第五百八十七話 心配はいらない
それから一週間後、俺は、アガルタ軍本部の広場に来ていた。ここは基本的に兵士たちの訓練に使われる場所だが、この日は、そこには人影は見られずに、辺りは閑散としていた。
フッと空を見る。雲一つない晴天だ。だが、俺の心は晴れてはいなかった。
気を取り直して、再び視線を広場に向ける。
「サダキチ」
一瞬の間をおいて、フェアリードラゴンのサダキチが姿を現す。その直後、彼の後ろに数十匹のフェアリードラゴンたちが姿を現した。
『……多いな』
『手の空いている者、全員を集めました』
『うん、これだけいれば十分だ』
俺は右手を地面に向けて転移結界を張る。すると、そこに数十本の友好の花が現れた。
『それでは、この花をそれぞれ持ってくれるかな』
俺の言葉に、フェアリードラゴンたちは両手に花を握っていく。すぐ近くだが、光の速さで移動できるのだから飛んでいけばいいと思うのだが、彼らはペタペタと足音を鳴らしながら歩いて花を取りに行く。何だかペンギンみたいでかわいい。俺の周囲が和んだ空気になっている。
彼らは相変わらずペタペタと足を鳴らしながら、元居た場所に戻って整列する。この光景をドラゴン好きのアリリアが見たらきっと、悶絶するだろう。
『……ええと、それでは、よろしいでしょうか』
ほっこり和んでいるところに、サダキチの声が聞こえてきた。俺はハッと我に返る。
『……オホン。君たちのミッションは、先にサダキチに伝えたとおりだ。難しいこともあるかと思うが、万難を排してミッションをコンプリートして欲しい。健闘を祈る。以上だ』
……何だ? フェアリードラゴンたちがキョトンとしている。しまった。言葉が難しすぎたか? 俺はもう一度咳払いをして、彼らに向けて口を開く。
『本日の作戦は、サダキチから聞いていることと思う。困難を伴う作戦ではあるが、万難を排して遂行してほしい。健闘を祈る。以上だ』
『あの……』
『何だ、サダキチ』
『困難を伴うと言われましたが、今回の作戦は、さほど難しいとは思いませんが……』
『そうか。それならばいい。だが、無理をする必要はない。時間をかけても構わんから、作戦を完了させてほしい』
『あの……心配は、いりません。三分あれば十分かと……』
『ほう、言うじゃないか。では、見せてもらおうか、フェアリードラゴンのスキルとやらを。全員出撃せよ』
三分って言いやがった。俺としてはかなり気を使ったつもりなのだが、彼らにそれは無用だったようだ。割と難しいミッションだと思うんだけれどな。それを三分とはサダキチも強気に出たものだ。まあいい。お手並み拝見といこうじゃないか。いや、別に時間がかかっても構わないんだ。三分で完了できなかったからと言って、責めたり怒ったりすることはない。それよりも、全員が失敗なく、生きて帰ってくることが重要なのだ。だから……あれ?
『おい、どうした? なぜ全員出撃しないんだ? 早く……』
『いえ、完了しました』
『え? 命令を出してから、一分も経っていないんじゃないのか?』
『ええ。そんなに難しい作業ではなかったものですから……』
俺が綿密に考えた作戦を、作業と言いやがった……。いや、ここで動揺を悟られるわけにはいかない。気合を入れるんだ。
俺は背筋を伸ばし、整列しているフェアリードラゴンたちに向けて、少し大きめの声で口を開く。
『諸君たちの働き、ご苦労だった。作戦の結果が楽しみだ。褒美については後日、君たちの里に届けよう。解散!』
俺の言葉と同時に、フェアリードラゴンたちは一瞬で姿を消した。
「さて、どうなるかね」
ふと空を見上げる。そこには、先ほどと変わらぬ、見事な快晴が広がっていた。
◆ ◆ ◆
リノスの作戦決行から二週間後、アフロディーテの教皇神殿では、ヴィエイユが一通の報告書に目を通していた。それは、フォーアル大公国に派遣していた、枢機卿からのものだった。
そこには、テイスト大公の病が平癒したことと、大公国が新・クリミアーナ教国との国交断絶を宣言した旨が記されていた。
ヴィエイユは目を細めながら報告書を眺める。クリミアーナ教国が全力でかかれば、フォーアル大公国は二日ですべてを失う。で、あるにもかかわらず、教国と国交断絶を宣言するという強気の発言は、どこからくるのだろうか。その答えはすぐに見つかった。
……フォーアルとアガルタが手を結んだ?
ヴィエイユは一旦報告書から目を離し、スッと窓の外を見た。太陽の光が柔らかに差し込んできている。そこに広がる大海原は見事だ。波も穏やかで、そこには平和そのものの光景が広がっている。
だが、ヴィエイユの心臓は鼓動が速くなっていた。イヤな予感がする。彼女は壁に掛けてある巨大な世界地図に視線を向ける。
フォーアルがアガルタに付いたとなると、このアフロディーテは三方から包囲されている格好になる。まさに、敵中の中の最前線にこの教都が位置している格好となるのだ。
東側のサンダンジ軍が海を北上して、北方からの軍勢をけん制する。その間に、西側のラッカー率いるサブクリナー軍がアフロディーテに向かう。我々は全力でラッカーを迎え撃つ。そうしている間に、アガルタ本軍がこの教都を突く……。そうなれば、勝ち目はない。
そこまで考えて、ヴィエイユはフッと笑みを漏らす。下らない。そんなことは、あろうはずはないのだ。そのとき、一人の枢機卿がまるで転がるようにしてヴィエイユの執務室に飛び込んできた。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
「ど……どうしたのです、エルモイル枢機卿? 落ち着いてください」
彼は顔面蒼白だった。何か、とんでもないことが起こったのはそれで充分察することができる。だが、ここで狼狽えてはいけない。ヴィエイユは自分にそう強く言い聞かせて、できるだけ余裕たっぷりに見えるように、肩を張った。
「も、申し上げ、ます」
彼はそこまで言うと、両目を激しく左右に動かしたかと思うと、何かを口ごもり、そのまま項垂れてしまった。
「どうされたのですか?」
努めて笑顔を浮かべながら、優しい言い回しで、彼に報告を促す。若い枢機卿は肩を動かしながら息を整えていたが、やがて意を決したように、顔を上げた。
「アフロディーテの至る所に、友好の花が生えています」
「……え?」
「アフロディーテの、至る所に、友好の花が生えているのです。それも、一カ所や二カ所ではありません。今、確認したところでは、およそ十二カ所において、友好の花が生えていることが確認されました。目下、調査中ではありますが、花の数はさらに増えるものと思われます」
「なぜ、友好の花がこのアフロディーテに? まさか、研究所から飛散したのでしょうか?」
「原因はわかりません。それも調査中です」
「わかりました。友好の花が生えている場所の把握と、流出した原因を特定してください」
「は……ははっ」
「それと……オルファレス大魔導士を呼んでください。……いえ、オルファレスさまに、すぐに友好の花を駆除してもらうよう伝えてください」
「し……承知いたしました」
枢機卿はまるで飛び上がるようにして、ヴィエイユの許を去っていった。パタパタと彼の足音が遠ざかる。
「きょ……教皇聖下……」
ヴィエイユの身の回りを世話する女性が、心配そうな眼差しを向けている。ヴィエイユはフッと笑みを浮かべると、彼女に向けてゆっくりと口を開く。
「何も心配はいりません。大丈夫です。何も、心配は、いりません」
まるで自分に言い聞かせるようにして、彼女は何度も頷く。そして、椅子から立ち上がると、勢いよく窓を開けた。潮の香りのする、いい風が彼女の体を包み込む。
「いい風だわ」
ヴィエイユはこのとき、自分の運命が終わりに近づいているような感覚に囚われていた……。




