第五百九十三話 お互いの心
馬車から降りたセルロイトは、ヤンノーリの許に向かう。彼は畑で相変わらず、作物を手に取り、その生育状況を確認していた。
「やあ、セルロイトさん」
彼女の姿を見つけると、ヤンノーリは白い歯を見せながら近づいてきた。セルロイトはゆっくりと頭を下げる。
「きょっ……今日は、フェリーラットを防ぐ……ものを、持って、きました」
彼女は、ゴソゴソとカバンの中から何かを取り出す。よく見るとそれは、ロウソクのような形をした、白い固形物だった。
「これ……は?」
ヤンノーリが不思議そうな表情でそれを手に取って眺める。よく見ると、真ん中に針のような突起が出ていて、何とも変わった形をしていた。
「そ……その突起に、火をつけます」
「火をつける?」
「あっ、いや、その……火をつけるといっても、別に、燃えるのではなく……」
セルロイトはヤンノーリの手から固形物を受け取ると、突起に自分の人差し指を押し当てた。そして、ブツブツと詠唱を行うと、その指先に小さな灯がともった。すると、しばらくすると、白い固形物から一筋の煙が立ち昇った。
「こっ、これを、畑に撒けば……」
セルロイトは煙の立っている固形物を、ヤンノーリに差し出す。彼は鼻をピクピクと動かしてその匂いを嗅いでいる。
「あれ? 何も臭わないですね」
「む……無臭になるように……しました」
セルロイトの説明では、この煙には、フェリーラットが嫌う香りが含まれているとのことだった。しかもそれは、人間には嗅ぎ取ることのできない香りなのだという。
「すごいですね。さすがはセルロイトさんですね。このようなものを作られるとは……」
「いっ、いえ……大上王様が……」
「大上王様?」
何と、この固形物はリボーン大上王のアドバイスで作られていた。彼は、メイとの会談を行った際、そのお返しにと、フェリーラットが嫌う香りを出す材料を教えてくれたのだった。セルロイトはそれを工夫して、球体のような固形物に仕上げたのだった。
「リボーン大上王様……。お目にかかったことはありませんが、とても向学心の強いお方と聞いています」
「はっ、はい……。何でもよく、ご存じで……。お顔は怖いですが……お心は、とても、真面目で、がっ、学問を愛する、お方、です」
「そうですか」
ヤンノーリはそう言って微笑む。セルロイトには一つの目標があった。今回のこの実験が成功すれば、ヤンノーリの畑はネズミの被害から守られると同時に、この手法を教えてくれたリボーン大上王にも報いることができるのだ。彼女としては、是が非でも、成功させたい実験だったのだ。
「で、こちらを、どうすれば?」
ヤンノーリは煙が出ている固形物をセルロイトの前に差し出す。彼女は、オドオドと彼の顔と手許を交互に視線を向けていたが、やがて、落ち着いた声で、口を開いた。
「なっ、投げてください」
「投げる?」
「はっ、はい。畑に……投げ入れて、下さい」
ヤンノーリは言われるままに、手に持っていた固形物を畑の中に投げ入れた。
セルロイトが持ってきた固形物は、全部でニ十個あった。彼女はその全てに火をつけて煙を出し、さらに、持ってきたノートを広げて、ヤンノーリの前に差し出した。
「これは?」
「ちっ、地図、です」
「地図?」
「こっ、この農場の地図です。そっ、それに……置く場所も……」
よく見るととても精巧に書かれた地図だ。所々に、数字が記してある。どうやらこれは、畑の面積を記入しているようだ。しかもそれは、ヤンノーリが把握している面積とほぼ一致していた。彼は驚きを隠そうともせずに、セルロイトの顔を眺める。
「あの……。黒い、丸印に、そっ、それを置いて……」
よく見ると、畑の所々に黒い丸が書かれてあった。その数はちょうどニ十個あった。
「そっ、そこが……一番、効果的になる……と……」
眉毛をハの字にしながら、セルロイトが口を開いている。一見すると、不安な面持ちに見えるが、彼女の眼は爛々と輝いていて、その自信のほどが伺えた。ヤンノーリは無言で頷き。地図を片手に、その固形物を置いて回った。
全ての作業が終わったのは、夕暮れになっていた。地平線の彼方に夕陽が落ちていき、大地と畑を真っ赤に染めていた。その得も言われぬ幽玄な景色に、二人はしばし言葉を忘れて見入った。
しばらくすると、セルロイトは両手を合わせながら詠唱を始めた。しばらくすると、彼女の両手からまばゆい光が放たれた。どうやら、ライトの魔法を唱えたようだ。そして、周辺の木々を集めると、再び詠唱を開始する。今度は、右手から炎が地面に向かって迸った。それは、地面に集めた木々に燃え移り、あっという間に、焚火が出来上がった。
「わっ、私は、ここで、観察を、致します、から」
「観察? ネズミの、でしょうか? であれば、今日は帰って休まれて、明日の朝、お見えになればよいかと思いますが……。明日、作物が食い荒らされていなければ、あなたの実験は成功したと言えるのでは?」
「いっ、いえ。そっ、それもそうですが……。その……火が出ないかと……」
「あー」
セルロイトは、持ち込んだ固形物の効果については、ある程度の成果が現れるだろうという目算があった。ただ、固形物から発する熱が作物に影響を与えないか、出火しないかという懸念があった。彼女は一晩その様子を観察して、その効果が盤石なものであるという確証を得たかったのだった。
「なるほど。そんなことでしたら、私も手伝います」
「いっ、いえ……そんな……」
「こんなところに、女性を一人残してはおけません」
「……」
ヤンノーリは畑の中に入ると、無造作に作物をもぎ取っていった。あっという間に、彼の手にはいっぱいの野菜類があった。
彼は焚火の前に座ると、その中の一つを持って火の前に持っていった。しばらくそれを炙ると、無言のまま、セルロイトの方向にそれを向けた。
「どうぞ」
セルロイトは勧められるままに口に入れた。サクサクといい歯ざわりだ。これは、ギュンタというネギに似た植物だ。とても香ばしい香りが、口の中いっぱいに広がった。
「こいつは、生で食べてもいいですが、こうして、ちょっと火にあぶると、とても香り高くなります。採れたてでないと、この香りは楽しめません。どうです?」
「おっ、おいしい、です」
セルロイトはそう言いながら、カバンの中に、小さな箱を取り出す。ふたを開けると、美味しそうな料理が詰め込まれていた。
「じっ、実は、夕食を、持って、来たのです……」
彼女はそう言いながら、箱をヤンノーリの前に差し出す。彼は指で料理をつまむと、それをポイと口の中に放り込んだ。
「う……美味い! 何という味わい深さだ。これは、トマト?」
「そ……そうです……」
「そうですか。いや、トマトなら、こういう食べ方も、美味いですよ」
ヤンノーリはそう言いながらトマトを手に取る。二人は色々と話をしながら、即席で料理を作り合い、その出来栄えに舌鼓を打った。
「うわっ」
突然、セルロイトが声を上げた。見ると、空には満天の星空が煌めいていた。
「きれい……」
「本当に、きれいですね……」
二人は呆然と星空に見入り、しばし時間を忘れた。
どのくらい時間が経っただろうか。ふと目が合った。二人は思わず笑みを交わし合う。それから二人は椅子を用意して、そこに腰かけて畑の様子を見守りつつ、様々な話題を語り合った。そして、気が付けば、彼らの背後から朝日が昇り始めていた。
「朝……ですか。あなたのお話がとても面白かったから、時間を忘れてしまいました。それにしても、何と美しい朝日だ……。こんな美しい景色は、いつ以来だろうか……」
二人は再び無言のまま、朝日を眺める。
「あなたとは、こうした感動を、これからもたくさん共有したい……」
ヤンノーリは朝日を眺めながら、誰に言うともなく呟く。それを聞いて、セルロイトはゆっくりと頷いた。
やがて、すっかり夜が明けた。ヤンノーリは簡単な朝食を拵えて、セルロイトと共にそれを味わう。二人とも無言のままだったが、心はしっかりと繋がっているのを、互いがちゃんと感じ取っていた。
「……それでは、お気をつけて」
馬車の迎えの時間が近づき、セルロイトは手早く身支度を整えて、ヤンノーリに深々と頭を下げた。彼も帽子を取って深々とお辞儀をする。
「また、すぐに、参ります……」
セルロイトはそう言って、踵を返した。彼女は小走りに停留所に向かっていった。ヤンノーリは息を吐きながら、あらぬ方向に視線を泳がせた。
そのとき、女性の短い悲鳴が聞こえた。それは、紛れもなく、セルロイトの声だった……。




