第五百八十六話 怒ってる?
ビックリした。一体何事かと思った。
朝、いつもの通りアガルタに出勤すると、兵士たちが俺の到着を待ちかねていた。フラディメ王国のメインティア王とリボーン大上王が来ていると言って、困った表情を浮かべていたのだ。
その報告を聞いたとき、俺は二人が連れ立ってアガルタにやって来る理由がわからなかった。しかも、報告によれば、二人は転移結界を使ってやって来たのだと言う。ということは、余程のことがあの国で起こったのかもしれない。そう判断した俺は、取るものも取り敢えず、二人が待つ迎賓館に向かったのだった。
「これはアガルタ王、久しぶりじゃ。いきなり押しかけてきて、すまぬことをした」
俺の姿を見るなり、大上王は立ち上がって大股で俺のところまでやって来て、力強く手を握った。何もそんなに力を込めなくてもいいのに、全力で握ってきたのだ。しかも、距離が近い。その圧力たるや、生半可なことではない。
チラリと視線を移してみると、メインティア王が魂が抜けたような状態になっていた。いわゆる、放心状態というやつだ。いつも笑みを浮かべながら、余裕たっぷりに振舞うこの王にしては、珍しい姿だ。
大上王は俺の手を握ったまま放さず、ほぼ無理やり自分が座っていた席まで俺を移動させた。そして、俺を座らせると、目をギラギラと輝かせながら口を開いた。
「友好の花を駆逐する報告書、読ませていただきましたぞ」
「え? もう、ですか? あれは昨日お送りしたはずでは?」
「そうじゃ。早速、読ませていただきましたのじゃ。見事の一言に尽きますな。さすがはメイリアス殿じゃ。大賢者にふさわしい内容であった」
……ヒマか、このジイさん。メイから提出された報告書は、そのあまりの分量と内容の多様さに、俺では理解することができずに、結局、結論だけを口頭で聞いたのだ。そして、その夜はメイと一緒に寝る予定だったのだが、彼女はベッドの中でも報告をしようとするので、無理やりキスで口をふさいで、そのまま押し倒したのだった。
……いや、確かに、乱暴な振る舞いであったことは認める。だが、考えても見て欲しい。一糸まとわぬメイの体がそこにあるのだ。誰が我慢できようか。あの顔で、あの澄んだ瞳で、少し顔を上気させたメイの顔が目の前にあるのだ。数式がどうの、化学反応がどうの、といった、難しい話を聞いている場合ではなかったのだ。
メイも十分に説明したかっただろう。うん、それはわかる。ナイス・ガイ、ならば、彼女の話をゆっくりと聞きながら、優しくその髪の毛を撫でただろう。そして、甘い言葉をささやきながら、「メイはすごいね」などと言うセリフを吐くだろう。俺も本気を出せばそのくらいのことはできるのだが……すまん、昨日の俺には、できなかった。
言っておくが、メイは怒ってはいないはずだ、たぶん。俺のことを大好きだと言ってくれたし、俺もウルトラ優しくしたのだ。見せるわけにはいかないが、それは、声を大にして言っておきたい。
……すまない。現実に戻ろう。目の前に座る大上王と対峙しなければ。
「……という点には、このリボーン、殊の外感心しましたぞ。あれは実に見事じゃった。うむ、見事じゃった。あの報告書には、褒めるところしかない」
「……父上」
メインティア王が、さも迷惑と言わんばかりの表情で口を開いている。大上王はその息子に鋭い視線を投げかけたが、すぐに元の表情に戻り、懐から数枚の紙を取り出して、俺の前に置いた。
「本来ならば、メイリアス殿にお会いして、聞いておきたかったのじゃが、メイリアス殿もお忙しいじゃろう。すまぬが、これを、メイリアス殿にお渡し願いたい」
「ええと、これは?」
「ウム。報告書を読んで読んで読み込んで、その上で儂に理解できなんだ個所がいくつかあってな。儂の理解がこれでよいのかどうかを確認したいのじゃ。それに、友好の花を駆除するためには、フェリーラットを使うとあった。我が国でもこのネズミには大きな被害を受けておってな。その昔、儂がこのネズミをおびき寄せる罠を考え出したのじゃ。それは今でも、我が国で活用されておる。僭越ながら、その手法もここに書いておいた。メイリアス殿、ひいては貴国のためになろう」
中身を見てみると、これまた難解な内容がビッシリと書かれていて、俺の理解では到底追いつかないものだった。
「これは……妻でしかわからない内容ですね」
俺は思わず苦笑いを浮かべる。ふと大上王を見ると、彼は目を爛々と輝かせながら俺に視線を向けている。何という圧力だ。何だか、呼吸が苦しくなってくる。メインティア王が首を振っている。どうやら、この親父を早く何とかしてくれと言っているようだ。俺は目を閉じて魔力を集中させて、メイに念話を送る。
『メイ、メイ』
『はい、どうされましたか?』
『リボーン大上王が来ているんだ』
『え? アガルタにですか?』
『そうなんだ。メイの報告書を昨日、サダキチに命じて大上王に送ったんだけれど、それを読んで今、アガルタに来ちゃったんだ』
『……』
『でね、メイの報告書を読んで、理解できないところがあるらしいんだ。それをまとめた紙を受け取った。そこには、フェリーラットを効果的に捕まえる方法も書かれているらしいんだ……』
『是非、それは拝見したいです。もし、大上王様さえよろしければ、大学にお越しいただきたいです』
『え? いいの?』
『もちろんです。今、シディーちゃんとセルロイトさんもいますので、大上王様にお答えすることは十分に可能かと思います』
『セルロイトちゃんに大上王を会わせるのか? 大丈夫か? このジイさん、圧力凄いぞ? セルロイトちゃん、気絶しないか?』
『ご冗談を』
メイの声は何だか嬉しそうだった。俺は少し寂しさを覚えながら、目を開ける。
「もし、大上王様さえよろしければ、妻のいるアガルタ大学においでになりますか?」
「何と! 儂のために、メイリアス殿が時間を割いてくれるというのか?」
「ええ。問題ないと思います」
「ううむ! ううむ! さすがはアガルタじゃ。うむ、行き届いておる。行き届いておいでじゃ!」
大上王はスッと立ち上がり、満足そうな表情を浮かべて天を仰いだ。俺は兵士を呼び、彼を大学まで案内するように小声で命じた。大上王は兵士たちに案内されるままに、部屋を後にしていった。
「やれやれ、助かったよ……」
大上王の姿が消えた瞬間、メインティア王は、椅子にダラリと体を預けた。その態勢のまま彼は俺に視線を向け、さらに言葉を続けた。
「大変だったのだよ。いきなり夜に寝所に踏み込まれて、そのまま部屋に閉じ込められたのだ。そして、朝六時キッチリに父上がやって来て、私と共にアガルタに転移するよう命じたんだ。転移するなんて一瞬だろう? それからずっとこの部屋で父上と一緒だったんだ……君ならわかるだろう? 私の苦しみが」
「まあ、お疲れ様と申し上げるほかはないですね」
「全く、父上の体はどうなっているんだろうね? どこにあんな体力があるものかね?」
「よく似ていると思いますよ。親子だなと思いますもの」
「私と父上が? よしてくれよ、私は母上に似たのだ」
「まあ、見てくれはそうかもしれませんが、中身は大上王様ですよ。だって、女性のこととなれば、昼も夜も関係なく働けるじゃありませんか」
「イヤなこと言うね、君は」
「まあ、せっかくアガルタに来たのです。このまま帰るつもりはないのでしょう。どうぞ、オンサール君に会って遊んでやってください」
「ああ、元よりそのつもりだ。しばらく、この国に厄介になるつもりだから、よろしく頼むよ」
そう言ってメインティア王は足早に部屋を出て行ってしまった。
俺はフッと笑みを浮かべたが、少し気になることがあったので、再び目を閉じてメイに念話を送る。
『メイ、今から大上王がそちらに向かう。頼むぞ』
『……承知しました。お任せください』
『メイ……』
『はい、何でしょうか』
『昨日のこと、怒っていない?』
しばらくメイから念話が途絶えた。心の中に、不安が湧き上がってくる。
『ご主人様』
『はい』
『全然、怒っていません。昨日は……とても、よかったです。大好きですよ、ご主人様』
メイの言葉を受けて、俺はスッと目を開けた。今日は何だか、いいことが起こりそうな気がした。
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