成果を上げることが出来なかったため微妙な雰囲気だ。成果を上げられなかったこともさる事ながら、敬愛するアリア肝いりの研究を蔑ろにしていたのにも含むものがあるようだった。
現場の研究員からすれば、成果の出ない研究よりも実用しやすく実績になる研究を進めるのは当然と言えば当然なので悩ましいところだ。実績なく研究費は出ず、研究費なく研究は出来ないのだ。現代社会の基本研究の冷遇っぷりを彷彿とさせる事象である。
「う、ううむ耳の痛い……ま、まぁこのタイミングで転移魔法陣が完成したのもアリア様の思し召しでしょう。これで移動時間の心配はしなくてよくなった。時間的な猶予がかなり確保されました。各国への協力要請の親書も転移魔法陣で運べるのですよね?」
アリア教会の大司教であるのに何故か一瞬バツの悪そうな顔をしたグレアだったが、話を替えるように喜んで見せる、だがそれに対して何故か申し訳なさそうにするアリスト。
「……それが、まだ運用の目処が付いた、という段階でして、実験では成功しているのですが、本稼働させるにはあと十日は実験期間が必要です」
「そんな! そこを何とかなりませんか!?」
「現状の転移魔法陣……シフトポータルは魔力効率が悪く、Bランクの魔導士が一日一回起動するのがやっとなのです。早急に稼働実験は行わせますが、すぐに使うというのはあまりにも危険です。もし何かの間違いで出現場所がずれた場合、上空や水中、最悪地中に出現するという事も考えられます。十日、急いでもそれが限界の早さなのです」
何とか譲歩を引き出そうとするグレアに、安全上の問題で首を縦に振らないアリスト。
グレアも、転移したら『壁の中に居る』というのは勘弁してもらいたいため、しぶしぶアリストの言葉に頷いた。
「では、やはり首都までは馬での移動になりますな。何か騎乗するのにいい魔獣をお持ちですか?」
「グレア殿と私だけならば早い魔獣もおりますが、そういった魔獣は大人数を乗せるのには向きません。護衛が私だけという訳にもいかないでしょう?」
「そうですな。貴殿の強さは重々承知しておりますが、今回の場合はむしろ貴殿も守られる側だ。私の護衛には聖騎士一個中隊を付けますので、貴殿の方も足の速い冒険者を何パーティか護衛に付けるのがよいでしょうな」
「ではやはり馬車での移動が最適ですね。首都まで通常で8日、強行軍で5日というところでしょうか」
「そうですな……ところで、その転移魔法陣と言う物は、実稼働した場合どの程度の輸送能力があるのですかな?……いや回りくどい言い方はやめましょう。軍を転移魔法陣で動かした場合、一日でどの程度移動させられますかな?」
差し迫る危機を前に取り繕うことを止め、ストレートに問うグレア。
冒険者ギルドに他国の軍が転移してくると言う事は、即ちアルレッシオ聖王国の首都直下に他国の軍が転移してくると言う事だ。これは本来国家安全上由々しき事態である。使いようによっては一日で首都陥落もあり得る危険な技術だ。
そんな危険な技術を秘匿していた冒険者ギルドに思うところが無いわけではないグレアだったが、そこは不問として現状を鑑み実利を取る。
アリストもそれに気付き、嘘無く真摯に対応した。
「一回の転移で三十人が限度です。先の説明でも触れましたが、Bランクの魔導士で一日一回、Aランクの大魔導士で一日五回が限度でしょう。転移する回数に制限はありませんが、魔力の充填に五分ほど掛かります。これは固定でBランクとAランクの魔導士どちらも違いはありません」
「つまりどれだけ起動できる魔導士を集めても、一時間に三十人を十二回転送、つまり三百六十人しか転移出来ぬと言う事か」
「はい。実際はもっと少なくなるでしょう」
一日フル稼働させても最大8,640人。
グレアの想定した全軍50万の内、アルレッシオ聖王国を除く三か国の軍35万を転移するのにおよそ四十日掛かる計算である。
大暴走には到底全軍は間に合いそうにない。
しかもフル稼働させるのに必要な魔導士がAランクで57人、Bランクで288人も必要になる。
冒険者と軍と宮廷魔術師を総員すれば不可能ではないだろうが、国を挙げての動員になる。これを成すには【聖令】発令以外に不可能だろう。
当然間違いでしたではすまされない。
時間的余裕がなく、現聖王か教皇の承認が得られなければ独断で【聖令】発令に踏み切る覚悟のグレアに気付き、顔を曇らせるアリスト。誤報であれば彼であってもただではすまない。
しかしグレアは毅然として言う。
「現状、我々にできる最善がそれであるならば、やり切るだけです。幸い貴殿のおかげで光が見えてきた。感謝致します」
覚悟を決めた……いや最初から決めていたグレア大司教の姿に、アリストは微笑ましそうに、そして眩しいものを見るように目を細めると。大事な話は終わったとばかりに息を吐き、肩の力を抜くと改めて、固まった場を和らげるように苦笑して言う。
「……その口調はどうにかなりませんか? 違和感が凄まじいのですが……昔のように話して頂いて結構ですよ」
「昔ならばまだしも、今はいち神官でしか無い私が大英雄である貴殿に敬意を払わぬわけには行かぬでしょう」
「それを言ったら、私はただのしがないいちギルド員ですよ。たった五年でこの大陸の最大宗教であるアリア教の大司教にまで上り詰めた英傑である貴方に、敬われるほどの者ではありません」
「貴殿がその口調を改めるのなら、私もそれに習いましょう」
眉をしかめるアリストの言葉を、こちらも空気を読み態度をやわらげたグレアが飄々と躱して髭を撫でる。
そんな、先の言葉とは裏腹にこちらに敬意を払いながらも余裕を崩さないグレアに、アリストはやれやれと肩を竦めた。
「……ふぅ。ああ言えばこう言う。昔は素直で可愛かったのに」
「クックックッ……儂もだいぶ年を取りましたからなぁ。アリスト殿から見ればまだまだ雛っ子かもしれませんが、人間は寿命が短い分、濃密な時間を生きますぞ」
姿勢を崩し、親しげに微笑と苦笑の間のような表情を浮かべたアリストに、グレアもしてやったりと相貌を崩した。
「知っているよ。ずっと見てきたからね。それに私もハーフだからハイエルフの彼に比べればずっと君たち寄りだ」
「はっはっは、確かにあの方に比べれば皆そうじゃろうて」
先程よりぐっと親しげになった二人。そこに重い空気はもはや無く、長年の友人と向き合うそれがあった。
元々グレアが幼い頃から交流があったのだ。立場上あまり親しくしすぎる事が出来なかったが、旧知と言っていい間柄である。グレアの立場が変わった今、お互い必要以上に気を使う事もない。一度長年の壁が取り払われれば、あっさりと心は近づいた。
「彼もこの話を聞けば協力してくれるだろう。私が話を通しておこうか?」
「ふーむ。それも手ではあるが、まずは王家から話をするのが筋であろう。世界の危機なのだ、学園長も否とは言うまいよ」
「むしろ彼なら率先して前線に出たがるだろうなぁ。立場上止めざるを得ないが、止めるのが大変そうだ」
「今となっては学園長を止めることが出来るのはアリスト殿くらいですからな、その時は頼みますぞ。いやほんとに」
急に真剣な表情になるグレアに、苦笑を返すアリスト。
いくら彼でも、流石にそこまで戦闘狂じゃないだろう。とも思うが、色々とストレスを貯めているから、暴れる場所があればこれ幸いに暴れそうでもある。というのが悩みどころだ。
「まぁ彼の場合、職が魔法使いだから、遠距離に徹してくれるなら問題ないよ」
「そうしてくれるならいいんじゃがのぅ……まぁそれは考えてもしかない」
立派であることは間違いないが、戦闘面で色々と問題のある人物の事は取り敢えず置いておくとして、グレアは話題を元に戻すことにした。
「しかしアリスト殿、よくぞ儂の手紙一つで動く事を決めてくれた。先の言葉は決しておべんちゃらではないぞ」
「私と君との仲じゃないか。……というのは半分でね。アリア姉さんの同胞と聞けば、私が動かないわけは無いし、それを分かっていて書いただろうに。だがしかし、よく最初に教えてくれた。感謝しているよ」
親しげな雰囲気はそのままに、真剣な顔を取り戻した二人。
アリストの言葉に、グレアはしばし考え込むように視線を下げ、代々彼の家に口伝のみで伝わる事柄を確認した。
「……やはりお主がアリア様の家族だったと言うのは本当だったのじゃな」
「疑っていたのかい?」
「口伝のみじゃったし、何よりもお主自身が肯定せんかったじゃろうに」
「否定もしていないけどね。それに確かにアリア姉さんは死にかけていた私を拾って育ててくれ、家族だと言ってもくれたけど、やっぱり本当の家族は血を分けた王家の方々だよ。だから私が出しゃばるべきでは無いさ」
「当のアリア様はそうは思っておらんかったじゃろうがな……まぁそれはよい。してお主から見てクリスタール様はどうであった?」
心の底から本心でそう思っているであろうアリストの言葉に、グレアは何とも言えない表情になったが、ぽつりと小さく呟いて、表情を真剣なものに戻すと改めて一番重要な確認を行う。
「いやあれはどう見ても異常が服を着て歩いてるようなものだろう。アリア姉さんよりひどい」
「儂も確信を持っておるが、そなたは何をもってそう断ずるのじゃ?」
「……君、今日は執務室から出ていないだろう。私が来た時に治療院がどうなっていたと思う?」
「……どうなっていたのじゃ?」
クリスの訪問から昼食も取らずに他国へ送る玉章を急ぎしたためていたグレアは、執務室を出ていなかった。確実に届けるために別ルートで一国に何通も送り、かつ格式と言う物があるため書くのに時間がかかるのだ。
更に、この部屋は重要な交渉事にも使うため防音性が高く、外の音も聞こえてこないため、グレアは治療院の様子を知るすべが無かった。
まさか小さな治療院でそんな突飛なことが起こるとは思えず困惑するグレアに、アリストは教会に到着した際に見た惨状を伝えた。
「一言で言えば、祭り会場兼野戦病院」
「何がどうしてそうなった」
相反する単語の融合に困惑を深めるグレアに、アリストは苦笑しながら答える。
「敷地内から溢れ出るほどの患者が、井戸端会議しながら順番を待っていたよ。同じ依頼を受けていたエマ君に話を聞いた所、クリス君だったっけな? 彼も最初は普通に部屋の中で診察をしていたようなんだが、昼前には患者で建物が溢れてしまったようでね。庭に飛び出して青空治療院を始めたようなんだ」
「昼前では治療を始めて三時間も経っておらんぞ……どんな集客能力なんじゃ」
「患者は圧倒的に女性が多かったなぁ。あの飛び抜けた容姿のせいじゃないかな。そんな彼が一見健康そうな患者にも一人ひとり丁寧に治療を行うんだ。街の病院が騎士団の治療で一般人が後回しになっているのも手伝って、本物の患者やイケメン目当ての女性に爆発的に噂が広まったのだと思うよ」
「なるほどのぅ」
「それに加えて、人が集まっていると聞きつけた屋台が昼時を狙って商売を始めたようでね、輝く回復の光に感謝する患者たち、それを見た周りの人間が更に噂を広めて、屋台に釣られて関係ない人まで集まってきてお祭り騒ぎさ」
なるほど、外はそんなことになっているのか。と感心するグレア。だがふと思う、野戦病院要素はどこにいったのだろうか? と。
「そこに運ばれてくる血だらけの騎士団」
「ファッ!?」
「しかも十人単位同時で」
「なっ!?」
「うめく男たち、ボロボロの姿に悲鳴をあげるマダム、血の匂いに屋台の昼飯を吐き出す若者」
「ラ、ラ、ラ、ラウディィィイイィィィィ!!!」
予想の斜め上を行く惨状に、思わずグレアは野戦病院化の元凶を叫ぶ。
あの馬鹿絶対何か変なスイッチ入っておる! はよ止めねば!! と焦るグレアに、アリストは。
「そして一瞬で騎士団を回復させて見送る彼の神々しさに、なんかすごい勢いで周りが宗教団体みたいになってたよ。あれだね、アリア姉さんの時より宗教化がひどいねホント」
トドメの一撃をお見舞いした。
「……取り敢えず、すぐに騎士団の訓練は止めさせよう。ラウディは罰として、鎧と武器を没収した上で騎士団の部下と集団戦訓練じゃ。もちろん一対多で」
「今日だけでかなり部下から恨みを買っているだろうけど、大丈夫かな?」
「知らん。自業自得じゃ」
「……せめて刃引きした武器を使うように言っておきなよ」
「それはもちろんじゃが、決戦が近いというのに何をしておるのか……訓練馬鹿とは知っておったがここまでとはのう……普段はいい隊長なんじゃが……」
「その訓練のおかげで才能の無かった彼は聖騎士団の序列五位まで上り詰め、更に彼の部隊も精強なんだ。まぁ罰はほどほどにな」
「にしても今回はやりすぎじゃ。後の禍根を残さぬためにも最後に奴にボコボコになって貰って〆にしよう」
「ひどいなぁ」
「なに奴の硬さは世界一じゃ。多少のことなら大丈夫じゃし、万が一があってもクリス様がいる。問題ない」
「うーん……そうかなぁ」
苦笑を深めるアリストにグレアはいい笑顔で笑い返すと、グレアはシスターを呼ぶベルに手を伸ばした。
一時間後。今までで一番ひどい状態の患者が運び込まれた。
それが昨日の門番のおっさんで、しかも隊長っぽい事を鑑定で知ったクリスは、マジでこの国の騎士団どーなってんだ!? と改めて困惑を深めるのだった。




