断固たる意志
部屋の中を支配する沈黙。
クリスは沈痛な面持ちで、相棒を見つめた。
「本当に、行くのか?」
「ああ、漢には、絶対に引けない戦いが、ある」
真剣に、真っ直ぐ自分の目を見返してくる相棒の姿に、これはどれだけ言葉を尽くしても説得できそうにない、と悟らざるを得ない。
「止めても、無駄みたいだな……」
「心配してくれるんだ?」
「当然だろ」
「……大丈夫。僕は必ず戻ってくるよ」
不退転の決意を瞳に宿し力強く頷くミルに、クリスは説得を諦め、隔離空間を解除した。
「分かった。信じてるぞ、必ず帰って来いよ」
「うん。行ってきます。報告楽しみにしててね」
扉を開けて出ていく相棒の背中が、どこか遠くへ行ってしまいそうで、クリスは未練がましく引き留めようと伸ばした。しかし、伸ばした手が届くことは無く、空の手の平をぐっと握りしめ、瞑目した。
扉の開く音。
最後に、言い忘れたことを思い出して、クリスは目を開けるとインベントリから小袋を一つ取り出し、後ろ姿に放り投げた。
それを振り向くことなく後ろ手でキャッチするミル。金貨の詰まったずっしりと重い小袋の感触に、軽く目を見張った。
「持ってけ」
「……こんなに、いいの?」
「当面の軍資金だ。それで必要なものを買うといい」
相棒の心憎い餞別に、ミルはニコリと微笑み、戦場へと向かう。
「分かった。……行ってきます」
決意を胸に背を向けるミルに、クリスは最後の願いを口にした。
「それと降りるときにミツミちゃんにお湯とタオル頼んどいてくれ、俺も体洗うから」
「さんきゅーりょーかい。ついでに消耗品とか下着とか部屋着とか買ってくるね~」
「よろー」
一気に緩くなる空気。
……ちなみに、先ほどの会話の行間を補うとこうである。
『本当に、(女湯を覗きに)行くのか?』
『あぁ、漢には、絶対に引けない戦いが、ある』
『(覗きに行くのを)止めても、無駄みたいだな……』
『(騒ぎにならないか)心配してくれるんだ?』
『当然だろ』
『……大丈夫。僕は必ず(気付かれずに)戻ってくるよ』
『分かった。(女の体だから大丈夫だと)信じてるぞ、必ず(逮捕されずに)帰って来いよ』
『うん。(覗きに)行ってきます。報告楽しみにしててね』
それはそれは残念なミルに、クリスが沈痛な表情をするのも当然であった。
■◇■◇■◇■
それから三十分後。
コンコンというノックの音に【アリアリの書】から視線を外し、クリスは目頭を揉み解す。
たった三十分しか読んでないのに、あんまりな内容に頭痛がする。
冒頭の緩い口語の文との落差が激しい。いったいアリアはどれほどの苦労をしてきたというのか、そしてこれから、自分たちもそんな苦労をしなければならないのかと思うと憂鬱になる。
数瞬物思いに耽っていると、再びノックの音。
クリスは気を取り直すとアリアリの書をテーブルに置き、部屋の扉を開ける。
ドアの向こうには、桶とタオルを持ったミツミが来ていた。
「お湯とタオルをお持ちしました」
「すまないね」
「いえいえ、ちょっと熱めのお湯ですので、冷ましながらご利用ください。終わりましたら、カウンターへ返却をお願いします」
「わかった。ありがとう」
一礼して立ち去るミツミを見送り、桶とタオルを机に置くと、クリスは装備を外してインナー姿になった。
「ふむ、メニューからの装備解除だと一瞬で外れて、自動的にインベントリに入るのか……普通に脱ぐとどうなるんだ?」
一旦装備を戻し、手で脱いでみると。
「手で脱ぐと残るんだなぁ。インベントリに戻らないってことは、このまま無くしたらロストか……」
ふと嫌な予感がし。
「あいつ、脱衣所に装備置きっぱとかしてないだろうな」
装備品に心血を注いでいる廃人のミルが、そんな迂闊な事はしないとは思うが、ここのところ残念なところが目立ち、かなり心配だ。
「……まぁ考えても仕方ないか、そういえばクイックアクションに入れてる装備はどうなってんだ?」
ふと思い立ち、クイックアクションでショートカット登録している装備を付けてみる。
「おぉ、付けれるじゃん」
問題なく魔術士系の装備一式が装着でき、一安心するクリス。スキンを使っているので見た目は神官服のままだが、ステータスはしっかりと反映されている。
ちなみにAAOでは、装備状態を初期設定で5ページ、装備を登録し、QAという機能で、瞬時に装備を変えることが出来る。
ミルがゼブラウルフを切ったとき、一瞬で大剣を装備したのも、この機能を使っている。
普通はミルがしたように、両手がフリーの武器無装備状態と、武器を持った状態を二種類作り、一瞬で武装したり、ステータス画面で職業を変えたときに職業カテゴリに合わない装備が強制的に外されるため、よく使う職業用の装備を登録しておくことで再装備の手間を無くしたりする機能だ。
ミルの場合、運営もびっくりの早業で装備のON・OFFをして、しかもさらにびっくりの使い方もしているのだが、ここでは割愛する。
「僧侶系と魔術士系と騎士系と……ふむ、一通り装備はあるか」
どれもこれもこの世界ではオーバースペックすぎるものばかりだが、持っている分には心強い。
クリスの場合は非戦闘系職業に鍛冶屋も持っている為、試作品やら売れ残りやらが大量にインベントリに投げ入れられている。冒険者ギルドの倉庫サービスよりもインベントリの方が大きい事から、移動が面倒で放り込んでいたのだが思わぬところで良い方に転ぶものである。
「さて、インベントリ整理は後にして、ちゃちゃっと体を拭いてまた【アリアリの書】を読むか」
また装備を外しインナー姿になるクリス。
「そういえば、パンツは手で脱がないといけないのか……装備品じゃないって事かね」
AAOでも、装備欄にインナーの項目はなかった。と言うか着脱できたらヤバイ。ミルなど確実に事案である。
「よし……脱ぐか」
パンツに手を掛けた状態でしばらく固まったクリス。だが、覚悟を決めて一気に下げる。
「……すごく、大きいです」
■◇■◇■◇■
それから更に3時間後。
ふとアリアリの書から顔を挙げると、すでに窓の外もだいぶ暗くなっていた。
「ミルのやつ、いくら何でも遅すぎないか……」
女の風呂は長いが、ミルの中身は男である。そんなに時間がかかるとも思えない。
「帰り道に襲われたり……無いな」
むしろ襲った相手が心配になる。低レベルにクリスにしたような攻撃をしては、変質者の上半身と下半身が泣別れしかねない。ビンタ一発で首から上が爆発飛散するだろう。
「というか、まず捕まえれないわな」
先ほどは完全に油断しているところを組み伏せたのでうまくいったが、ミルがその気ならクリスに捕まえるなど到底無理である。ミルの素早さの高さは半端ではない。
「となると、まさか男って事がばれて捕まったか? ……ねぇだろ」
今のミルはどこからどう見て、どう脱がしても美少女である。
たとえ自分から『男です!』と言っても可哀そうな子を見る目をされるだけで、信じてもらえるとは思えない。
「一番ありそうなのは、覗きすぎて逆上せてぶっ倒れたかな」
非常にありそうである。
帰り道を襲われて、などと言うよりよほど説得力がある。
「まぁHPバー減っていないし大丈夫だろ」
同じフィールドにいるうちは視界の端に常に表示されている、パーティメンバーのHPバーを確認したとき、ミニマップの端に相方の反応が。
「帰って来たか」
周囲100メートルほどをカバーするミニマップに映るアイコンを見ながら、待つこと数分。ガチャリと扉を開ける音に目を向けると、ミルが部屋に入って来る。だが……。
「おかえり……ん? 服が変わってるな。ってどうしたんだ!?」
俯いたまま部屋に入って来たミルの服が、ゴスロリドレスから純白のワンピースに変わっていて驚くが、それ以上に今にも泣きそうなミルの顔に気付き声を荒げた。
「……たっつん、たっつん、僕。……汚されちゃった。汚されちゃったよ!」
「!? どうした! 何があった!?」
まさか有り得ないと思っていた変質者か!? と慌ててクリスはミルに駆け寄り、衣服の乱れを確認する。
「特に乱れは……ないな。と言うか、何か肌ツヤッツヤの髪サラッサラですげーいい匂いがするぞ。あとこのワンピースどうしたんだ。こんなん持ってたっけ?」
今にも零れ落ちそうな相棒の涙を優しく拭いてやり、のっぴきならない状況にはなってないっぽい事を確認すると、ミルをベッドに座らせて落ち着かせてから事情を聴くことにした。
「えぐっ、ぐすっ、実は―――」




