第五百八十四話 不思議な光景
チチチチチチチチ……。
鳥のさえずりが聞こえてきた。セルロイトはふと目を覚ます。
いけない、眠ってしまった。届けられた夕食に舌鼓を打ち、和やかに談笑していた記憶はあるが、それから先は覚えていない。おそらく、そのまま眠ってしまったのだ。今、座っているのはまさに、夕食を摂ったときの場所だ。彼女は慌てて体を起こした。そのとき、自身の体が毛布に包まれていることに気が付く。きっと、メイリアス様かコンシディー様がかけてくれたのだ。
恥ずかしさと申し訳なさで、今すぐにこの場を逃げ出したい感情に襲われたが、それをすることはできないし、そんなことをするつもりは毛頭なかった。彼女は覚悟を決めて立ち上がり、メイとシディーの姿を探した。
二人はすぐに見つかった。ベランダから庭に出ると、ほのかな光の中に、その姿を見つけることができた。
そのとき、セルロイトは不思議な感情を覚えた。確かに、夜は明けている。頭上から柔らかい太陽の光が注いでいたからだ。だが、この屋敷は何重もの布に巻かれていて、そのために、入ってくる光はごくわずかで、庭は常に薄暗い。どうしてこんなに明るいのか。そう思ったとき、メイとシディーが同時に彼女の方向に振り返った。
「おはようございます」
「おはよう」
二人は満面の笑みを湛えていた。だが、その顔には疲労の色が色濃く出ていた。セルロイトは自分だけが休んでしまった申し訳なさでいっぱいになりながら、足早に二人の許に駆け寄る。
「す……すみません……でした……」
「いいえ、気にしないでください。私もシディーちゃんも、休みましたから」
「セルロイトちゃんは病み上がりだから、休んでいていいのよ」
二人は屈託のない笑顔でそう言うが、その表情を見れば、二人は不眠不休で実験の様子を見守っていたことは明らかだった。
「実験は……花は……わっ、私も……」
「見てください」
メイが笑顔を崩すことなく、クルリと踵を返す。それに釣られる形で、セルロイトは庭の方向を見た。
……庭が、真っ白に光っていた。それは不気味でもあり、美しくもある不思議な光景だった。セルロイトは呆然とその光景を眺めていた。
「あの……は、花は……」
やっとのことで言葉を絞り出す。そんな彼女の細い肩に、コンシディーが優しく手を添えながら話しかけてくる。
「なくなったよ、全部」
「ぜ……全部?」
「そう、全部。友好の花はきれいになくなったわ」
「ほ……本当……ですか?」
「うん。私の直感が教えてくれているわ。この庭からは、邪悪さは全く感じないわ」
「……」
セルロイトの眼から涙が溢れてくる。その様子に、シディーは少し慌てた様子で言葉を続けた。
「いや……あくまで、私の直感だから。本当に大丈夫かどうかは、メイちゃんに聞いてね」
「いいえ、大丈夫です」
メイがにこやかに返答する。そのとき、メイの足元から小さな老人が姿を現した。
「全く問題なかったわい」
「本当ですか? ノームさんにそう言っていただけると、心強いです」
「うむ。しかし、じゃ。ここの土は死んでしまっておるのう。ここで作物を実らせるのには、大変な苦労をするじゃろうて……」
悲しそうな表情を浮かべているのは、メイが契約している土精霊のノームだ。彼は両手を腰に当てながら、庭を呆然と眺めている。
「メイちゃん……」
「はい」
「あとは、水も注意せねばならん」
「水……でしょうか?」
「ああ。水も、酸が強くなっておる」
「わかりました」
老人とメイは二人で頷き合っているが、セルロイトには、その内容がいまいち呑み込めないでいた。そんな雰囲気を察してか、シディーが話しかけてきた。
「水が酸性になると、イヤな臭いが発生するのよ」
「は……」
「それに、この庭の土にも、酸の割合が高くなってしまっているから、作物が育ちにくいのよ」
「へ……へぇ……」
セルロイトの眼が見開かれていく。その様子を見て、シディーはさらに説明を続ける。
「この庭……まあ、この国全体に言えることだけれど、火山灰が降り積もってしまったために、土に酸が多く含まれてしまっているわ。火山灰って言うのは酸の成分が多く含まれているからね。そうなると、なかなか作物が育ちにくくなる。特に、このお屋敷の庭は、リノス様の火魔法でかなり焼かれてしまっているから、酸の割合が高くなってしまっているのね」
「この白いものは……火山灰、でしょうか?」
「ううん。これは花が枯れた残骸と、あとは、フェリーラットの死骸よ」
「し、死骸?」
「ある一定量の花の成分がネズミの体の中に取り込まれると、ネズミはショックで死んでしまうことがわかったのよ。……ああ、これは、セルロイトちゃんが熱を出して寝込んでいたときに分かったことなんだけれどね。で、ついでこの間、オサシニンを注入すると、ショック死したときに、花と同じように死骸も白い灰になることがわかったのよ。ただ……それは、強い酸を含むから、このお庭はもう……」
「と……いうことは、このお庭で花を育てることは……難しい……」
セルロイトの脳裏に、幼い頃に一度だけ見たこの庭の見事な光景が思い出された。あのときは、母が公爵夫人のお茶会に招待された際に、一緒に連れて行ってもらったのだ。広く、見事に整備された庭に、色とりどりの花が咲き誇る景色に、セルロイトは感動したのだった。
もう、ニ度とあの景色を見ることはない……。
そう考えたとき、セルロイトは胸が締め付けられる思いがした。そのとき、老人の声が再び庭に響き渡った。
「何と! それは本当か、メイちゃん!」
老人は驚いた表情を浮かべながらメイに視線を向け続けている。メイはゆっくりとしゃがみ込むと、目の前の土を掌の上に載せながら口を開いた。
「おそらく、ですが、高い確率で可能です」
「一体、どうするんじゃ!」
「酸とは逆のものを注入するのです。それで、この土は中和されます。その液体はすぐにでも作り出せますから」
「さすがじゃのう、メイちゃん」
メイはニコリと微笑んだ。ノームはクルリと振り返ると、セルロイトに向かって口を開く。
「細い姉ちゃん!」
「……!」
突然大声で話しかけられたために、セルロイトは無意識に体を震わせる。
「よかったのう。これで、この庭は元通りになるぞ」
「は……あ、ありがとう、ございます」
ここは私の庭ではないのだが、と思いながらセルロイトは頭を下げる。ノームは満足そうに頷きながら、庭に消えていった。
「さて、シディーちゃん、セルロイトさん。土を持って帰りましょうか」
「……?」
メイの言葉の意味がいまいち呑み込めず、セルロイトはキョトンとした表情を浮かべる。
「フェリーラットで友好の花が枯れることはわかりました。ただ、枯れた後の花に関しては、まだ何も調べていません。土を持ち帰って、念のために調べたいと思います」
その言葉にセルロイトは大きく頷き、シディーは笑顔で頷いた。
結果的に、持ち帰られた土からは、友好の花の成分は検出されなかった。その後、しばらくファンタジック公爵邸の庭は放置され、花が再生するかどうかを注意深く観察した。だが、結局花は生えて来ることはなく、これをもってフェリーラットが友好の花を撲滅する手段であることが証明された。
そして、メイたちは、さらに効果的な撲滅方法を確立するべく研究を続けた。それはセルロイトの献身的な研究によってわずか数日で確立されたのだった。その最終試験は、リルレイン侍従長邸の庭で行われ、セルロイトが用意したフェリーラットは、ファンタジック公爵邸のそれとは比較にならぬほどに速く花は枯れたのだった。
およそ千ページにわたる、友好の花を撲滅するための報告書がリノスに提出されたのは、それから数日後のことだった。




